今年最後の看板ネタ
年も瀬である。
みなさん、一年、お疲れ様でした。
さて今年最後のブログは、麻布十番のイカしたレストランの看板ネタである。
では、皆さん、よいお年を。
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年も瀬である。
みなさん、一年、お疲れ様でした。
さて今年最後のブログは、麻布十番のイカしたレストランの看板ネタである。
では、皆さん、よいお年を。
今年もクリスマスですね。
メリークリスマス!!!
クリスマスカードの発送も無事おわりましてやれやれというところである。うちのカードは、必ず手書きのメッセージを入れることをポリシーにしているので、汚い字しか書けない僕にとってはそれなりに結構疲れる作業なのだが、筆をしたためるというのはそれなりに楽しいのである。(ついでに社員にも全員分のカードを書いた)
今年の社外向けはこんなカード↓
(オレには届かないぞ、という方がいたら、最新の連絡先が不明状態となっているので至急おしえてください!! )
それはそうとこのブログを読んでくれている皆さんは今日あたり、いかがお過ごしなのでしょうか?
仕事の知人関係の方は、おそらく年賀状出しの多忙の真っただ中ではないでしょうか?
同窓関係の面々は、恒例の来初の同窓会はあるのか?なんてことをちらほら気にしている?
飲み屋関係の人は、「斎藤は年内に顔を出す気があるのか?」あたりでしょうか?
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かくいう僕は最近、なにをやっても「豊かさ」を感じることができないんだよな。たしかに今年は超景気が悪いのでかなり節約モードの自分がいるが、でも、ここで言いたいことは、景気とかお金のことではない。過去に「豊かだなぁ」と思えた時というのは、いつもお金とは無関係だったし。もしかしたら、つまらない大人になってしまったということなのかな・・そういう話です。
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「豊かだと感じる」という話で思い出すのは、最近だと一昨年の誕生日だろうか。
ちょうどシーマン2の発表パーティーとかさなっていたので、その二次会が誕生パーティーとなった。三次会では、ごく内輪の知人が残ってくれて、馴染みの焼き鳥屋で盛り上がった。そのうちに、なぜかフルチン姿での殴り合いが始まった。
殴り合いの原因となったのは、身内の誰かが見たくもないキンタ○の芸を見せたとか見せないとかいう子供じみたことだったと思う。そんな最中にはじまった乱闘なので、数人の男がフルチンでの乱闘となった。
大のおとなが下半身を露わにしての殴り合い(しかも本気のグー。ただしボディ)をしている姿は、かなりバカな光景で、まるで青春ドラマに出てくる部室のような光景だった。小さい店だったので、しかも店内は身内の男性ばかりだったので、焼き鳥屋の店主は乱闘を止めるわけでもなく、K1グランプリを見るようなご満悦な表情で酒を飲んでいるだけだった。この手のハプニングに本気で参加してくるアホな友人というのは、人生にとってとても貴重だとつくづく思う。
そんなわけで、こういうくだらないハプニングを「なんと幸せで豊かなんだろう」と感じてしまう自分がある。こういう自分の性格は高校時代の人格形成時にその原因あった気がする。高校の同窓の仲間はみな、こういうハプニングをこよなく愛すバンカラ変態が多かった。彼らは全員そろって、渋谷ガード下で酔っ払いの喧嘩があると、止めに入るいきおいで喧嘩に参加していたし、早慶戦の夜はきまって大学生にまざって渋谷ハチ公前の噴水に飛び込んでいた。(この噴水はいまはもうない)
そんな同窓の一人からちょっと前に連絡があって、彼は高校の教頭をやっているのだが、進路指導の一環で、生徒からのインタビューに答えてほしいとのこと。お互い年をとったもんだと痛感。教育者の彼もその一人だったのだから。
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お金で買えるものというのは、手に入りやすい。
お金で買えないものを三つあげろと言われたら、「時間」と「運命」と「人間」ってのがその代表なんだろうが、この三つはいつもいつも求めていることに気づく。
もし大金を払いさえすれば、こういう懐かしく豊かな、そしてバカな自分に戻らせてくれるという高級クラブがあったら、通っちゃうのになぁ、なんて思う。SMクラブの客には医者や弁護士や社長が多いというのはもしかしたらこれと似た理由か?だとしたら、僕はただの現実逃避なのだろうか?いやちょっとちがう気がするな。どちらかというと、青春憧憬、かな?
