斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

|

猪瀬直樹さん

猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」を初めて読んだとき、ずしんというインパクトを後頭部に受けたような記憶がある。

「土地の神話」「欲望のメディア」と続けて読んで、僕の第一作になる「財閥銀行」(1993年/東京を舞台にしたシミュレーションゲーム)の副読本の参考にさせてもらった。

ただ参考にさせてもらうだけでは申し訳ないので表敬訪問し、そのまま副読本の監修もお願いした。

それ以来の関係だから、猪瀬氏とは16-17年の関係になる。「シーマン語録」の解説やアスキー版の「林檎の樹の下で」の解説で執筆いただいた。逆に猪瀬氏の連載にも何度か僕の名が登場したことがある。初めてお会いしたのがまだ20代だったので、僕のことを「斉藤青年」と呼ぶ癖が氏にはあって、「もう青年じゃないですよ、中年です、いい加減にしてください」と苦言したら、そのやりとりがそのまま文春の連載に載ってしまったこともある(笑)。

東京都の副知事になってからもこの不思議な関係は続いていて、時おり、雑談を肴に酒を飲む。氏の視点で見た都庁の内側というのがやけに面白くて、僕はいつも耳を傾けて爆笑してしまう。

今日聞いた爆笑話は、幹部会の会議弁当の後日談。詳細は割愛するが、「役所ってのはそういうありえないことが起きる場所だ」と、いつものべらんめえ口調で笑わしてくれる。

*************

僕の次作のテーマは、以前に一度取り組んで頓挫したままになっている「空港」であるが、氏の今の仕事のテーマも「空港」。

ずいぶんな年齢差だけれど、分野を超えて、立場を超えて、いちど、共作みたいなことができるといいな、思う今日この頃である。

|

長嶋有さん

ここのところ、人生というレベルでなにか転機を与えてくれているような気がする、それが長嶋有氏である。

Epsn6032

芥川賞とか大江健三郎章とか、社会的な大賞をたくさんとった人だけれど、「主宰する同人誌に小説を書かないか」と誘ってくれたことで、文学界(?)なるものがすこし身近な分野に感じられるようになった。

ここのところ小説を書いていて、「なんでこんなに自分は下手なんだろう」と考えていたのだけれど、実はごくあたりまえの答えがある。それは、「小説をよまないから」

今日丸善で買ってきた本も講談社新書の生命系の本ばかりだったし、大きな本棚にある書籍をずらりと見てみてもほとんどが宇宙開発系やら図鑑やら哲学やら宗教やら、とにかくノンフィクションばかりだ。それが自宅と会社の壁一面を埋め尽くしている。

「ここまで偏っていたか」と改めて気付く。要するに「人の心」に興味がないのかもしれない。

********************************

木曜日に、丁寧に赤入れされた僕の原稿を戻してくれた。誕生日プレゼントをもらうよりも、自分の稚拙な作品に赤入れしてもらうことのほうがありがたい。

「自分の色に染めているようで申し訳ないです」という長嶋氏に、「料理は母親の味に似るものですよ」と答えた。作品が無色の人間は、まずは誰かの色に染まらないと始まらない、そう思っている。

「ものづくりを通じてしか人を愛せないのではないか」、僕は自分をそう思うことが多い。それはあまりよくない意味であるにしても、この長嶋氏はいまの僕にとって敬愛すべき人なのである。

|

生きる力 オヤジのパワー

今日、久々に川合俊彰氏と会った。

川合氏は麻布十番「萬力屋」の社長であり、つい昨年末にビル建設のために閉店となった「紅虎餃子十番店」の社長でもある。そしてまた私と縁深き「ゆめしや」の社長であったりもする。

L1023084
△ ライカを見て「それはなんだ?」という川合氏。中延商店街にて

昨年紅虎をクローズし、今年中にはゆめしやをクローズせざるを得ないという。
中小企業経営は、なかなか大変なのである。彼にとっては踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂である。(他人事ではないが)

