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<第七回>回転構造をゲーム作品に取り込む

数回にわけてご紹介してきた
「大玉」というゲームですが、それでは、できあがった「大玉」というのは
果たしてどんなゲームなのか、それを例にしながら、
ゲームの回転構造について、お話しします。

●●「大玉」ってど゜んなゲーム!?●●

まず、ゲームをひとつの絵で表現するならば、
こんな絵になります。(制作協力 ファミ通編集部)



以前にもたとえましたが、
ピンボールとラグビー(orアメフト)の
融合みたいなゲームです。

●●ゲームの「軸」とループ構造●●


わたしはよく、ゲームの企画をするときに
「軸」という言葉をつかいます。
「軸」というとまっすぐな
直線をしているように思えますが、ゲームというのは前回お話したとおり、反復できる相似形というか、なんとなく回転運動をしている気がする。
じっさいに形があるわけではないので
感覚的なものですが‥‥
何もしなければぐるぐると
回り続けていて(アイドリング)、
なにか入力すると、形がすこし変化して、
そのまままたぐるぐると回転しながら入力を待つ‥‥
この構造を文字で書くことができないので、
ゲームの企画はともするとややこしく思われがちです。
でも、実はとても簡単なんです。
(これを企画のループ構造と以降よびます。)
テトリスに代表されるように
基本のループ構造は簡単なほどゲームはいいと思います。

●●「大玉」の企画の軸●●

大玉を例にその構造を説明します。
スタートと同時に出陣しゴールを目指す
「釣鐘衆」(画面中央にいる釣鐘を担いだ人。
ラグビーで言えば、ボールをもった選手にあたります)を
上の図の左手奥のゴールまで導いてやれば、クリアです。


とはいうものの、そうはさせまい、
という敵が左手から現れては
彼らを押し戻そうとしてきます。



このままですと、釣鐘衆は敵に押し戻され、
やがて自陣まで至るとゲームオーバーと
なってしまいますから
なんとか彼らを押し返さなければなりません。

そこで、味方の兵を出陣させるわけです。



出陣した兵は釣鐘衆を守ろうとしますから、
敵味方との間で前線がつくられ、
スクラムのように勢の多いほうが
この前線を押し上げてゆきます。



残念ながら味方の兵数は限られていますから、
このままですとそれでもどんどんと
押し戻されてしまうことになります。
そこで、「声の指示」と「大玉」の出番です。
声で「みぎ」と指示を出すと、
フォーメーションが下の図のようになり、
前線突破を試みます。



敵陣が瞬間的に押し上げられたところに
大玉をうまく撃つと、
敵兵を拿捕し味方にすることができるわけです。



これを繰り返しながら、
つまり敵を撃ちつつ味方兵を増やし、
ゴールを目指してゆくというゲームです。
この「繰り返し」というのが大玉という企画の
基本ループです。簡単でしょ?
ここに肉付けをしてゆく要素が多々ありますが、
それらが「コマンド」とか「イベント」
「バラメーター」と呼ばれるもので
企画の軸を際だたせるものですが
軸そのものではありません。

●●回転を見つけよう●●

ゲームを企画するとなると、ストーリーを直線として考えようとする人も多いようですが、
それだとたったひとつの物語を追いかけることになるので反復性が薄れることになります。それに対してテトリスのシナリオに終わりはありません。
限られたピースが、ちょうど数字のように、クリアするとすこしづつスピードが上がりながら、ただ同じ構造を繰り替えすだけです。
言い換えると、たった数種類のピースで、このゲームは無限に続くのです。プレイヤーはそれまで培った知識を駆使して、すこしづつ高まる難易度に挑戦しつづけるわけです。これはすごいことです。(無論、それがゆきすぎると指先の反射神経を競うゲームとなってしまいますが・・)

道を歩いていて、この循環・回転する構造を発見することが私の趣味であり仕事です。
物事を『循環』『回転』としてとらえると、社会がもっともっとゲーム的に見えてくるからです。

すでにおわかりのとおり、ここに「物語」とか「シナリオ」はありません。
主人公がどうする、という直線的な記述はあまり意味がない。ここにあるのは、構造です。構造で何かを表現する、というのは、文字の発想をしていると難解に見えます。
でも一度身に着けてしまうと、いろいろなものが表現できるようになる。
世の中には、一歩引いてみると回転や循環しているものがたくさんあります。
一番簡単なものは、「すうじ」でしょうか。
0
から9までの10の数字で、すべての分量を表現してしまう。これはすごいことです。
ループする構造にすることで人間は無限を手に入れたのです。
日本の昔の単位だと、「億」とか「兆」とか「京」とか、さらにその上のものまで、
桁が上がるにつれて単位をいちいち命名しなければなりませんでした。
西暦に対する元号もしかり。元号の名前が有限である限り、未来を定義できなかったものを、桁上がりを反復することで無限に図ることができるようになったのです。

自然界にも回転反復する構造のものはいくらでもあります。たとえば水と雨と地球環境、あるいは山手線のダイア、はたまた虫の一生と産卵、など、すべてのものは「回転構造」、「循環構造」として捉えることができます。

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<第六回>反復と予測

高校生のためのゲームクリエーター講座、今回は書き下ろし新作です。
足りないところが多々あった過去連載だったので、今回は勝手に追加してしまいました。
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写真は六本木ヒルズの正面のものです。
一見時計のように見えるが、時計ではない。
何年間かは忘れたけど、その間は同じ数字の組み合わせにはならにないしくみにつくられた、いわばインスタレーションアートである。

同じ数字の組み合わせがない、となると、ここに表示されている数字は、その期間内では時刻の絶対座標ということになる。
「61478のときにここで待ち合わせね」なんてね。

でもね、同じ組み合わせがないということはさ、待ち合わせができないんですよ。予測できないわけです、それがいつなのか?
いつどんな数字がくるのか、予測できるから「待ち合わせ」が可能なわけです。

人間というのは、繰り返し・反復によって、未来を予測するというすべを見つけてきたのです。
たとえばさ、ソフトバンクがボーダフォンを買った値段は1兆円を越えるとニュースでやっている。
でも一兆円って、どれくらい?と子供たちに聞かれると僕たちも見たことがないから、こういうふうに説明するわけです。
「一兆円ってのは一億円の一万倍なわけで、一万円の一万倍が一億円、だよ」と。

一万円ってのは、家庭でも手にしことがあるし実際に日常で使っているから、それらを反復させて類推する。
子供たちは、つまり人間は、こういう形で大きな数字や未知なる数量を理解するわけです。

