斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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自己証明のための携帯電話番号と連絡先としての携帯番号の分離の時代

最近はじめた「路上で100万円を発見する方法」というメルマガがあるんですが、そのメルマガにはどんなことを書いているかといいますと、もともとはゲームの発想法を書こうという趣旨だったんだけど、開始してから約一ヶ月半、ずっと自分の興味の対象である「モバイルアプリ」について語っちゃってます。

そもそも僕は、マーケッターではないから、どこの会社がどういう動きをしているとか、どことどこがいくらの規模でどうだ、とかそういう現在完了形のニュースには疎いのですよ。僕が得意なことがあるとすれば、「世の中はこういうものが必要だ」とか「こういうものがあれば絶対におもしろい」といった、いわば客観的な根拠のない、現在取得可能なマーケデータとは非連続な場所にある、自己潜在願望の発見物のようなことを書いていて、それはつまりいつもやっている自己対話の中で次の製品を発想する体験そのものだったりします。

下に紹介するのは、ついさきほど書いた今日配信するメルマガの原稿の一部(前半)です。こういうのが送り届けられるメルマガ、おもしろいと思ってくれたら読んでくださいね。(初回登録がやや面倒ですけど)

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海外とのテレビ会議が無料なのに、音声通話だけはバカ高いことに疑問を抱いた人はいませんか?

今回だけはちょっと理屈っぽくて、長いメールになります。前回の「アップルが電話事業をおっ始めるんじゃないか?」という勝手な憶測の続きから。

 

●電話ビジネかの意味が変化していること

さてここでいう電話事業ってのは、アンテナを敷設して・・ということではない。前回のコカコーラ方式と同様、グローバル勢からしてみればそんなのはローカルの企業がやればいいことです。

 

電話事業のカギって何か、となると、「アドレシング」ってことに行き着きます。電話で言うならば電話番号を割り当てる権利。サイトでいうならばURL、メールでいうならばメールアドレス。このアドレシングを行う権利はこれまでは公的機関が多かったけれど、ワールドワイドな複合サービスになると、競争に勝ち残ったどこかの企業ということになる。その企業は、人類のコミュニケーションの行く末を左右する影響力をもつことになります。かつて旧電電公社によって「取り次ぎ交換」や「番号案内」が独占されていたのも、この覇権をもっていたのが理由。

 

これまでの電話事業では、政府の小会社である旧電電公社(NTT)がこの「電話番号割り振り」を一手にやってきました。しかし携帯電話では3キャリアに分割されておこなわれてきた。しかしそこに「個人情報保護法」も登場したので「携帯電話の番号案内」は不在のまま。昔の分厚い「電話帳」がなくなったことがSNSの必要性を押し上げているともいえる。

アンテナや巨大なケーブルの敷設投資がおわった時代の先に出現するものはなにか?それは電話会社の「ソフト化」です。いいかえると、一般消費者による「てっとり早く人を探して、その人に接続してください」というサービスへの欲求です。巨大に長い番号を入力する時代は、もう終わりました。「本人特定→(承認)→接続」です。

 

●本人認証

僕たちがいまつくっているアプリは、かつてのように携帯メアドやツイッターIDなどを使いません。本人認証にはその人の「電話番号」でする建て付けになってる。

その理由は、申し上げた通り、この電話番号がとても重要になると思っているからなんだけど、でもそれは、本人が本人であるための担保としての意味です。

社会保険番号みたいなもので、「だれもがひとつもっているひと」と「連絡先でもあること(=SMS)」そして「ころころと変わらないこと」が重要なだけでして、ツイッターIDのようにそれを他人に広く公開するためという意味ではない。今までややこしいかったのは、この「電話番号」という日本の電話キャリアが割当てた「個人ID」意味と、もうひとつ、「連絡先」としての意味がひも付いたまま、だからです。そろそろそれを分離する時代がくる。(以下つづく)

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「手を抜いた企画」の意味・・・レベル5「ギルド01」参加のビデオにかけた想いとして

昨日と今日に開催されたレベル5さんのイベントで発表された「ギルド01」という4本のミニゲームで構成される作品にクリエーターとして参加している。

仮称で「エアポーター」というこのタイトルに関して、イベントで流すためのビデオで、けっこう今の時代に重要と思われることを発言したつもりなのだけど、残念ながらほとんどがカットされてしまったので、(このカットは必ずしも誤った選択ではないと思うが)、製品PRの意味も込めて、何を語りたかったのかについてこのプログですこし補おうと思うんです。話したかったことは、実は大切なことと思っているので。

さて、そのビデオの中で僕は、「いかに自分が手を抜くかを最優先にして企画した」と言ったんですね。これは奇をてらったのではなく本意です。仕事的背景がないわけではないが、でもいちばん大切なことは、(そのインタビューの中で説明したんですが)、実はユーザーが払う「ラーニングコスト」が小さい新規ゲームをつくりたい、という意味。

物語性とか世界観がバカみたいにでかくて、お金もかかってて、しかも新機軸で・・というゲームは、いまどきはなかなかつくれる環境ではない。なぜならユーザーが「どんなゲームか?」を理解するために相当な時間を費やす事になるでしょ。 これ、定価とは別にユーザーが負担しなければならないコストで、僕は「ラーニングコスト」と呼んでる。このラーニングコストは安ければ安いほど、いい。中身が浅いこととのジレンマにクリエーターは悩むことになるが、いずれにしてもこの考え方だけでもいまのコンシューマー業界に広まればいいなぁという想いをもってます。

お約束のRPGだったら、まだいいんです。世界観が違うだけでゲームそのものはだいたい同じですからね。でもそれじゃ新機軸にならないわけです。新機軸のゲームってのは、「このゲームはこうするとこうなる。これが面白いんですよ」って文脈構造がわかるまでに何分、いや何時間、かかるか、が問題になってくる。とくに最近はSNSゲーム儀主流になってきているから、コンシューマーは忍耐強くない。ライト性は普遍的に重要です。

今回のエアポーター(仮称)に関する説明では、テトリスがそうであるように、「あ、なるほどね」と、できればゲームを最初に立ち上げて1分以内にユーザーにルールを理解してもらえるものにしたかった、という話しをしたんです。そのために企画者がすべきことは何か?というと、たったひとつの切り口で、ゲーム性が成立するところまで至らせることなわけで、これすなわちミニゲームの極意なのです。企画をいろいろとてんこ盛りにして質を量でごまかしてはならん部位です。それを「いかに自分が手を抜くかを最優先につくった」という言葉で表現しました。(笑)

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レベル5さんの担当者は、若いけど熱意のある好青年で、この好青年が熱く誘ってくれたからこの仕事は引き受けたのです。でも一方で、やはり若いから当然なのですが、時期によって要望がいろいろとブレてくる。とくに今回のように一般公開した後とかにはね。こういうのはよくある話しで過去も何度か体験してきたんですけど、そういう時に、クリエーター側は「でん」とゆずらず、コンセプトを貫くってのがこの手の仕事ではとても大切です。

クライアントとかテレビ局の発言に影響され過ぎてこの一本のコンセプトを見失っちゃうと、それはCMでも小説でも映画でもすべておなじだと思うんですが、増改築のつぎはぎだらけの建築物になっちゃう。そうなっちゃうと目も当てられないわけ。ゲームでもこれはぜったいにやっちゃだめなんです。

ちなみにこの7月と8月が、クリエーターとしての僕は失業状態だったので、この期間ですべて企画が終了できる程度の「ハマれるゲームをかんがえろ」ってことになるんだけど、かなり難易度が高くておもしろそうだった。オムニバスってのは、予算も納期も、鉄板ですから。ちなみに開発は社長が信頼できる外部のとある会社さん。

ま、これは制作側の話。

結論的にいうとプレイヤーの印象として「ちょっと物足りない」くらいにいわれるのがベストと考えた。新機軸のミニゲームで「ちょっとものたりない」ってかなり得難い褒め言葉です。なぜかというと、そういえるまでプレイヤーはそのルールを完全に理解した、ということですからね。そうなったらそれを続編でたっぷりやりゃいい。てんこ盛りにしすぎて「よくわからなかった」という消化不良の事態こそが、ゲームクリエーターとしての僕の最大の敵、ということになるのです。

 

そんな思いで、「かなり自分を押さえて」つくったという意味で、新境地といえると思ってる。いや、むしろこれからの時代のキーワードだとすら思ってます。

そんなこんなで、このオムニバスにはヒットしてもらいたいし、プロとしては、その牽引を自分の作品が担いたいとは思ってます、いつも通りに。しかも、ニンテンドー3DSにはヒットしてもらわないとね。「日本の外貨獲得産業」の担い手ですから、任天堂は。

ちょっとかっこつけすぎたかな・・。

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本を出しました。

昨日自社から(オープンブックといいます)出版社として名乗りを上げてまでして発売した「林檎の樹の下で」という本があります。この本を、ぜひとも読んでほしいんです。お断りしておきますが、商売の意味ではありません。商売するんだったら書籍の出版なんてぜったいやらないと思う。

 

 

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実を言うと、この本はねジョブスと日本人のノンフィクションである以前に、30代になった僕が6年かけて書いた本、という意味でも読んでいただきたいのです。独立したての頃に、国際電話をして取材申し入れをして(ネットなんてあってない時代ですから)、当時のどんな人たちと会ってきたか、書籍化の予定もないくせに、どんなことを聞いて回ったのか、という記録でもあるのです。言い換えると娘が生まれた直後の僕は、いたいなにやってたんだ?という、脱サラの記録でもあるわけです。

30代の人は30代なりに、同世代の人は、当時の僕と比較しながら、ね。 三回目の復刊なので、あとがきが7年おきに三つ収録されていて、あとがきはいつも脱稿の最後の一時間で書くクセがあるんですが、そのぶんそれぞれの時代(僕だけではなくアップルそのものも変化してますよ)の生の言葉が書いてある。直接の知人の皆さんにはそこも、おもしろいところだと思うのです。 http://amzn.to/r8pPZQ