しかし、男45歳、そう簡単にはつぶれませんぜ・・と中年パワーを炸裂される川合氏。
そのエネルギーの源泉は、酒か?カラオケか?それとも女なのか??
とにかくカッコいいのである。こういう頼りがいのある男はファザコン気味のキャバクラ嬢などにはかなりモテるに違いない。川合氏がキャバクラ通いをしているという噂はまったく聞かないが・・。

日本を支えてきた「昭和の力」は、平成になっても、一部のオヤジ世代の中には健在である。
かっこつけるのもいいけれど、そういう力を、すこしはデジタル業界の僕たちも学んでゆきたい。

これがオヤジのパワーである。それが日本の力である・・・・のかな??

しばらく多忙で遠のいていたが、残された数ヶ月間、"ゆめし"を喰らいに青山に行こうっと。

|

暴力温泉芸者のこと

知人の作家の長嶋さんに連れられて、文学界の受賞式に顔を出した。

今年の野間文芸新人賞は、中原昌也さんの「名もなき孤児たちの墓」が受賞した。

まったくの門外漢ではあるが、いや、あるからこそ、僕はこの受賞を一番おめでたく感じているのではないか、という気がした。

P1010790
△受賞者でなかったら帝国ホテル"孔雀の間"に最もそぐわなかったかもしれないいでたちで登壇した中原氏

暴力温泉芸者という名でミュージシャン活動をしている頃に、そのとんでもない音楽作品に大笑いしたことがある。東芝EMIからかつて出たTowerのCDにも参加いただいていた。

中原氏とはじめてお会いしたのは、とある映画の試写会にてであった。
こちらも長嶋さんの紹介である。

そういったイメージとはうらはらに、中原氏はとてもデリケートで繊細な人だった。そして苦しんでいた。批判すべきものは徹底批判し、その結果多くの敵をつくり、さらにその逆にいる人たちが彼の存在をずるく、うまく利用している、ということか?(あくまでこれは僕の推測であるが・・)。便利に利用され都合よく消費される一過的な物書きとしての存在・・・、これはゲリラ的ゲームの次に進むべき方向を見失いかけている枯れかけの僕に似ているではないか・・と思ったりした。その苦しみ方に、なぜだか共感をおぼえ、アマゾンで何冊か本を買って読んでみた。

氏の作品が今年の芥川賞候補になった時に飲んだことがある。そのときも、実に苦しんでいた。選考される側というのは、そこまで苦悩するものか、というくらい苦悩していた。なぜにそんなに苦しんでいるのか、周囲がよくわからなくなるほどその苦悩はぐるぐるとまわり、けっして地面に着地することはなかった。ひとつだけ僕にもわかったことといえば、氏にとっては、この「金がない」という物理的な状況も大きく苦しみに拍車をかけている、という事実くらいだろうか。「貧困が苦悩の本質ではないとおもうが、かといってあながち冗談でもないように思えた。飲み代をあまりもってない」そういう中原氏は、「不潔にして高潔、貧困にして高邁な理想」(でいいんだっけ?)という古き早稲田学生の言葉を思い出させてくれた。貧乏は恥ではない。そう思える気持ちは、大金が行きかうゲーム業界などにいたおかげで久しく忘れていることに気付いた。

授賞式で中原氏は、見覚えがある茶色いジャージのまま登壇した。おそらくは、会場内でいちばん貧相な服装をしていた。いや、服装だけではなくて一番貧乏であるに違いない。

苦しんで、絶望して、もう小説なんか書くものか、といっていた知人が、世の中に認められ、華やかな壇上に上がったとき、「ほんとうによかったな」と思えた。それは決して彼のためでなく、そこに、もうひとり、絶望しかけている自分を投影していたから。

