旧日本軍の毒ガス室?
伊藤ハムの井戸水汚染の原因が、300メートルはなれた場所にあった旧日本軍の毒ガス室かもしれない、というニュース。
ということは、今回の環境汚染の原因は、国だったということ??
さあて、こういう場合、本件の損失補てんの責任はだれにあることになるのだろうか?
ことの顛末に注目されるなぁ。
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伊藤ハムの井戸水汚染の原因が、300メートルはなれた場所にあった旧日本軍の毒ガス室かもしれない、というニュース。
ということは、今回の環境汚染の原因は、国だったということ??
さあて、こういう場合、本件の損失補てんの責任はだれにあることになるのだろうか?
ことの顛末に注目されるなぁ。
ここ数年で出現したモンスター・ペアレントとは、学校や教師になんでもかんでも大クレームをつけてまわっている巨大化した保護者の別称。このモンスターの存在に、教師を志す人材は絶滅の危機に瀕しているそうな。その結果、学校教育のレベルは低下するという悪循環に陥りつつある。
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「電子レンジにいれてネコを加熱したらそのネコが死んだ」と、裁判を起こしたアメリカ人がいるニュースに日本人が驚いたのは十数年前のことだ。「そんなクレージーな国なのか?」 「そんなのでいちいち裁判起こされたらメーカーもたまったもんじゃない」と日本人誰もが異口同音に言ったものだ。
でもあれからわずか十数年、ふと周囲を見回すと、最近の日本はなにかがおかしい。こちらの国民も「モンスター化」が進みすぎている。このままいくと、人にサービスをする職種を希望する人材はいなくなっちゃんじゃないだろうか?という気さえする。
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橋本大阪府知事が学生と対話した映像が先週はあちこちで流されていた。「GDPってなんですか?」と(やや開き直った口調で)聞く女子中学生に知事は「知らなきゃ自分でしらべろ!」とつっぱねた。「これからは自己責任の時代だ」とそのあとに付け加えた。
橋本知事っていうのは、いい意味でも悪い意味でも、昭和のおっさん的価値観の人なんだろうな。たしか、御子息が6人とか7人とかいると聞いたが、そういう家族づくりも昔の日本の父親の価値観のあらわれに見える。体罰を許容するともとれる発言も、その根底には昭和の家長の哲学が根ざしているのだろうね。ちなみに僕は、そういう時代の価値観をいまさらのようにいとおしく思う。
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さてこの「自己責任」という言葉、サービス度が上がりすぎた現代社会の市民が確実に失いつつある、とても大事なことではないだろうか?
「こっちは客なんだ。弱者の一般消費者にそんな口きいていいのか?」
このセリフに切り返す切り札の一言をサービス提供者は持ちあわせていない。
「それはあなたの自己責任ですよ」などと言い返そうものなら、ネットや週刊誌やテレビでその企業は袋叩きにされるから、オブラートで包んだようなセリフをマニュアルどおりに繰り返すしかない。
医者を選ぶのも、学校を選ぶのも、病気を治すのも、地域に貢献するのも、水に落っことした携帯電話を買い替えるのも、電子レンジにネコをいれるのも、本来すべて自己責任じゃなかったか?