古代文明が発生した場所にはかならず定期的に氾濫する河、の存在があります。
河の氾濫は、それまで漠然と訪れていた日々に規則性のヒントを与えてくれた。人々はそこに「周期」があることを発見し、やがて「こよみ」を発明したわけです。

でもそれだけでは不正確ということで、さらなる微修正を加えることで「こよみ」の精度を増していった。この手法って、実はすべての知識獲得にあてはまる手法で、エイズの原因究明から青色発光ダイオードの発明にいたるまで、人間は森羅万象を克服するために、実験データから「規則性」をまず見出し、それを反復することで未来や未知を手に入れる術を身に着けてきたわけです。

「文明は規則性を見出すことから開拓されてきた」といいます。(←注;これ「知の技法」という本からと書いたけど、確認したら記憶違いだった)

ゲームも同じと思います。簡単な仕掛けを反復で力を増幅できる。それによって困難を克服するからおもしろいし、力をつけた気になれる。だからゲームデザインの手法というのは、ひとつのパターンの「相似形」を膨らませてゆくことだと思うのです。これが「ループの反復」です。

ゲームというのは、知の獲得そのもの、の縮図なんですよね、画面からじっさいに炎を出すことも、地面を揺らすこともできない。知の中で痛みを表現するわけです。まさに学習のプロセスそのものを具現化したものだと思うのです。

でもね、ゲームが開始されてから、ずっとおなじことの繰り返しでは飽きてしまう。かといって、まったく異なるアイテムが次々と導入されたのでは、いつまでたっても掌握ができず、結果つまらない。そこには規則性が必要です。それをすこしづつ応用(=変化)させながら、あたらしい未知を掌握してゆく。このプロセスがおもしろい。飛びすぎると理解がおいつかないし、このさじ加減がバランスということになる。重要なのは、構造が、相似形でつくられているということではないだろうか?
規則性を見出せば、次に何がくるかを予測できるし、逆にその推測を生かしてステージを進んでゆけるわけで、それがとてもうれしい。そこで重要なことは、「推測可能」だからゲームになり得るわけです。よいゲームというのは、同じ手法でありながら、より難易度が進むから面白い。そこには文字通り「ルール」が必要なわけです。くそげーというのは「よくわからない」「一貫性がない」ものにつけられることが多い。

「ゼルダの伝説」が面白いのは、新しいアイテムが古いアイテムの応用になっていること。
たとえば、「たいまつで蜘蛛の巣を焼いて進める」というのは、感動したのですけど、この話を宮本さんに聞きましたら「そういう理屈としては意識してなかったけど、とにかくひとつのアイテムで三つくらい使い道を考えてね、とだけ指示をした」という。

この「ひとつのアイテムでみっつくらい」という指示が、宮本氏の勘というやつで、いま述べてきた反復を見事に実現しているわけですよ。

宮本さんというのは、僕のように理屈を語る人ではなくて、感覚で判断をする人です。だから任天堂の宮本さんや手塚さんと話していると「なんか気持ちよくない」とか、「ここはうれしい」という言葉がよく出てくる。この「うれしい」という表現、これとても重要だと思います。正解だったらほめて欲しい。これも人間が学習する上での必須条件です。任天堂のゲームは、正しいときは「正解だよ!」と思い切り褒めてくれるでしょ?

「気持ち悪い」とか「うれしい」という表現だと、ともするとクリエーターのわがままと誤解されてしまいがちだけど、任天堂の方々は、長い歴史の中でその真意がわかっているのでしょうね。とても重要なことです。
でも僕らのように歴史の浅いチームでは、たれかがそれをきちんと理屈でまとめていかないと、「職人芸」という一言でまとめられてしまう。
だから、僕はこうやって理屈をしこしこと書いているのがもしれませんがね。

ということで、次回は、そのあたりについての最終回となります。

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<第0回>その1 「ワンマン」

(以下の内容は、当時の企画意図の再現性を意図し、
ほぼ日刊イトイ新聞2004年5月13日号に初出した
原稿をそのまま転載したものです。)

ここのところずっと取り組んできた
新作ゲームの話をします。
毎年、E3(Electronics Entertainment EXPO)という
大展示会が米国で開催されます。
今年は任天堂が新しいゲーム機を発表するので
話題となっていますが、
その任天堂ブースで新作ゲームの
参考展示をすることになりました。

今回のゲームのコンセプトは
「零細企業は大手にどう立ち向かえるか?」
みたいなことです。
資金力や人数や規模では勝ち目はない。
チャンスがあるとすれば、
他の会社が持っていない独創的な商品がひとつ。
あとはそれをとりまく社員の情熱、スピード、
そしてリーダーシップ。
今回のゲームは、こういった切り口で
巨大な敵に挑む、そんなゲームです。

●●ワンマン●●

ワンマン企業、という言葉があります。
すこし前の金融会社のスキャンダル報道に
「この書き方じゃ、
 まるでワンマンがいけないみたいじゃないか」
と憤慨している経営者がいました。
この人は裏原宿で美容室を経営している人です。
自らハサミを握り、
十数名の若い美容師を取りまとめて
日々がんばっています。
この一言が、実はとても新鮮でした。
というのも、(私の事務所もワンマンですが)
企業がワンマン経営であることは
芳しくないことと思っていたからです。
しかしこの一言を聞いて考えが少し変わりました。

たしかに
「ワンマンだったから続けて来れたのだろうな」
と思いあたることがいくつもあります。

「ワンマン」
いろいろな意味を持つ不思議な言葉です。
ヒットラーのような独裁者と
イメージがだぶったりもします。

私の周囲の「おもしろい会社」は
どれも経営者の個性が強く、ワンマンです。
責任者のはっきりしない大企業と付き合うよりも
いいバイブレーションで仕事ができるので、
私は好きです。
崇拝する「アップルコンピュータ」しかり。
ですが、ワンマンだからといって
経営者一人ですべてが全うできるわけではない。
彼らが提供するのはバイブレーションというか
ビジョンと言うか、
そういう精神的なものだったりします。
けっして物質的ではない何かが、
社員を揺り動かしているのです。

