斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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工業製品の個体差

FREITAGブランド製品の面白いところは、リサイクルの幌を生地につかっているせいで、一つひとつすべてが異なるデザインであること。

いまさらというこの時期に、またひとつ買ってしまったのも、某バイクショップで「いい感じの個体」を見つけてしまったから。この「いい感じの個体」というのが、デザイナーものとちがいすべて偶然の産物という意味であり、なんというか、見つけてしまった者としてはスルーできないわけです。

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同じ規格モデルの色違い・・・・これはいままでの工業製品的な見方では「同等」とされてきたけれど、実のところまったく異質のものとして捉えないと説明ができない・・・それは気のせいとか気分ではなく、実際のところ、そう思えてならないのである。

たとえばポルシェ911(964あたり)の黒と、ルビーストンレッド(写真)。
この二色種が走る際の質感的な違いは速度に換算して最大時速15kmほどの違いとなって見るものの脳裏に映る・・・とこれは冗談だけれど、つまりどうしても同じ製品とは見えない・・・僕にはまるで違う車に思えてならないのである。

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一般の人は、ギブソンのレスポール・ギターのビンテージものの価値は、杢目で決まることをご存知だろうか?
つまり美しいトラ杢のメープルトップをもつものはずばぬけて値が高いのである。
ハイパーギターズのサイトでも、レスポールのオールドは、ゴールドトップはどうしても値が安くサンバースト系は高いのもそのせいである。

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これは古いものに限った話ではなく、たとえば昨年(07年)は、チリ産のハードメープル(=稀少樹木)で作られた59年レスポールが製作されたことで有名な年だった。日本の楽器屋のバイヤーたちはギブソンUSAのファクトリーまで買い付けに行ったわけだが、その中でも杢目が美しいものには70万を超える高値をつけ、そしていまもお茶の水の楽器店に個別に飾られている。あたかもまぐろと築地の関係のようである。

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モノには共通の規格(機能)と、そして個体別の美観がある。

マス生産の時代においては、同規格のものはおなじ価値、そして「色違い」は同等と片付けられてきた。だけど、人間というのは美的感性を無視することができない動物であって、結果素的には無意識のうちにその違いを察知し、選択し、人気という形で世の中に答えを出す。

この質的違いを、数式世界では、「ちょっとした人気の違い」程度としか捉えていないけれど、いやな色の商品はぜったいにいやだし、すきな色はどうしてもほしいという人間の本能は変えられない。

同一機種のレスポールの価値に「それぞれの美観」の比重が大きく加わっている現象を、バカバカしいと一言かたづけてしまうのは、大量生産の時代の貧困な発想ように思える・・あるいは物体をともなわないデジタル時代の亡者もそこに含まれるのかもしれない。

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そしてFREITAGの話にもどるけど、彼らは「廃品利用」という一見資源保護的な背景を利用しているようで、実は廃品の特性を応用してギブソンの樹木が果たしてきたような個体差という魅力を工業製品にもちこんだ、という点で、とてもおもしろいブランドだと思う。

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未開封Nokton classic 35mm F1.4 限定モデル

今日は朝10時から、銀座松屋に並ぶ。目的は今日から開催の中古カメラ市。100本限定で限定販売されるNokton classic 35mm F1.4限定モデルを目指しているのか、壮年の男性がすでに50-60人行列をなしている。女性にとってこの光景はけっこう異様だそうな・・笑

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△8階目指しエレベーターに邁進する人々の光景は銀座線のラッシュにも似ている・・

さて、68000円で限定販売のこのNoktonは、ひとり一本かぎりであるが、同行者と自分とで2本購入。2本も購入する必要もないのであるが、自分も同行者もその勢いで一本づつかってしまった次第である。ちなみに1時間程度でこの限定モデルは見事完売した。(中古カメラ市で新品が売られているというのもよくよく考えると変であるが・・)

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残念ながら、このレンズ、まだ自分で使うべきか、決めていない。だから開封すらしていない。したがってこの限定モデルの雄姿をここで披露できないのがまことに残念であるが、逆に新品未開封品なわけであるから、もし欲しいという人がいたら、是非ご一報ください。

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猪瀬直樹さん

猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」を初めて読んだとき、ずしんというインパクトを後頭部に受けたような記憶がある。

「土地の神話」「欲望のメディア」と続けて読んで、僕の第一作になる「財閥銀行」(1993年/東京を舞台にしたシミュレーションゲーム)の副読本の参考にさせてもらった。