世の中はそうそうすてたもんじゃない、という希望を、彼の受賞は与えてくれた。ほんの少しだけ、元気をもらって会場を後にした。

文学界のことなどよくわからないが、いま自分がいる業界はすいぶんと恵まれたところなのだ、と思う。

(12/17写真および文章を一部追加)

|

金剛地武志後半

060717掲載

三連休最終日の早朝に書いている。
すっかり夏休み気分なので、週末に会った古い友人について書こう。

*************

かつてYes, mama ok?という音楽ユニットがあった。
僕は、彼らの作品と出会ってからすぐに大ファンとなった。
東芝EMIがTower のトリビュート盤の企画モノCDを出したとき、1996年のことである。
その中の一曲が彼らによるものだった。

その中心的な存在であり作詞作曲を手がける金剛地武志くんは、「天賦の才能を持つ」と僕が思う数少ない人物だ。それからだから、彼との付き合いはすでに10年を超える。

彼は、最近あちこちに登場している「エアギターという変な芸」のコメディアンとして知られるキャラクターとはうらはらに、実に繊細で控えめで、そして思慮深い人物である。しかも世慣れしていないというか純粋すぎて社会への免疫がない。それが友人としての魅力に輪をかけている。

そんな彼の曲がどれだけ優れているかは、Yes, mama ok?のインディーズ時代のCD(入手は容易ではないかもしれないが)を聞けばわかる。
僕が一番すきだったのは「砂のプリン」という曲で、この詩を聞いたら、ありきたりのJ-popなんて聞く気になれなくなる。
それから比較的最後の方に出したCDに収められている「問と解」の歌詞。一昨日車でもらったばからのトリビュート盤を聞いていて涙がこぼれそうになった。このCDは、前日にオサムちゃん(理由あって金剛地氏を僕はこう呼んでいるのです)からもらったものである。

先週の金曜日、つまり「はなまるマーケットみたよ」電話の翌々日、久々にオサムちゃんと、そしてYes,mamaのもう一人のメンバーであるTクン、そしてオサムちゃんの今のマネージメントを取り仕切るA氏、さらにそれぞれの個人的同伴者など合計7名で食事をすることになったのである。麻布十番集合の和可菜寿司の座敷ではじまったこの会合の雰囲気はまさに同窓会だった。オサムが連れてきたMちゃんという女性もミュージシャンだそうだが、むしろその素敵な人柄に、「よかったなぁ、オサム!!」と肩を叩きたい気持ちになった。(もちろんT.Aさんも素敵です>Tクン)

「アニキ、これ、お中元っす」
会の途中でオサムちゃんが、照れくさそうにワインらしき包みを僕にくれた。
お中元を手渡しでもらうことなんて初めてだったが、オサムちゃんから物をもらうのも初めてだった。
まるで出世した卒業生を見る担任教師のように、いたく感動してしまった。

そろそろ、おひらき、というタイミングになって会計をしにいくと、「もういただいてますから」とすし屋の主人がいう。
これもオサムちゃんによるものだ。
自分で伝票を取るなんて、なんと大人なミュージシャンなことか。あまりいないです。

「いつか出世払いで払いますよ」
前世紀に飲んでいたとき(爆)はいつもそういってたけど、本当にそういうのができる人になったんだね!!
金剛地くん、あなたは間違えなく僕の金曜日をとても素敵な日にしてくれました。
本当にありがとう。
Aさん、とてもいい人だから、仕事これからもうまくいくと信じています。

ますますがんばってください。

これからもよろしくね!!!

|

オサムちゃん(金剛地武志-前半)

朝、はなまるマーケットを見ていたら、最近「エアギター」などという安っぽい芸で売り出している一過性タレントが出ていた。

この男の顔かたち、しぐさまでが、僕の弟分のオサムにそっくりなのである。
オサムはこんな二流芸人とは違い、才能溢れるミュージシャンである。実に心に染み入る詩と曲を書く、隠れた天才だ。二人デュオでエドサリバンショーに出ることを誓った中だ。いかんせん筆が遅いことが災いして、テレビのバイトで食いつないでいるはずだ。僕は僕で今の仕事に甘んじているが・・・。