マッキントッシュの開発チームは
「海賊チーム」と自称し、
ハンバーガーとコークで長期の徹夜を
乗り切ったといいます。
マッキントッシュはアメリカでは珍しく
「自己犠牲」の集積の上に成立した大仕事でした。
途中何度も社員の待遇への不服に対しジョブスは
「旅への参加が報酬だ(Journey is reward)」
といったそうです。
本人たちはかなり大変だったと思いますが、
周囲でその恩恵を享受している者からは
偉業となります。
株式公開するなどして
それがシステムに置き換わってくると、
会社魅力も減り、製品も個性がなくなり、
なぜか業績は(つまらない意味で)安定してきます。

●●一将功なりて万骨枯る●●

さてさて、今回出展するゲームは、
究極の「ワンマン」になるゲームです。
舞台は戦国時代。
プレイヤーは一人の武将となって、城を攻めます。
自兵の数はごくわずかで、唯一の武器は大きな玉。
これをピンボールのように跳ね飛ばして
城壁を壊してゆきます。
道なき道を進めてゆくには、
大きな玉の通り道が必要になります。
プレイヤーはおのずと
(実際の戦国時代がそうであったように)、
兵を駆使して道を造ってゆくことになります。
彼らは自らが橋や柱や道になって玉筋となり、
同時に疲弊してゆきます。
まさに「一将功成りて万骨枯る」の構造です。

途中で敵兵を味方に取り込むなんてこともできますが、
いまの企業のような
ストックオプションなんてものがない時代ですから、
兵たちを進ませるエネルギーは、
兵たちからの武将に対する「信頼度」となります。
兵たちは武将の采配を見ていて、
よろしくない大将だとこの信頼度は下がる。
すると兵のモチベーションも下がり、
やがては指示どおりには動いてくれなくなります。
ワンマンがワンマンでいられるための条件を
この「信頼度」としました。

こんなテーマを選んだのは、
「戦国の兵たちは自分の命を
 どうとらえていたのだろうか?」
という子供の頃からの疑問がもとになっています。
というのも戦国の世に、
兵たちは命令されていやいや戦っていただけとは
思えないからです。
多くの歴史は信長や秀吉のような武将を中心に
綴られてきていますから、
こんな匿名的な兵たちの気持ちを
推し量ることは容易ではありません。
「だったら、いっそワンマン武将になって、
 身内の兵を犠牲にしながら
 進んでゆくゲームをつくってみよう。」
それが製作の動機です。

一年前から開発がはじまったこのゲーム、
完成予定はまだまだ先です。
(発売される保証もまだありませんし。)
ゲームというのは本来秘密主義で
製作が進められるものですが、
今回、日本ではなく米国のショーにて出展
ということにあいなりまして、
(ずいぶんと間があいてしまったお詫びも兼ねて)
皆様には製作意図とともに紹介させていただく次第です。

かくいう私も、この原稿を「ほぼ日」に送信したら
そのまま渡米です。
ということで、もしショーの記事などを
どこかで見かけた際には、
是非この話を思い出してくだされは幸いです。

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<第0回> その2「大玉出展報告」

(以下の内容は、当時の企画意図の再現性を意図し、
ほぼ日刊イトイ新聞2004年6月6日号に初出した原稿を
転載したものです。)

「大玉」出展報告 その1

前回お話したE3の展示を終え無事帰国しました。
このタイトル、名称を「大玉」といいます。
すべてが直前にきまった出展でしたので、
なにもかもがぶつけ本番、といった出展です。
「大玉」の表記が印刷物によって
OdamaとOhdamaの両方が混在するといった
混乱もありました。

そんな準備不足が演出と見られたのでしょうか、
海外のジャーナリズムでは、
「謎の」とか「不思議な」とか
「インパクト」とか「異質の」などといった
表現が目立ちます。
帰国してわかったことなのですが、
このきわめて日本的題材のゲームに対する
米国の反応が意外にも大きい。
三日前には、なんとこのE3の賞に
ノミネートされたという連絡までがはいった。
海外での受賞は何度か経験したのですけど、
参考展示作品でのノミネートなんてことは
前代未聞の経験です。
たいへんうれしいことですが
スタッフ一同びっくりしています。

ゲームというのは
心理学に近い分野で実に興味深いものです。
ユーザーにルールや設定を
受け入れてもらう必要があるのですが、
そのレセプターが思わぬところにあったりするからです。

このへんてこりんなゲームを、
ゲラゲラ笑いながら延々とやっている
アメリカ人の表情をみていて
ひとつ発見したことがあります。
前回書いた「一生功成りて万骨枯る」という
極めて異質なボールゲームのコンセプトを
受け入れるレセプターが
アメリカ人にはすでにあったということです。
それは(たぶん)「アメフト」です。
これは意外な発見でした。
作品展示というのは(宣伝効果とは別に)、
予想外の情報を制作者にもたらしてくれるものです。

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<第五回>孤独なプレイヤーを戒めるキャラクター

(以下の内容は、当時の企画意図の再現性を意図し、ほぼ日刊イトイ新聞2004年2月13日号に初出した原稿をそのまま転載したものです。ただしただし写真を一部追加しております。)

「社長は孤独」とよくいいます。
こと中小企業の社長という仕事をやっていると、
この孤独感をいやというほど味わいます。
むろん社長ですから決めたことは
そのままなんでも通るけど、
誰も叱ったり褒めたりしてくれない。
社員にやっかいな悩みを相談できるわけでもない。
判断の結果だけがあとで無言でひょっこり訪れるだけ。
資金繰りが悪化していたり
在庫の山が倉庫にうなっていたり、
はたまた社員が突然退職してゆくという現実だけが
無言のまま顔を覗かせてくるのです。
社長というのは多かれ少なかれ
「誰かに叱って欲しい」と
思っているのではないでしょうか?
(このあたり、社長さんである
 読者の方にうかがいたいところです)

だから大将となるこの『大玉』では、
プレイヤーの采配を叱ったり
褒めたりしてくれるキャラクターを
入れたいとおもったわけです。
最初にネタをばらしてしまいますが、
このゲームのキモは無名の兵たちとの一体感です。
勝とうとするがあまり自軍の兵たちを犠牲にしすぎると
信頼度(海外版では『モラル』と翻訳されています)が
下がり、結果勝てない。
そういうときに
「なにをやっておられるか、親方さま!!
 なさけない、いや実になさけない!!」
と叱ってくれる人がどうしても欲しかったのです。
怒られているのに嬉しくなってしまう、そういうキャラ。

