新橋から神田までタクシーで移動することに。
「だったら高速使っちゃいますか?土橋から京橋まではタダですから」
タクシー運転手はすかさず土橋のインターを駆け上がった。
首都高には一箇所だけ、この真空地帯がある。この区間は実質的な無料区間となっている。
別のタクシー運転手に聞いてみると誰もが「急ぐときには使ってますよ」とのこと。
「理由は?」そう聞くと「料金所を立てるスペースが取れなかったんじゃないですか?」と答える。料金所を無理やり立てるよりも、金をとらない方が割り安だ、という判断がどこかであったのだろう。いずれにしてもこの入り口はプログラムでいう「裏技」か「バグ」ということになる。
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首都高がなぜに高いのか? の理由の一部に料金所の管理がある。
お金というのは不思議なもので、課金しなければまったくかからないコストが、課金したとたん膨大に発生するケースが多々ある。
街にある見慣れた公園。ここを入場有料にして売り上げを設備管理費に廻そう、としたとたん大赤字になる。最初から無料にしておきゃよかったのに、となる。利用者がいるからといってそこに課金すれば儲かるというわけではない。
高速道路で不正利用者を防ごうと24時間体制を作り、集まってくる売り上げに職員の不正がないか、をチェックしていたら、そりゃコストも膨らむというもんだ。
かつてネットコンテンツ課金で目の当たりにしたのは、コンテンツ開発費よりも課金のシステム開発費が高くつくこと、だ。ユーザーが負担する価格の大半はコンテンツ代ではなく「課金代」というわけである。
これを回避する方法はひとつ。「外部の課金サービスをつかうこと」だ。集約してコスト圧縮する、という社会原理。あるいは課金の放棄しかない。
僕は思うことがあって、これからは「課金」という市場の根底をなすビジネスモデルはどんどんとコストがあがり、そしてその分集約していく、ということ。そして「鉄道」や「電話」のように寡占状態になってゆくということ、そしてその他すべてのサービスはこの寡占業者のユーザーになっていくということ・・・。
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田舎道を走っていると、「みかん 100円」などという無人店舗を見かける。この無人販売価格は性善説にもとづいた価格である。性悪説にもとづいて店員をつけたらその価格は倍以上になるだろうし、売り手も赤字だろう。
最初から課金なんかしなかったらよかった・・・。ネットのビジネスを考えている人にもそういう考えがよぎったことは多いのではないだろうか、と思う。
(参考までに、都内でのみかん店頭販売価格はさらに倍近くになる。)
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