ここに「消費者の権利」が転じて「クレームは入れた者勝ち」という認識が広まってしまうと、最後は僕たちに跳ね返ってくる。モンスタークレーマーへ対応する企業のコスト負担は、すべて価格や税金となって僕たちの家計を圧迫してくるんだから。
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「自分がいちばんかわいい」
そういう意識を過度にあおってしまったのはメディアの功罪に思える。核家族化と利己主義の末に出現とした市民のモンスター化は、経済が崩壊した100年後から今を振り返ったときに「市場経済主義崩壊の直前期における顕著な特徴」なんて皮肉な表現とされているような気がする。
タイトルはGABO!っていうんだけど、いわゆるいじくりソフト。シーマン2に登場したガボ君に再度登場いただいたのでこのタイトル名に。
だがもうすこし詳しく意図を伝えるならば、「感情の芽生えシミュレーション」とでもなるだろうか。
つまりこの原人ペットには感情ってのが芽生え始める。これとうまく付き合うのがミソ。だから、原始的な感情表現が重要なソフトで、そのあたりが実験的。
日本語圏向けは来週あたり、ワールドワイド版はそのあとすぐ、となる。
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▲「生き物と触れ合う」とは「撫でる」とかだけじゃなく、たとえばこういうことではないか?と・・。(虐待という意味じゃないぜ)
なんでDSでもPSPでもなくiPhone用なのか、という理由だが、「実験色が極めて強い」から。つまりゲームではない。「なんとなくおもしろそう」という動機でつくりはじめたものなので、商品としてのゲームっぽいものとして完成させたくなかったんです。
この「なんとなくおもしろいから」という理由だけで作るというのは実にぜいたくなことだ。そんでiPhoneはこういうことに実に向いているんだね。すでに提供されているソフトにへんてこなものが多いのも、いわゆる「人様にわたるまでの敷居が低いから」だろう。
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以前にこのブログに書いたけど、「生きている感覚」を出すにはその生き物の欲求表現がとても重要となる。
セリフがない生物だとキャラクターはそれらを体で表現することになる。(アクセスしてきたことを察知した際のユーザーへ、あるいはほしいものへの)目線、指差し、それらを交互に繰り返すしぐさと時間・・これらを作りこむとあっという間にモーションデータは増大する。
がんはばってくれたプログラマーはルーキーO君。本当にお疲れ様でした。
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なんの役にも立たないソフトであるけれど、それは僕らのソフトの特徴ですから(笑)。ほけっとの中のiPhoneの中にだらしなくて汗臭いペットを飼っている感覚に陥るという、へんな癒し系ソフト。音声認識などはとくに使っていません。
ちなみに彼、機嫌がわるいとガボは自分のうんこを投げつけてきますが、これ、昔からの僕の個人的な願望だったりする・・。
なんだかんだと手がかかってますが、企業広報を兼ねた実験作なので価格は450円ぽっきりになる予定。この450という数字にどういう意味があるのかは(Sクンが決めたことなので)詳細は不明。高いのかそれとも安いのか?そのあたりもふくめてダウンロードはiPhoneから接続してappストアからとなる予定。
週末、風呂場で愛犬にトリマーの真似事をしていたらいきなりぎっくり腰になった。
ぎっくり腰ってのは、腰椎近辺の筋肉が痙攣したもので、ヘルニアとちがい骨とは無関係。むしろ、ふくらはぎがつったようなものだ。ちょっとしたことで連鎖反応的に周囲の筋肉にも痙攣が広がるので、咳やくしゃみをしただけで絶叫の痛みが走る、いわば発作状態になる。外出先でこうなるともう救急車の世界になってくる。
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こんな状況だから自宅で安静にしているしかない。
はずせない会議があると、タクシーで会社に行き、終わったらとっとと帰宅して針灸師に来てもらう。
で、今回のぎっくりで再発見したのは、腰は体の表情を司る中心部分だということ。
コルセットをして直立で歩く自分の姿は、まるでロボットのように無表情なんだよ、顔は思い切り痛がっているのにさ(←これ想像つきますよね?)。 この身体の無表情さ、が、我ながらなんとも新鮮でおかしいのである。
腰ってさ、ヘッピリ腰とか及び腰、逃げ腰とか、よく考えてみると意思表示の部位だったんだね。気がつかなかった。