でこのキャラクターは誰? ということになるわけですが、
企画段階から大滝秀治さんと決めていました。
それ以外に考えられなかった。
伊丹さんの『あげまん』に出演されている大滝さん、
『八つ墓村』の弁護士を演じる大滝さんが
つよく印象に残っていたのですが、
格別印象深いのは黒澤明さんの『影武者』で
仲代達也さん演じる武田信玄に檄を飛ばす大滝さんでした。



大滝さん、果たしてゲームなんぞに
出演してくれるのだろうか?
民芸という劇団に最初に電話したときは、担当の方も
「ゲームの何ですか!?(理解不能)」という感じ。
何度かお電話しているうちに、
「‥‥お引き受けできるかわかりませんが、
 では大滝宛の手紙を書いてください、
 そのまま渡しますから」ということでした。
お気に入りのウォーターマンの万年筆で手紙を書き、
私の経歴書と簡単な企画書、
そしてケーキとともに劇団事務所に置いてきて
待つこと2週間。

その間気が気でないわけですが、
地元のバーでは近所の外野が
「浅草の××(という一杯飲み屋)に
 よくみえるらしいから待ち伏せすれば?」
とか
「関根勤さんにお願いしたら」
とか、合格発表をまつ受験生のように茶化されるばかり。
(麻布十番の地元常連は、
 私の大玉を肴にするものだから、
 制作の一部始終を知っています)

そんな夢がかなった時というのは嬉しいものです。
まさに天にも舞い上がるような気持ち。
自分は「大滝秀治」になりきって
声を出しながら原稿を書く日々が続いたわけであります。
かなり変だったと思います。
海外でも通用するような、
まるで音楽のような日本語にしたいと思ってました。
だからなるだけ独特の言い回しを
強調して書くように心がけました。
駒場東邦中高等学校(私の母校です)の佐藤健二先生、
アドバイスありがとうございました。
そして2004年9月17日。
大滝さんが手にする事前にFAXした台本には
かなりかきこみがはいっている‥‥。
そして開口一番こう質問されました。
「さて、と。まずこの映像はどこで流れるんですか」
「テレビからです」
「どうやって?」
「ゲームの機械をつなげるんです」
「ほう、それは、みんなもってるわけ?」
「そうです」
「売ってるの?」
「売ってます」
「いくらで?」
「1万円くらいです。」
「で、その機械はどんな形?」
「これくらいの箱です」
「ほぅ‥‥。そこに100円をいれるの?」
「入れません。ソフトを買っていれるんです」
「ソフト‥‥、カセットみたいなものですか?」
「そうです」
「じゃ、この映像の舞台となる絵か何かありますか」
「‥‥これです」(画面のプリントアウトを見せる)
「景虎(主人公の名前)はどこにいるの?」
「手前のここです」
「源信(敵)はどこ?」
「ここにはいません。一番最後に出てきます」
「どうやってそこにいくの?」
「合戦に勝ってゆくとそこにいけるんです」
「負けるとどうなるの?」
「勝つまで何度もやるんです」
「なんども?」
「ええ‥‥」
「‥‥だったらここはこうはいわないでしょう」
インタビューでは「ゲームに疎い」、
とおっしゃってますが、大滝さんはおそらくこのときに、
本作品の本質を直感的に
すべて把握されたのではないでしょうか‥‥。
出来上がりをゲーム映像に合わせてみると、
そうとしか思えないのです‥‥。

大滝さんのインタビューはホボニチのこちらに載せてあります。

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<第四回>カオスに中心を・・・音声認識の導入

「大玉」の中心的な要素である釣鐘衆と、そして音声認識は、密接な関係があります。今回はその話をしましょう。

●カオスに中心を

ここだけの話、大玉は、本当はもっと戦略的なゲームにしたかったんです、すくなくとも初期のうちは。
たとえば、カーソルを兵に当ててコマンドを個別に出せるようにしこまかく兵を地形に沿って移動させる。などね。
当時は、兵の中心になる「釣鐘衆」などはいませんでした。ところどころに落ちているアイテムに兵を集めて衆ができるという機能はありましたけど、それ以外はただたくさんの兵が戦っているゲームでした。
で、実際にやってみたのですけど、これがユーザーにはわかりにくい。
誰を何人移動させればいいのか、ただかカオスのように兵がいるだけではどこを見ればいいのかわからない、ということになったわけです。台風の目のようなものがない。だから散漫になってしまう。


▲中心的存在がなく、ただただ兵たちがいるというバージョン(E3version2004)

そこで、視覚的に中心となる「目玉」を入れようということになったのです。
それが兵の象徴「釣鐘衆」でした。
どうせ中心ならば最初から最後までこれでいこう、ということで、ゲームの始まりから終わりまで全部この衆を誘導させる、ということにしたのです。


釣鐘衆が登場して中心をもたせたバージョン(E3version2005)

こういう軸をひとつはっきりと決めるという行為は、勇気がいるものです。それまで作ってきた微妙なニュアンスを白黒はっきりとさせてしまうことにもなりますからね。
いまこうして書くと「最初からそうすりゃいいじゃん」と思う方もいるでしょう。人にそう言われる仕様は「いい仕様」と思っていいと思います。賛辞だと思っていい。
作り手というのは最終的に一番よいものを発見できればいいのです。その試行錯誤の近道を未然に予測することは不可能です。
逆に言えば、ゲームづくりには、そういう段階というのが必ず開発途中に一度や二度はあるものです。状況がよくない時にでる意見というのは、いろいろです。逆の意見も平気で横行します。そのときにベストと思われる策を慎重かつ大胆に判断できる人さえいれば、それでいいのです。

おおだマイクの登場

それからもうひとつ実験してわかったこと、それは、プレイヤーにさらにコマンドを追加操作する余裕がないこと。ただでさえピンボールをしているのですからね、いわばジェットコースターにのっているような状態です。「うわぁー」となっていて、コントローラーに目を戻すことなどできない。むしろこれがこのスピード感が大玉のいいところなわけですしね。
ということで車の操作と一緒で、ゲームというのは細かく指定できればいいというものではない。オートマ車のように行こうとなり、それで、「声の指示」となったわけです。”おおだマイク”の再登場というわけです。

