斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
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非常識なアプローチ

先ほどフライパンで、夜食のインスタントラーメンを作って食しました。

「インスタントラーメンをフライパンで作るとは下宿学生みたいですね」
そう思った人も多いことでしょう。

が、実はインスタントラーメンは、フライパンで作るのが一番なのです。それはなぜかといいますと、底面が広く胴が薄いので、湯が煮えるのが早いこと、そして、もうひとつ、麺ゆでに使用した煮え湯を、そのままどんぶりに適量づつ移動させることができるから。

茹でる=鍋、という知識に妨げられてこれは一見乱暴なやり方に聞こえるかもしれませんが、いちどやってしまうと鍋に戻ることができないくらい便利です。みなさんぜひ試してみましょう。

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子供時代の話ですが、同級生のS君のお父さんは「ご飯は牛乳をかけて喰うとうまい」とか「お茶に砂糖や牛乳をいれるとうまい」とも豪語し、僕ら子供に「きもちわりー」と嫌われてました。「ぜったいうまいはずない」と僕らは決め付けてました。

でも、よくよく考えると、「ドリア」とか「グラタン」という名で僕ら子供たちは「牛乳ご飯」を食べてたんですね。お茶ミルクだって「抹茶アイス」とか、「抹茶フラペチーノ」という名でいま普通に人気がある。和食素材と牛乳というのはとても相性が悪いという気がしますが、名前を変えればぜんぜんあり、ということです。僕らがいかに「~あるべきという知識」に邪魔されているか、というはなし。

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いま、金属を削りだしてシリンダーにして動かす、というソフトの実験をやっています。
いわゆる学研の科学と学習の付録、みたいなソフトですが、ひとつちがうのは、そのエンジンを搭載してレースをする、というのがバーチャリティーならではの特徴です。こんな都合がよいことは現実にはあり得ないわけで。

さてこのエンジンのトルク性能などを決定する算出式をここ数ヶ月ずいぶんと調べてきたのでその話をします。といっても工学の話ではありません。

皆さんはアクセルを踏み込むとどうしてエンジンが高回転になるか、知ってますか? ま、知っている人は知っていると思うので答えをいってしまうと、「空気穴」が広がってエンジンに空気がたくさん供給されるからなんです。ガソリン供給が多いとかそういう話ではない。一回あたりの回転はすべておなじ物質量でおこなわれる。あくまで回転がはやくなるだけのはなし。

では、空気の穴が大きくなるとどうしてエンジンは「高回転」になるのか?この質問に答えるのは容易ではない。「爆発力が大きくなるから?」・・いいえ、それはちがうんです。それでは説明がつかないのです。穴が大きくても小さくてもエンジンの排気量は一定なので、一回当たりに吸い込む空気量は一定なのです。ここをしっかりと描かないとエンジン創作シミュレーションはうまくなりたたない。

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うちの社内には、「自動車に詳しい」という人がたくさんいるんですが、高校物理に立ち返ってきちんと説明できる人はひとりもいなかった。僕自身も、アクセルを踏めば加速する、ということを当たり前のように思っていたことだけれど、ものすごく原始的なところからエンジンのしくみを再構築して理解する必要がありました。そこにすごく時間がかかりました。

シミュレーションソフト制作というのは企画者がまず基本を理解していないと企画がすすみません。そのために僕も自動車に関する本を読みあさったのですが、しかしこのような基本過ぎることは逆にどこにも書いてないのです。だから、ビストンエンジンを高校物理くらい単純なモデルに置き換えて最初から考えないとならない。このあたりの仕事は、もはや、現実のトレースではなく、むしろ着眼力、ないしは発想力の世界になってきます。

ちなみに自動車メーカーの人にもずいぶんと話しをききにいきました。が実際のメーカーというのはもっと複雑で高度な問題と格闘してきた業界ですから、話を聞いても専門書をめくっても実地的で複雑な情報しか出てこないんです。シミュレーションゲームに置き換えるには、現実的なものを捨て、ばっさりと簡略化し、ごく単純なモデルにします。だから、メーカーの人には、逆に「最近かんがえもしなかったけど、たしかにそういうことですよね」と、いたく感心されました。同じ理由で、自動車に詳しいスタッフが自慢げに話す自動車知識は時として邪魔になることさえある。重要なことは「一般常識にとらわれずどこまでばっさり捨てれるか?」という割り切りです。

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あらゆる特撮技術を駆使して作られたスターウォーズという映画を最初に企画しているとき、ジョージ・ルーカス監督のいちばんの英断、それは、この映画で「宇宙空間の無重力表現をばっさりとあきらめた」ということではないでしょうか。

あきらめた、という表現はへんに聞こえるかもしれません。しかしあれだけリアリティーに予算をかけた映画をつくる上で、この決断をするにはとても勇気がいったのではないかと思います。だって、「2001年宇宙の旅」と同系統の特撮スタッフを使って、しかもアポロがすでに月に到着した後の時代に、無重力表現はどうする?というのは頭をよぎらないわけがありませんから。

細かな演出はともかく、最初の大決断、というのが創作物にはかならずあって、それによって作品は大きく変わる。専門的な知識に引っ張られると、これができず、企画は泥沼にはいってゆくことがあります。無重力空間を舞台にしたスターウォーズの物語展開はどれだけキレが悪いかは想像がづきますでしょ?