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auがiphoneを発売するに際して思う

メルマガを最近やってます。「路上で100万円を発見する方法」というタイトルです。

なぜいきなりメルマガを始めたかというと、読者から質問とかが返ってくるという特徴が楽しそうだったからです。ツイッターでも返ってくるけど、140文字は少なすぎるしね。あとお金をいただくことになるわけだから、本気でがんばらないといけないというプレッシャーも久々に味わってみたかったから。編集部からもらう原稿料とちがって、読者が直接払う「投げ銭」だから、著者としてはちょっとドキドキしますし、かなりのプレッシャーです。ちゃんとしたこと書かないと、という感覚。これがいいと思って。

ご存知の方も多いでしょうけど、ツイッターを始めてからというもの、このプログはほとんど休眠してました。ですが、最近すこしだけ、「ちょっと更新でもするかな」という気持ちが戻ってきたのですが、それも、この「メルマガ連載」の影響ではないかな。

で、どんなことを書いてるかというとね。今日書いた原稿は(配信前だけど一部のせちゃうと)下のようなものです。そもそもが理屈ぽいことを書く男なもんですから、いちいち読みにくいし、かつてのこのブログのように論文調になってしまわないように、メールのように短く書くようにしてます。

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○携帯キャリアがこれからたどる道

auがソフトバンクに続きiPhone販売権を獲得したというニュース。

これによってアプリ開発のターゲットとかSNSゲームの課金のあり方がどうかわるのか、ということに僕の周囲の人たちはやっきになっている。

スティーブジョブスは、各国のキャリアをアップル製品のただの”サードパーティー”程度にしか思っていないんでしょうね。

そうなってくると携帯電話のキャリアはいままでのような表舞台の主役でいつづけられるのか?などについて考えてみたくなるわけです。

○ローカル業者がサードパーティーとなる 

携帯キャリアとアップル(ないしはグーグル)の関係って、クレジットカードと相似形の気がするんですが、そんな建付けでこの推論を進めていこうと思います。で具体的にいうと、僕は三井住友VISAカードのユーザーですが、ある日ふと「三井住友」と「VISA」の二社の棲み分けはなんだろうって考えてみたわけですよ。そのへんみなさん考えたことあります?・・・  (以下つづきはメルマガ本文にて)

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ということで、つまらなかったらお金返すから(非現実的だけど気持ちとしては本音)、購読してみてください。質問もどんどんと欲しいんです。

ということでよろしく応援のほどお願いいたします。

↓購読申し込みはこちらです。

http://www.mag2.com/magspe/interview83/

 

 

 

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Steve Jobsという人物とアップル

唐突だけど、ジョブスに関して書いた文章をアップしてみました。

実はこれ、某雑誌に依頼されて書いた原稿の原案でしす。最終的には、全面的に書き換えたので、この原稿は日の目を見ないままハードティスクの片隅にちょこんと鎮座していたのですが、なんだか可哀想に思えてきてて今日アップしてしまいした。

お暇でしたら読んでください、って感じです。

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「スティーブジョブスって人はもともとプログラマだったんでしょ?ちがうの?」という話しを耳にすることが多い。ジョブスは技術者ではない。最初に理想的な完成形をイメージし、それを技術者たちにつくらせるビジョナリーである。彼の委細の妥協を許さない「完璧主義」は、エンジニアたちを疲弊させてきたが、その製品は(すくなくとも外見とそのコンセプトにおいては)一分の隙もない完成度となって市場に出まわることになる。この方法論は、アップル創業以来徹底しておりジョブスが追放された時期のアップル製品の低迷を見ればその違いはあきらかである。

アッブルに戻ったあとの製品レビューにおいて、エンジニアがもってきた新製品の基盤をみて「基盤のレイアウトがうつくしくない」と否認した話しは有名である。エンジニアが「基盤なんて誰も見やしないよ」と反論したら「オレが見る」とつっぱねた。Nagraなどアナログ技術の逸品で目を肥やしてきたものだけがもつこういうセンスは、デジタル世代には、理解がいかないものかもしれない。

若き頃にジョブスが傾倒したインド仏教の影響もあってか、純粋主義であることも製品に大きく影響している。20xx年に発売されたiPhoneは、背面の鏡面加工デザイン性を貫くためだけにバッテリー交換を放棄したことは業界関係者を呆れ返らせた。業界の慣例や常識にまどわされず、この「あるべき理想型」をつらぬくこともジョブスの力である・・。

 

*********アップルの創業。

英国のクリスティーズのオークションに突如出展された、1976年製のマイコンボード。この、むき出しの一枚の基盤に、213600ドル値づけがされて落札された。

ディスプレイもキーボードもないこの基盤こそが、「二人のスティーブ」によって起業されたアップルコンピューターの最初の製品であることを誰もが知ってる。

200台ほど制作販売されたこの「アップル1」を手作りで作ったのは、当時ヒューレットパッカードに勤務し、ホテルのケーブルテレビに接続するセットトップボックスなどを担当していたエンジニア、スティーブン・ウォズニアック、通称ウォズが制作したものである。

この製品の販売を担当したのが、「二人のスティーブ」のもうひとり、スティーブ・ジョブスである。アップルの創業者のふたりのファーストネームがそろってスティーブだったため、互いを区別するために「ウォズ」、と「ジョブス」と呼れるようになる。

このアップル1を制作するのに必要な部品を購入するために、ウォズは愛用するHPのミニコンを、ジョブスは自分の愛車フォルクスワーゲンを手放すことになる。しかしよもやこれが本業になると当時ふたりは思っておらず、あくまで趣味としての活動だったが、販売先であるバイトショップの要請で、会社法人を設立することになる。社名は、果実主義であるジョブスが以前いたことのあるリンゴ農園から、「アッブル」と名付けられた。

アメリカ西海岸、いまではシリコンバレーと呼ばれる一帯では、マイコンボードがちょっとした勃興機にあった「マイコンブーム」の中心でもある「バイトショップ」にこの「アップル1」を販売委託したジョブスは、予想外の評判に、資金調達をしての本格的な操業を決意する。ジーンズにサンダルという、いわゆる「ヒッピー姿」のまま、みずからベンチャーキャピタリストを訪問し、これもまた奇妙な「金の卵エンジニア」、ウォズにHP社を退職して新会社に専念するよう説得する。

*********ジョブスのこだわり

 マッキントッシュという名前は、カナダ産のリンゴの品種名から来ている。未発表の新製品にはコードネームがつけられるのが通例だが、この「マッキントッシュ」の命名者は、音楽家でもあるアップルの社員ジェフラスキン。「理想的な家電コンピューター」のプロジェクトとして始めたものだった。

だが、このプロジェクトを乗っ取って、名前だけを残しそれ以外のすべてを「自分の理想とするコンピューター」へと変貌させてしまったのは、ジョブスだった。

********ゼロックスパロアルト研究所PARC

ゼロックスのパロアルト研究所で、後にパーソナルコンピューターの父としいて知られることになるアラン・ケイ博士らを始めとする科学者らが実験的につくったのが、ALTOと呼ばれるミニコンピューターだった。

ミニコンピューターという名称は、当時遠隔からタイムシェアリングで利用される「大型コンピューター」の小型版という意味が込められていたが、「パーソナル」にまで廉価に至ってはおらず企業や研究所が所有できるレベルのものを指していた。

このALTOは、試作品とはいえ、マウス操作、アイコンインターフェイスなどを備えた、いわば今のパソコンの原型をほぼすべて備えた芸術的な発明品だったが、ゼロックス自身が商品化をしなかった。200台(?)ほどつくられたこの試作品の一代はホワイトハウスに納品されたことでその存在を業界に知らしめた。

当時、アップルというベンチャー企業の株主でもあったゼロックスは、アップルというベンチャーのエンジニアがこの「名品」の試作品を見学したいという打診をなぜか受け入れた。そして、スティーブ・ジョブスや後にアッブルの名誉科学者となるビル・アトキンソンをはじめとする「盗人チーム」の天才エンジニアらは、ここで見たデモに衝撃を受け、マッキントッシュの最終形をマウスとアイコン操作とすることが決定された。

*******トースターのような家電製品

ジョブスが理想したアップルの新型コンピューターの姿、それは、すべてが一つのボディーにまとめれたシンプルで美しいワンボックスコンピューターだった。ユーザーが裏蓋をあけたり、ボードをとりつける必要などのない、家電店で売られ、専門知識のない「普通の人々」向けのトースターのようなコンピューターだった。

********ジョブスのリーダーシップ

「海賊チーム」は、アップルが孤立した部署だった。ジョブスが許したものしか出入りすることができず、どんなものが作られているのか社内の誰にもわからなかった。たった6名の社員の手で、そのほとんどが開発されるという驚異的な作業は、後に伝説となり、関係者をスーパースター化すこととなった。

自分が革命者であるかのような言動をすることで、周囲の協力者を煽動するのがジョブス流のやり方だった。自分がカリスマとなることで、願望が実現できるまでエンジニアを酷使する。その仮想敵としてしばしば使われたのが「コンピューター界の巨人」IBMである。

後発のIBMがIBM/PCを発売したときは、ウォールストリートジャーナルに、「IBMさん、ようこそ、私たちが作った市場へ」という皮肉に満ちた全面広告を打ち、世の中の注目を集めた。

********ジョブスとディールを結んだ最初の日本人

日本を代表する合繊メーカー東レの研究所の研究員、水島敏雄が、理化学分析のために、さまざまなセンサーと相性のいいコンピューターを求めてサンフランシスコで開催された「第一回ウエストコースとコンピュターフェア」を訪れたのが1977年のことだった。

