斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
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帝王学

帝王切開という言葉は、古代エジプトに源を発する、という話を聞いたことがある。新しい王子の誕生予定日が漏れ知られてしまうと、敵の呪術師によって阻害されてしまうので、星の配置がよい日に人工的に生んでしまう、というのがその起源だそうな。

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北朝鮮の後継者の話題が日本のメディアでも最近取り上げられている。
おのずと「後継者はどんな人物か?」が論点になる。そこでときおり出てくる言葉が「帝王学」。市場経済の中にいるジャーナリストは、この「帝王学」なるものをすこし世間ずれした、いわば偏った価値観としてとらえている傾向があって、かくいう僕にもそういう偏見があることは否めない。

金正日が狂人だ、と結論づけてしまうのは簡単だ。しかし、それでは国交断絶という話になるだけで外交上の問題はなにも解決しない。

逆に「北朝鮮ほど物資に困窮している環境で、あなたは2200万の人民を統率でるきか?」と聞かれたら、はいと答える自信がない。「恐怖心だけで洗脳されるほど北朝鮮の2200万人は無思考ではない」という記述をとある専門家の書籍で読んだ。そこにはやはりそこに至る歴史的文脈があるはずだ、と彼らは指摘する。そこに日本外交は目を向けていない、と。

そんな好奇心から、金正日に関する書籍を最近読み漁っている。

アマゾンで発注した中の一冊でこの週末に読んでいるのが元の専属料理人がつづった金正日の食生活の本。この本の著者はときおり日本のテレビにも登場しているが、たしかに金将軍の価値観の一端を垣間見れておもしろい。食生活には、その人間の価値観や分化的レベルがあらわれるから、政治やイデオロギー論よりもある意味わかりやすいのである。

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商品開発にかかわる人たちは口をそろえて「酒を飲まない」、「本を読まない」、「車に興味がない」、という理由でいまの若者の消費動向が理解できない、と嘆く。やつらはいったい何に金を使うんだ!?と首をかしげる。

しかし、おじさん世代がどれだけ蔑もうと、彼らは彼らなりの価値観で日々を生活し、楽しむ術を確実に持っている。それがおじさん世代に理解のいかないものだろうと歴然とした事実だからいたしかたない。

自分の価値観で理解できるのは、自分と似た価値観を持つ人間だけである。これまでの歴史は、いや世代論ですら、この課題を乗り越えられずにぐるぐると議論を繰り返している。その理由は自分の価値観を捨て切れないが故の「理解の放棄」ではないだろうか?

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グルメで有名な映画監督の黒澤明は「贅沢を経験したことのない者には、贅沢なシーンは描けない」と生前語っていた。創作の現場にいる者としては、なにかにつけてこの言葉を思い出し、「たしかに」、と思うことが多い。

それはたとえばキリスト教的人生背景をもたない演出家に、「ダビンチコード」や「インディージョーンズ」といった作品の演出はできないだろう、ということだったりするわけで、奇しくも英語を苦手とする黒澤明自身もその作品では、外国人俳優が登場するシーンは、どれもピンとこないのもわかる気がする。フランス人画家の役をイタリア訛りの人物が演じたり、日本人を父親に持つハワイ在住アメリカ人役が話すカタコトの日本語が、「ローマ字を棒読みした日本語」だったり・・・、といったミスは、日本語セリフだったら完璧主義者は本来見逃すはずがないものだから・・・・。

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社会主義国家や中東国家のトップに座する人物の価値観を、ただただ日本の平坦な中流社会の視点だけで評しても、無理がある。日本の外交がうまくいっていないとするならば、そのまずさの根底にあるのは、理解の放棄、とか理解の浅さ、ではないだろうか?

そもそも外務省なんてのは秀逸の頭脳をもった人が集まるエリート集団だろうから、本気で取り組ませれば若手世代はもっともっと相手国の情報収集で活躍するだろうに・・・。霞が関のおじさん世代の価値観でがんじがらめになっているのではなかろうか?という気がしてらない。

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「おたく」という言葉は、そもそもは偏見や差別的な意味を伴う象徴の名詞だった。が、いつしかこの「おたく世代」が年をとって世代の中心に近づくとともに偏見的な意味が薄れ、いまでは世代のアイデンティティーとして定着しつつある。そして、おたく世代が日本経済を担う日が、やがて訪れるのである。

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燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやという故事成語がある。理解のいかない価値観が、優れているとは限らない。が、だからといって理解が及ばないまま蓋をしていいというものでもない。

日本の中流で育った僕ではあるが、外国の首脳が持つ帝王学とやらを理解してみたいという好奇心がむくむくと自分の中に、最近芽生えている。

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おまけは無事とどいていますか?