「胸騒ぎの腰つき」なんていう完全意味不明のサザンの歌詞があったけど、すこしわかったような気がする。
3DCGモーション関係の方とか、学生さんとかは、腰の動き、研究すると結構いいかもしれません。
思わぬ表情がでると思います。
冒頭はイッセー尾形がヒロヒト天皇を演じる「太陽」という映画の話。
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人間ヒロヒトとマッカーサーが対面する光景がこの映画では描かれている。ここで、英語で挨拶をするヒロヒト天皇に、連合軍側の日系人通訳が「どうか日本語でお話ください。でないと陛下の身分が(マッカーサーと)同等になってしまいます」と懇願するシーンがある。
この通訳がマッカーサーに退去を命じられた後、マッカーサーの部屋に残されたヒロヒトは引き続き英語で「たしかに外交は母国語で行うのが基本です」と話す・・・・。
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戦後の僕たちはアメリカというフィルターを通して世界をみているわけだが、今日、ふと「イスラム圏もキリスト誕生を紀元とする西暦を用いているのだろうか?」という疑問を抱いた。
考えてみれば、これはかなりモノを知らない、世界の田舎者ならではの疑問にちがいない、と思う。
が、そんなことにすら興味をもって調べたことがないのだからいたしかたない。
要するに僕は、いい年をしていながらモノを知らない平和な日本人だということ。
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暦というのは言語と同様、文化の象徴であり、誇りである。いやそれ以上に、一つの価値の基準のようなものである。憲法も、歴史も、学校教育も、それに準じるものだ。過去の歴史は戦争の勝利者がそれらを焼き払う習癖があることを物語ってきた。
そう考えると、同様にそういうものを失ってきた僕らは、日本の戦争責任を中立的に理解することはもはや不可能なのかもしれない。そしてこれからもたくさんの矛盾を背負っていくしかできないのかもしれない、民族の価値観と外国から来た価値観の狭間で。
新しく発表されたMacBookの新しさは「一枚のアルミ板から削り出された、継ぎ目のないなめらかな筺体」だそうだ。
この技術は「航空宇宙産業でミッションクリティカルな宇宙船部品の製造にも使われているCNC(コンピュータ数値制御)装置を使って、一枚のアルミニウムからユニボディを削り出す技法」だという。
これって、ローレックスのオイスター構造(防水)とか、ライカのボディとか、いわゆる熟年男性が好きそうな、アナログ工業芸術にありがちなフレーズだ。
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筺体製造の手法を売りにしたパソコンなんて、(ぼくの知る限り)前代未聞だ。そもそもこんなセールスポイントがIT機器のセールストークになるのか?と疑問を抱く人も多いだろう。僕もマーケッターだったらそう思うに違いない。しかしなぜかユーザーとしてこのセールストークに過敏に反応してしまった。
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実は、いま企画の題材にしているものが、どれもこの系統である。
旋盤とか、鋳物、とか、重工業とか、研磨とか、そのあたりの言葉にぞくぞくくる自分がいる。
先日、トヨタ自動車の創業物語のDVD(トヨタ織機がエンジンを作り始めた時期のこと)をもらってきて見たんだけど、そこでいちばんゾクゾクきたフレーズ、それは「理屈どおりには動かない」というフレーズだった・・・この一言にアナログの醍醐味、言い換えると現実と理論の違いがすべて集約されているようにおもう。ま、つまり男チックなロマンの象徴、とでもいうのかな。
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物体が共鳴し、醸し出すさまざまな音。
物質が持つフィルター効果を利用してとどれだけひとつの音を純粋に取り出せるか・・・・ギター職人たちが木をあれこれと削りだした試行錯誤の末、いまのギターサウンドがある。
だからギターは、エレキになっても「木」が命だったりするわけで、いまだにシンセサイザーでシミュレートできない複雑系だ。
「削り出す」という言葉には、だからシンセサイザーが純粋なサインカーブの信号音を加工して出す音とはまったく逆の、たくさんのノイズと倍音を含んだようなアナログイズムの響きがある。
その体感が、これからのブームになってくるような予感がするんだな・・・なんとなく。
