企画の道具(アウトラインプロセッサーの話から続いて)
思考が、目と、そして手と密接に関係していることは誰しもご存知のとおり。ということは、その先にある道具がどういう形態か、も重要な意味を持つ。
つい一昨日前、何年も前から企画していてずっと煮詰まっていた案件に風穴が開き、光がさしてきてくれた。こういうときはいつもは「神様が降りてきた」、と表現してきたのだけれど、今日はその時使っていた「タブレットPC」という愛用の道具の話。いやむしろ、企画者の発想が、20年以上進化しないコンピューターインターフェイスの奴隷(?)にならないための話、ともいえるかな。
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僕が(メールチェックなどのためではなく)ふだんの商売道具で欠かせないのが、このタブレットPCとなるだろうか。スタッフや関係者の間では僕のタブレットフェチぶりは有名なのであるが、簡単に説明するとタブレットPCというのは液晶部分が(ちょうどDSのように)ペンタッチ入力になっているもので、一般的にはWIndowsマシンである。(Mac版に期待)
2003-2004年くらいに製品がたくさん発売になったのだけど、結局売れず今ではわずかなメーカーが細々と発売しているだけ。
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さてこのタブレットPCは大別すると二種類あって、キーボードつきと、ピュアタブレット(キーボードなし)がある。
で、僕が使っているのは後者で、NECのVersaProというモデル。2004年に発売されたモデルで、会議で僕が使っているのを見た人は「あれ?これすごいですね!」とびっくりするんだけれど、実はもう製造中止になっているものだ。
これを使うとすごく気持ちがいいのであるが、たぶんペンで書くと使う脳の部位も異なるということではないだろうか? キーボードよりも右脳に近い部位とか。
△Alan Kay氏が70年代に論文で描いたパソコンの未来型"ダイナブック"
とくにDSのタッチペンをイメージして企画をする人にはこれ以上有効なものはないと思う。操作をイメージしながらそのまま画面構成をどんどんと膨らませていけるのだから・・。
さて、このタブレットでどう企画を太くしてゆくかという話になる。僕の場合は、二種類あって、ひとつは、ターゲットとなるテーマがまだ定まっておらず、頭の中でもやもやしているものが何かを突き止めたいとき。もう一つは、ゲームの構成要素が明確に定まったあとで、(操作イメージを含めて)それら要素をどう視覚表現するか、を考えるとき。(人間の脳が追いつきにくい分後者のほうが実は大変である)
これ以外にはほとんど使わない。
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まず前者の場合、僕の場合は『ことば』を頼りに作業をすすめてゆくことになる。頭の中に漂っている「匂い」を構成する要素を羅列して書き出してみるのだが、そのときにアウトラインプロセッサーとコンビで使う。
書き出した「ことば」は、あくまで「匂い」への紐付けにすぎないわけで、いわば自分専用のアイコンのようなもの。そのために手書きをサポートするアウトラインがありがたいのである。いいかえるとこのとき最終形がゲームでるあことを忘れてはならないわけで、単なる「ことば遊び」で閉じていては、企画は会議室から出けれないままいずれ座礁してしまう。理由はゲームは画像をともなう構造表現だから。
だからこの「匂い」なるものが果たして会議室から(開発という)大海原に出て行けるものなのか?という疑問を試すとき、イメージ(画像的なもの)を添えてあれこれ多方面から自己テストするのである。彫刻に似ているプロセスである・・・うまく言えないのであるが、ちょっとわかりにくいですかね(笑)
ここで大事なことは、これら画面にうつっているものはすべて自分にとってのヒント集にすぎないこと。やっぱりイメージが結像しているのは自分の脳裏であることに違いはない。その証拠に、第三者が見てもさっぱり意味不明だったりするし、それでいいと思う。そのためには、キーボードマインではなく、フリーな入力のほうが制約がないのでいいという意味でのタブレット。
ここで気をつけなければならないこと。それは、ことばというのは絵と違って一人歩くすることである。うかつな段階で人に見せ、ことばの部分だけが関係者の先入観となっていかないように注意が必要である。(この先入観が「先入観だった」とわかるのは開発が佳境に入ってからだったりするからね) ま、所詮、ゲームの企画なんて永遠に紙上に完結することなんてないのですが。
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さて、後者の場合、その用途はもはやスケッチブックに近い。画素の精緻さでは万年筆とスケッチブックの方が断然に上だから、精緻さが実は重要な人はお気に入りのノートとペンでもいい。