特典の本、購入してくれた人の手には無事届いているのだろうか?
もしついていなかった人は、買ったお店にはっきりと言葉で言ってださい。拙いながらもがんばったので読んでほしい本なのである。

この手の「おまけ」ってのは、同梱物、つまり「製品の一部」ではないので、店頭でつけ忘れられると手に負えない。事後に「ついていなかった」、という連絡が来ても、製品とともに出荷してしまっているメーカーとしては対応しようがない。子供の頃から、モノを買ったときのちょっとうれしい気持ち、ってのがとても好きで、聞くところによるとamazonは郵送をワンパックにしてくれているらしいので安心しているが、いわゆる町のお店屋さんの店頭で受け取る、という演出も意識してつくった書籍である。この土日、おでかけの際は、ゲーム売場をちょっとのぞいてやってください。

発売日に、出張先の大阪心斎橋のTSUTAYAをのぞいたら、ちやんとコーナーができていたので、少し嬉しかったりした。

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iPodcast配信開始しました

とりあえず、こちらに置くことにしました。いずれ独立した場を設けたい、などと考えたりしていますが・・。

飯田氏との対談は、飲み屋でのものですので、雑音が多かったり、ご無礼トークも多いです。変なものに興味がある方かはぜひお楽しみください。

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Tower DS 新聞広告クリ

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朝日の新聞広告に、意見広告みたいな(!)クリエイティブを出したくて、つくった原案。

最終とはすこし文言が異なるが、ま、こんな広告が、26日の関東版に載る予定です。

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あなどれない自販機

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いろいろな販売機や看板を見つけてはこれまで紹介してきたけれど、今回のは過去最大級の効果あり、と思しきものである。

なにせ、一見同じコーラを、140円と150円で並列販売する、という実に斬新かつ巧妙な陳列で通行人を挑発するパターンだ。好奇心を抑えきれずこの罠にはまった人は数知れないのではないか。

さてどうひっかかったか、かくいう僕の場合でいうと、3回にわたっての展開となる。

発見初日、まず140円のコーラを買ってしまった。おつりが10円もどってくるのか?という検証の意味で。そしてちゃんと10円がもどってきたので、「真ん中のコーラの140円という価格は正しい」という結論を得る。しかし同時に「右のコーラは本当に高いのか?」という疑問を残しつつこの日は退散。

二回目は、友人を連れて。僕は140円のものを、友人は「じゃは俺は右」と150円のものを購入。しっかり10円のおつりが落ちてきたので、どちらも、実は140円であることが判明。しかし、それでは、zeroはいくらだ?という疑問を残しつつ、この日は退散。

三回目は、一番左のzeroを買ったが、あえなくおつりは戻ってこず。つまりzeroは10円高いことが判明。結局、150円という右の通常コーラの価格表示はただの間違えなのか?という疑問だけがのこり釈然としないまま退散。

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どうということのない路上の販売機で、立て続けに4本も買ってしまったわけである。

好奇心を逆手に取った見事な販売機は、コーラは140円であることだけを脳裏に焼きつれた。

港区は販売機も侮れないのである。

p.s

iPodcastの準備進行中。名称は「麻芝ラヂオ」
命名Tクン。

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些細な理由による人生の分岐点

「いいからあがってきなよ」
友人からもそのお母さんからも、何度もそういわれたけれど、彼の自宅にあがることを執拗に断って帰宅したことがある。小学生の頃のことである。それからなんとなく彼との関係はぎくしゃくした。

彼の家にあがらない理由は明白だった。その日、僕の靴下に穴があいていたからだ。それを見られるのが恥ずかしかった、ただそれだけのことである。もしあのとき、kくんの家にあがっていたら、その後の僕のたどる人生はどうなっていただろう?と思いだすことがある。

人からは理解できない言動、でもその理由は実は些細なことだったりする。口に出さなければ他人からは決してわからないようなとんでもなく些細なこと。だけどそんなことへの躊躇がどうしても避けられなくて、希望せぬ選択肢を進みはじめてしまうことが人生にはある。

満を持して告白をしようと思っていたのに、突然帰ってしまった彼女。そのせいでプロポーズのタイミングを逸した実らぬカップルの運命の理由。それは、実は彼女が「そのとき下痢でおなかが痛かった」から、とか・・。

