自宅マンションのエレベーター室の一面が鏡になっていて、帰宅するといやが上でも自分の顔をまじまじと見てしまう。
最近体におきている急激な変化に気づいているのだけど、それは前頭葉部における白髪の急増だ。 ま、同窓会でたまに会う旧友たちとくらべると変化が少ない方だとたかをくくっていたが、ここ数ヶ月の老化現象は、そのうぬぼれに冷や水をくらわしている。
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「らも」というタイトルの書籍を今日から読みはじめた。故中島らも氏の奥様が書いたらも氏の、というよりご夫婦の自伝本だ。
アル中でヤク中の天才詩人中島らもを面白がってみてたけど、奥様はちゃんとした人だったんですね。いろいろなことが意外だ。しかも文章がうまいな。書店では関係者が書いたタレント本のように見えたけど表紙のモノクロ写真が気に入ったのでつい買った。で読み始めたら没頭してしまった。
そもそも比べること自体が非常におこがましいのだが、照れずに書くならば、中島らも氏とは幼少期の生い立ちがやけに似ているなぁ。それは家庭環境や母親の性格とそのしつけ、受験校や兄が歯科医なありもそうなんだけど、らも氏の本名が裕之(ゆうし)ということ(僕の本名は「裕」)にはすこしびっくりした。
しかし、似ている点が多いわりには、僕はずいぶんと中途半端でちゃちい人生を送っているなぁ・・とか、もっともっと冒険的な人生を夢想していたなぁ・・・(過去形)とか比べてしまう。若き日にいずれ訪れるであろうと期待していた「青春」と、どこかですれ違ってしまったことを痛感しつつ、日中は今晩から何回かBSで再放映が決まっている、例の番組(NHK)のことを考えてた。
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前にも書いたが、例の番組のドラマ部で描かれている少年は、演出家の創作世界の人物であって、僕では、ない。奇妙なエピソードを含めて。
だけれど、どれひとつ「正しいくない」というつもりもなくて、あるすればこのなんとも中途半端な感じ、だろうか?
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ちょうど今日、むかしむかしに勤務していたリクルートという会社の社内報の取材があった。取材中に、これまた中途半端だったサラリーマン時代のことを思い出しながらふと気づいた。この時期の思い出は僕の中で、まるでモラトリアム(死語?)の悶々とした匂いを湛えていて、われながらとてもとても社会人という自意識があった痕跡がないのであるよ。給料もらいながらまるで社会人研修を受けていたような、そんな感覚なのである。
脱サラしてちょうど15年、じゃ、いったい僕はいつ社会人になったんだろう?会社の資金繰り地獄を抜けたときだろうか?
いや、もしかしたらまだモラトリアム(死語??)の途中かもしれないぞ。 冷静に考えるとたしかにその可能性は低くはない。本当に自分がやりたいことは、達成はおろか見つかっているとはいい難いし、それがある気もするが、朦朧と自分の外のどこかにふわふわ遊泳しているだけという気がするし。
すこしづつ自分に迫っている老いの予兆、たとえばエレベーターの中で見る前頭葉の大量な白髪などが、「いまさら冒険なんてやめとけ」と無難な選択肢を訴えているようにも思える。
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僕はちゃちっぽい人間だ。占いをする実印屋にもいわれた。資源を使って出版した本だってたいしたことないし。そういう自分に気づいないかというと逆でむしろそれをもてあますことだってある。ゲーム業界などという未開な分野に身をおいているからそれが露呈していないだけで、音楽界や文芸界や役者の世界に身をおく友人たちと比べられたらひとたまりもない。数億かけたゲームだって、一冊の本に勝てない実情があるわけだし。
法的には結婚できる年齢の娘に、よき父としてこのまま無難に人生を軟着陸させるのが果たしていい人生なのだろうか?それとも、虫取り網を片手にこの年齢から浮遊する物体にもう一波乱突入してゆくのが充実なのだろうか?
「いつまでも女々しいこといってんじゃねえよ!」
せめて勝新太郎みたいなおっさんに、そういって2-3発なぐられてぇな。
しかし実際は誰からも催促されないまま、えらそうなゴールドカードが入った財布とともにちゃちぃ自分の未来は一日づつ硬化している・・・・・。