大きなコマンド、細かい変化

「おせ」とか「あつまれ」とかいった簡単な声のコマンドをこのゲームではマイクを通じて出すことが出来ます。
文字にするとたった一言のコマンドで表現されていますが、現実の人間がそうであるように、言葉はひとつでも実は内部で処理していることは多岐・複数にわたっています。
簡単な例でご説明しましょう。
「おせ」といった時に兵は何秒間がんばってくれるのか?
「あつまれ」といった時にそれに向かうのは全員か一部か?タイミングは一斉か?
連呼したときは兵は続けざまにがんばれるのか?
連呼しすぎてコマンド予約がたまったときに次のコマンドはいつ聞いてくれるのか?
など、ちょうど、意を解釈する判断がこのプログラムには必要になる。でないとないとロボットの理解と同じで、へんちくりんになってしまう。大雑把な指示でありながら適当なさじかげんにするためには、けっこうややこしい処理を内包させることになります。
社長が秘書に「今日のレストランは雰囲気のある場所を頼む」じゃないですが、これこそが「大雑把コマンド」の利点なわけです。

兵のパーソナリティー

兵の一人ひとりにはパーソナリティーを持たせたいと考えていました。
そのために当初からやりたいと思っていたことで、あきらめた仕様のひとつに、「虫むがね」というものがあります。
合戦上の好きなところを虫めがねで拡大すると、レンズの向こうで兵たちがカメラ目線になって「腹が減りましたぁ!」とか、「もっと援軍をおくってください!」といった、いわば愚痴や要求を「音声」で出すというものです。(大玉に限らず私はこの虫めがね機能が好きでして)
ところが、先述したポリゴン制限のせいで拡大に耐えらるクオリティーではない、などいくつかの理由からこの件は没にならざるを得ない。
ディレクターの岡安氏は、おそらくげんなりした私を見かねたのか、「こんなのだったらできますよ」と見せてくれたのが、今の仕様にはいっている「吹きだしに文字で」というものでした。
僕はもともと文字でセリフを表現するのがとても嫌いでシーマンをつくった背景がありました。
でも、この仕様はとても面白いと思いました。私の中からは決して出てくるモノではない。ならば、と企画スタッフらとさらにこの仕様を発展させたのです。「この言葉は一個一個は読めなくていいから、あたかもサブリミナルのように瞬間的にでて消える」、とすることで、文字をアイコン的に使うことに成功したと思います。

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<第三回>本開発でわかる企画の落とし穴

●●本開発開始●●

大玉」の本開発のメインプログラム部分はすべて、岡安啓司さんというディレクターが率いるチームにお願いしてスタートすることになりました。プロトタイプ(試作)をお願いしていたチームはタイミングのずれなどから本開発への参加が見送りとなったのです。
 そもそも開発を社内で行わなかったのはGameCubeの開発経験とノウハウの蓄積がなかったからです。経験豊富なチームとコラボすることで完成をなるだけ急ぎたかった。このときはまさかここまで時間がかかることになろうとは予測しておりませんでした。

 さて、実は、開発に時間がかかった、といっても、規模が大きすぎて手が及ばなかった、といった類の理由からではありませんでした。理由を正直にいうと、ゲームがなかなか面白くならないのです。おなじ企画のまま手を変えてずっと攻めているのですが、その試行錯誤に時間をかなりとられました。
今回は、企画段階では予測困難な開発の壁、についてお話します。

●●最初の壁"Re-playabily●●

まず最初の壁は、「このゲームは長時間あそべるゲームか」という任天堂からの疑問でした。任天堂はこの点についてとても慎重でした。
長時間プレイできるゲームをつくるには二つの方法があります。

1. マップ数やルートをたくさんつくる。
2. (テトリスのように)シンプルだが何回もプレイしたいゲーム性をもたせる

 1は、物量作戦ですから、増やせば増やすほど長時間あそべます。本でいうと分厚くするわけです。その分エンディングまでの道のりは遠大になります。私は分厚い本はあまり好きではありませんので、2のような、ちょうど薄いが何度も読み返す詩集、のようなゲームでありたいと考えていました。いや、たぶんどんな企画者もそうだと思いますが、後者の方が明らかにゲームとしては洗練されていると感じるわけです。
 そこで、もし2でいくとなると、「長時間=何度でも」遊べるような、つまりリプレイアビリティー(re-playability)が必要となってくるのです。
ところが、この「リプレイアビリティー」というのは、企画書上では測定することが極めて困難なのです。

 この点は任天堂から本開発へのGOサインが出るまでなんどもディスカッションがもたれた、まさに「最初の焦点」でした。対戦型にできないか、あるいはマップ数を100に増やせないか、などなどいま思うとぞっとするようなアイデアも出てきました。しかし幸いなことに、ちょうどこの時期、開発費用が膨大になる重厚長大ゲームからのユーザー離れが指摘されていた時期であり、いまのNintendoDSがそうであるように、任天堂タイトルも一般ユーザー向けにLight & Cheapを目指す転換期にあったころのようです。

当初の企画段階ではマイク入力が企画されていた「大玉」も、マイク製造の予定が明確にはなかったため、途中で、タルコンガ ( ドンキーコンガに付属の太鼓デバイス ) に企画を切り替えていました。結果的には、このタルコンガをオプション対応させ、「 2 人プレイなどいろいろな遊び方ができる」という方向性で行こうという決着をみることになります。 ( このタルコンガは気に入っていたのですが、諸事情から後に没になり、マイクデバイスへと回帰してゆくなど誰も夢にも思いませんでした )

第二の課題「兵の数とふるまい」
そして二番目の壁は、「どこまで 3D の兵を出現させることができるか」。 試作品は処理落ちを避けるため 2D の板ポリ兵を動かしていたのですが、それですとカメラ位置を変えるとばれてしまう、ということでの 3D 化です。

●●第二の壁「兵の数と振る舞い●●

そして二番目の壁は、「どこまで 3D の兵を出現させることができるか」。 試作品は処理落ちを避けるため 2D の板ポリ兵を動かしていたのですが、それですとカメラ位置を変えるとばれてしまう、ということでの 3D 化です。

処理落ちというのは、描画計算が本来の時間内にでききれず、アニメーションの動きが遅くなってしまう現象をいいます。いわばコンピューターの限界値です。企画ごとに異なる要素が多すぎて、これらの上限はつまるところ実際にプログラムを組んで動作させてみないとわからないものです。
シミュレーション系のゲームというのは、ユーザーによって展開がかわる性質を持っています。出兵させる兵数もしかり。何人の兵を戦場に出兵させるか、はユーザーの判断でかえられるというのがおもしろみでもあり頭痛の種でもあるわけです。
「タワー SP 」のときもそうでしたが、「最大何人の住人が移動できるのか」は企画段階ではわからない。開発途中であっても他の処理との兼ね合いで上下するわけで、これはすごくやっかいな問題です。
 ですからシミュレーションゲームのやっかいなところは、可能性として考えられる「上限値」を基準にしなければならないことといえます。画像表現が「しょぼい」となりがちな理由はこれです。しかもひとつの画面内にすべて表示しなければならない。ここがシナリオ型タイトルとの最大の違いということになります ( 実は誰も気づかないと思いますが、「大玉」では面ごとに出てくる兵の最大数が違います )