水島は東レを退職し、ESDラボラトリーというマンションカンパニーを設立し理化学分析機器の開発を行う若きエンジニアだった。

当時はボードマイコンしか存在しないコンピューターの黎明期だが、それだけに西海岸で起きている手作りコンピューターブームの動向は技術者の注目を集めていた。水島が自費で訪れたこのフェアの会場にて遭遇したのが、初デビューしたばかりのアップルIIだった。社員が数名しかいない無名のアップルのブースで新製品のデモを行っていたのは24(?)才の副社長、スティーブ・ジョブス自身だった。水島は「すべてのエンジニアに開かれたオープン設計のI/O」に惹かれ、日本の輸入代理店を申し出る。

********アッブルの日本の総代理店は合繊メーカー「東レ」

水島は湯島の雑居ビルの店舗スペースで「アップルII」の販売を始める。製品も評判も上々のアップルの伝道者として「総輸入元」を打診するも、急成長を遂げるアップルの成長に資本力がおいつかず、古巣の東レに、その総代理店の提案をおこなう。

この時期の東レは、構造不況からの活路を見出すために脱繊維を図ってやっきになっている最中だった。磁気テープやフロッピーなどのハイテク素材へでのイニシャティブを手に入れるために、この「青い目をしたパソコン」の輸入を決定する。

日本は、NECPC98が時代をつくる直前、これはつまりアップルも、そして東レも、互いに過度な期待を寄せたままの「見きり発車結婚」がこのとき成立してしまったのである。

*******ジョブスの解雇

ジョブスの解雇は、アップル信者たちには賛否両論だった。アップルユーザーと言えば已然として「アップルII」のユーザーを意味していた一方で、マッキントッシュという製品ラインはアップルを潰すと考える関係者も多かった。秋葉原で大々的に売られるPC98が帝国を築いていた日本では、アップルというプランドの認知度がまるで低く、今のようにジョブスの動向がいちいちニュースになることはなかったが、米国では、No jobs(もうおまえに仕事はない!)といった揶揄があちこちのマニアらによるBBS系ネット(この時期まだインターネットはない)に書き込まれた辞任劇だった。

********Windowsの台頭とジョブスの復帰

“問題児”ジョブスを追い出した公開企業「アップルコンピュター」を率いたのは、ペプシコーラーの社長からヘッドハントされた典型的な優等生のCEOジョン・スカリーだった。ジョブスの遺産であるマッキントッシュは、「CD-ROMとマルチメディア」というコンピューター業界を訪れた追い風に乗ってすこしづつ離陸を開始していた。スカリーは時代の寵児のようにメディアに登場し、コンピューターと教育、エンタテイメントの融合をアピールし始めた。ビジネス用途では無意味と思われていた「音が出る」「グラフィック性能が強い」「マウスとアイコンによるフレンドリーなインターフェイス」といったマック独自の機能が市場となりはじめたのである。

しかし、この時期から10年間にわたってアップルは迷走の時代に突入することになる。

*******迷走の時代

アップルが西海岸のサードパーティーらとこつこつと切り開いてきたマルチメディア市場の開花を予期していた宿敵マイクロソフトは、事業の主力であるOS製品をテキストベースのDOSから周到に用意していたマックに酷似したOS「Windows」へと舵を切り替えた。Windowsは、マックが作り上げてきたGUIの代名詞をいつのまにか引き継いでしまったのである。

ウリをなくしたマックは、市場では存在意義をうしない、アップルのCEOはクビのすげ替えのバトンリレー状態になる。

日本の内閣のように日替わりでリーダーが変わるようになると官僚は言うことを聞かなくなる。

リーダー不在のアップル社内も、信者に近い古参社員たちが手に負えない硬直化した組織を形成しはじめていた。にっちもさっちもいかなくないダッチロール状態のアップルに必要なカンフル剤は何か?その答えとして「もう一度ジョブスを招いてはどうか?」と発想したのは、つまり封印されたパンドラの箱を開いたのは、ゼネラルエレクトリックから来た最後のサラリーマンCEO、ギル・アメリオだった。

******ジョブス復活

ジョブスがアップルに戻ったというニュースが電撃的にインターネットを駆け巡ったのはクリスマスも近い1996年12月のことである。

ジョブスは、自分がアップルを追放されたのとまったくおなじやり方をつかってCEOのアメリオをアップルから追い出した。

そして、暫定CEOという奇妙な肩書きを名乗りながら、あるいは年間たった1ドルという役員報酬を見せつけながら、こり固まったアップルの風土変革に取り組み始める。

 

*******捨て去る力

パソコンはすでにカラーがあたりまえになっていた時代に、「神のようにクっきり表示させる」ために、マッキントッシュはモノクロモニターを搭載していた。

日本での広告は、横山大観らの水墨画が用いられ、ジョブスの禅思想とあいまって独特の世界観を醸し出した。

「シンブルであることが最大の美」というジョブスの哲学は、広告デザインからインターフェイス、パッケージにいたるまで、全世界に徹底されている。

たったひとつ、かつてのジョブスと違うことがあるとすれば、すでにアップルは巨大な力となってしまったことだ。巨悪に挑む革命家だった時代はとうに過ぎ去り、1984に登場する「世界を支配する権力」に、ジョブス自身がなりはじめていまっていることだろう。しかし、いまのジョブスは、そしてアップル製品は、低迷することなく、カリスマ性も失っていない。ジョブスが健康状態を維持し、その哲学を発揮している限りは、その駆動力は失われることがないだろう。

 

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携帯メアド文化は過去のものとなり、SMS時代がくるのだろうか?

SMS(←いわゆるショートメール)がキャリアを越えて送受信できる日が、あと1ヶ月後にくる。僕は、実はこの日をずっと待ち望んでいたのですが、もうすこしゆっくり来ると思ってました。なにせここは日本ですからね、公約されたことだっていつになることやら・・とね。

なぜ待ち望んでいたか?という話になりますが、要するに人の連絡先を聞くのに、番号がわかっている人なのにどうして長たらしい(←これは人によるけど、ガラ携テンキーでローマ字と英数字をいれるほど辛い仕事はない)メアドを転記入力しなければならないんだ?という疑問が払拭できないからでして、携帯メールアドレスがない日本以外の国では、実に不可思議な行為に思われる習慣だったと思います。「プッシュ型であればGmailでいいじゃないか」、というに決まってる。

たしかに無料のGmailがあるのに、携帯料金にiMode代315円/月、を付加して払うってのも、よくよく考えるとよくわからない。もともとがPC文化の人間なもので、iModeという閉鎖系世界が好きにならないってのもありますが、特有の「半角カナ」の文化がどうにも嫌いなのも含めてあまり価値を感じないのです。

だから、とっとと315円など解約して、番号だけでメールを受信できたらどんなに便利だろう、と思っていたのが一つの理由(SMS一通につき発信者に3.15円かかることになりそうですがそれでも現在の固定費の1/100ですからね) そしてもう一つはですね、メアドは人によってはときどき「変わる」からなのです。うざい人間関係のしがらみの中で、メアドを変えたい理由もわからないでもない。しかし、番号はそのままでメアドが変わる、しかもこのふたつが紐づいているという「ねじれ構造」にあまりエネルギーを使いたくないってのがある。

ガラ携の時代では、MMS(キャリアのメール)は、待ち受け画面にも着信が表示されるので、いったん登録してしまった人とのやりとりでは、これほど使いやすいメールサービスはないことも事実。だけど、いまのようなスマフォの時代では、MMSのアプリの弱点がまるだし、DOCOMOメールはSPモードと名を変えて最悪の使い勝手となっている状況もある・・・(使ったことのある人ならわかると思いますが、専用アプリを使うわりにトップ画面に着信告知がないからメールがきたことに気付かない)

ソフトバンクが立派だったのは、iPhoneローンチの数ヶ月後に、XXX@softbank.ne.jpというMMSメアドを前ユーザーに提供し、しかもiPhone上で、ガラ携と同様のトップの着信通知に対応させたことでしょぅか。これがなかったら、日本ガラパゴス分かのユーザーにとってiPhoneは愚図でノロマなスマート携帯といまだに見なされていたかも知れないと思う。

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クラウドの時代になると、本人認証ってのがいろいろと大事になります。これまでは提供側が「おまえは本当に、この番号の持ち主なのか?」という確認がとれなかった。だからiModeの時代では「公式サイト」という名でキャリアがそれをすべて担ってきました。これからは、「あなたの電話番号さえわかれば、こちらからメッセージ送りますので、そこに届いた暗唱コードを入力してくれればいいですよ」となるわけで、長たらしいメアドをいれる必要もないし、キャリア決済を経由する必要も薄れる。ついでに着信した端末が世界で一つの携帯電話であることも確認できるわけです。携帯メールアドレスなんてのは「インターネットからの送信物はうけとらない」に設定している人がほとんどなわけで連絡先になり得ないんだから。

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ガラパゴスだった日本のユーザーは、スマフォの到来とともにすこしづつ、「携帯で使用するメアドはキャリア依存しないものにしよう」という気にすこしづつなってきてるんじゃないかな。そこに来てのSMSオープン化ですから、情報提供者はこれから「電話番号収集合戦」に入ると思います。相手が携帯ユーザーであることが確実にわかる方法で、かつ連絡先でもあるわけだから。

ま、知らない人に番号を教えることには抵抗がありますし、写真貼付とかデコメ文字のように長く土絵割れてきた日本のユーザー文化ってそう簡単には変えられないものでしょうけど、最期はそういう世界標準に変わってくるものではないのかな、と・・・。

 

(ツイッターをはじめてからブログ文体がかわったとつくづく思う自分がいる・・・)

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久々の更新のテーマとして「SMS」

ひさびさにブログを更新しております。今日は日曜日の早朝で、しかも会社で迎えた朝です。

久々の更新のテーマですけど、今回はSMSについて。

SMSってのは、相手の番号でそのままおくれるメッセージ、いわゆるショートメール、ってやつです。最近このSMSの利便性に目覚めてしまっている、その話しです。

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僕はSIMロックフリーのiPhoneにDocomoのSIMをさしてつかってます。