ただ参考にさせてもらうだけでは申し訳ないので表敬訪問し、そのまま副読本の監修もお願いした。

それ以来の関係だから、猪瀬氏とは16-17年の関係になる。「シーマン語録」の解説やアスキー版の「林檎の樹の下で」の解説で執筆いただいた。逆に猪瀬氏の連載にも何度か僕の名が登場したことがある。初めてお会いしたのがまだ20代だったので、僕のことを「斉藤青年」と呼ぶ癖が氏にはあって、「もう青年じゃないですよ、中年です、いい加減にしてください」と苦言したら、そのやりとりがそのまま文春の連載に載ってしまったこともある(笑)。

東京都の副知事になってからもこの不思議な関係は続いていて、時おり、雑談を肴に酒を飲む。氏の視点で見た都庁の内側というのがやけに面白くて、僕はいつも耳を傾けて爆笑してしまう。

今日聞いた爆笑話は、幹部会の会議弁当の後日談。詳細は割愛するが、「役所ってのはそういうありえないことが起きる場所だ」と、いつものべらんめえ口調で笑わしてくれる。

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僕の次作のテーマは、以前に一度取り組んで頓挫したままになっている「空港」であるが、氏の今の仕事のテーマも「空港」。

ずいぶんな年齢差だけれど、分野を超えて、立場を超えて、いちど、共作みたいなことができるといいな、思う今日この頃である。

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ネタばれ映像

http://www.youtube.com/watch?v=ZKgVCoJ7dEg

おもしろい投稿映像。

とくに子供の声色が、原人に影響されちゃってて、ほんとおもしろい。

あのしゃべり方でよく認識できてるな・・・なんてことも思った。

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企画の道具(アウトラインプロセッサーの話から続いて)

思考が、目と、そして手と密接に関係していることは誰しもご存知のとおり。ということは、その先にある道具がどういう形態か、も重要な意味を持つ。

つい一昨日前、何年も前から企画していてずっと煮詰まっていた案件に風穴が開き、光がさしてきてくれた。こういうときはいつもは「神様が降りてきた」、と表現してきたのだけれど、今日はその時使っていた「タブレットPC」という愛用の道具の話。いやむしろ、企画者の発想が、20年以上進化しないコンピューターインターフェイスの奴隷(?)にならないための話、ともいえるかな。

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僕が(メールチェックなどのためではなく)ふだんの商売道具で欠かせないのが、このタブレットPCとなるだろうか。スタッフや関係者の間では僕のタブレットフェチぶりは有名なのであるが、簡単に説明するとタブレットPCというのは液晶部分が(ちょうどDSのように)ペンタッチ入力になっているもので、一般的にはWIndowsマシンである。(Mac版に期待)

2003-2004年くらいに製品がたくさん発売になったのだけど、結局売れず今ではわずかなメーカーが細々と発売しているだけ。

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さてこのタブレットPCは大別すると二種類あって、キーボードつきと、ピュアタブレット(キーボードなし)がある。

で、僕が使っているのは後者で、NECのVersaProというモデル。2004年に発売されたモデルで、会議で僕が使っているのを見た人は「あれ?これすごいですね!」とびっくりするんだけれど、実はもう製造中止になっているものだ。

これを使うとすごく気持ちがいいのであるが、たぶんペンで書くと使う脳の部位も異なるということではないだろうか? キーボードよりも右脳に近い部位とか。

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△Alan Kay氏が70年代に論文で描いたパソコンの未来型"ダイナブック" 

とくにDSのタッチペンをイメージして企画をする人にはこれ以上有効なものはないと思う。操作をイメージしながらそのまま画面構成をどんどんと膨らませていけるのだから・・。

さて、このタブレットでどう企画を太くしてゆくかという話になる。僕の場合は、二種類あって、ひとつは、ターゲットとなるテーマがまだ定まっておらず、頭の中でもやもやしているものが何かを突き止めたいとき。もう一つは、ゲームの構成要素が明確に定まったあとで、(操作イメージを含めて)それら要素をどう視覚表現するか、を考えるとき。(人間の脳が追いつきにくい分後者のほうが実は大変である) 
これ以外にはほとんど使わない。