●●「どこまで兵のポリゴンを下げていいですか?」●●

初期に岡安氏から頻繁に確認された質問はこれでした。
「もっと下げちゃって結構です」きまってこれが私の答えでした。
「人間らしさは、俯瞰した時の動きで表現しますから。」得意げな口調で私はそう付加したものです、これがあとで泥沼にはまる原因になると思わずに。

人間はエンターテイメントにおいて、ことゲームにおいては、実際の世界とは異なる世界を体験したいものです。私は兵たちがわらわらと交わる合戦場をすべて神の視点で俯瞰(ふかん)させたいと思っていました。しかもそこにリアルタイムに介入したい・・・。
 一般的に物語りを伴うゲームの場合、3D処理落ちの問題を回避する手法として、主人公に部屋を移動させたり、場面をかえたり、あるいは回想シーンを挟んだり、ムービーでつなげたり、といった、実は一度に見える範囲を制約することで品質を維持することを行います。しかしピンボールが高速に移動する「大玉」では、こういった手法は使えないことがあらかじめわかっていました。
「最大何人の兵がだせるのか」を限界まで引き出すために、本タイトルにおいては、兵一人ひとりのポリゴン数(CGオブジェクトを構成する多面体の頂点数)をぎりぎりまで下げています。クローズアップ画像で兵のからだがほとんど板のように見えるのはそのためです。

●●単体ではなく群で表現する●●

「大玉」のプレイ画面を見た人は、まずば爆笑します、人種・国籍をとわず。
私は、ゲームにおける「笑い」というのはとても重要なサインだと思っています。これは「完全に理解し、緊張を解いている」という状態だけが出すサインだから。
 ボーリングのピンが吹っ飛ぶのをみて笑う人はいません。「大玉」で爆笑させられているのは、プレイヤーがそこに兵たちの人生を感じているからです。「一生懸命に」「わらわらと」「無力にも」「不運に」といった兵たちの人生と、それに反して冷酷なまでの「大玉」の威力。プレイヤーは知らず知らずにこれらの起承転結を脳裏で構成しているのです。
 こう言葉でいうとたやすいのですが、いざこれらを言葉を使わずに「絵」だけで笑わせるというのは、四コマ漫画の手法に似ていて、けっこう高度です。これを実現するために、兵たちがロボットのように見えないように状況によって「ゆらぎ」を与え、あたかも意志を持っているように見せる必要がありました。
 たとえば「集まれ」というコマンドで呼び寄せられる兵たち。普通にプログラムされたものでは、だれもが一斉に、一直線に、同じルートで移動を開始してしまいます。まるでロボットです。
 これでは誰も笑わない。かなりよくないサインです。


●●文字では表現できないもの●●

 出陣するときは、元気よくいっせいに、でも中盤あたりでは、疲れているから、ばらばらと、ちんたらと、といった表情を、一人ひとりのモーションとしてではなく、全体として表現するには、兵たちに条件文を持たせることになります。これが、仕様書では、もはや、伝えられない、ちょうど映画監督の演技指導のような状況を生み出すわけです。しかも演じてみせる、ものではないので、プログラムを変更しては再度プレイする・・・。これがかなりのストレスとなって企画と開発の間に立ちはだかった課題だったといえましょう。場所が近ければ頻繁にやりとりできるのでしょうが、遠隔でとなると、深夜まで延々と電話で数百・数千の言葉を駆使して岡安氏との議論を繰り返すことになる日が続きました。

企画合宿でのスナップ。朝方撮ったもの。どろどろでしたね、Nくん。

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<第二回>企画書とプレゼンテーション

前回は「発想」に関して触れました。今回は「企画」についてお話します。
 大玉の企画を任天堂さんにお見せしたのは、2003 年の初頭のことです。見せる、といっても自分の頭の中を見せることはできませんから、企画書という資料をつくってのプレゼンテーションということになります。
 企画書というのは、一般的にプレゼンテーションのために作られる資料といわれています。でもゲーム開発においてはそうではありません。企画者が、何か創作物を思いついたとき、それを言葉ないしはビジュアルで表現する、それが企画書であって、その意味では私はまず自分のためにつくりはじめます。私はこの企画書を書く時期が一番すきです。企画書の作業がそれ以降の作業と一番異なること、それはたった一人でできる作業であることです。何も書かれていない紙に自分のアイデアを書き連ねること、これは企画者にとってこの上ないよろこびですから。
 ではなぜ企画書がプランナー自身のためかというと、紙の上にアイデアをつづってゆくうちに見えていない部分があからさまになってゆくからです。ことゲームではこのプロセスが大事です。
 まず初期の大玉の企画書をここでいくつかお見せしましょう。この企画書の日付は2003 年3 月になっています。(あ、言い忘れておりましたが、自分のための書類であっても日付をいれることは大切です。こうして過去を振り返るためにも。)

上にある第一回目の企画書はイラストなどによってビジュアル化されています。それぞれの個性が光るイラストですが、おのおのが全体のどこにあたるのか、抽象的つまり断片的であることがわかります。全体の企画が難航していることがはしばしに表れています。(蛇足ですがここに描かれている内容は開発時期に困難とおもわれたことは変化しています。しかし音声認識機能については企画初期から明記されていました。音声認識は、このあと一度ボツになり、そして後半戦になって不死鳥のように復活することになります。この機能によって大玉は泥沼から救われることになりますがそれについては後述します)

●●何度も没になったプレゼンテーション●●

さて、私の場合は、この大玉というゲームでは大きいところで4 回プレゼンテーションを行いました。最初の2回は、企画を理解してもらうため、3回目は、契約に際しての確認、そして4 回目は試作が終わりいよいよ本開発に進むか否かを判断する上でのもの、でした。いいかえると私は3回プレゼンテーションで落第しかけているのです。何回プレゼンしても「それでもわからない」といわれた企画が「大玉」だったのです・・。
 さて、上記のプレゼンテーションより行程がさらに進んでくると、3 ヶ月のプロトタイプ(テストプログラム試作)を経ているので、企画書はかなり具体性を帯びてきます。