青春というのは、過去にすでにすれ違ってしまったことをいうのだろうか?それともこれから訪れる未来への期待の総称なのだろうか?
クリスマスや年末になると、いつもそんなノスタルジックな気持ちになる。
夢を語るただのアホに戻りたい人は、携帯に連絡ください。
とくにAくん、Yさん、そしてSさんあたり、いかがですか?
「多からず少なからず」という、最近めっきり聞かなくなった慣用句がある。
ま、なんというか、「間をとって適当なさじ加減で」的な、いわゆる曖昧表現である。いまみたいなはっきりしたことが求められている時代にはあまり歓迎されない言葉なのだろうか。
でも、この「多からず少なからず」って考え方が、ゲームの設計にはとても大事なんだな。
今いくつか走っている開発に、「大人の科学」みたいなシリーズがある。そのひとつが、簡単にいうと「エンジンをつくるゲーム」。個人的にずっとやりたかったテーマで、今年はずっとエンジン設計の本ばかり読んでたりメーカーの人に話を聞きに行ったりと、つまりいま僕はこの分野にはかなり詳しいのである笑。
これ、自分で削った筒にガソリンを噴き入れてピストン動作させ、(中略)レースをしようというものなんだけど、当然このプログラムの裏にはたくさんの方程式が入っているわけです。
最初は一人でしこしこ調査しながら進める企画も、作業が進んで軸が見えてくると、プロトタイプということになる。このあたりになると企画メンバーは複数になる。合流してきたスタッフには、さらに細かい企画作業をお願いするんだけど、たとえばエンジン動作のリストアップなんてのがこれにあたる。
このプロセスで、「結構知識ありますよ系」のスタッフから上がってくるのが、「エンジンがうごく」とか「エンストする」とか「オーバーヒートする」といった、実際にどこかで聞いたことがある言葉のリストだったりする。
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でも本当にゲームに必要なのはね、正解と不正解のリストではないんだな。正解と不正解の間にあるたくさんの「ちょい惜しい」的な動作。たとえば、「オーバーヒートしそうな状態」とか「ノッキングしかけている状態」とか「トルクが少し足りない状態」とか。それらよりさらに細かいレベルの現象だったりとか。
つまり、あたりとはずれの2値しかないシミュレーションってのは、坊主めくりみたいに、条件が合致しない限りうんともすんともいわないものになっちまうわけ。ゲームは試行錯誤を繰り返させるわけだから、「もうちょいだよ」とか「おしいね」とか、「惜しい度」をプレイヤーへの勇気づけして表現してあげなければならない。「まだ100%正解ではないけどもう少しだよ」、「このままだとかなり危ないよ」という状況をどれだけ、「らしい動作」として用意しておくかが重要なんだと思っている。こういう曖昧な中間状態を発想する上で中途半端な専門知識ほど邪魔なものはない。
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シミュレーションってのは、「XXすればするほどいい」、ではなくて、「多からず少なからず」というバランスポイントをどれだけ見つけられるかがおもしろさの肝なわけで、でしかも、実際のエンジン工作も本来そうなわけだけど、でも「ゲーム」となると、知識に自信がある人ほどなぜかその間をすっぽりと忘れてしまうんだよな・・・。
右と左の間にある選択肢をどれだけ見せてあげられるかが、試行錯誤の面白さだと思うんだけど・・・作業、やり直しだぁ・・・。ブーブー。
僕はそのむかし、リクルートという会社でサラリーマンをしていたことがある。
この頃職場で出会った人はもうほとんど退職してしまっているが、なぜかその多くは有名人となった。もう会わなくなったかつての先輩や同僚を、日々あちこちのメディアで見かけるというのは、慣れたとはいえ、なんとも不思議な気持ちだ。
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そんな当時の先輩の一人、Dさんがこのたび本を出した。リクルートという会社は多くの逸材を輩出しているが、その片鱗がこの本の中にあることを改めて発見した。