このDOCOMOのiPhoneでは、

1.SMS

2.iModeメール

3.テザリングWIFI基地局

の機能はひととおりつかえるのです。ただし3については今は違法ということになりますので個人の責任でということになりますが1と2は堂々とドコモショップでサポートを受けることができます。ま、どの店舗でもあまり情報がないようで「他社さんの携帯についてはあまりサポートできないのですが」と消極的ですけれど、(iMode.NETという付加サービスとiPhone用のアプリを利用すれば)すくなくとも最低限のドコモ携帯としては使えることになります。ま、そんなことはいいとして、ドコモのSIMをさしてiPhoneをつかっていると、要するに海外ユーザーが利用している携帯環境を体験することができるわけ。それがおもしろいのです。

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たとえば、iPhoneで動作する海外製のメッセンジャー系アプリ、ちょうどViberのような音声チャット、などは電話番号で紐づけられたサービスです。つまり、起動して最初に自分を登録するIDは「電話番号」です。

つまり本人確認としてPassWordが「携帯メアド」ではなくSMSで届くわけですが、日本人は最初にこの体験をするとびっくりする。「なんでここにとどくの??」と。

僕たち日本人はキャリアを超えてメッセージのやりとりができないという先入観があるから、キャリアを伝えていないのにいきなりSMSメッセージが入ってくるとびっくりするわけ。

このViber0は登録時のみならず利用しておこることがいちいち、ガラ文化にいる僕らには結構おどろきです。自分の電話帳に登録させている人の中でだれかがViber の使用を開始すると、知らされてくるのですが、これは電話番号という一意のデータで、利用者の行動をサーバーが監視しているからです。つまりViberのサーバー上では電話番号をキーとしたソーシャルグラフがどんどんと形成されていることになる。で、誰かがユーザーになったとたん、その関係者には告知がいくしくみ。(たぶん、ですが)

要するに、僕が日本の「携帯ガラパゴス化」を痛感するのは、実はこのSMSという便利な機能の封印なのでありますって話しです。

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日本以外のほとんどの海外では、ちょっとした連絡はこのSMSが主流です。キャリアを超えてのサービスがあたりまえになされている国では、いいかえると、携帯メアドなんてものはまるで不要となります。まあってもいいんだろうけど、わざわざ315円云々の付加料金を払うことがナンセンスとなる。それがあたりまえなっている僕らには想いもよらないだろうけれど・・・。写真貼付などちゃんとしたPush型メールを使いたければ無料のGmailということになる。つまり本人確認とそれにともなう連絡先が「電話番号一つでOK」という文化がここにはある。余談ですがツイッターの「140文字」の文字数制限の源流はこのSMSの文字数制限から来ています。

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この「番号だけでOK」というのは、想像以上に便利です。「XXX@docomo.ne.jp」「XXX@ezweb.ne.jp」「XXX@softbanl.ne.jp」などという長たらしいタイプを携帯キーボードでする必要もないし、ややこしいメアドの交換間違えもない。

で、日本ではどうか、というと、3キャリア間の話しあいで、このSMSをキャリアをこえて使えるようにしましょぅ、という合意はとっくにすまされて発表されているのだけれど、その実行がなぜかずっと保留にされたまま。まおそらくは、iMode類の課金だとか絵文字サービス打とか、その他のサービス料金をすべて失うリスクをさけているのではないかと邪推してますが、ある日このサービスが実行されることになると、携帯メアドが不要になってくる。キャリア替えのリスクもほとんどなくなる・・。

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僕は、あまり遠くない将来、この「携帯メアド」が「SMS」に取って代わられると思っていて、そうなった時に消滅するサービスと新たに出現するサービスがけっこうあって、それらが激しく入れ替わると考えているのであります。

 

つづく

 

 

 

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人類タイマー

カーナビ特有の、親切でいて、でもなんとも無機質な音声ガイドを聞いていて、ふと、こんなドライな語り口調で、「お客様が怒り出すまであと200メートルです」なんてタクシー運転手が予告されたら、どきりとするだろうな、と考えたことがあった。

そんな事を考えていたら「あなたの運命の分岐点まであと500mです。そこを右折、です」とか、「今の一言で、恋人はあなたに愛想を尽かしました。破綻まであと3日と4時間20分、です」とか、そういう未来ナビをテーマにしたゲームをつくれないかな、なんて考えるようになって、「人生タイマー」というタイトルに至った。

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地図というのはすべて人が踏破した場所の記録だ。だから、地図は言い換えると、「常に過去」を表している。だからたとえば未来地図なんていうフレーズ、これは、「黄色いモンシロチョウ」と同じくらい、矛盾した造語なわけで、永遠に手に入ることのない人類の憧憬。未踏の惑星の地図のようなもの。でも、だからこそ人はそういうナビを欲してしまう。より有利で恵まれた人生を歩みたいという、飽くなき人類の強欲さの象徴なんだと思う。

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スタンフォード大学の人類学の教授である別府春海氏が、「Shougai(生涯)」というアプリを教材として制作したのは15年以上前のことだ。それはごく平凡な日本人の少年の人生を分岐選択型ゲームとして描いただけのものであった。主人公はその中で太平洋戦争を体験することになる。アメリカ人の生徒たちは主人公になりかわり焼夷弾が降りそそぐ中を、「右に逃げる」か「左に逃げる」かを選択する分岐に直面する。ちなみにユーザーは、左に逃げると生き延びるし、右に逃げると、死ぬ。

この選択肢にどういう意味があるのか、ゲームクリエータの駆け出しである僕は別府先生に訊ねた。すると「まったく意味はありません。ただ、私はこの時に、たまたま左に逃げた。そして生き延びた。右に逃げた友は、死にました。それくらい、人間の命なんてはかないものだ、ということを、自己合理主義のアメリカ人に教えたかったのです」と氏は答えた。これほど深いゲームの選択肢を、僕は、まだみたことがない。

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現代人は、人の命の重さを何よりも尊いと規定して、その大義をふりかざすことで自然を亡ぼして生きてきた。「人の命100人くらいだったら海洋資源のほうがよほど大事だ」なんてことをいったら袋だたきにされるのが、民主主義の世界だ。

でも、動物たちは、いや、昔にいきた人たちは、きっと、もっと自分の命をはかないものと考えていたに違いない。大きな力の流れの中で、あっという間に失われてしまうもの、そして生物というのはそれを受け入れるしかない、力ない存在。種というのは、自分一人だけが生きることに固執してはならない、全体主義の中の、ごくわずかにな存在・・・

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テリー伊藤氏が、先進国の出生率が低いという話題において、、バラエティー情報番組内ではからずもいった言葉を、いまでも記憶している。「人間、豊かになればなるほど、子どもはつくらなくなる。どんどんと自分が可愛くなっちゃうから」

学校に怒鳴り込んだり、購入商品のことで企業を脅したり、人前で店員を叱りつけたり・・そういうモンスター化した現代人たちの行動は、自分がかわいくてかわいくてしかたがない、というその兆候なのだとしたら、人間が生き残る術は資源枯渇による氷河期を再体験するしかないのかもしれないなぁ・・。そんなことを考えているうちに、「人生タイマー」ならぬ「人類タイマー」を誰かが発明しないとならないぞ、なんて60年代のSF小説家みたいなことを真面目に考えるようになってしまったのであります。

HiromiBirthday0712 082

△人間ってのは、自然が長年かけてつくった秩序を、ただひたすら壊して豊かさを手に入れてきた生き物だと最近とみに思う。

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ハバナの風景  HavanaReport#1

一昨年のゴールデンウィークに、豚インフルエンザパンデミックのせいで全面キャンセルをくらったリベンジで、僕はこの年末休みに、強行でキューバの首都ハバナに行ってきたのであります。その写真を、すこし紹介します。カメラはLeicaM9+Summicron 35mmF2.0 と、一部ライカのパナ製デジコン。(波に足下をすくわれ転倒落下。そのせいでM9は途中から故障し戦線離脱したのでした)

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要するにノスタルジーなんだろうな、キューバーがここまで誘う引力の根源は・・。

人間には古いものとか珍しいものを欲する性質がある。

とくに、誰しもが知っているもの、それでいて手に入れることが困難なものには高値をつけたがる。ノスタルジーってやつでしょうかね。

社会主義の国なもんだからキューバーの生活水準は日本の昭和40年代のレベルでとまっていて、(これがけっして悪い意味とは限らないあたりが重要です)、一方の風景としては50年代のアメリカが送っていた生活がそのまま残っている。

僕は、だからそれが見たい、というんだと思う。ただ単にカリブのリゾートにいきたいのであれば、米国から直行便がある別の島々がその周囲にうんざするほどあるのだから。

 

キューバの引力の根源は、ハバナという街が持つ「歓楽街」の歴史だ。人々に「カリブの賜物」と言わせしめるほど栄華を極めた歓楽街ハバナ。マフィア、カジノ、酒、葉巻、そして女。失われた楽園、がここにはあった。誰しも男なら憧れる、華々しい時代。

その風景は、「革命」という非連続的なイベントによって真空パックされ、そして50年が経過した。

「千と千尋のかみかくし」じゃないが、人は完全に入れ替わり、スペイン帝国が栄華を極めた時代の植民地の建物と、50年代のアメリカ車だけが、タイムマシンのように保存されてた街、それがハバナ。 Havana1

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Galaxy Tabの評価・・タブレット電話がもたらす可能性

発売日に入手することのできた通算5台目のAndroidであるGalaxy Tabの評価がなんとなく自分の中で輪郭を結び始めたので、今回はすこし紹介させて頂くことにします。

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まずこれまでの4台についての感想を簡単に記してみることにします。

1台目・・HT03  携帯電話として使うには5台の中でもっともバランスがいいかも。バッテリーもそこそこ持つしトラックボールの使い勝手が秀逸。ただ、初期のモデルだからハードウェア的に、Androidの性能を引き出しているとはいえなかったかな。