こちらの企画書は、4 回目のプレゼンテーションで使用したものです。イラストよりも表や図が多くなってきています。全体の関連性の中でそれぞれのアイデアが企画者の頭の中でかなり具体的につながりはじめていることを表しています。
 しかし、実際のゲームをプレイすればわかるのですが、このゲームの一番の特徴は、たくさんの兵がわらわらと動いていること、そしてそこに大玉が絡んで作用しゲームプレイに影響してくることです。
 こういったダイナミックな動きは、それでも紙の上には表現されていません。最後まで紙の上でシミュレートすることができなかったのがこの部分でした。企画者とプログラマーとの意思の疎通が一番大変だったのが、紙では書ききれないこの部分でした。
 今振り返ってみると、大玉ほど企画書が無力なゲーム企画はなかったと自分でも思うことがあります。しかし企画書はそれでも何度も何度も書き直されファイルされていったのです。それは、つまり、自分の頭の中に動いている環境を静止させ固定するための最低限の努力だったのかもしれません。なぜならば、これらの企画書をいちばんチェックしていたのは企画者でありプロデューサーであった私自身だったからです。

●●企画書の最初の1ページ●●

企画書には何がかかれていなければならないか?という話になります。
 とくに発案した初期のもの、これは完成度は高くはありませんが、とても重要です。「自分はそもそも何をしたかったのか」について一番純度を高く認識できている時期だからです。ですから私はまず最初の1 ページ目にかならず設けるページがあります。それは『コンセプト』と呼んである項目です。この1 ページ目に書かれたこの内容は、他のページとちがってとても重要なのですが、それは前回にお話しした三つの要素が具体的な言葉に置き換わって書かれているのです。これはちょうど国の憲法のようなもので、ソフトが出来上がるまで決して変えてはならない礎となります。企画者というのは開発が進むにつれて、そもそも自分が何をしたかったのか、わからなくなってしまうことがあります。そういうときに、つまり道に迷ったらここを見よう、というものが発案したときに書かれたこの「コンセプト」です。
 私は大体2-3 行で、しかしなるだけ条件付の文章と独特の言い回しでこのコンセプトを書くようにしています。
 たった三行の文章で何が語られるべくもないのですが、書いた本人であれば、このページを書いたときの企画のにおいや皮膚感覚まで思い出すことが出来ます。それがこの企画を進める上での前提になるわけです。これがころころと変わるようでは欠陥住宅といわれてもいたしかたがありません。
 要素大きなゲーム会社に勤務するクリエーターの方々には、この企画書をあまり書かないで開発工程にはいってしまう例があるようです。それは社外からの提案とちがってプレゼンテーションがさほど必要ないからでしょうか。
 ですが、企画者が最初に書くこの企画書こそが、ゲーム作りの屋台骨となります。
 どんなに言葉が達者で、それを聞いた人が「なるほど」と思ったとしても、企画書でならなければらないのです。というのも言葉というのは線形をしていて、点や線の役割を果たすことが出来るけれど、面になることはない。だから口にしているアイデアがただの断片かそれとも全体がひとつのループとして閉じてきているか、企画者自身をふくめて評価する側全体を見渡さないとわからないらからです。後述しますが実際にプログラムを作る上での設計図面にあたるものは「仕様書」とよばれます。別の専門家が関わって書かれる別の内容のものです。
 企画書というのは、詳細が書かれていなくてもいい、いや書かれていないほうがよいものです。まずは外観があればいい。紙上にアイデアを綴ってゆくうちに見えていない部分があからさまに見えてくるからです。ゲームソフトを複雑な建造物に喩えるならば、企画書は完成予想を描いたラフスケッチのようなものです。「スペイン風の平屋建てのホテル」などと言葉で表現するのとは大きく違うのです。
 ですから、この企画書がきちんと書けないのは、実は企画者の頭の中でまだ企画が出来上がっていない証拠です。
 さて、冒頭のプレゼンテーションに戻ります。大玉が、では任天堂の審査を通ったのはなぜか?という話になります。これは任天堂さんの投資判断です。「わからないならばやってみよう」となるか、それとも「わからないから止めておこう」となるか、これは仕事の流れとして、お金を出す人が判断することです。
 こういういくつものハードルを乗り越えながら、企画はテストされます。ですからチャンスをものにしてきた「プロ」というのは、実はプレゼン(以下そう省略します)に一発で合格する人を指すのではありません。建築家がそうであるように、プロだからこそどんどんオーディションやコンペティションを落ちるべきです。落とされるとプライドが傷ついた、などといって、せっかくのその企画を取り下げてしまったり、あるいはその会社そのものへの提案をやめてしまう人を周囲でみかけます。これがゲーム業界を不毛にしてきた要因ではないかとすら私は思うのです。せっかく何年もの間暖めてきたアイデアが結実したのであるならば、そのネタを何度でも手を尽くしてプレゼンを繰り返すのがプロだと思うのです。延べ数時間におよぶディスカッションの末、任天堂さんの会議室には疲労感の空気が漂い始めました。
 その雰囲気を察知してか「いくら考えてもわからないから、三ヶ月間だけ試作をやってみようか」宮本茂さんが笑いながらそういってくれました。宮本さん独特の「勘」でしょうね。そしてこの瞬間が、大玉の開発が進み始めた瞬間といえます。

●●通りやすい企画、通りにくい企画●●

通りやすい企画、通りにくい企画なんて言葉があります。大手企業のプロデューサーの人は、新機軸のゲームというのが紙で表現したり判断するのが困難ですから、ともすると、誰もがイメージしやすい内容、具体的にいえば有名なヒット作の焼き直しや続編、を提案してしまいがちです。そのほうが考えるのも楽ですし説明されるほうも想像しやすい。
 ですがそういう方法ばかりを選択しているとやがてゲーム業界というのは焼き直しみたいな作品にあふれたものになってしまいます。独自性にあふれた企画というのは、その中で競合がいない。存在が新鮮なのです。企画者というのはリスクをとってでも、そういった新分野のゲーム制作にチャレンジしなければなりません。それを狙った大玉の開発チームに課される試練は、ここから始まったのでした。