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まず前者の場合、僕の場合は『ことば』を頼りに作業をすすめてゆくことになる。頭の中に漂っている「匂い」を構成する要素を羅列して書き出してみるのだが、そのときにアウトラインプロセッサーとコンビで使う。
書き出した「ことば」は、あくまで「匂い」への紐付けにすぎないわけで、いわば自分専用のアイコンのようなもの。そのために手書きをサポートするアウトラインがありがたいのである。いいかえるとこのとき最終形がゲームでるあことを忘れてはならないわけで、単なる「ことば遊び」で閉じていては、企画は会議室から出けれないままいずれ座礁してしまう。理由はゲームは画像をともなう構造表現だから。

だからこの「匂い」なるものが果たして会議室から(開発という)大海原に出て行けるものなのか?という疑問を試すとき、イメージ(画像的なもの)を添えてあれこれ多方面から自己テストするのである。彫刻に似ているプロセスである・・・うまく言えないのであるが、ちょっとわかりにくいですかね(笑)

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ここで大事なことは、これら画面にうつっているものはすべて自分にとってのヒント集にすぎないこと。やっぱりイメージが結像しているのは自分の脳裏であることに違いはない。その証拠に、第三者が見てもさっぱり意味不明だったりするし、それでいいと思う。そのためには、キーボードマインではなく、フリーな入力のほうが制約がないのでいいという意味でのタブレット。

ここで気をつけなければならないこと。それは、ことばというのは絵と違って一人歩くすることである。うかつな段階で人に見せ、ことばの部分だけが関係者の先入観となっていかないように注意が必要である。(この先入観が「先入観だった」とわかるのは開発が佳境に入ってからだったりするからね) ま、所詮、ゲームの企画なんて永遠に紙上に完結することなんてないのですが。

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さて、後者の場合、その用途はもはやスケッチブックに近い。画素の精緻さでは万年筆とスケッチブックの方が断然に上だから、精緻さが実は重要な人はお気に入りのノートとペンでもいい。

タブレットPCを使用するときというのは、あくまで便利なノートとして、と考えていいと思う。PCというのはワードやメールができたり、webをみたり、つまりいろいろできるわけだけど、タブレットPCは「文房具」として捕らえることに大きな意味がある。すこし贅沢な使い方であるが、仕事の道具というのはそういうもんだ。欲を出して周辺機器を一緒に持ち歩くと、混迷してくる。

では「なぜキーボード付きではなく、ピュアタブレットがいいか?」というと、PCに向かう背骨の角度がそれぞれ違うから。ソファにふんぞり返って右手のペンで考える姿勢、それがピュアタブレットに向かう姿勢だ。パソコンが従で自分が主、の関係である。これには重さも薄さも、すべて関係してくる。冒頭の、「手と目が思考に大きく影響する」という話がこれである。マウスの奴隷みたいな姿勢でまともに脳が動くか、という話もこれに関係してくる。重要なポイントでる。

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後者の用途において、タブレットPCがスケッチブックより優秀なのは、その後に続く工程(伝達)においてに限られる。描いたものは、そのままメールで送信でき、あるいはカラープリンターで美しく複製できる。

ま、こういう「伝達」とか「説明」というのは言い換えると、他人のために行うことである。自分のためだけに行うのであれば、紙がいちばんいいかもしれないと僕も思っている。だから次に紹介するのはは、他人に説明する後工程があるときの話。

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さて、企画はいつかどこかで人に伝える時期がくる。どう理解させるか、が生命線なのが、ゲーム企画というやつである。重さも形も。みたことさえもないものを開発チームに作ってくれ、となるわけだから。

すでに美しく書かれた文章とか、書かれた図というのは、見る側からすると説得力が、実は、ない。説得力があるのは、かかれるプロセス、つまり時間軸。オリエンテーションしてくれないかぎり、紙だけで企画の中身なんて、伝わらないものなのです。その伝わらないものを一般的には「ニュアンス」などというけれど、そんな曖昧なもんじゃない。企画というのは構造的なものだ。その結果だけでは意味不明なものだ。

もし配布された書類だけで各位が内容把握できた企画があるとするならば、それは危険でもある。そこにはかならず推測とか解釈が働くからいるからで、大勢で一つのモノを作るとき、この解釈というのがもっともやっかいだ。とくに新機軸の場合、似て非なることを思い描いている、なんてケースが大多数だ。その誤解を解くには、「プロセス」ごと見せないとならない。ノッポさんたいに実演しながらドキュメントをつくるわけだ。