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2台目・・Experia 期待大だっただけにすこし残念なモデル。バッテリー寿命がここまで短いか?という問題は、バージョンアップで改善された感じだったけど、iPhoneとの比較となってしまうスペックは、「いまひとつ」という印象だった。電源アダプターの接続部分の安定性ってのがAndroidではけっこう重要で、MicroUSBの挿入部分は使用していると、かなりぐらぐら、してきます。白モデルは手からつるりとすべりおちる素材だったのも、多少あります。Androidはボタンがすくないので、画面をさわっているとてからするりとすべり落とす確率が高いハードであることも実感させられた。

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3台目・・iPed タブレットさわってみたくて遊びで買いましたが、正直、使い物にならない。熱を持つ、処理が遅すぎる、表面がセロファン状でタッチ操作が不安定、バッテリーがまるでだめ、という意味では買う価値まるでなし。

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4台目・・Lynx タブレットじゃないが、キーボード付きということで安定した使い方ができるかと期待したのですが、横長画面とOS/アプリ群のチューニングがいまひとつ。キーボード群と画面インターフェイスの両方に手が行くので、疲れる。Androidは画面タッチのOS だと再認識。ヘッドセットを前提としたのか、スピーカーフォンの音量も小さくて、街頭はおろか会議室の机上でも話すのはやや難あり。

 

といったところでした。

上記の履歴を見てもらえればわかる通り、タブレット電話、スピーカーフォンで使う携帯にとても興味があったのが今回のGalaxyTabを購入した最大の動機でした。iPadを初めて触った時、「これで電話をかけたい」という欲求がわき上がってきたのを今でも覚えていて、今回がダメだったらAndroid携帯をあきらめようかと思っていた矢先の今回です。

評価の結論からいってしまうと、かなり気に入っております。本格的な使用を開始しようかと、つまりこの電話機の番号を周囲の人に伝えるというフェーズに入ろうかとおもっちょります。

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○さて、このマシンが評価できたポイントは何かとなります。次のようなものです。

1.バッテリーの寿命がかなり信頼できる・・・フル充電でツイッターと、ときどき電話会話、で65時間程度継続しました。

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2.ハードウェアとソフトウェアのバランスが絶妙にいい・・・これ店頭ではなかなかわからないことですが、今後携帯では重要な要素となると思われます。処理速度とバッテリー寿命は深い関係にありますが、これまでの5台の中ではトップと思われます。メーカーによるOSの最適化カスタマイズも実はとても重要です。wifiやBluetooth、GPSなどバッテリー節約に重要なオンオフメニューが便利なところにあるのがいい。 

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3.画面のコントラストがとてもよい・・・文字通り、そういうことです。

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4.フリック入力が用意されている・・・これがないとね、メールやツイッター系はしんどいのです。画面内のアルファベットキーボードを叩く、というのは携帯ではありえないほどの時代錯誤なのですよ。ただ画面タッチのセンシティビティーなのかな、それと、アップルの特許などの関係もあるのでしょうか、Iphoneが持つフリック入力インターフェイスのスピードでうつと追いつかないし入力ミスになる。そこまでのAndroidハードはまだみたことがない。

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5. スピーカー音量が卓上会議にも十分・・・そもそも、この「公開電話」って、みなさん「え?」と思うでしょうが、これからの電話の未来はここにあると思っていて、タプレットで電話してみたかったんだな。で、これ、ホントに快適ですよ。秘密の電話にはBluetoothの電話機をつなげて使ってますが、正直、街中でつかう電話には向いていない。

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6.電源コネクターが安定している・・こんなことあまり考えずに皆さん買ってると思うけど、電話機って充電が頻繁だから、コネクターにかかる負荷が高い。ガバガバになっちゃうとやっかいなのです。iPhoneのアダプターと見た目はほぼ一緒ですが、ほんのすこしだけ違うのが「え?」と思う。特殊な規格だと追加部品が高いからね。

の六点でしょうか。

○次に残念な点は

1.画面のタッチレスポンスがiPhoneに追いつかない・・指で画面をスクロールする時に、付いてきてくれないのは他のAndroidもほぼ同じなんだけど、iPhoneが優秀すぎるせいですかね。フリック入力がとても早い僕としては、ちょっと不満です。

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2.路上の電話使用には抵抗がある・・ヘッドフォンマイクなんかいつもささってないからスピーカーフォンとして街角で話すのに抵抗があるわけ。外出時にはBluetoothヘッドセット買おうかという気もするけど、バッテリー減るし、充電対象がふえるのもね・・・。そのため一台目マシンとして持つユーザーには微妙です。

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3.カメラ・・・スマートフォンのカメラはどれも使いにくいですが、ことTABマシンで画面メニューで操作するカメラは筐体を落とさずに使うのは至難の業。

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4.充電アダプター規格・・・要するに特殊なんです。見た目はiPhoneと似てるけどね。iPhoneのアダプターを完備している飲み屋も港区ではずいぶんと多くなったけど、Galaxy用はないだろうな・・

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5.ケースにいいものがない・・・実はジーンズの後ろポケットにぎりぎりはいるんですが、すわった時には心配ですからね。腰からぶら下げるケースで、かつ着信時に出る出ないを判断できるよう、画面がすぐに見えるケース、ってのが、ない。ちょっと前にはやったシザーケースみたいのがほしい。

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3週間のテスト使用では、こんなところでしょうか。本格使用したらまた何か出てくると思いますが。

************その他スマフォ全般として思うこと**********

○ここまで操作感が完成されてくると、Androidがメインストリームになるぞ、ということを予感させてくれるマシンでもあります。iPhoneとの違いは、「フラッシュが使える安心感」です。

○タブレット電話というのは、使いにくい側面もあるでしょうがビジネスでは大きな可能性がある。とくに、スカイプ系のテレビ電話は、タブレットしかないでしょ。i4のfaceTimeは、さすがに使う気にはならなったけど、手に持つタイプであれば、逆にあり、という点で、「画面チャット」と「通話」は背反する属性のものだと思ってます。

○ドコモのSPモードが提供するSMS環境、これははっきりいってガラ系にはおよびません。iPhoneのSMS/CSMが統合されて着信告知が画面上に出るのに対して、SMSは完全に独立したメールのようなものです。開かないとわからないから携帯メール特有のリアルタイム性が感じられない。いっぽうでCMS対応のソフトは別ソフトですから、要するにたくさんのメールソフトをあちこち起動しなきゃならない。ガラのメール文化がどれだけ恵まれたものだったかを痛感するのもスマフォの特徴です。ちなみにiPhone用にソフトバンクが対応したxxx@softbank.ne.jpはかなり使い勝手がいい。Galaxyでは、携帯のメアド捨ててGmailに統一しようかという気持ちにさせます。日本ではジャンク対策している人もおおいので不都合も多いですけどね・・・

 

ながくなってしまったので、ここらでまとめに入りますが、この電話は、ビジネス目的の二台目としてお勧めします。iPadに電話機能がついたらいいなと思い続けてきたものとしては、なかなか、よい。惜しむらくは、G3の無線ルーター機能があれば最強、という点でしょうか。

 

是非ご検討くだされば。

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アトムやビットやクラウドのデジタルエンゲル係数

質量を伴う物質(アトム)から重さのない情報(ビット)へと、はげしく移行する時代を人類はいま経験し、そしてさらに、ひとたび物質という束縛から解放された情報群は、一気に水が蒸発するかのごとくクラウドの時代へとなだれ込んでいます。

僕は、これまでたくさんの書き物(書籍に限らず、仕様書だとか、ブログだとかを含めて)を書いてきましたが、かつての「ペーパレス」という言葉にのっとっていえば、たくさんの紙資源コストを節約してきたのかもしれません。あるいは、数万枚にのぼる写真データを紙焼きせずに済んでいるわけですから、現像代とかプリント代を削減してこれたといっていいのかもしれません。

しかし、そういった紙代や現像代やらを節約するかわりに、どれだけのITコストを支払ってきたのだろうか、とざっと計算してみると、この10年間で、数百万円のコストを払ってきた事実に行き当たるのです。それは、たとえば、家に引いているプロードバンドネットの代金(月5000円程度)であったり、携帯の固定データ通信費用であったり、MacやiPadの代金であったり・・といったものの10年分の合計です。つまり、本当のところ節約してきたのか、むしろ散財してきたのか、よくわからないぞ、という話。

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18歳になった娘が生まれた頃の映像は、いまだにビデオテープという形で残っています。これらは、どこかで消失したり紛失しないかぎり、なくならない。8mmビデオなんてハードはそろそろ社会からなくなりかけていますけど、カセットテープという質量があるデータはそうそう破損しないし、データ消滅しないから安心感がなんとなくあるんです。ビートルズの音源がいまだにどこかの倉庫に残っているのと同じです。

ところが、娘が小学生になったあたりからは、デジタルカメラ映像としてハードディスクに保管されていたものですから、実はけっこうこの時期のデータが紛失してしまったり破損してしまっている。

デジタルは劣化しないというふれこみで、なんてぜもかんでもデジタルに移行してきたつもりが、娘の成人式を控えて途方に暮れ始めているのです、「デジタルは経年劣化しないが、物体と違い、一瞬で消滅する」という事実に

「バックアップをとっていないのがいけない」と専門スジの人間は口を揃えて言います。いやはやそのとおりかもしれません。しかし、バックアップをとるコストと手間なんてのは、デジタル情報の不安定の別称です。これがけっこうなコストです。かくいう僕のデスク上には2テラバイトのハードディスクが2機、デュアルで作動していますけれど、そんなもん、なんこバックアップをとったって、消滅するとなったら一瞬です。何世代バックアップをとってもきりがない。そう、僕にいわせれば、「デジタル情報は瞬間劣化する」のです。