僕はコンピューターのセクションで、Dさんは当時総務の社内イベント担当だった。もう一人、人事部でBという仲間もいて、彼は奇遇にも中学・高校時代からの同級生だった。この3人で当時、居酒屋で作戦を練っては総務のイベント予算でさんざんいたずらをやった関係である。台風の目はいつもDさんだった。
ある時は日比谷野外音楽堂を借り切って、またある時は西武球場に場を移して、そしてまたある時はリクルート事件の真っただ中のTBSのスタジオからと、そのいたずらの規模も(伸び盛りの会社ならではの)際限のないでかいものばかりだった。僕の直属の上司で、最近ではどこぞの公立学校の校長をやっていたFさんやDocomoのimodeを立ち上げたM女史もその道の天才で、そういう先輩諸氏から、会社の予算で企画を実現する、という技を若手はおのずと身につけていったようにいまにして思う。しかしあのころは本当にたのしかったなぁ・・。
その中でもピカイチだったのは、社員と家族を集めての「運動会」だ。
そもそも日曜日に運動会をやったところで、へとへとに疲れた社員がわざわざ来るわけもない。
しかしイベント担当のD氏がいきおい押さえた場所が西武球場というのだから、数千人を集めることが担当者のノルマとなるわけで(当時のリクルートはこの「ノルマ」が全社員に課される会社だった)、集客のためにいいアイデアはないか、とD氏が相談しに来たところからこの事件は始まる。
僕はかねてより「一度やってみたいイタズラ」があったのだが、それをD氏に提案した。
当時、トヨタのソアラ、という高級車が憧れの的だった。それに乗じて「クイズ大会の優勝賞品に世界の名車ソアラをプレゼント」というチラシをつくって社内報に挟み込んだのである。
当時リクルートの社員は全国に7000-8000人いて、彼ら全員がこのチラシをみてぶったまげたにちがいない。
僕の隣の課の課長までが「リクルートも社員にソアラくれるほどの会社になったのか!?日曜は親戚の結婚式サボろうかなぁ・・」とつぶやいていたのを記憶している。
だが、いくら伸び盛りの会社といっても、社内の運動会に高級車を出す予算があるわけもない。
賞品に用意されていたのは丸石自転車から出ている「マルイシ・ソアラ」という自転車だった。
「日本一の宝島」と題された当日の大運動会の集客数はすごかった。人数だけで言えば大成功だった。そして当たり前と言ってしまえばそれまでだが、このソアラのオチはウケるどころか、大ヒンシュクだった。二位と三位にはグアム旅行とCDプレイヤー(当時としてはかなり高額)を用意していたにもかかわらず、「ソアラ」に呼び寄せられた来場者たちへのインパクトは大きかった。制服姿で自転車に乗った当時の受付交換室の女性部長がエンジンの効果音とともにダッグアウトから入ってきたとき、場内は静まり返った。そしてネタが明かされたとたん大ブーイングとなった。そのコーナー司会をやったのは、実は新入社員の僕自身だったのだが、西武球場全体に巨大な怒りが渦となって包み込んだ瞬間を鮮明に記憶している。スタジアムのステージ上で、数千の群衆からブーイングを浴びせられる経験などそうあるものではない。僕はそれを二十代前半で経験した。そしてその恐怖の絶頂時、突然、雷がなり、そして大粒の雨がいきなり降り始めた。旧約聖書の「十戒」のような光景だった。午後の部はすべて中止となり、後味の悪いままこの大イベントは終わった。そしてリクルートの運動会はこのとき以来二度と開かれることはなかった。
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それから20年近くして初めてD氏から聞かされた事実がある。社長(江副浩正氏)がこの件でかなり怒って、総務部長とこのD氏を社長室に呼び出したそうだ。そして「君にはもう社内のイベントを担当してもらうわけにはいかない」と、実質の左遷人事をその場で言い渡したそうだ。だが、部署にもどってよくよく検討してみると、たかが入社2年目のD氏はそれ以上の左遷のしようがないほど下っ端である。D氏は高校卒業してすぐに入社したから、年齢は20歳なわけだから・・・・。だいたいこんな大イベントを20歳の社員に仕切らせることそのものが、ふつうの会社ではありえないことで、リクルートという会社はそういうことがあちこちで普通におきている会社だった。D氏の処分は「イベント担当」から「寮担当」へと左遷(というのか?)となったそうだが、非公式にかかわっていた僕の名は最後まで口にしなかったという。僕の耳にも気遣いでいれなかったというわけだ。若いやんちゃ仲間ならではの、ちょっとした友情かもしれない。だが今思えば、時代の寵児、江副浩正氏から直接叱られたことの方がよっぽど貴重でうらやましい経験だと思う。