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多かれ少なかれ、人には、他人には言えないこと、というのがあって、そのせいで、たくさんの「不可解」があちこちで発生している。いや、むしろ世の中はそういうことで溢れてるのではなかろうか? 何でもいえる関係になってしまえば、どうということのないことなのだけれど、人間同士がそこに至るのはそう簡単ではない。

このジレンマ、が恋愛であれ仕事であれ人間関係のひとつの難題だったりする。「本当のこと」をいえる関係ほど、助かる関係はないが、その関係は得難いものだから。

だから、「一緒にいて疲れない関係」というのはとても大切だと思う。
「ごめん、腹が痛くて、ちっょとトイレいってきていい?」
ちょっとかっこわるいけれどそういえるからこそ、つかなくていい嘘をつかなくて済む。

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人間は動物とちがってプライドというものがある。
だからややこしい。
動物は、恋人の前でもどこでも、突然おならをするし、交尾もする。
でもなぜか人間だけは、いろいろな生理現象を隠さなきゃならない。そういう行為が「はずかしい」とされているから。

結婚して、歳をとって、病気がちになって、やがて老いて入院したときに、どれだけ恥ずかしい姿をみせられる相手がいるか、それが人間の財産だったりする。

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南極2号という男性専用の特殊製品の場合

「トルコ風呂」が一斉に「ソープランド」と改名したのは、トルコ共和国の人から「自分の国が誤解をうけるからその命名をやめてくれ」とクレームされたこにと端を発する、と聞いたことがある。20年以上昔のことで記憶が曖昧だったが、見たらwikipediaにもそう記されていた

それにしてもそれぞれの店舗の意思があるだろうに、「一斉」というのはある意味不思議な現象である。看板を掛け替えるのはたいそうな手間と費用がかかるから、これは邪推だけれど、業界だけで自主的に行った、とはどうにも思いにくい。

この手のケースは、管轄の役所からの移動とか通達、というのがありがちなストーリーで、ソープランドの管轄は言わずと知れた保健所である。じゃ、保健所がこの改名を通達指導したのだろうか?という話になる。

そもそも日本には売春禁止法ってのがあって、たてまえとして保健所は当時のトルコ風呂、いまのソープランドを特殊な浴場としてのみ位置付けていたずではなかったっけ?

つまりソープランドは異性店員が客の背中を流すだけの場所であり、わいせつな行為などない場所のはずだ。その論拠に、保険所の査察(=手入れ)でコンドームが発見されると、「なんでこんなもんが出てくるんだ!?」となって営業停止処分となる、と聞いたことがある。

だったら、海外の人から「誤解をうける」と指摘されても、保健所の立場からは「なにも誤解を促進するような行為はありませんから」とと反論すればいいだろうに・・・。

ところでダッチワイフ、はどうなんだろうかね?
オランダから大クレームが来たら外務省も動くんだろうか?

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かつて、南極2号、というダッチワイフの商品があって、ぼくらの世代ばだれでも知っているほど有名なものだった。なんたって雑誌の通販ページに、写真とともにどうどうと掲載されていたからね。

いまでも記憶しているのは、「南極観測隊員が昭和基地に長期滞在するために開発されたうんぬん」という記載があったこと。あたかも長期間昭和基地に籠もるために公式に作られた製品が民間にも頒布される、かのような文章だった。

このネーミング、当時の若者には脳裏に焼き付くほど革命的な命名だった。

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測候業務に従事する南極隊員の方には実に申し訳ないのだが、「昭和基地」という言葉を聞くと、どうしてもあの口をあんぐりをあけたビニール製の人形があちこちに置かれている、という少年期の先入観が頭をよぎって消えないのである。こういう先入観というのは、世代が入れ替わるまで消えないものだ、あたかも核の半減期のように、とてもこわい。

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ランチ・バイキング食べてきました

「バイキング料理」ってのは日本語の造語だから、英語圏では通じないわけで、最近はビフェという本来の単語に日本でも置き換わりつつあるようだ。

それでもまだときどき見かける、時代がかった感のあるこの「バイキング」っていうサービス名は、年齢とともに魅力的でなくなる。大食いの若者むけというか、質より量というか、味がまずそう、というか、つまり食のサービスとしてはすこし蔑んだ気持ちで見るけらいがある。

今朝、もうほとんど正午近い時間、京都のホテルをチェックアウトし、その一階にあるレストランでひさびさにこの言葉を見つけた。そんでもって、ついうっかり入ってしまった。