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古い箱の中には、いまはなき母親の写真が何葉もはいっていて、もちろん画像は劣化しているけれど、60年間もの期間、完全消滅することなしで、存在しつづけてくれています。もしこれがデジタルだったら、僕の手元にこの若い頃の母親の画像は残っていなかったのではないかと思うのです。いま書いているこのブログの原稿だって、コンセントが抜けたら一瞬で消滅、です。原稿用紙という質量を伴う媒体だったら、そうそう簡単には消滅しない。

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デジタルというのは、あくまで記録方式のことです。映像であれ音であれ、再生されたとたんすべてアナログにもどされないと人間の器官にははいってこない。いいかえると、デジタルってのはアナログ出力される前の過程、つまり解凍待ちの冷凍保管の状態といえるのかな。最先端の冷凍機器に守られてないと一瞬で腐ってしまうデリケートな食材。それに対してアナログってのは、質はすこしづつおちるけれど、何十年も腐敗しない、常温保管可能な食材みたいなもの。この冷凍機器にかかるコスト、が、これからの60年間でいくらかかるのか、これらのコストをデジタルのエンゲル係数とよぶならば、かなりの比率をしめることになりそうですよ。というのも、最先端の冷凍機器ってのは、バージョンアップがありますから引っ越し費用がばかにならない・・。

そう、僕らは、しらずしらすのうちに、この「デジタルエンゲル係数」というとんでもないコストが日々上昇する時代に突入しているのかもしれません。そして人類がそのコスト負担にすこしづつ気付くその前に「クラウド」という無料レンタル倉庫サービスのその甘い誘惑に流れ、貴重な家族のデータを他人の金庫にあずけはじめているのかもしれません。クラウドと言う名の情報銀行は、けっして破綻するはずが無い、という迷信への依存度を高めながら・・・。

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創作のための言語論 その1 テンプレート

言語にはどんなものがある? と聞かれて、自然言語(=つまり日本語です)以外にアタマに浮かぶものはなんだろう?

数式、音符、フローチャート、列車運行のダイアグラム、築地まぐろの競りセリフ、FLASH、BASIC・・・

どれも、目的に最適化するために、余計な曖昧さを排除した言語だ。猪瀬直樹の「ミカドの肖像」によれば、旧国鉄にはスジ屋とよばれる職人が三人いて、天皇を乗せたミカド列車をある条件を満たして運行するための職人業を発揮したという。

ある条件とは、他の列車と並走しない、他の列車と交差しない、在来列車のダイアを乱さない、というものだそうだ。

これを満たしたミカド列車を在来線の運行ダイアの中に通して行く、それが職人芸。

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言語というのは、なにかの対象物を「記述するもの」だけど、それだけでじゃない。その言語をつかって「シミュレートする機能」(あるいは人間が推論できる環境)をもたらす。これが「言語」がもたらしてくれる最大の産物だと思う。そのために、言語というのは、表記される、つまり視覚化可能であることがとても重要です。

 発せられた瞬間に消えてゆく「音」を音符にすることで、音というつかみどころのない対象物をいったん凍結し、前後しながら確認することができる・・音符によって人間が音を理解することが可能になった例である。眼に見えるものに人間は引っ張られるものだし、同時に、眼に見えないものを理解するには別の特殊な能力をより多く必要とするものですから。

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1オクターブを12の音で定義したのはビタゴラス教団の功績である、という事実をご存知だろうか? 紀元前のギリシャで、「数字崇拝」の一環として彼等は、ある一つの発見をした。一本の弦が発する音と、その1/2および1/3の部位を押さえた弦が発する音の親和性が極めて高い、という事実に着目したのである。ちなみに楽器をやっている人はご存知だろうが、1mの弦を弾いて発する音、そして、その1/2の50cmの場所で押さえて発する音は1オクターブちがう同音である。

当時は、「同音」という概念がまだなく(=しかし今もってこの「同音という表現が本当に正しいか」はだれにもわからないが)、親和性が高い、と考えたわけである。

1/3で押さえた音は、完全5度の音、ドとソの関係で、これも極めて親和性が高い。

このふたつの繰り返しを何回かおこなっているうちに、おなじ音に戻ってくるのではないか、と考えた彼等はある方程式で12という値に行き着いた。これが1オクターブ=12音、の原点である。(この方程式はそんなに難しいものじゅないけど、指数がはいるのでうまく表記できません。ここでは割愛します。ちなみに、この解が、12ではなく、あくまで近似値だったので純正律と平均率の問題に人類は1600年間悩まされることになる・・・)

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音符がなかったならば、16世紀の作曲家の作品はいまのこっていない。
だが、実際の音が残っているかというと、そうではない。現代人は、それらを推論して、あるいは解釈して、音を再現しているわけである。これはまさしく「音楽言語」という言語の特徴と限界を象徴していると思うわけ。曖昧さを排除して最適化するためには、同時に、犠牲になるものもかならず、ある、という意味で。

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1960年代になると、そこにテンプレートという便利なものが生まれはじめる。コンピューター言語でいえば、機械語に対する簡易言語である。

コード、である。コードの登場とギターバンドの登場は必然的にシンクロしているようで、つまり、ドラム、ベース、ギター、ボーカルというテンプレートを継承することで、そしてA→D→E→Aというコード展開を繰り返すことで、ロックが演奏出来てしまう、という極めて便利なテンプレート。

このテンプレートのおかげで音楽は身近になり、と同時に、「どれも似たようなもの」になっていたのは、ホームページビルダーやイラストレーターのコマンドに創作物が制限されているのと同じである。

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本当は無限にある音を12と割り切ってしまうことで、音は言語化した。さらにそこに、便利な入出力装置(たとえばギターのようなもの)と、そのためのテンプレートが登場し、簡易化してゆく。いつしか聞き手もそのテンプレートに乗ったものでないと違和感を感じるほど脳が馴らされてしまう。8ビートや16ビート。あるいは4ビートというグローバルな言語テンプレートは、世界中に普及した。それらのテンプレートに乗らない民族音楽、あるいは実験的な試み、たとえば伊福部 昭氏の「ゴジラ」のテーマのような変則的な楽曲に、ちょっとした拒絶反応を人類の脳は示すようになっていったのも事実である。

もしピタゴラス教団が1オクターブ=12音という数字をきまぐれに変えていたら、もっと違う音楽世界になっていたにちがいない。それがどんな音なのかは創造がつかない。だが一つだけ言える事、それは、僕らの脳が「それがどんな音か想像がつかない」となっていること。それくらい、言語というのは、人間の思考のテコや車軸のように発展させ、どうじに、足かせとなって制約している、ということであります。

つづく

 

 

 

一つ間違えると暗号だ。言語ってのは、

 

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ブログを書くってどういう意味があるんだろか?

ツイッターのフォロワーの方から、「最近プログを更新してないゾ」という指摘を時々もらうので、そのたびに「たしかにそうだ」と反省する自分がいました。

僕がツイッターをはじめたのが今年のGWあたりだったから、ここ4ヶ月ほど、ブログ更新の手抜きしていたといえます。

「しかし、どうしてツイッターはさんざんやっているのにブログはなぜやらなかったのか?その違いの本質はなにか?」あたりについて、この連休、考えてみました。今日はその話。

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まだツイッターをやっていない、いわば未経験者の人との間でツイッターの話に及ぶと、「ツイッターって何?」と聞かれるわけです。その時に迷うのが、どう説明するか? たとえば「画面の違い」(←この表現の意味、なんとなくわかってくださいw)を話せばいいのか、「しくみのちがい」を話せばいいのか、はたまた「内容の違い」を話せばいいのか、って迷いです。新種の産物ってのは、説明がむずかしすぎるわけで・。

まず、「画面の違い」で説明するときは、「自分が指定した人がつぶやくと、ニュース速報のようにリアルタイムに、ヘッドラインが自分の画面に飛び込んでくる」などという表現を用います。

「しくみの違い」で説明したほうがいいと思われる場合は「フォロワーという名での定期購読登録をすると、140文字という短い文章が動的に配信されるのでブログのように見に行かなくても、告知されるしくみです」といった表現をします。)かなり乱暴な表現ですけどね)

しかし、三つ目の」「内容の違い」となると、すこし考えてしまう。
短くてもいい内容であればツイッターで、長いものはブログ? ちとちがうな。

読ませたい相手が特定であればメール、半特定であれば、ツイッターで、不特定であればブログ? これもちと違う。

リアルタイムがツイッターで、そうでないのがプログが? これも、ちがう。

「そもそもメールやブログとツイッターを比較する事自体がナンセンスですよ」という言い方、これじゃ背理法過ぎて、なにが言いたいのかさっぱりわからない。

そういうことで、自己分析してみたのです。「どうしてツイッターにはまってるおかげでブログを書く気がおきなかったのか?そこになにかヒントがあるのではないか」と。その自己分析の結果として浮かび上がってきたのが今回のキーワードである「あいづち」という言葉です。

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皆さん、一人でレコーダーにむかって話したことってありますか?
たとえば、携帯の留守番電話。
これって、いつもの自分のペースで話すの、なかなかむずかしい。
会話であれば、相手が「あいづち」をうってくれるから話しやすいですが、一人だと「独白」みたいでなかなか上手に話せない。[あいづち」って、何のためにしているか、と考えてみたら、相手を元気づける行為ということにいきつくわけです。

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僕が学生だった頃、オールナイトニッポンというラジオの深夜番組があって、ハマってました。深夜に、音楽やはがきをまじえながらパーソナリティーと呼ばれる人が2時間、はなすわけです。で、ビートたけしの回(たしか毎週木曜日だったかな?)は、その中において社会現象なみの人気を誇っていた。たけしさんの回は、ですが、かたりのあいまあいまに笑いながら「あいづち」をうってる人の声が聞こえてくる。これが放送作家の高田文夫氏であることはあとで知ることになるのですが、最初は「だれだこいつ?」と思って聞いてたわけです。たけしさんは芸人だから、こういう相づちがあったほうがやりやすかったのでしょうかね。作家とふたりでスタジオに入るという珍しい番組でした。

