1961年5月、ケネディは60年代のうちに、アメリカは月に人間を送り込むと宣言した。 人類が宇宙に達したという衝撃的なニュースは世界を駆け巡った。 僕がモスクワに来た大きな目的のひとつは、このガガーリンについてくわしく調べることであった。 モスクワの東25kmの位置に、「星の街」とよばれる小さな地域がある。ここは旧ソ連の宇宙飛行士が訓練をおこなう施設がある。施設はいまなお厳重に警備され、関係者は家族ともどもこの中で生活している。 昨日6月20日、僕らはこの中に入ることを許された。 いまでは、「ガガーリン宇宙センター」という名となっているこの施設の中に、ユーリ・ガガーリンが使用していたオフィスは、そのままの姿で残されている。机、本棚、その中に置かれた書物、そしてかずかずの記念写真・・。 ボストーク1号がたった1名の宇宙飛行士を乗せて宇宙に旅立った1961年には、現在のようなデジタル技術は存在しなかった。「エレクトロニクス」がないかわりに、人々は電気と配線による「エレクトリック」な技術を駆使して宇宙に到達したというわけである。 コックピットも同様で、最近ではめっきり目にすることのなくなった機械式のスイッチがぎっしりと配置されている。よくぞこんな設備で宇宙に飛び出して行ったものだと思ってしまう。宇宙飛行士に選ばれし者にしごく小柄な人物が多いのも、きわめて小さな空間で(写真でわかりにくいが)すべてを行わなければならないことへ人類が持てる最良かつ唯一の選択肢によるものだ。彼らがどれほど小さかったのか、別の資料室でみた宇宙服が子供向けではなかと日本人である僕ですらおもったほどだ。 ▲有人実験に先立つ犬による飛行実験のカプセルと、▼犬のための宇宙服。どうみても不自然だ。(笑) いまだに謎が多い旧ソ連の宇宙開発の歴史の中に、ガガーリンの死は埋没したまま21世紀に突入している。 その謎に触れんとはるばる訪れてきた異国のよそ者を、ロシアの関係者はあまり歓迎しない。肝心なこととなるといまだに口を開こうとしない。当時の宇宙開発プログラムに直接関与していた彼らはいまだに外国に旅することを許されてはいない。その筋肉質で小柄で、そして老いてもなお骨太で硬派な雰囲気をたたえる彼ら関係者たちが共通して持つそのオーラ、それはすこしだけかつての日本人のそれに似ている。重さも距離も関係ない世界で生きている僕たちひよわなデジタル世代としては、そういう高貴さにしびれてしまうのである・・・・。 |
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