思うに、リクルートでは、イタズラ好きな人ほど出世が早かった。かくいうD氏もBも仕事の成績は抜群によかった。人事にいたBはトップ営業マンになった。僕も在職中はよく働いた。経営成果賞とか、あと名前はわすれたけどいろいろとたいした賞をもらった。楽しいと仕事はどんどんと伸びる。工夫もする。とにかく死ぬほど仕事をした。それが楽しくてしようがないのだから。こじんまりといわれたとおり仕事をしているときは賞なんてもらえないが、好き勝手に企画をすすめるようになると褒める、それがリクルートというめちゃくちゃな会社の特徴だった。会社というよりもまるで学校だった。要するに管理が行き届かない会社のほうが人は仕事をするのだ。
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さてD氏が出したのは、それから何年かあと、社内報に社員から寄せられたサラリーマンならではの悩み相談の連載を単行本化したものだ。タイトルが「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」。
今風じゃないけれどDさんらしい、そしてなんだかやけにかっこいいタイトルだな、とすこし感動した。
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実は僕も、この単行本化にあたり、知人代表の一人として悩みを寄せさせていただいている。
だから、毎度のことながら、ついに手にした本書を感無量で眺め、そして自分の相談ページを探してしまう。新刊独特の、印刷のにおいがぷーんとする中に、あったあった、僕の悩みへのD氏からのアドバイスが・・・。
その悩みへの回答がこれまた、いかにもDさんらしい回答でなんといっていいやら、笑えてしまった。ちなみに以下が僕の相談である。
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僕はゲームの企画をしている斎藤と申します。
さて、ぜひご相談にのっていただきたい悩みがあります。
というのも、私の仕事というのは、世の中にあるありとあらゆることを、数値に変換してシミュレーションモデル化することが要求される仕事で、とてもストレスがたまるのです。
具体的にいうと、自分の周囲の人間関係から、自然現象、性欲のわだかまり、生理現象にいたるまですべて数値化する癖がついてしまったのです。
(中略)
娘は多感な高校一年生ですが、こういう父親を持つと、ちょっとかわった人間に育ってしまうのではないか、とも心配しています。
僕は、我ながらこういう自分にうんざりしています。
職業病とはいえ、どうしたら、健全な父親として、いや健全な一人の人間として社会になじめるか、ぜひアドバイスをおねがいします・・・・。
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この悩みに対するD氏からの回答は、まるで四半世紀を経過した美しき思い出へのラブレターのような内容だった。
リクルートという会社のめちゃくちゃさは、戦後最大のスキャンダルとともにさんざん報道された。当時の若手社員までもが、ずいぶんとメディアからいじめられたが、でもこの会社ですごした時期は、僕らにとってはまるで心の中の宝石箱のように大切な思い出だ。
ここでは紹介できないようなとんでもなく笑える事件がまだまだたくさんあって、まるでそれは青春小説のようなものである。D氏とBと、本にしようという話もあったのだが、しかしそれはコンプライアンスという壁に阻まれて立ち切れになった。
D氏もBクンも今年、父親になった。みんな大人になった。あの頃のような青春時代はもう過ぎ去ってしまったのだろうか?