で、話はもどりますけど、ツイッターは、はやいピッチでこの「あいづち」が帰ってくるわけです。ブログが独演会だとすれば、ツイッターはお座敷での飲み会。トーンも省略あり、の口語で、笑いやつっこみや野次が同様のトーンで飛んでくる。相手の顔も見える・・・しかもそこに「間」という時間軸があって、これが絶妙に新鮮なわけです。

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女子高生の会話が論理的に破綻している、と指摘する作家のおじさんがあちこちにいます。
でもね、そういう人の論理性の判断基準って、「書き言葉」つまり文語を基準においている。書き言葉をそのまま話したら、論理性は確保されるでしょうが、感情移入のタイミングはずれずれ、になります。討論で論破はできてもシンパシーは得られるかとなると別。「あいづち」、がそのいい例で「へぇー」とか「まじ?」とか、つまり単体では意味不明なものばかりです。文語的には、「あなたのいうことには同感です」みたいなことになっちまう。論理的には明快かもしれないが「はなしに水をさすなよ」となる。

論理性を意識しすぎるやりとりには「言葉の音楽性」がまったく欠落しているわけ。この「言葉の音楽性」というのは、「間」とか「二ュァンス」のことですから、右脳的ですが、左脳性は欠落していることがおおい。

でも感情ってのは、論理だけでは決して屈服してくれないものでして、原稿として書いたセリフをいざよみあげて、ぜんぜん感情移入がおこせな撮り直し、という経験は、シーマンでも嫌というほど経験しました。口語のすごいところってのは、イマジネーションと解釈の力の上になりたっているところです。間の取り方とメロディーが意味の大半を担ってるんですよ。いいかえると、二人の人間が感情できるプロセスのコストとして論理性を犠牲にしているところが多分にある。誤解の余地も多分にある。外国語への通訳も困難だったりする。

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そういえば、僕のブログは、理屈っぽい、とよく言われます。論文みたいだ、とも。理論的に何かを文字で記述するのは、たしかにあたまを使うし、面倒くさい。読む方も面倒くさい。

ひたすら論理的に書けばいいというのは「論文の理屈」であって、多くの人というのは作家のおじさんみたいに「論理的にものごとを説明したい」なんて思っちゅいないもんです。「海外は論理性の教育がしっかりしている」と妄信的な事を力説する人をツイッターで見かけるのだけれど、とんでもない、ストリートで交わされる若者の英語会話なんて、略語の押収す。イマジネーションを必要としない学校英語では太刀打ち出来ない、それが人間の会話ってやつです。いや、よそ者ではわからない省略語こそが、会話のテンポを高めている「解釈能力」なわけで、そこには文語とは違うリテラシーが確固としてあると思う。築地職人の「競り」を素人が見てもわからないのに似てね。

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といったように、僕がプログで書くことって、理屈っぽいこと、という点でツイッターとは正反対ということを自ら今回も体現してしまったのでありまして、またも、申し訳ありません・・。ガンコオヤジがだれにも邪魔されずに独自の理論を展開するためにプログはあるのではないか、と、いまさらのように思った次第だあります。

ちなみに、今回の僕のブログのような「説教のような長文」をタイムライン上で繰り広げると、フォロワーは確実に減るというのもツイッターの特徴です。これはながーい結婚披露宴のスピーチが嫌われることにも似てます。多くの披露宴列席者の本当の支持を得るには、「笑い」を含めて間の感性を磨かないとならないという点においても、論文とは違うリテラシーがツイッターには試されていると思うわけです。

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(株)マインドスコープいかがすか?

9月1日に操業される新会社、マインドスコープの役員会が9月2日に新オフィスで開かれます。

この日は、取締役だけではなく、業界の知人をオプザーバーとしてお招きし、情報や見識をいただこうと思っております。

いただくだけじゃ申し訳ないということで、急遽、御礼の限定オリジナルZIPPOをつくりました。サンプルですが、こんな感じのものです。(端材使用のサンプルなので左右は逆になっております)

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この新会社、モバツイの会社である「想創社」と、私たちのネット準備会社が合併してできる会社です。マインドスコープ(MindScope) という社名は、「想創社」という社名に込められた意味を、私 たちなりに英訳したものです。ロゴのモチーフは望遠鏡です。すこし未来を見通そうじゃないか、という思いをこめました。

名義上の創業は明日9月1日からとなりますが、最初の仕事はひっこしからです。新社屋は、六本木ヒルズの横のビルの8階です。新しい家具、新しいデスク、あたらしいテレビ・・・合併するふたつの会社には、社長がひとりづついるだけで社員はゼロでしたから、この新会社はなにもかもがゼロからのスタートでして、がらんとした新ファィスで、一緒に働くメンバーを大募集しておりますので、興味のある方は新会社のサイト

http://www.mindscope.co.jp 

をご覧になってください。(←今日の時点ではまだオープンしておりませんが・・)

さてこの新会社ではなにがはじまるか、という話ですが、次期主力製品がほぼ完成しつつありまして、その名は「もばつい電話帳」というなまえになることが予定されております。「なんで、いきなりそんなものができているんだ?」という話になりますが、これが合併の強みとでもいいましょうか、合併する一方の会社がたまたま作っていたものです。ここにツイッター系の情報がかぶさってきますので、けっこうおもしろいメディアになりそうです。

くわしいことは、時期に応じてすこしづつ、お話ししてゆく事とさせていただき、まずはカンタンではありますが、9/1に先立ちましてのご挨拶でした。

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Olympusから何か届いたぞ?

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今日、帰宅したら、自宅にオリンパスから封筒が届いていた。中をあけると、写真のようなステッカー。
大きな受賞を二つした記念ということだそうです。ちょっとうれしくて笑ってしまいました。

だからというわけではないが、このPEN(僕が使用しているのは1の方です)は実に可愛いカメラです。いつもオートを使わずマニュアルモードで使用しています。その理由は、シャッターのレスポンスを早めたいからです。シャッターを押してから機械がいろいろと考えている時間が実に嫌いで、だから機械式シャッター幕のモデルを多用しております。

PENでは、ピントをマニュアルで合わせるインターフェイスがレンズのピントリングになっていて、実はこれ、あくまで電子式なスイッチがここに設定されているだけなのですが、したがって対応しているのは標準のパンケーキだけなのですが、このモードでシャッターをパシパシと切りまくる感覚がとても気持ちいいわけ。液晶上だとピントの合い具合がよくわからないのを補助する機能として、リングをまわすと自動的に中心部が拡大モードになるのもなんとなく気に入っておりまして。

実はつい先日、ライカX1を購入してしまいまして、使い比べをしていたのですが、操作感ではこのPENの方が上なのであります。その最大の理由は、このピントリング操作と機械式シャッター幕の振動、そして起動の時間です。X1の残念(?)なところは、起動するとレンズがせり出してくる、その時間と形状変化が手元でどうにも気になっちゃってね。いつもはバッテリー節電のためにオフにしている人が多いでしょうが、起動するとモーターでレンズがせり出てくるのがどうにも慣れなくて・・

ま、そんなことはいいとして、マニュアルの楽しみに話を戻しますが、シャッターを押した時に強制的に写真が撮影される感覚は、わかる人にはわかると思いますが、病み付きになるほど「気持ちいい」のです。被写体の表情が逃げないからね。というよりうまく行かなかった時に機械のせいにしなくていい。

マニュアルモードというのは、その分自分で必要な設定をしなきゃならないわけで、おのずと操作感が重要になってくる。そういう文脈での今回の話というわけ。

機械というのは自分の鏡みたいなものだから、それを選んだユーザーの性格が出る。僕のようにせっかちな性分の人間には、シャッターを押したら即撮影、というのがありがたいわけ。写真に限った話じゃ、実はないのですがね。ですから、ライカM9もかわいいのですけれど、大きさとかレンズとか、持ち歩くのに多少の覚悟がいる機械ですからね。それとちがってどこにでも付いてくるマスコットマシンとして、PENは可愛くてしょうがないのであります。

ステッカーが届いたからほめているわけではありませんので念のため・・

X1の良さももっと気付いてあげなきゃだね。次回出かける時には持っていきます。そんでそのうちに、撮影例とともにまた書きます。

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iPhone4は本当に優れた携帯電話機なのだろうか?

世界各誌でとりあげられるだけとれあげられた「金属フレームをアンテナとして使用することに付随する数々の問題」は、ここでは置いておく事にしよう。すでに顕在化している問題はちいさな個人がどうこういってもはじまらないだろうから。

「僕がi4で一番被害にあってる現象」は、自分の耳たぶが引き起こす数々の誤動作なのである。これはどういうことかというと、電話中に画面上のアイコンボタンが操作されてしまうこと、である。これまでのiPhoneは正常動作していたので、逆にあまり議論されていなかったけど、iPhoneはそもそも通話中だと画面のタッチがセンサーによってオンオフ自動切り替えされているのです。このおかげで、どれだけ液晶画面に自分の顔面がタッチしようとも動作しない。ピポパ、ともいわない。

これは電話モード時にす感知センサーが正しく働いているからで、電話機から顔を話すとアイコンが表示されていても、近づけたとたんその機能はキャンセルされているのだ。

ところがこのセンサー位置がi4では移動したのが理由なのか、このオンオフ機能がしっかりと動作しない、という現象、これがこまったものなのである。通話中にオフにならないとどうなるか、というと、突然、音声がミュートされてしまったり、FaceTime(という名のテレビチャット)に切り替わろうとして見たり(本当にちゃんと切り替わればいいが)、一番多いのは「スピーカーフォン」になって突然周囲にだだ漏れしはじめたり・・と。

あとね、i4は、コーナーからの衝撃に表面ガラス強度が弱いよ。会社のソファで目を覚ましたら、フロアにi4が落ちていたのだけれど、表面ガラスがコーナーからひび割れてた。こんなこと曲面ボディのi3G/i3Gsでは一度もなかったことです。ネット上の修理サービスもi4部品にはまだ対応しておらず、修理はアップルストアでしか対応してくれず、しかも新品交換(!)しかなく、結局は22800円(記憶)かかりました。