wii musicというソフトが16日に発売される。
今日、社内でこのソフトを体験する機会に恵まれた。
このソフトの面白いところは、「ハーモニーに参加する快感」。
4人の参加者で同時に、それぞれの楽器を「エア演奏」すると見事なハーモニーを醸し出す、その輪のひとつになれる快感、である。
僕以外はすべてプロのミュージシャンだったので、最初のずっこけぶりとそしてそれぞれの習得ぶり、そのギャップがかなりおもしろかった。
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でもこのwii musicが一番きもちいいのは、オーケストラを指揮するところかな。
指揮棒でオーケストラに「カルメン」を演奏させる快感、これはレアな体験だ。
本ソフトの開発のヘッドをつとめた宮本さんが、「ゼルダの伝説のテーマ」を自ら指揮する光景もなかなか爽快だったけど、感心したのは、やっぱデモがうまいなぁ、ということ。途中、指揮棒をとめて、オーケストラの演奏者たちにぐっと"ため"をいれさせる。すると、奏者たちが一斉にカメラ目線で指揮者を見つめる、その間を作り出して見る者を笑わせる・・・。たいしたものだ。
▲オーケストラを前に見事な指揮者ぶりのMさん(発売前のタイトルなので画面はボケたもの。ごめんなさい)
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実は、「シーマン」という昔のソフトのエンディング後で、タップしたリズムに合わせてフロッギー(キャラ)が登場して踊る、というミニゲームをいれた。これはどういうものかというと、自分が作ったリズムから外れるとリズムがころんでしまい、キャラがずっこける、という実験的な試みで特許申請までしたほどだ。この試みへの僕らのこだわりとはうらはらに評価はいまひとつだったので、(おそらくそのr数百倍の労力をかけた)wii musicがなしとげた見事さには、くやしいけれど、感服なのである。
そもそもこれまでの音楽ソフトは、プレイヤーが音楽についてゆくものばかりだった。プログラム演奏が主で自分は従だった。wii musicでは、自分が外れることがありえないから、減点されることがない。ただ「きもちいいこと」に主眼を置いて作ったチャレンジングな意欲作だと思う。プレイヤーが指揮棒で演奏に「間」をつけさせるというのは、逆の発想においてね。
この点でwii musicはゲーム的ではない、と海外の事前レビューで酷評されたと宮本さんは嘆いていたけど、自分が主役という点で、実はとても自由度の高い、高度なアプローチだと思う。
定期的に各地で大量発生する「セミ」。その周期、たしかアメリカで有名なのは、17年と13年、だったっけ。つまりその間幼虫はずっと地中で眠ってるわけだ。
日本のせみは大量発生せず毎年現れるが、彼らはたしか地中で7年過ごした種だったはず。
で、これら各種セミのライフサイクルは「素数ばかり」、という話は知られているのだろうか。僕はどこかで聞いたことがあったが、そこに深い意味があるとはおもっていなかった。(素数とは、割り切れる数を1と自分以外にもっていない数字)
これ、天敵の大量発生と出くわすサイクルをかわすため、なそうな。素数だと、天敵の大量発生と出くわす間隔がぐっと広まる。つまりたとえば12年周期のセミは、1,2,3,4,6,12年の周期の天敵とは必ず出会くわす計算になる。いっぽう17年周期のセミはそれぞれとの乗数期間はまったく出あわないから、そのうち相手が絶滅するのを待つ、というしくみ。
ま真実のほどはだれにもわからないが、その結果自然淘汰淘汰された種が、いま残っている素数のサイクルをもつ種だったとなるとうなづけてしまう。やつらアメリカのセミは大量発生したのではなく、それ以外の種が絶滅した、という理屈だ。
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最近数学の本にはまっている。
微分や積分が僕らの実生活にどれだけ影響があるのか、なんて思っていたが、意外なところに応用されていることを知ると感動するわけだ。
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思い返せば以前からずっと疑問に思っていることがあって、それは、マージャンの役の点数と、その役をつくりあげる確率。ま、これはルーレットやポーカーでもいいんだけれど、これが計算とずれていると、無限にそれを繰り返せばそこにチャンスが訪れる「はず」だから。
このあたりだれか詳しい人がいたら、教えてください。
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