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エンターテイメントというのは、日常ではあり得ない非現実的なことを、いかにもありそうな日常風景に混ぜて人を誘導する技巧です。だから創作者は「うそ」を平然と、大胆に、しかも人にはわからないようにつく必要がある。

シミュレーションゲームもしかり。知識とか常識に押されて馬鹿正直に必要とおもわれることを入れ込んでいたのでは、複雑になりすぎ、逆にゲーム世界がカオスになってしまう。だから、重要な骨だけを取り出し、あとはすててしまう。僕らはこれを簡略化のプロセスと呼んでいます。

この導入でつかなければならない大ウソが、専門的な知識とか一般常識で鈍ってはならない。だから、クリエーターにはつまらない知識に耳を傾けすぎず、牛乳をご飯にかけて、当たり前のように人に食べさせてしまう大胆な非常識さ、が必要だと思うのです。

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海外のみなさま、日本語で「ARIGATO」

僕のブログは、アクセス数が時期によって乱高下するのが特徴なのですが、昨日あたりのアクセス数をみたら海外からのアクセスが異常に多い。

リンク元をみると、あちこちでiPhoneの件やシーマンDSネタが取り上げられているではないか・・。読めない言語も多かれど、ゲームファンはどこの国も熱心だな、と感心しました。
(以下リンク元になっている主だったところをつまんでみました )

追記・・・・・(2009年01月20日、以下のサイトのリンク形式を直接リンクに修正しました)

http://www.joystiq.com/

http://www.jeuxpo.com/afficher_news-15899-seaman_annonce_sur_ds.html

http://www.gfdata.de/setup/mood.html

http://www.destructoid.com/apple-fails-at-life-denies-seaman-iphone-spin-off-118231.phtml

http://www.offworld.com/

http://forums.somethingawful.com/showthread.php?threadid=2947865&pagenumber=46

http://gbatemp.net/index.php?showtopic=129899

http://gonintendo.com/?p=69378

http://toucharcade.com/2008/11/28/gabo-a-strange-new-iphone-game-from-the-creator-of-sim-tower-and-seaman/

http://wii-brasil.com/index.php?sec=lernoticia&id=18732

たぶんこのブログ原稿も世界のあちこちから熱心に読んでくださることになるのでしょう。ネットの自動翻訳じゃまともな意味をなさないだろうから、ちょっとうれしいけど、ちょっと微妙です。

ちなみに、たしかに「シーマンDS」という表現を前回用いましたけれど、ぶっちゃけ発売元も完成時期も、発売時期も、まったくの未定なのです。なにもかもが未定のままR&Dをするのがうちの会社の特徴でして。なもんですから、海外版などにいたっては、あまりに未知数すぎて、あまり海外のフアンの方から期待させるととても心苦しいのです・・・。とほほほ。

しかし、内蔵マイクでの音声認識はなかなか問題がありですね。というのもシーマンというのは単語認識の場合、最低同時で認識語が100くらい持てないと会話がおもしろく広がらないのです。なもんで開発チームはとうにDSでの音声認識をあらめております。DSiでの認識テストはまだしていませんが、それに先立ち、代替の、"シーマンらしい"おもろいインターフェイスメニューにむけてのR&Dを去年はやってました。こうう「あたらしい仕様」を考えるのは本当に楽しい。

ま、うちのチームから出るソフトは、これ以外にもいちいち新しい試みを仕様に入れようとする癖があるので、いつどうなることやら・・・。iPhoneみたいに承認落ちのリスクも大きそうですしDS初の「成人専用ソフト」なんてことになるのかもしれませんね・・笑  

期待に応えられるようがんばります。Domo Arigato Gozaimas!

