斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
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Appleキーボードを風呂で丸洗い

MSofficeと完全互換のiWorks09は、アップルが提供するMac環境のビジネスソフトです。
この評価版がアップルのサイトで無料ダウンロード提供されていたので、使ってみて、いまでもそのまま常用しています。
何がすごいかっていうと、機能そのものは大雑把にいうと同じようなものですが、インターフェイスが格段によい。それから各種描画などの処理速度もとても早くて、たとえば、文中に貼られた写真をマウスで移動すると、文字群がぴろぴろぴろりとリアルタイムに動き出し、それはまるでゲームのよう。そして価格も、ワープロ、表計算、ブレゼンテーションの三種の神器で8800円、MSOfficeの数分の一というのが、金欠者にはとてもありがたい。
最近のアップルは利益が出ているせいか、いろいろと周辺製品に勢いがあるなぁ、という印象を抱かせます。

で、このiWorlsに魅せられて「自宅のメインデスクトップを、も一度マックに戻そう!!」・・とも考えたが、金欠の折30万円台のMacProは避けて、mac miniという廉価のCPUモジュールをフレッツ同時加入などで6万円弱にて購入したのであります。(現在使っているネットサービスがそろそろお役御免という方は、量販店だとネット同時加入で3万5000円ほどパソコンが安くなります)
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余計なキーボードやマウスも同根されていないこのMac Mini、これはなかなかオススメだわ。ちなみにマックOS-Xは、WIndows用の2ボタンマウスで使用することを強くお勧めします・・。

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さて、長いこと処分に困っていた、かなり古いキーボード、たぶんCUBEの頃のものと思われるアップル製のもの、がずっと自室にあったのですが、今日はそれを思い切って浴槽の中で丸洗いしました。スケルトンの内外にホコリと、ポテトチップスのカスと、タバコの葉と、その他ありとあらゆるゴミを抱え込んでいるこのキーボードは、そうでもしないと、使う気になれない・・・。スケルトンじゃないとなかなか気づかないけれど、キーボードの中ってかなり荒れてますよ、皆さん。嘘だと思ったら覗いてみましょう。

で、も「電子機器類をそんな扱いして大丈夫なのか?」
という話ですが、わかりません。いま、彼はしずかに、その濡れた体を自宅の片隅で乾かしているところです。明日かあさってになれば、その答えは出るでしょう。
ただこれは僕の推測ですが、「電源の入っていない電子機器って、意外に水に強いのではないか?」と思っていまして、かつてポケットに入ったままの携帯を洗濯機でフルに洗ってしまったときも、乾かしたら見事に復活した、という経験がその経験測を後押ししています。

丸洗いしピカピカになったキーボードが本当に復活し、あたらしいMacと機能するのか?というどうでもいいような実験結果については、後日ここで報告することにしましょう。

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形容詞という魔物

今日車を運転している際に、ラジオから聞こえてきたFM番組。それによると、今年の2月3日はメンデルスゾーンの生誕200周年の日だそうです。
その番組曰く、メンデルスゾーンは作曲家としてだけではなく、一度見た譜面や聴いた楽曲を詳細に記憶する能力に極めて長けていたそうな。完成した協奏曲の譜面が、演奏前に失なわれたのですが、彼は記憶だけですべての譜面を書き直し、その後発見されたオリジナルの譜面との間違えが、なんとわずか7ヶ所だけだった、という話。
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僕は、クラシック演奏には疎く、譜面がどけだけの分量のものかよくわかりません。なので、7ヶ所の間違えが、どれだけすごいことなのか、もわかりません。
ただこの番組による「わずか7ヶ所だけだった」という形容詞に込められた、「きっとこれはあり得ないくらい少ない数字です」というニュアンスに流されて「それはそれはすごいんだろうな」と理解している自分がいるのです。
もし
「じゃ聞くけど、他の作曲家はどれくらい間違えるものなの?」
そう聞かれたら、僕は何も答えられない。そう、実は、僕はメンデルスゾーンの記憶力の偉大さについて何もわかっていないのです。
僕たちが記憶している情報のうち、形容詞の部分はもしかしたらかなり放送局の主観かもしれない、なんてこを考えてしまう。
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メディアの人はいつでも「事実を正確に伝えなければならない」という使命感を持っています。
ですが、長年メディアを見ていると、だんだんメデイアとの接し方もこなれてきて、番組内に「あれ?」という表現が、平然とおかれていることに気づくようになります。

最近ですと、「いまの麻生政権をどう思いますか」という街頭インタビュー。
新橋の機関車前などでロケした会社帰りのサラリーマンたちが各々の思いを語るのです。その大半が「麻生さんはもうだめだ」みたいなコメントなわけです。
こういう報道が続くといつしか「麻生政権はもうながくないな」という風潮があちこちに生まれてくる、これがいつものプロセスです。
街頭インタビューが、何人の人に行われ、どれくらいの人数が不支持で、放送はそのどこをつまんでいるのか、は、まったくわからぬまま、「編集」のさじ加減が僕らの印象に残る。それはまるで先述の、メンデルスゾーンの「わずかXXXだけだった」という印象表現と同じです。
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朝青龍は、数字で結果を証明できる分野の人でした。なので初場所前のやじ報道を封じ込めることができた。政治のように、評判が悪いからといって国民に真意を問う必要はない。しかし、政治のように、答えが出るまで時間がかかったり、結果が見方によってかわるもの、だとメディアの力は絶大です。
いまの日本にとって、本当に必要な総理像はどんなものなのか、そして彼に政治をどうしてもらうすることなのか?とても大切なことなのに、その答えが、少なからずメディアに影響されている自分が歯がゆいんだな・・・。