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高校生のためのゲームクリエーター講座アーカイブ

高校生のためのゲームクリエーター講座

*************格納倉庫***************

 こちらのメイキングは、任天堂さんとのサイトOdama.jpおよびほぼ日刊イトイ新聞にて連載した大玉のメイキングを転載・再構成したものです。一部新たに書き起こしたものも追加してゆく予定です。
大玉というゲームのメイキングを通じて、ゲームとはどのようにつくられてゆくものか、どんな問題があるのか、などをご紹介してゆきたいと思います。むろん中心となるのは、私の専門である企画立案の分野です。(プログラミングの手法、グラフィックツールの使い方、といった工程については特殊な内容なので踏み込んでおりません。)

専門的な業界の人でなくても読んでいただけるように、すこしわかりやすく簡略化して書いています。
つまり「高校生のための」と名づけたのは、ゲーム・クリエーターになりたい人というよりも、専門知識はないが、自分の仕事のヒントを探している人、にも読んでいただきたいからです。以前に連載していた「中学生のための」、という連載よりすこし具体的な話をしよう、という意味も込めて「高校生」としました。

ではでは、どうぞお付き合いくださいね。

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第一回 「企画と発想」

(この章の内容は、任天堂株式会社との共同特設サイトOdama.jpに初出した原稿をそのまま転載したものです。)

●●発端●●

「いつこんなゲームを発想したのですか」とか「どうしてこういったゲームを企画したのですか?」
 新しいゲームを発表すると、国内外を問わず雑誌の取材で必ず聞かれるのがこの質問です。こと「大玉」は海外先行発売でしたから、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、さまざまな国の雑誌から同様の質問を受けました。

●●「大玉」はたぶん幼少の原体験などから●●

私たちゲームプランナーというのは、仕事ですからいつも頭の中にたくさんの引き出しをもっています。どれも完成形とは程遠い、ネタ帳のようなもの、いわばアイデアの断片のようなものです。いよいよ新企画をまとめなければならない、となったときに、これらの引き出しからいくつかのアイデアを引っ張り出してあれこれ組み立ててゆくわけです。
 それでは「大玉」の発想はどうなのか?という冒頭の質問にもどりますが、今回は2001 年か2002 年あたりのある晴れた平日の午後、自宅の部屋で、「ピンボールの玉で次々と建造物を壊しながら、マッブが変化し進む」というゲーム映像を頭の中でぐるぐると考えていたときに発想しました。実は、この感覚、つまりピンボール玉でミニチュアの建造物を破壊する、というのは、それより以前からずっと頭の中を去来していたのです。たぶん幼少の頃に目の当たりにした「あさま山荘事件」の映像がつよく影響しているのではないかと思います(クレーン型鉄球によって山荘に穴を開け篭城していた犯人が逮捕されたという事件でインパクトある映像が日本全国に生放送された。プロジェクトX などにも取上げられています。)ま、なにぶん潜在意識のことなのでたしかなことは自分でもわかりません。
 でもこれだけではゲームとしては成立しないことは自分でもわかっていました。物語が一直線にすすむ映画や小説とは異なるのがゲームです。つまりゲームの企画というのはプレイヤーがいろいろな角度からチャレンジできるよう、立体構造体のような形をしています。客観的に数えることはできませんが、三つの要素が必要だとおもいます。

●●三つの交叉する要素●●

1.プレイヤーが行う基本操作・・・基本性
2.それを阻む一長一短の選択要素・・・プレイヤーが介在する余地
3.それらの状況がすべてひとつの画面内に表現されること・・・表現性

大きく分けるとこの三つがゲームのデザインには不可欠です。

 この三つの要素が交差したときにゲーム作品はうまれるのです。私たちゲーム企画者の頭の中にはつねにネタになりそうな候補が引き出しに入っていて、それら引き出しの中身をあちこちと、まるでウィルスの遺伝子のように組み換えられながら、化学変化をしてうごめいているのです。それがある瞬間交差したときに、ゲームのアイデアが浮かんだ、となるのだと思えます。これが四つだと軸が多すぎてあとに続く企画作業が複雑になります。また、二つでは立体構造がつくれないように思える。私の企画法ではこの段階ではちょうど『三つ』必要なのです。

 「タワー」ではビルを建てるという基本行為が1にあたります。でもそれだけだとただ建物を大きくするだけでゲーム性はきわめて薄い。
 そこで「建物を大きくしすぎて住人の待ち時間がたまると退去して家賃が入らなくなりその結果ビル建設が中座する」という要素が重要になります。これが2にあたります。3はエレベータの待ち行列とビルの断面、エレベータそのものをすべて画面表現した結果となります。
 この三つの中でいちばん重要とわたしが思うのは・、2の要素です。ともすると基本のプレイを否定するブレーキのような要素。これこそがゲームがゲームでありえるためのエンジン部分であり、ユーザーが介在することで自己表現できるパートとなるわけです。
 さて、この平日に話しはもどります。ここでの大玉は、ピンボールで建造物をつぎつぎと破壊し進んでゆく、という視覚的な楽しさとカタルシス程度しかありませんでした。もうひとつの要素・・・いうまでもなく2のトレードオフ性ですが、これがないのでゲーム性がなかったのです。
(“ピンボール”という要素だけではコンピューターゲームの存在理由とはならない。巨大なコストをかけてわざわざやる意味がないですから。)

●●この日の場合は何が交叉したのか!?●●

この日自宅で作業(といっても人からはボーとしているふうにしかみえないでしょうが)していたこととは、もうひとつ新しい軸をここに加えようと思考をめぐらせていたことです。
 そう考えてその数分後、もしかしたら十数分あれこれ考えているうちに、ふとフリッパーと建造物の間にたくさんの兵が戦っているという映像が頭の中で像を結びました。タワーがそうであったように、、勝ち進もうと玉をバンバン打っているだけでは、兵たちはどんどんと少なくなってしまう。敵の兵は補充されるが自分の兵はそこをついてしまう・・。群集がそれぞれ個性を持ち、彼らをうまく扱わないと思ったように動いてくれない。これが大玉の基本となったわけです。この時点がおそらくこれが最初の「大玉」の発想といえるのではないでしょうか?

企画者によって、その複数の軸が見事に交差した瞬間というのは、まずはゲームの企画が産声をあげた瞬間といえましょう。企画者にはそれがわかっているから「これはおもしろい」と喜びのあまり飛び上がらんばかりに興奮するものです。このときもそうでした。
 私は、ゲームというのは箱庭だと思ってます。建造物だけでは人は感情移入ができないのです。人がわらわらとそこに去来することで盤面に生命が宿ります。
 ですからこの状態まできて、はじめて「ゲームの発想」が芽を出したといえるのかなと思います。