「おい、オサム、お前にそっくりな金剛地とかいう二流タレントが最近でているから、気をつけろ!」
テレビを見終わってすぐにオサムに電話した。

「・・・・・・・」

「オサム、聞こえるか?オレだよ、オサム?」

「あのねアニキ、おれのことオサムって呼ぶの兄貴だけっすよ。」

「おお、聞こえてんなら返事しろよ! じゃなんて呼べばいいんだ?」

「俺の本名はコンゴウチ・タケシっていうんす」

「・・・聞きなれない名だな・・。となるとあのエアギター男とはどういう関係だ? まさか兄弟か?」

「だ・か・ら、あれ、おれっすってば!」

「なに? まさかおまえ、ギター捨てたのか!?」

「捨てたとかそういうんじゃなくてエアギターっていうんでし。あのね、そんなわけのわからないこというの、アニキだけっすよ。オレ最近売れっ子なんで有名タレントとの打ち合わせで忙しんす・・・・きりますね・・・(プープー)」

「!?%$&#"#$#・・・」(アッチョンブリケ)

****************************************

オサム、おまえ、名前も魂も売っちまったのか?
ギターもイシバシに売り渡しちまったのか?
童貞まで金持ちのババアに売り渡してないだろうな!?
一緒にニューヨークに行く夢、忘れちゃいないぜ!!

つづく

|

谷井さんという嫁ぎ先

CMのCGパートをつくってくれた谷井さんです。

写真は、CM編集の合間にスタジオを抜け出して赤坂の街をパシパシと撮影して歩いたときのもの。彼のカメラはロシア製のフィルムで、ちいさなカートリッジをいれるタイプ。昔は、こういうフィルムいろいろあったなぁ。

よく考えたら、僕は大塚商会製のカメラを父に買ってもらったことがある。例によって、店頭でいちばん安いものに落ち着いた。その時の映像をいま思い出した。というか完全に忘れてた、このカートリッジの写真を見るまで。
その後の僕は8mmに走ってしまったので、スチールカメラはそこでおわってしまったけど・・。

谷井さんは先日自慢のコダックのポラロイド機を見せてくれた。考えてみれば、ポラロイドってのも味がある。古いものって、味があると人間思ってしまうけど、これは単なるノスタルジーなんでしょうかね?だとしても、やっぱり味だと思えてしまう。どんなに目の肥えた、そして口うるさい評論家でも、自己の幼少体験には逆らえないような気がする。大人になって、過去慣れ親しんだものを否定することって、人間にはむすがしいのではないか、と。

そんな谷井さんのところに、かわいいデジタルライカを嫁に出しました。
デジタルライカは、気に入っていたのだが、もはやフィルムに手を出してしまった僕としては手放すことになりました。
とても大切にしていたものだけに引き取り手が彼でよかった。

|

うめぼし

とにかく、うまい。見た目はカワイこちゃんですが歌は抜群の二人組みのデュオユニットである。
で公私ともにすっかりファンに。
先日ライブに訪れたのだが、そのオーラというか、とにかくすごいパワーだった。博多パワーに「圧倒」された。(福岡の県花が梅だそうで、そのスターということで、梅星だそうな。)

そんなこんなで次の作品に声で出演してもらっている。
パワーももらっています。
そのレコーディングの待ち時間に近所で撮影モデルしてもらった。
「学生街の喫茶店」風にジャケットデザインし喜ばれるかとおもったら、パリひかれた。

↓これです・・・・

ライブで大玉をほめてくれてありがとう。
次のCDレコーディングがんばってください。

http://www.umeotome.jp/

|

平林久和さん

「斉藤さんっ」
この火曜日、乗車した東海道新幹線で突然声をかけてくれたのが、この人だ。

私の直接の知人の中でおそらく、一番リテラシーが高い人ではないだろうか?
リテラシーってのは、いわゆる読み書きの能力のことだが、論理的に物事を推し図る意味合いがある。
話がとても上手ですが、まさに「文章を書く人」のうまさ。なので壇上に上げると、テーマが絞られているほど、聴衆が多いほど、話が冴える人です。だから、もし僕が女性だったら、ベッドの上でこの人の話を聞きたいか、となると、かなり疑問だが。
だって、論理的に分析されたくないでしょ?(爆)