いや、ふたたびめちゃくちゃなチャレンジをする時期がいずれくるだろう。そうであってほしい。僕の人生はいまだにこのときのノリをずっと続けている気がするが、まるで墓守りのようでもある。同世代の仲間でそんなことをできる機会はめっきりと減ったしね。
ま、まずは、この「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」というタイトルに、その思いを込めて瞼を熱くしてしまった僕がいたのである。
以前ここのブログで、生意気ながら専門学校の関係者の方へ、苦言を呈したことがある。
「産業界が本当に必要としていることを授業の中でしっかりと教えてほしい」と。
「おいおい、じゃ、斉藤という奴だったらいったいどんな話をするってんだ!?ちょっと聞かせてもらおうじゃねえか」
そう思うひともいたのではないだろうか? いや実は、ひそかにこういった反応が戻ってくることを期待してのことであったのだが・・。
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そもそも産業界というのは、培われた才能たちを学校という場から預かり、それを糧にして発展してゆくものだ。だから本来、産業界にとって学校は多くの生命を育む珊瑚礁のような存在だ。
いっぽうその見返りとして産業界は、学校という若き才能が集う土壌に対してその実地の情報をフィードバックする。学校はそれらの情報を軸に新しいカリキュラムを開発・提供する・・・この産と学の循環がいいループに入ってくると業界は栄えるというしくみだ。
さてゲーム業界はどうだろうか?
大学にゲーム学科はない。たぶんこれからも、ないだろう。
ゲームというのはそれだけ俗っぽい分野として見なされている。(実はとても応用範囲の広い手法であるにもかかわらず)整理して体系化を試みる者も業界にいない。結果、専門学校にその役割を担ってもらっているわけだが、じゃあ専門学校側はというと、なにをどうおしえていいやら、と困惑した状況のようだ。専門学校の卒業生諸君を見ていると、ただただ高い授業料を払わされているのがまったくの気の毒にも思えることがよくある。
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入社したての若い社員に、仕事中でこういう質問をすることがある。
「そもそもゲームとはどういうソフトウェアを指すと思う?」とか、「いいゲームは何がすぐれているものだろうか?」
彼らは、「自分の好きなゲームはFFとモンスターハンターだ」といった類いのことしか答えない。「ゲーム」という現在進行形の表現手法論について、基本的な議論をする場を学校は提供していないのだろう。
じゃあ技術や実地的なノウハウにシフトして教えているのかとなるとそうではない。「プロたちは予算や納期はどうやってまもるのか?」「どうやって工程管理をすると成功するか」「ゲームの設計はどうやって記述するのか」なんてこともまったく教わったて覚えがないという。そもそもそういう経験やノウハウを持った講師は学校にはいないらしい。その結果、専門学校はいわば業界へ就職したい学生のただの斡旋業者と化しているのである。
これではいつまでたっても、産業界と学校との関係は好循環には入らない。
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学校側にも諸々の経営的事情があるにちがいない。しかし学校と名乗る以上それは理由にはならない。あるいは、経営という点では企業と同様、改善を絶やしてはならない。
提案なのだが、もしそういう改善への取り組みを真剣に考えている専門学校の関係者の方がいたら、ぜひ私の所属する会社(でもいいし、接触のあるゲーム会社でもいい)にメールなどで接触していただけないだろうか。
時間の許す範囲で、私を含めたスタッフが、「産業界が実は必要としていること」とか「学生さんに知っておいてほしい産業界がもつノウハウ」などをお伝えしたいという希望を持っている。