なもんだから、自分の場合は、タブレットで描いたイメージを、(ケーブルでつないだ)会議室のプロジェクターで大きくスクリーンに映しだして説明する。このときのタブレットPCの威力が発揮される。

大画面に映った絵に、矢印とか、赤丸とかをつけながら、つまり描きながら説明する。質問も「ことば」ではなく、具体的に「ここ」とか「そこ」になる。・・・そう、タブレットPCは、単にペン描きのプレゼンテーションの道具として驚異的に便利なのである。紙を配布するのとちがって、参加者は全員でおなじもの(=スクリーン)を見ることになる。これがとても重要だ。各メンバーが下を向いて、バラバラと違うページを見ているのは、わざわざ会議をしなくてもできることだ。会議の主役は人間でないとね。

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長くなったので、またこの続きは書くことにします。

そういえば、NEC製の極薄タブレットPC "VersaPro VF11F/GL-R"は数年前に製造中止となったため新品は市中にはほとんどない。なぜ売れなかったのかは、サイト上に残る当時のメーカーのPRを見ればわかる。何に使ったらいいかはだれもわかっていなかったくらいにしか思えない。

さてこのタブレットPC。以前は、秋葉に専門ショップがあって、メーカーに掛け合って追加製造を仕入れてくれていたのだが、そこもなくなってしまった。最近は世界に残るわずかなピュアタブレットは超レアアイテムとなっていることはヤフオクの価格をみればわかる。

愛用マシン、いろいろなところに持ってゆくからハードディスクががらがらと音を立て始めていた。「壊れたら大変だ」と思っていた矢先、新古品をネットで偶然二台発見し、先日そそくさと両方とも購入した次第である。

使いたい人は見つけたらラッキーです。こちらによさげなものが3台だけあることを見つけたけれど・・。

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***やや長めのRESをつけたという告知です****

タワーDSに関して、いろいろとリンクやコメントとをいただきありがとう!!(ございました)

ちょっとした謝意をこめて、いただいていた多くのコメントに、すこし長めのRESをひとつつけましたのでどうぞ覗いてやってください。下記の『ザ・タワーDS版』のコメント欄に書き込んでありますので。

あとひとつ、たくさんの人が訪れてくれるようになったので、改めてお断りしておかなければならないことがあります。こちらの個人BLogはかなりマイペースでやってます。更新時期もまちまち、書いているテーマも、まちまちです。内容も、手がけているゲームの新作情報Blogというわけではそもそもありませんから、ゲーム情報を期待している皆さんには退屈に見えるテーマも多々あると思います。ご容赦ください。
そんなことで、ふだんいただくコメントへは、あまりRESをつけてません。マイペースな人間ですからこれからもこれは続くと思います。どうか許してやってください。

ですが、ひとつだけ言えることがあります。それは、このBlogを僕はとても大切にしていることです。できるかぎり、その時々の自分としていうべきことを、なるだけ時間をかけて書くようにがんばっています。

以上、簡単ですが、これからもよろしくお願いします。御礼にかえて。

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ゲーム言語

「みんな、行くぞ!!」・・・・・・・(自らが率いる軍勢に信長が叫ぶセリフ 続いて信長軍勢が雄叫びを上げるシーン)

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「ちょっと待てっよ・・・ 『みんな、行くぞ!』 はねぇだろう!? だってそれ、戦国武将のセリフでしょ!? せめて『我に続け!』とかさ・・・」

焼酎のグラスを握りながら、セガのM氏は呆れ顔で、自社ゲームのベータ版・レビューの印象を語った。
M氏と食事をしていて、ゲーム業界人はリテラシーが低い人が多すぎる、という話で出てきたエピソードである。

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言葉を略しすぎて、コギャル会話さながらに何の話だかわからない、というケース。雰囲気はわかるんだけど、まるで仕事の情報にはなっていない、そういうのが多いんだ、日々。
今日は、そのあたりについての話。

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ゲームとは『言語』である。
絵と音が組み合わさって入ればいい、というものではない。そこに文法がないと、プレイヤーと作品との駆け引きが成立しないのである。その文法を設計するのがゲームプランナーの仕事だ。

だからそこに一番必要な能力は、「言語能力」ではないか、と思う。ゲーム企画は、作詞や作曲とはまったく違う、地味な構造化の作業だ。作詞や作曲は言語を「使う側」の創作だが、ゲーム企画は、言語を「つくる側」の仕事である。そこに文字や音符のような記述言語は存在しない。設計者は言語中枢が発達していないとその企画は体系化しない、つまり「閉じない」。文法というのは有限数のカードで閉じられているからはじめて文法になるものだ。