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すごい人

今日はちょっとした昔話。

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むかし、大企業でサラリーマンをしていた頃の話ですが、その会社には「社内有名人」という人が何人もいました。

ある日、ちょうど人事異動の季節ですが、その一人の方の部下になると内示されたのです。これから部下になる身としては、興味もあって未来の上司に関する情報収集するわけですが、その人に関してはみな異口同音に「あのXXXさんは、すごい人だよ」といった表現を使うのです。

いざその方の部下になって、その方の社外の人脈とも交流ができるのですが、こちらもみなさん揃って「XXさんは、すごい人ですよね」というわけです。

たしかにその人は、すごい人でした。いろいろとたくさんのことを教わりました。しかし、何がどうすごいのかよくわからない。なにか、いろいろと、すごいのですけれど・・・。

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いま思うと、上昇志向が強く若いサラリーマンというのは、ちょうどツッパリ学生と似ていて、エネルギーの矛先をどこに向けていいのか変わらないまま、なにかと自己アピールするものです。でも、これという自分のアイデンティティーがみつからない・・・。

その方も、名の知れた有名人と対談した本を自費出版したり、考えられないほど広い異業種人脈をあつめてパーティーをしてみたり、突拍子もないボランティア活動を実践してみたり、と、とにかく精力的にその「すごさ」を発揮する人でした。むろん営業成績もトップでした。

80年代では、そういう人を「スーパーサラリーマン」などとメディアは評していたものです。
20代前半の平社員の僕は「すごいなぁ」とうらやましく見ていたものですが、同僚と飲んでいてある日、はたとある疑問に至ったのです。「"すごい"って日本語は、英語でいうとなんという言葉になるのだろうか?」と。

議論した結果、たぶん、すごいってのはveryではないか?という結論に至りました。
「となると、veryのあとの形容詞は何だ?」
「とくにそこは無いんじゃないかなぁ・・」
「ないということは要するにそれが何だかわかんないということか?」
「そうじゃないか?」
つまり、すごいの先がよくわからい。結論が不在なまま、「とにかくすごい」というわけです。たしかにそういう人でした。

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僕が一人で独立してクリエーター人生を歩み始めたとき、とある別の先輩が独特の関西弁でこうアドバイスをくれたことを覚えています。
「おい、斎藤、おまえ仕事が墓に彫られるような仕事をせいよ」と。
つまり、XXXさんに可愛がられたとか、YYYさんから優秀といわれたとか、そういう相対的で曖昧なことは墓には彫られない。そういうことに甘んじるのではなく、瀬戸大橋を造ったとか、月論着陸をしたとか、とにかくその仕事の意味が絶対性を持つ仕事をしろ、とそういう意味でした。

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僕は一度きりの会社勤めをやめてからというもの、一度も雇われたことはありません。雇われ人には向いていない。おそらく同じ理由から、ゲーム作りもいわゆる「受託」という形態は一度もやったことがないのです。

だからなにかとリスクがあるわけですが、そういう独立系会社の社長というのは、資金繰りやらその他の危機的なことやらで鬱気味になったり人間不信になることも多々あります。それでも、どういうわけか、サラリーマン時代とくらべると「なんでも屋」の殻を一つ突き抜けた爽快感が日々にあります。ちなみにその上司だった方も、脱サラした今では本当の意味でのすごい人、となりました。自分ののれんで仕事をすると、サラリーマン時代とは違って「目的」というのがはっきりしてくるものです。

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「あなたはどういう人ですか?」
そう聞かれて自分の仕事をはっきりと語れること、それがいまの僕の生きるプライドです。このプライドを失ったとき、僕はきっと元気がなくなるように思います。

若い時期、自分の人生の指針があまり明確でないとき、しかもやり場に困るほどエネルギーが対内からみなぎって有り余っているとき、周囲の人は「とにかくすごい人」なんて表現を使ってしまうのかもしれません。だとしたら、この「すごい人」というのはあまり健全な褒め表現ではないということになる。

15年前に独立してから後の僕は、零細企業という小さな枠のおかげで、目指すべき指針も、そして同時に超えなければならない課題も、すごく明快になった。いま振り返ると、それらが自分の中で明確になったとき人は頑張れるのではないかと思います。その力点が明確であることが、人のアイデンティティー、つまり元気の源ではないかと思うのです。

僕が、どういうわけか「小さな会社がすき」な理由は、たぶんこのあたりにあると思うのです。(すこし自己暗示的な今日のブログでした)

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追伸

かつてiPhone用に開発を公表していたGABOが、いつ完成するんだ?という質問を多くいただいています。実は、とうの昔に完成しています。ですがそれが公開されないのは、実はapple社の審査で否認されてしまった(笑)というのがその理由です。北京原人とのインタラクションが「不快表現」みたいな理由でした。(←この日本語表現は正式な翻訳ではありません)

その開発スタッフが、連絡が着たときにはすでにシーマンDSの開発に組み入れられてしまっていたので、やむなく修正をあきらめた、というのが真相だったりします。

またしかるべき時期がきたら、再度取り組みたいと関係者一同思っていますので長い目でご期待ください。とほほ。

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靴下の左右差の見分け方

うちの会社は毎年仕事始めは明治神宮に初詣をすることにしています。

今年も、5日の午前十時に、神宮前のあたりに集合し、そして参拝を済ませ、お神酒を飲んで、午後は会社に戻りちょっとした会議をします。どういう会議かというと、昨年の今日に各自が書いた抱負を配布し、読み直すというものです。それを読んだ上で今年の抱負を書きなおすというものですが、一年前の自分が書いた抱負目標を読み直すというのは、あたかもタイムマシンに乗ったような気分になります。