それが講義や授業という形態でもいいし、学生さん相手と限ったものである必要はない。むしろ講師の方々、カリキュラムを作っている方々(そういう担当の人がいればの話だが)にも時間を割いていただく価値のあるものではないかとも思える。
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こんなことを唐突に書きはじめたその理由は次のとおりだ。
年末が近いということで、ここ数日の間にゲーム会社の役員らと会食をする機会が多い。
そして彼らが最近もっとも懸念していること、が、「人材のワンパターン化」なのである。
具体的にいうと、「発想力を持った人材が、最近全然いない」というのである。
発想は、教えるものではない、という考え方がある。いわば個々が自己責任で培え、という考え方がそれだ。
しかし、この発想の訓練こそ、社会競争に組み込まれる前から伸ばすことができる最大の手みやげのように僕には思える。諸先輩の前で萎縮していたら発想力なんてついぞ失われてしまうものだからだ。
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しかしそもそも学生は、どの業界でも新しい血、あるいはカンフル剤だ。
逆説的だが、企業が彼らを育てるのではない。彼らが企業を育てるのだ、という視点を学校の関係者たちはお持ちなのだろうか? いったん立ち止まって、オペレーター養成ばりの教育カリキュラムを再考してはどうだろうか?
学生は残念ながら、個々で購入した「ゲーム製品のプレイ体験」から学んでいるだけという事実が、いじらしく、そして切なく思えるのである。
橋本忍脚本の「砂の器」が昭和49年制作というから、34年前の作品ということになる。
渋谷文化会館には、三つの映画館があって、中学生の僕は渋谷に出るといつも帰宅時にはこのバス停から、三つ並ぶ映画の看板を眺めていた。たぶん「砂の器」を知ったのもその頃だった。話題になっていることは知っていたけど、子供の僕にとってどんな映画なのかよくわからず、実際に見たのはDVDになってから。(同じスタッフの手による松竹・横溝正史映画の八墓村は映画館でみましたが)
そして昨日、デジタルリマスター版と書かれた「砂の器」を買った。通常版と併せると二枚目ということになるが、昭和の日本の風景(制作時ということになるが)をきれいな映像で見たい、という目的で再度買った次第である。
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年齢なども関係あるのかもしれないが、映画というのは、何回もみると、いろいろな発見がある。
この「砂の器」にも、観る者を押し流してしまう強さがあって、ついぞ殺人事件に端を発する人間ドラマに目が行き、推理モノとしてのなんとなくの違和感が残ったままになっていた。で、今回のリマスター版を機に、冷静に何度も物語をチェックしてわかったんだけど、この映画にはバグがあった、という話。
バグといっても、些細な撮影上のミスとか粗(あら)とか、あるいは、「バックトゥーザフューチャー」でタイムマシンを最初に発明したのは結局誰なんだ?などというSF設定への無寛容な指摘とかじゃなく、容疑者が特定できたのか、という推理モノでは本筋にあたる致命的な欠陥。
だから、これから松本清張の原作を読んでみようと思うんだが、昨年あたりに放映されていたテレビ版では解決されているんだろうか?(ま、橋本忍氏の脚本化手法に興味があってのことなので、他作品がどうであろうと実のところはあまり関係ないのですが)
もしご存じの方がいたら教えていただきたいのですが、何をきっかけに今西刑事は、千代吉の息子であるひでおが和賀英良と同一人物だと特定できたんだろう?
犯人の今日と、隠ぺいされたその子供時代をオーバーラップさせながら映画が進むので、観客はなぞ解きが行われる前から、この二者が同一人物だ、と刷り込まれる。失われた過去に目を向けているうちに、「そんな苦労があったのか」と感動してしまい、「でもなぜ捜査線上に彼が浮かんできたのでしょうか?」という、素朴で本質的な疑問を忘れてしまう・・・これも脚本の意図なんでしょうかね?