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△ガラスがいとも簡単に割れたiPhone4。これでもタッチ操作が使えるのが不思議。コンクリートの上で撮りましたが、コンクリートはこの破損とは何の関係もありません。

現状だけでいうならば、そしてSIMカードの違いさえなければ、とっくにi3Gsに戻っている僕なのでありました。いままでのようにi3とi4の短所長所を比較表にしたいところだけれど、ここのところ疲れ気味ですので、言葉だけで誤摩化させていただきましたが。

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LeicaX1の次のレビューも、しなきゃな、と思いつつ、サボっとります。ごめんなさい。爆

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久々のブログ更新です。

ツイッターはじめたおかげで(!)更新が遅くなってます。

このツイッターという存在。

(ツイッター社によって提供されている)システム的な完成度よりも、多くの人間が形成する世界観という意味でツイッターという現象はとても興味深い。ゲームがツイッターという込みニュニケーションとどう融合するのか、という実験に着手することにしました。プラットフォームは携帯電話やPCに限らず、ね。

http://sousousha.com/release/20100727.html

さてこちらのサイトにその概要が載りました。

僕は、とにかく手を緩めず、そもそも自分がやるべき目標に突き進むだけですけれど・・。

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電子書籍とフリマの関係

ここのところいつもツイッターに浮気していてブログの更新が遅れております。ごめんなさい。

さて今日は米光さんたちがやってるフリマに行ってきました。

電子書籍のフリーマーケット? なんでやねん?
 そう思われる方も多いと思いますが、フリマの大きなアドバンテージの一つに「著者の顔がみえる」ってのがあると思うんです。

それが楽しみでもあり、同人誌のような情熱に振れたくてというのもありました。

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△サンプルは紙で読み、気に入ったものは電子ものを購入申し込み。

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  △何がいくら売れた、の集計結果を見るのもフリマの楽しみのひとつ 

今日はつかれたので、文字はすくないですが、写真といちぶツイッターでその熱気を感じてくだされば・・

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Leica X1の第一印象(例によってインターフェイスから)

発売から半年ちかく経過したX1ですが、実質的に発売さていない状態が続いてました。僕も4月中に予約したものが7月2日に到着でしたから、市中でも品不足はいまだに続いているのでしょうかね?

ライカのX1というカメラ。コンパクト系になりますが、過去でいうところのPanasonic製ではなく(ネット上の情報を統合すると)どうやら以前のものよりもライカ主導で作られたもののようです。

これまでのライカデジタルのラインナップは、

●デジタルの遅れを取り戻すための「コンパクトOEMモノ(ブランド貸しに近い)」

と、

●M8に始まった「いよいよ本格デジタル参入モノ」、

そして、

●Sシリーズのような「やけに価格が高いプロ用モノ」があります。

このX1に触手が動いたのは、ライカが「本格的にコンパクト市場に一段階深く入ってきた」ように見えたからです。ま、X1の大きさをコンパクトといっていいかは別の議論があると思いますが・。

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さてデジタルというのはソフトウェアでその多くを処理しますから、どの機能を優先してボタン配置をするか・・このインターフェイスデザインによる「機能の重み付け」が各メーカーの主義主張となってくる。ま、もちろん色処理の味付けなども重要ですが・・

さてこのX1を一言でいうならば、手動撮影に重きを置いた単35mm焦点廉価Mデジタルといえるような気がします。(別の意見の方も多々いるでしょうがね笑) その印象の根拠は、先のインターフェイス配置の重み付けが、Mシリーズをベースに「マニュアル撮影」に置かれているから、です。その点でこれまでのOEMデジタルとは一線を画すモデルといえるでしょう。よりライカっぽい。

おそらくライカの愛好家は、オートフォーカス撮影にシャッターを押してからの「時間差」がとても嫌いだと思うのですが(そして僕自身も思い切りそうなのですが)、そのストレスを回避するには、手動しかない。手動といっても各種操作設定をメニューから呼び出すのではチャンスに間に合わない。シャッタースビードや露出、ピントリングを物理的にダイアル群に割り付けないとならない。かつてのリコーGRもそのあたりがんばってましたが、本体がコンパクト過ぎて、しかもソフトで動的に割当をカスタマイズできる仕様だったので、手動使用が今ひとつ馴染まなかった記憶があります。このX1は、そのあたりをばっさりと割り切ってるモデル。すこしアップルっぽいといっては言い過ぎか?

入手してまだ24時間と少々しか経過していない僕のX1の第一印象は、ですから、「すべてを手動モードにした時」の限定でのものです。その結論としては、なかなか、よい。

この手の話でかならず対抗馬として出てくるのはオリンパスのPENだと思います。(値段はPEN2と倍ちがいますが、PANAのOEMとライカブランドの同製品の実勢額の違いとほぼ同じようなものですから、のれん代を加味して、ここでは同レベル価格帯といいきっちゃいます)

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X1の操作系はほぼすべて「単機能」です。だからボタンでもリングでもそのトップには機能名がしっかりと表示されている。いわゆる「マルチ機能」なボタンとか、「階層メニュー型」ではない。一般的なコンパクトにありがちなトップの「モード選択ダイアル」(AとかPとかMとか)はいっさい割愛されている。すべてが「単機能」になっている仕上がりはMデジタルに近いものです。たとえば、トップに配置されたダイアルは、「シャッター速度ダイアル」と、「F値設定ダイアル」、それにシャッターボタン。ぞれもがダイアル回転で数値をダイレクトに設定する。背面(液晶側)には、左列にずらりとボタンが五つ配置され、再生、焦点(撮影時)、WB、ISO、INFOがダイレクトに選択設定できる。

肝心の手動ピント調整は、背面右上のリングを調整すると同時に、画面中心部が液晶にクローズアップされ確認できる仕様でこれはPENと同様。

これまで、「設定メニュー」の中に配置されていた撮影時の諸設定をすべてトップレベルに持ってきて、物理的に配置、そのぶん「モード選択」などは割愛、というインターフェイスをもってきています。

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レンズはf2.8のエルマリート24m、35mm換算で36mmだから、PENのパンケーキ17m35mm換算で34mmとほぼ同等。PENの標準パンケーキに限っては、起動時にモーター駆動でレンズ部が飛び出す必要がないぶん安定性を感じるのと、ピント合わせのインターフェイスがレンズリングに割り当てる(あくまで電子スイッチ的でレンズ移動する機械的なものではない)点が秀逸だったし、どちらがいい、というのはまだわかりません。個人差もあるしね。PENのシャッター振動はなかなか得難いものでした。

APS-CのCMOSの描写比較やレンズ特性は、もうすこし時間をかけて、です。細かくはネット上の写真サンプルの品質で判断していただくとして、以上のような操作系味付けのこのX1の使用印象は、予想よりけっこう、いい、のである。

まだまだ、X1を持ち歩いてどうだ、という生活がありはしません。今回は机上のレポートに近いんです。

もうすこし詳しくいいますと、こういう性能比較もさることながら、「もって歩きたい」というデザインが、このシンプルな配置とともに、なかなかいい。僕はカメラも「デザイン」でやられてしまう質で、このレトロデザインカメラのX1が欲しくてほしくてしょうがなかったんですが、バーテンダーが「斎藤さん、ずいぶんと古いカメラ持ってきましたね」と言ったその一言で、かなりうれしく思ってしまったのです。

実勢価格で21万以上するわけですから、ただ「デザインがいい」ですむシロモノではありません。僕もこのX1購入のために、一部売り払ったものと、それから別にらあきらめたものが二つある。そこまでするか?というこの値段の価値はどこに?、となると、正直よくかわらない笑。

つづく

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「今年は任天堂さんの株主総会はいけなかった」の報告

報告忘れてました。今年は行けませんでした。さんざん、「いくいく」と言っておきながら、残念でならない。前日の未明までその日に仕上げなきゃならない宿題をやっていて、当日の明け方に「新幹線乗るのはもう無理だ」と決断しちゃった。

ネットではサマリー情報は入手できるのですけどね。この年齢になるとなかなか有意義な内容ある講義などに参加する機会がないものですから、この「株主総会」という名前の勉強会はいい口実だったんですけどね。残念です。

ま、でも世の中にある有料の勉強会ってほんと、てっとり早く業界動向を聞くにはいいのかもしれませんが、その先にあるリアリティーという話になっちゃうと、どうも「受け売り」みたいなのが多くてね。行く気がしないんですよ。尊敬できる人の話を生で聞く、ってのは実は「株主総会」しかないんじゃないか、と思うわけで。この考え方、けっこうあり、と思ってます。まいうまでもなま僕はたいした株主じゃありませんけど(笑) 

僕は、任天堂という会社の「哲学」が大好きです。具体的にどういう点かといいますと、「流行にぶれない」というところ。「よくわからないけど手を出してみる」みたいなことがないので、逆に言うと任天堂が発表することは「はっきりと見えてること」となるわけでしょうから。どこかの企業と提携して「無難に」ということもせず、リスクをとって我が道をいく、この哲学がたまらない。かつて「大玉」というゲームでは、「任天道」などというサムライの架空の哲学をでっちあげましたけど、その背景にあるのはこのレスペクトであります。山内前社長の語録などをネットで読んでてもかなり面白いですよ。検索して探してみてください。一晩じゃ読みきれないほど分量ありますけど・・。

いっぽう、僕らはというと、IpadとかiPhoneとか、いまどきのハード上でいろいろと試作してたりしするるわけです。(あ、ちなみにThe TowerのiPad版の情報は、ツイッターで@digitoys ってとこをフォローしててください。そろそろ情報がでる時期が近いみたいなので) でもそういう流行にぶれてるようじゃ本当はダメなんですよ。一点突破でいかないとね。男の子に生まれた以上、未来は、フォローするものじゃなく、作っていくものだからね。