タブレットPCを使用するときというのは、あくまで便利なノートとして、と考えていいと思う。PCというのはワードやメールができたり、webをみたり、つまりいろいろできるわけだけど、タブレットPCは「文房具」として捕らえることに大きな意味がある。すこし贅沢な使い方であるが、仕事の道具というのはそういうもんだ。欲を出して周辺機器を一緒に持ち歩くと、混迷してくる。
では「なぜキーボード付きではなく、ピュアタブレットがいいか?」というと、PCに向かう背骨の角度がそれぞれ違うから。ソファにふんぞり返って右手のペンで考える姿勢、それがピュアタブレットに向かう姿勢だ。パソコンが従で自分が主、の関係である。これには重さも薄さも、すべて関係してくる。冒頭の、「手と目が思考に大きく影響する」という話がこれである。マウスの奴隷みたいな姿勢でまともに脳が動くか、という話もこれに関係してくる。重要なポイントでる。
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後者の用途において、タブレットPCがスケッチブックより優秀なのは、その後に続く工程(伝達)においてに限られる。描いたものは、そのままメールで送信でき、あるいはカラープリンターで美しく複製できる。
ま、こういう「伝達」とか「説明」というのは言い換えると、他人のために行うことである。自分のためだけに行うのであれば、紙がいちばんいいかもしれないと僕も思っている。だから次に紹介するのはは、他人に説明する後工程があるときの話。
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さて、企画はいつかどこかで人に伝える時期がくる。どう理解させるか、が生命線なのが、ゲーム企画というやつである。重さも形も。みたことさえもないものを開発チームに作ってくれ、となるわけだから。
すでに美しく書かれた文章とか、書かれた図というのは、見る側からすると説得力が、実は、ない。説得力があるのは、かかれるプロセス、つまり時間軸。オリエンテーションしてくれないかぎり、紙だけで企画の中身なんて、伝わらないものなのです。その伝わらないものを一般的には「ニュアンス」などというけれど、そんな曖昧なもんじゃない。企画というのは構造的なものだ。その結果だけでは意味不明なものだ。
もし配布された書類だけで各位が内容把握できた企画があるとするならば、それは危険でもある。そこにはかならず推測とか解釈が働くからいるからで、大勢で一つのモノを作るとき、この解釈というのがもっともやっかいだ。とくに新機軸の場合、似て非なることを思い描いている、なんてケースが大多数だ。その誤解を解くには、「プロセス」ごと見せないとならない。ノッポさんたいに実演しながらドキュメントをつくるわけだ。
なもんだから、自分の場合は、タブレットで描いたイメージを、(ケーブルでつないだ)会議室のプロジェクターで大きくスクリーンに映しだして説明する。このときのタブレットPCの威力が発揮される。
大画面に映った絵に、矢印とか、赤丸とかをつけながら、つまり描きながら説明する。質問も「ことば」ではなく、具体的に「ここ」とか「そこ」になる。・・・そう、タブレットPCは、単にペン描きのプレゼンテーションの道具として驚異的に便利なのである。紙を配布するのとちがって、参加者は全員でおなじもの(=スクリーン)を見ることになる。これがとても重要だ。各メンバーが下を向いて、バラバラと違うページを見ているのは、わざわざ会議をしなくてもできることだ。会議の主役は人間でないとね。
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長くなったので、またこの続きは書くことにします。
そういえば、NEC製の極薄タブレットPC "VersaPro VF11F/GL-R"は数年前に製造中止となったため新品は市中にはほとんどない。なぜ売れなかったのかは、サイト上に残る当時のメーカーのPRを見ればわかる。何に使ったらいいかはだれもわかっていなかったくらいにしか思えない。
さてこのタブレットPC。以前は、秋葉に専門ショップがあって、メーカーに掛け合って追加製造を仕入れてくれていたのだが、そこもなくなってしまった。最近は世界に残るわずかなピュアタブレットは超レアアイテムとなっていることはヤフオクの価格をみればわかる。
愛用マシン、いろいろなところに持ってゆくからハードディスクががらがらと音を立て始めていた。「壊れたら大変だ」と思っていた矢先、新古品をネットで偶然二台発見し、先日そそくさと両方とも購入した次第である。
使いたい人は見つけたらラッキーです。こちらによさげなものが3台だけあることを見つけたけれど・・。