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野球というスポーツの、ある瞬間々々を切り取ると、実はどれもすごく単純な行為ばかりだということに気づく。選手は「投げる」「打つ」「走る」「捕る」のいずれかの行動しかしていないのだから。ゲーム性の本質というのは、カードはどれも単純記号化されているものである。

ゲーム業界人が、「3D」や「ファンタジー」のマニアだけでは成立しない理由はここにある。優れたファンタジーは、「登場キャラ」や「魔法使いの術」がどれも言語化されている。 ゲームのエンジン部分、たとえば『チェス』や『将棋』や『テトリス』のようなゲームのゲームたる部分、を発想するのに必要なことは、言語の部品をつくる能力なのである。

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DSのような携帯機は、描画能力は高いとはいえない。
だからこそ、マッチョな3Dゲームプランナーの出番は少ない。
その分試されるのはプランナーのリテラシー(言語能力)である。

任天堂タイトルが一人勝ちする理由はいろいろとある。
だが、不服をいう前に、いちばん業界人がいま考えなければならないことは、「それが本当にゲーム言語として完成されているか?」ではないかと思う。

「みんな、行くぞ!」
・・・もし本当にただの不用意でそういうセリフを入れたのであれば、その人は、セリフ以外のすべての「言語」に対しても鈍感な人にちがいない。ま、これは皮肉めいたひとつの例えにすぎないけれど・・・。

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がんこオヤジの誘惑

郵政民営化を記念して(?)の、矢沢永吉切手セット三部作が、Kじろうくんより届いた。

Kじろうくんありがとう。覚えていてくれたんだね。

80円切手が10枚、豪華なハードカバーの紙ケースに入っていて、"You Say Yazawa" と内ジャケに、デカく書かれている。それのバージョン違いが3冊。僕が知っている記念切手とは似ても似つかないこのパッケージは、テーブルの上でちょっとしたオーラを放っている。

矢沢信者というのが僕の過去の友達にもいて、でも僕なんかは「いったいどこがいいんだ!?」とずっと思っていた。つまり「まったく興味なし」でこの年齢まで来た。

でも最近、このE.YAZAWAというキャラクターが、「日本から失われつつあるなにか」を象徴しているように思えてきていて、気になりはじめているわけです。今日はそんな話。

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日本から失われつつあるなにか、とは、いったいなにか?という話しであるが、一言でいうと、「イっちゃってるおっさん」という存在、かな。

「ちょいわるおやじ」なんてのが40代のおっさんにひろまっちゃっている時代だから、本来ならば頑固にとぐろを巻いているべきおっさんが、いまは軟弱化しているわけだ。考えてみればいまの40代というのはポパイやホットドッグプレス世代である。シップスのトレーナーやファラのホップサック、トップサイダーのデッキシューズで街を闊歩していた世代だから、当然といや当然なわけだが、やはり社会には「今風の若者」と、それに対峙する星一徹みたいなおっさんがいないとね・・ワサビの効いてないまぐろ喰ってるみたいで気持ち悪いのである。

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△中国周口店で目撃したノーヘル三人乗りの「かみなり族おやじ」!!

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その世代のひとりである僕なども、勝新太郎みたいな「イっちゃってるおっさん」に憧れるわけで、中でも一番脳裏に焼きついてるのは「禁酒禁煙した」と記者会見で言い放っておきながら、記者質問が長いのにしびれを切らして、うっかりたばこに火をつけてしまったあたりのエピソード。

こういう世界にまでいっちゃうと、40代の軟弱オヤジが外見をどこのブランドに取替えたって、ダメなもんはダメなわけです。

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勝新が一冊だけ書いた「俺」という本があって、これが結構面白い。勝新が自分で筆を取るなんてことはありえないだろうから、ゴーストライターを横に、酒を飲みながら饒舌に話す勝新の姿が思い浮かぶ。

ここにはマリファナ所持事件とか、その他の肝心なことは書かれておらずあくまで普通の伝記風に書かれた本であるが、にもかかわらずここまでめちゃくちやか、と感心する。

ちなみに、真剣をつかったせいで事故があったことで知られる最後の座頭市、このメイキングがあなり面白いので、一見の価値あり。(同作DVD版に付属)