そして、それらをもとに全スタッフで、自分たちのどこが良かったか、どこが良くなかったか、を意見交換したり反省したりするわけです。ちなみに、この手法は、過去の自分が教師になるという変わった手法ですが、一年間を振り返るにはなかなかお勧めのやりかたです。

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そんでもって、一連の議論の最後に、社長の僕が思うことを話すわけです。

今年は、「靴下の左右差の見分け方」という話をしました。むろんこれは単なる一つのたとえなのですが、どういうことかというと、人は自分の脱いだ靴下の左右を見分けることができるが、それをきっちりと論理的に定義することはとても難しい、という話です。僕らが新機軸のゲーム企画及び開発の工程でやっていることは、そんなようなことですから。

さて靴下の話にもどりますが、僕の場合だと、たとえばジムのロッカールームなどで、左右を見極めて自分の脱いだ靴下を履くわけです。つちふまずのへこみ具合や、外側の膨らみ具合などから左右はわかる。しかし、その見分け方を論理的に定義するというのはとても複雑で面倒なことなわけです。

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これは、「人間の脳が当たり前に判断していることをプログラムで判断させようとした時に発生する複雑な処理の記述」と言い換えることができます。OCRとか、音声認識とか、いやもっと単純なパターン認識などは、こういう作業をこつこつと積み上げた結果ということになります。こういう場合、プログラマーの技術の真髄は、「対象の特徴をどう見るか」となってきます。その妙技はプログラムをするコンピュータディスプレイの中ではなく、外、具体的には自分の脳の中にある。自分の脳の中にあるものを自分の外に出す、それがむずかしいというわけです。

もし仕事で、左右の靴下の判定プログラムをつくるとなった時、企画者はプログラマーにどのレベルまで数値化した仕様を伝えるのが正しいのか? プログラマーも経験値をもった一人の人間ですから、下手に数値化なんかせずに「左右を見分けるプログラムをつくっといて」でもいいのかもしれません。でも、そうもなかなかいかない。実際に挙手を求めたら、「靴下の左右を見分けられない(そういうことを考えたこともない)」という人もいました。そうなると、はやり誰か見分けに長けた別の人が、丹念にそれをたくさんの条件文にするという役割分担の必要があるということになります。プログラマーとしては「言われたとおりにやるからきっちりと仕様を切ってくれ」ということになってきます。こうなったとき、つまり観察者と記述者が異なる人物になったとき、開発の効率は極端に落ちてくるものです。逆に言うと一人の脳がこの両方をやったとき、ものすごく高品質で高スピードな開発が可能になる。

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 正月の朝日新聞にも掲載されていましたが、都会の人間がスクランブル交差点などで見慣れた「人の群」を再現しようとするとなかなかおもしろい。タワーでも、大玉でも、この次にやりたいタイトルでも、群衆は僕にとって大きなテーマです。この動きを新入社員のプログラマーが研修的にプログラムしようということになりました。

さて、では、この「群れ」をどう定義するか?
いつも見慣れているものだけに、「どこかがちがう」というところまではテストプログラムを走らせてみてわかる。が、では、「なにがどうちがうか」となると、よくわからない、という問題に直面しています。

物事のどこをどう切り取り、どう組み立てれば、事象を模倣をすることができるか?
その視点こそが、優れたコードを書いてきた伝説プログラマーが持っていた天才性の源ようにも思えます。

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謹賀新年

あけましておめでとうございます。

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今年はソウルで新年を迎えました。晦日はホテルで紅白の生中継を観て、初日の出を浴びながらKoreanAirlineで帰国です。

年越した気がしない、という声が最近あちことで高いですが、これはどうしてでしょうかね? ちなみにソウルでは大晦日も街中にじゅんじゃんクリスマスソングが流れっぱなしなので、妙なもん末気分がまだ頭の中から離れません。それはスターバックスもグランドハイアットのロビーも同じですが、やっぱ25過ぎたらクリスマスは姿を消してくれないと・・・。

そんな中で年を越したもんですから、ちょっとおかしな年末気分のまま帰国となり、不思議な気分で東京の元日をすごしています。

ま。それはそれ。

では大晦日のソウル市内のどうでもいい風景を撮ってきたのでいくつかご紹介することにしましょう。

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△青いサンタ(のような人)が明洞の繁華街を盛り上げてくれます

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△ベッカム似のペコムド(?)という人が日本語の看板に登場しておりました。

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△ひねったキムチの正体とは!?確かめぬまま帰国してしまいました・・。

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ということで、どうでもいいような新年のごあいさつとなってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。