なんで入ってしまったかというと、看板に写真入りで「XXX牛のステーキ」などと、実に旨そうな目玉メニューが掲げられていたから。

「千葉真一じゃあるまいし、起き抜けからステーキ喰うんかい!?」と思いつつも、その写真にうつっている牛ロースの芳醇な色合いにむざむざと引き寄せられてしまったわけである。すこし良くなってきたとはいえ胃潰瘍のせいで食後はかならず胃痛になる。だから、まさに、「にもかかわらず」、である。

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テーブルに座り、ウェイターの持ってきたメニューを見ながらながら料理の陳列カウンターに目をやるとを見ると、パンプキンのスープからカレー、ピラフ、パスタ、揚げ物、各種デザートにいたるまでずらりと用意されていて、あとはスタートの11時半を待つばかりという風景。

ここのバイキングは2800円で、考えようによっては安いのかもしれないが、ランチにしては高い。だから、「もとをとれるか?」というあさましい計算をしてしまう。もととはなにか?というと、結局、分量であり、選択肢の種類である。おいしと思える眼環境、はここにはいってこない。迷ったけれどあとで後悔するとうすうすわかっていながら、結局「バイキング」を注文。

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バーゲンもそうらしいが、このバイキング、人間の欲望の権化を目の当たりにすることになる。時間になったとたん、いままでどこにいたんだ、という数のおばちゃんが一斉に出現し始め、「大玉」の兵のようにステーキカウンターの前に集まり、シェフが焼きあげたステーキ第一弾を奪い漁ったのである。

「あんた、そんなもんでいいの!?」
体格のいい娘にそう叱咤する母親と思しき女性は、娘が脇にスライドしたことでできたスペースにその体を滑り込ませ、完全に他の客をシャットアウトする。そしてその肉々しい体で配膳トレイの前を完全にガードしながら瞬時のうちにカットされたステーキを器具でつまんで選別し、よさげなものからさっさと自分の皿にもった。それはまるで観光地で餌をつばむかもめにも似た光景だった。

このような行為が幾度となく繰り返され、皿の上にいつも残るものは引きちぎられた脂身部とたれの混合物。いい歳の男であるが故の「かっこつけ」、あるいは「照れくささ」もあって、陣営の中に飛び込んでゆけない自分は、遅ればせながら数分後にステーキを獲得し関に戻るわけだが・・・・・・

こういうのって、やっぱ僕には向いてない、とあらためて確認。 

闘争心むき出しのおばちゃんが下品で嫌いだ、というのではない。「自分はそうじゃないよ」と上品ぶる自分が、いつまでその演技を続けられるか、まったく自信がないのである。所詮自分も同類である。いや、正直に闘争心をむき出さないぶん、僕のほうがさらに下品である。

******************************ステーキを食べながら、昨日新幹線の中で読みかけていた本のことを思い出した。
桐野夏生の「東京島」(新潮社)
無人島で漂流した男31人、女1人がセックスを交えながらサバイバルする小説である。
そのリアルなえぐさがたまらない作品でご一読をお勧めする。

で、この「バイキング」という謎の造語。・冒頭で馬鹿にしたけれど、実は意外に、このサバイバル闘争のニュアンスをいい当ててるかも・・・理由はうまくいえないけれど・・。

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無重力の中に自己は芽生えるのか

布団の上で仰向きになり、完全にリラックスした状態でしばらくいると、自分の手や足がどこにあるのか、わからなくなる。動かしてみて初めて、「あ、ここにあったんだ」ってわかる。

インターフェイスデザインにおいても、「動かないものは見えなくなる/聞こえなくなる」という人間の性質はあちこちで考慮されていて、たとえば電話のベルや踏切のサイレンなどが断続するのはそのせいだ。エアコンの音がそうであるように、ずっと継続する音はやがてノイズとなり、そしていずれ人には聞こえなくなる。

(この効果は、いずれゲーム演出に応用していたいな、と考えたことがある。人体への影響がいまひとつ不明確なので、うかつなことは言えないが。)

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僕はすこしかわった人間で、とれた眼球(!?)を眼孔に戻したとき、あるいは眼球の位置がずれたとき、その角度をきちんと戻さないと、モノはずっと斜めに見えてしまうのか?という疑問を大学生のときにまじめに考えてたことがある。つまり眼球に上下はあるのか?という疑問。自分の眼球を長時間指で押さえたままで実験したこともある。

僕たち生命体は変化(=重力加速度)を認知のよりどころとしてきた。植物の種子ですら重力に逆らって発芽する習性を身につけているし、運動神経から、女性の生理に至るまで、重力を前提にしている。

ジョン・C・リリー氏のWaterTankでのトリップ体験も、実は(疑似的な)無重力的環境で生まれる自己喪失みたいなものじゃなかろうか?

