スティーブ・ジョブスが在任の頃、マックにハードディスクをつけなかった理由が、「思考の妨げになるから」という話を何度か紹介したんだけど、この話がどう人に伝わっていたか、の反応については考えたこともなかった・・・。
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あたりまえの話だけど、原稿を書くときとか企画書を書くときはかなり集中する。
そういうときに、不用意に話しかけられるのが僕は一番嫌いだ。それはちょうど上映中の映画館でフィルムトラブルが起きたときのようなものだ。あるいは数IIIの試験中に携帯が鳴るようなものだ。思考は無残にも中断し、いままで自分がいた所に再び戻るのにはえらく疲れる。
そんなアクシデントが何度も繰り返されると、緊張が完全に切れて「今日はもういいや」となる。インポみたいなものだ。それで半日を捨てることになる。
社長とか、プロデューサーとか、そういう雑務系を「兼務」していると、オフィスでは人が話しかけてくるものだ。パテーションで仕切っても、やはり人はずかずかと入ってくる。
「絶対にはいってこない」と「時々入ってくる」はずいぶんと違うもので、その可能性があるというだけで、もはや脳が中折れしてしまうようになる。だからおのずと集中する仕事は自宅ですることになる。人との会議がおわったらとっとと帰るのが一番いい。
僕は集中するときは音楽を聴かない。歌詞やメロディーが気になってしまうから。無音の状態がベストで、せいぜい窓の外から聞こえてくる「秋の虫」くらいまで、しか許容できない。
だから、冒頭のジョブスの話は、ひどく納得できる話だった。
そう、僕は、自分が集中力が高いものだと思い込んでいた。そして「集中する」というのは遮断することと同義語だとも思い込んでいたのだ。ジョブス氏のエピソードは、僕をそう信じ込ませるのに充分なものだったし。
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ところが、このジョブスの話を僕から聞いたうちの半数以上が「ジョブスは病的な人」という印象を抱いていた、ということが判明。
そこにいたるまでの長い話を簡略すると・・・・、職場で音楽を聴きながら仕事をしている者は、たぶん、半数はノイズ遮断のため、だけど半数は音楽鑑賞のため、だとのこと。音楽鑑賞しながら仕事をすることと集中とは別質だ。
その当人に聞くと、仕事中にヘッドフォンをしているからといって効率が高まるということはさほどないらしい。他人が許されているから自分も職務中に音楽を聴いていただけの話だという。仕事中に音楽を聴けるのはこの業界(パソコン向かい合い型自由スタイル労働)のスタイル程度に捉えていたらしい。
その背景にあるのは、「集中」という度合いはあくまで主観的なものだということ。比べようがない。そもそも「集中」というものが具体的にどの程度のことを指し示しているのか「わからない」。わかるのは、現象面としてのヘッドフォンをしているということだけ・・。
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「人生とはいつも眠いものだ」と信じ込んでいた知人がいる。彼は外国人だが、大学生の頃の彼の頭の中にはいつも
「眠いなぁ・・セックスしたいなぁ・・」という二つしかなかったそうである。
彼は「集中」を、ひたすら性欲と睡魔と闘うことと理解していた。周囲の友人に聞いても、それで意味が成り立っていた。
そして結婚し、ある日とてつもない事実を奥さんが見つけた。
彼は無呼吸症候群だったのである。だからいつも睡眠不足だった。
手術して、人より長いベロの奥を切除した。
そして呼吸が通りやすくなり、「人生というのは眠いものだ」という常識が覆ったそうだ。
集中力、という言葉はとても曖昧だ。
個体差がある上に、形も数値もないから人と比較すらできない。
自分の集中力がどれくらいのモノか、半生を振り返って一度真剣に考えるのも一案かもしれない。数値化できなくても、「同級生」とか、「同僚」とか、自分と同じ境遇の人との結果の差なら比較できる。同じ結果にならなかったのはなぜか?と。
考えたこともないことだけに、怖くもあり、すこしワクワクもする。それまで自分が「集中」と信じてきたものが、実は社会のアベレージではかなり低くはずれたものかもしれない。
でも、これ、バカバカしがらずに真剣に考えてみることをお勧めする。とくにスタッフの諸君は・・・。そして僕自身も・・・。
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