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エンターテイメントというのは、誰もが見覚えのあるような日常から始まり、でも絶対起こりえない非日常へと観客を導くのがお約束だ。非日常を日常とすげかえる展開をどれだけ自然に見せられるか、が制作者の腕の見せ所であって、そこを落とすと「無理があるよ、これ・・・」となる。
でも推理モノというのは、その意味で他のエンターテイメント作品よりひとつハンディーキャップが多い。それは「さて、どうやって証明する?」の部分だ。
同時期に流行った刑事コロンボがおもしろかったのは、きわめて論理的にそれらを証明して見せたこと。そのためには、設定上登場人物を少数に絞り、常に犯人をその中の一人と限定しなければならない。そうすることによって、事件を帰納的なパズルとして提示することに成功したコロンボは、いってみれば、数学の証明問題。観客も作者も持っている情報を等価にして、目の前で見事にマジックを解いてみせた。観客の常識の穴をフックとしているので「なるほど」と視聴者は唸る
日本の推理は、どういうわけか、それが帰納法ではなく演繹法だったりするわけで、観客が知らないような新しい事実が推測のプロセスでどんどんと出てくる。犯人の自供がクライマックスにあってそれが最大の根拠となる。「本人が認めるんならしょうがないか」とその時初めて探偵の辿ってきた推理が正当化されるわけで、つまり証明の美学ではなく推測の美学が見所となる。金田一先生もしかり。
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点と点をつなぐ大胆な仮説と、そこに浮上する意外なドラマ。当然のことながら点と点をつなぐのは犯人ではなく刑事の憶測であって、科学や論理では到達できない人間ならではの情がそこにある。こういう人間ドラマ性と、コロンボなどに象徴される論理的パズル性はひとつの作品内に同居できないものなのだろうか?
かつて「複眼の映像」という橋本氏の名著書について言及したことがあるが、なぜ「砂の器」で橋本氏は、この「犯人特定」というプロセスを割愛したのだろうか? あるいは原作そのものにその要因があるのか? など年末休みに興味深く調べてゆくことにしようとおもう。
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ということで、さっそくアマゾンで原作を発注しました。
映画作品として松竹の「砂の器」を、ぜひ見ることも併せてお勧めする。
iPhoneでテトリスをダウンロードして久々にやってみた。久々にプレイすると、テストリスはやっぱりおもしろい。
プレイして気づいたこと、それは、左右非対称のピース、いわゆる「光学異性体」のピース配置は左右対称のピースとは明らかにちがう脳の部位を使わせるということだ。つまり、左右の違いを考えなければならない分、脳の負担が高い。
****光学異性体のはなし******
光学異性体という言葉は高校の化学の授業で習った。
これはつまり、分子記号上では同じにみえるが、互いに面対称なのですこしだけ異なる性質をもつ二つの物質のこと。
最近この言葉を耳にしたのは「放送大学」の分子生物学の講義をみていたときだった。原始地球でアミノ酸が生成され、それらが生命の起源になっていた、という回でのこと。
本来、確率的には左右同数の光学異性体が存在したという。が、ほんのちょっとしたはずみで一方がすこしだけ多く生成され、ひとたびそうなった途端、連鎖反応によって指数的に他より増えつづけた。いまでは地球上のすべてのアミノ酸が、その片方に統一された、という話。(専門単語については記憶が曖昧です、すみません)
すべての生物の心臓を左側に配置した神さまのきまぐれ(自然界にある左右非対称の謎)に、すこし光がさしたような気がした。
************連鎖反応のはなし**********************
話は変わって狂牛病の話。その原因であるプリオンは生物ではない。ウィルスでもない。ただのタンパク質である。ただのタンパク質なので加熱しても「殺菌できない」。これは人類史上例を見ない厄介さだ。某国からの日本への食品テロに、このプリオン混入が用いられたら恐怖だ。