つまり僕らは、エアコンのノイズがそうであるように、重力や加速度変化のない環境では、自己をうまく認識できなくなるような気がするのである。重力というのは、それくらい、僕ら生命体のよりどころになっている、ひとつの「聖典」みたいなものではないかな、と思えてくる。

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ミール宇宙計画に、無重力セックスというプログラムがあった、という話は本当なのだろうか?

http://www.guardian.co.uk/science/2000/feb/24/spaceexploration.internationalnews1

ここにあるセックス体位の研究、これは、ま(笑)、いいとして・・・・興味があるのは、無重力状態で受精卵は、はたして分裂し続けるのか? ということ。それは何世代にもわたって継続されるのか??

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「鏡は左右を逆に映し出すが、なぜ上下は逆に映さないのか?」という命題。

そのヒントは、左右は観察者によって相対的な関係であるが、上下は絶対、というがある。鏡を水平に置いて上から覗きこめば、上下は見事に逆になる。つまりこのパラドクスは人間の「ことば」が生み出した幻影だ。

生命というのはエントロピー増大からの唯一の反抗力、と定義する人がいるが、あるいはまた、神はより高位への人間の憧憬の象徴、という人がいるけれど、じゃ無重力の中で、そういったものがうまれてくるのだろうか?

上も下もない無重力のことについては、さすがの神さまも考えてくれていないような気がする。いや、重力こそが、天国と地獄をつくりだす、神そのものではないか、とも。

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また、無意味なことをだらだらと書いてしまった・・・・。

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The Tower DSはテレビCMは打ちませんので

「なんだよ、ぜんぜんテレビでみかけないじゃんか」と言われないうちに言っとくと、The Tower DSはテレビCMは打ちません。

テレビはさ、メジャー感がいちばんあるメディアだけれどね、やっぱ高すぎてコスト効率が悪いんですよ。だから、新ハードのPR系タイトル、それらはちょうどいまのWiiの任天堂タイトルなんかがそうだと思うんですが、ならば「あり」、ですけれど、サードパーティータイトルではなかなか・・・と思う。

ま、貧乏会社の負け惜しみでもあるんだけれど(笑)、いままでの経験上だとやっぱこのタイトルとはそうじゃない気がするのである。DVDや書籍がそうであるように、もっと効果的な方法があるのではないか、と信じているふしがある。

ちなみに、The Tower DSの4800円、つまり税抜き4571円という価格。この価格をつくるためには結構な苦労があって、どうやって宣伝費を念出するかが鍵となってたわけです。

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開発コストのかかる系のタイトル、あるいは新作要素もかなり多い、という理由で、当初は定価を5800円にする案もあったのだけど、あるいは、他社のように「税抜き」で4800円と見せる案ももちろんあったけれど、どうも低い方を選んでしまう癖があって、もしかしたら、そういうところで僕たちは自意識過剰なのかもしれない。

一本あたり1000円、あるいは消費税分の240円弱を安く提供することとの差額分は純粋に利益から減る金額だから、宣伝費しか対策のすべがない数字。そのトレードオフとしてテレビ系宣伝費をカットしたというわけ。

じゃ、どこで宣伝するのか、となりますが、店頭を除くと、フ●ミ通の見開きポスター(8p)と朝●新聞5段、ネットはアマ○ンと、yaho○、といったところです。

幸いなことに、いろいろな人がネットで書き始めてくれていて、ありがたい限りだし、そういう広がり方が実はいちばん健全だなぁ。

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一般的にメーカー企業は宣伝媒体を明かすことはあまりないけれど、よくよく考えれば公知の情報になることだし、恥ずかしいとも思わない。要するにこれだけしか打たない、という話だけれど、なんとか価格を抑えようと奮闘している販売スタッフの気概に誇りを持っているわけです。

損益分岐のハードルはなかなか高くて、まだまだクリアできていないのも事実なわけですがネット通販などをみていると、発売前に「売り切れました」なんて書いてあるところもあるようで、なぁんだよ、それ!!
流通のみなさん、躊躇せずにじゃんじゃん、仕入れてください。息の長いタイトルですぜ!!

and 一般のみなさんは、どうぞ口コミで宣伝してやってください。

6月26日発売予定。

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(以下、本書評は締め切りのため応募打ち切らさせていただきました 0617)