頭がいい人とはこういう人をいうのではないでしょうか。この人によるものは、文章、講演、会話、どれもが実に論理的なものだから「なるほどねぇ」と、いつも感心してしまう。中でも「ゲームの大学」という本は、かなりの名著だと思う。(実はそれ以外の著書は読んだことがないのです・・)

西に向かう列車の中で
「今は、何をしているんですか?」
そう聞くと、スーツ姿に身を包んだ彼はいつものはっきりとした口調で、こういった。

「人の教育の仕事です。」

聞いてみると、ああ、なるほどですね。働くためのノウハウ、人が育つためのノウハウに、この頭脳が生かされるわけですか。これはかなりたのしみである。
またこの人の話がおもしろい分、新幹線に乗っててどんどんと引き込まれてしまうわけです。
実は、僕もいまは少しづつ、組織をつくることとはどんなことか、に興味が移ってきているけど、そういうことかぁ。立場は違うけどおなじようなことだね。僕は現場で、そして平林さんは体系的に。

たぶん同年齢くらいだと思うのですが、そしてまた初対面からたぶん10年近くたったと思うのですが、とにかくこういう人がすこしだけ近いところで活躍してくれていると、そしてまた、ときどきこういう形で確認することができると、ほっとする。

|

飯田和敏という人

飯田氏は知る人ぞ知る、インデペンデントなゲームのクリエーターである。
「巨人のドシン」「太陽のしっぽ」「アクアノートの休日」など。

で、最近、頻繁に飯田さんと話をするようになった。久々の関係である。

彼が変化したのか、僕が変化したのか、あるいは、かつてはただ飯田氏のことを見ていなかっただけなのか・・とにかく、最近彼のことを、すごく魅力的な人だなぁ、と思うのである。

飯田さんはいま、苦労している、公私ともに。
その苦労との立ち向かい方が、とても真摯で、一生懸命で、しかもぜんぜんかっこよくないところに惹かれている自分がいる。

仕事も一生懸命な人とか会社が好きで、いつもそういう人たちとやってきた。
一番の人と組むよりも、ロマン(死語ですか?)がある。

ちなみに上の写真は、リコーのGRという、渋めの短焦点デジカメに広角をつけて撮った一枚。飯田氏は、このあとに、おなじGRを買ったと聞き、僕はますます好きになってしまったのである。

かねてより、ゲームクリエーターなんて人種はすべてうさんくさく思えていたのだけど、(自分もその一人であるにもかかわらず)、でも、ゲームバブルがはじけて、去る人はみなとっとと去っていった。それでもこの世界に残っている人といのうは、本気じゃないか、という気がしてくる今日この頃。

飯田氏のような人には、プライベートも仕事も苦難を乗り越えて、角も取れて、いい案配のヒット作品をだせるようになってほしい。そのときは、ゲームも一段高い業界になれるかもしれない。ハリウッドの国アメリカにその気配を感じるが、日本はまだどうも刹那的な投資判断として見られがちである。出版社のように「才能を育てよう」、とか、「台本をブラッシュアップして完成度を高めよう」、といった手腕をもつプロデューサーがいない。いるのはせいぜい、「このアニメキャラつかってみたら!?」とか、「XXさんにつなごうか!?」程度の低レベルのブローカー。

飯田さん、がんばってください。乗り越えてください、公も私も。
あなたのゲームは、人を元気にさせる。照れずに、斜に構えずに、ストレートにエンターテイメントしてください。それが今の飯田さんには一番似合う年齢になってきた、と思う。