このプリオン、おなじ分子構造をもつものはこれまでも存在したそうだが、実は、その立体構造がすこし異なるという。ちょうど光学異性体のようなものだ。(構造がもうすこし複雑なので光学異性体とは呼ばないわけだが)
この特殊なプリオンが脳などのタンパク質に接触すると、どういうわけか「連鎖反応」が起きるーてしまうという。そのせいで生体に障害を起こすというわけだ。いってみれば、原始地球の時代に絶滅したと思われた方の光学異性体の゜復讐」である。
いいかえると原始地球の連鎖反応が生命誕生に向けてのそれだとすれば、狂牛病プリオンのそれは死へのタンパク質連鎖、というわけか・・・・。
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iPhoneのテトリスはタッチパネルでのピース回転なのですこし使いにくい。ゲームオーバーになる理由は、この「光学異性体ピース」への対応遅れがほとんどだ。人間の脳は、この左右差の識別が弱い。そんなことを考えていたらふと、この光学異性体プリオンのことが脳裏をよぎった。
あ、また、左右をまちがえちまった・・
これはプリオンの復讐だ・・
大学に進学した春、なぜだか学科が合同で主催する歓迎会がであった。
新入生と教授・助教授が参加するそのパーティーは大学施設内で開催され、軽食とビールが振る舞われた。
18歳ともなれば酒の味くらいとうに知っていたが、学校から堂々と振る舞われるのは初めてだ。
「もう諸君は子供ではないぞ」といわれているような気になってちょっと気恥ずかしい。むろん、よく考えればほとんどの参加学生は未成年だから「天下に名の通った大学が、未成年学生にビールを出していいのか?」という疑問も無いではなかったけれどそれはそれで、という感じだった。
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カリフォルニア州のバークレー市は大きな州立大学の街として知られる学生街である。
この大学の正門前にあるDホテルは、大学関係者が泊まるホテルとして知られている。
ある日、ここに滞在していたら1階にあるカフェが閉まっている。
しかも連日ずっと。
朝食がとれないので「どうしたんですか?」と聞いたら、「未成年にビールを振る舞ってしまい、当面営業停止となった」とのこと。
アメフトが有名な大学だから、リーグ優勝戦かなんかで盛り上がったのだろうか、いずれにしても、「そこまでしなくても」と思うくらいの全面的な閉店だった。
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日本の18歳から20歳までのグレーゾーン。
このあたりは酒もたばこも赤線も、日本は「なんとなく」許される年齢だった。
18歳で居酒屋にで飲んでても「高校卒業してんだったら、ま、いっか」みたいな不文律があって、当時飲み歩いていた僕も、このあたりについてはなぜだがオトガメなしだった。
おまわりさん的には「結婚はOKですが不純異性交遊は許しません、お酒は、ま、状況しだいで」みたいな、増改築を繰り返したような複雑な基準があって、最近ますますこのグレー度は混迷をきわめちゃってます。
さて、こういう日本人の僕らは何歳から大人なんでしょうかね?
もうとうに過ぎてしまった大人としてはどうでもいいことなのですが、実は子供達にとってはとてもとても重要なことだ。
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さてうちの娘は16歳だ。
いまは高校中退を検討していてその先にアメリカ留学という目標が彼女にはある。
ちなみにアメリカでは16歳で運転免許がとれる。
このアメリカで取得した国際免許は日本で有効なわけだが、このままいくと、それを携えて帰国した娘は、日本で運転できるのだろうか?なんて疑問がわいてくる。16歳で車を運転されちゃかなわん、という気持ちと、「でもアメリカの運転免許は日本でも有効なはずだ」なんていう増改築な疑問。
ねじれ構造なこの国の法律がどこまで有効なのか、父親としてはどうもよくわからんのである。
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