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さて永ちゃん切手の話にもどるけど、YouSayと郵政をかけたこの切手。どこの代理店が考えたのか知らないが、意味不明なこんなコピーでも40代の僕がなんとなく納得してしまうのは、この矢沢永ちゃんという存在のみがなぜる芸当であって、どんなに引かれても動じずオヤジギャグを連発しつづけるおっさんに似て、これは昭和的なパワーである。他の音楽タレントだったら、石油缶が上から落ちてくるというか、つまり企画ごと崩壊してしまうにちがいない。

永ちゃんは勝新とはちょっと違うタイプだろうけど、やっぱこの歳までこの人のスタイルを貫いちゃってるわけで、そのせいか他の類似品(類似品的な存在の人という意味)の追従を許さないわけで、その点で「モノホン」と呼んでいいのかも知れない。そしてこの「匂い」にすこし触手が動いてしまう自分がいる・・・。

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発売元はデジトイズという会社です

TowerDSのことを前回のブログで書いたら、ずいぶんと大きな反応があったみたいで、昨日今日のアクセス数が数千に上っているではないか・・・。ああびっくりした。
こちらのブログは、マイペースでやっているので、そのあたり、よろしくです。

それにしてもずいぶんとたくさんの人が応援してくれているんだな・・と、痛感、このニュースはすぐに開発チームにもForwardしたのである。

さて発売元は・・・ということを皆さん気にされているようですね。ええと、私の説明不足のようだったので再度書きますと、発売元はデジトイズという新会社です。(お恥ずかしながら私がとりあえずの代表をしております・・)

どのようなスタッフがどのように運営しているかはサイトを見てください。まだできたばかりの会社ですがなかなかよい雰囲気です。

この会社は(発売元が別である場合は除くが)、基本的にはできるかぎり情報を隠さず開示してゆきたいと思っている会社(隠しても意味がない)、である。

そもそもが「玩具会社である」という原点に立ち帰りモノ作りを進めるのが目的でこの命名。スタッフを大募集していることもあわせてご報告しておきます。

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さて、パブリッシャーをするということは、宣伝費を使うということでもある。どうせ宣伝するならば、意味のある宣伝をしたい、と思うのがクリエーターの性である。
やみくもに景品をつけるのは、ソフトの価値がないみたいに見えるのでよろしくないから、どうせつけるのならば「書き下ろした本がいいのでは?」と提案した次第であるが、これは流通さんとか小売店さんの事情があるだろうから、決定はまだできていないのです。

いずれにしても、「本なんて一朝一夕で書けるものではないから、よそさんでは出来なさそうだし、いいのでは?」、というのが営業のとりあえずの反応。

しめしめ。

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ザ・タワーDS版

4年ほど前に任天堂から発売された The Tower SPは、初日に完売にほぼなったまま、市中在庫切れ状態で13連休のゴールデンウィークに突入した。なもんだから、欲しい人の手にちやんと届いたのか、スタッフ一同自信がないまま現在に至る。

Pop2

△当時の「ごめんなさい」広告。任天堂さんがつくってくれました

古いユーザーの方はご存知のとおり、そもそもタワーは、「いじくりゲー」でもある。しかしインターフェイスや環境の変化、つまりPC版からコンシューマーに居場所が移ったせいでマウスはコントローラーになり、場所は御茶の間に固定され、画面は横長サイズにと、不都合な状況となっていった。

で、ここにきてDSブームである。ペン入力はあるわ、マイクはあるわ、携帯できるわ、縦2画面だわ、で、いいこと尽くしではないか。

ということで、開発チームは、数ヶ月前から「いいことづくしのDSで、おもいきり、タワーの本領発揮版をつくろう」ということになっていて、そろそろ佳境なのである。

今度のバージョンは、これまでと基本形は同じです。しかし、いたしかたなく諦めてきたこと、もっといじくらせたかったこと、満載でつくっている。しかも縦2画面。

この手の情報は、通常はメーカーさんとの事情があるからなかなか公表できないことが多い。しかし今回はデジトイズこけら落としタイトルであり、そのあたり自由に話せるので楽しい。

さて、このザ・タワーDS、夏前までには発売したいとおもっています。
おまけに、初回特典として「ゲームクリエーター講座~企画編~」という未発表の本などをつけてしまおうという案も出ております。

さてさてどうなることやら、どうぞ乞うご期待なのである。