斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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iPad+Emobileの無線WIFIルーターのコンビネーションを検討中

Emobileの無線WIFIルーターは、5月1日からキャンペーンが始まるという噂でして、そうなると店頭での新規加入時の購入価格分の5980円が1円になるらしいです。

そういう噂を耳にしたせいで、すごすごと今日は買わずに店頭から撤退したのでありました。

この無線ルーターはなかなか優れもので、ポケットにいれておけば周囲の無線LAN対応の機器が5台まで接続可能とのこと。でもこの手の商品には共通の2年縛りみたいなのがあって、その二年間に通信スピードはどんどんと速くなって、結局、「買い増し」という名の機種変更になるのでしょうかね。

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ところで、iPadは、対応アプリが少ないせいか、使っていてまだあんまり面白くない。日本市場むけのiAppもまだだしね。大画面であることが、このiPadの最大の特徴だからiPhoneアプリを小さく動してもつまんない。ただ、驚くべきはバッテリーの寿命でしょうか。もっととんでもないと思っていました。これなら、サブPC買うよりもパフォーマンスが高いかもね。

で、もし3G対応のiPadがSIMMカードとともに購入可能となったら僕は追加で購入しますか?ときかれたら「もちろん」と答えると思う。いろいろと考えたのですが、やはり、この大画面でGPSやMAPを使いたいし、仕事の電話は、大画面に直接かかってきても嬉しい気がするのです。

なもんだから、5月1日から1円のEmobileのキャンペーンの噂が本当だとして、でそれを申し込んだとしても、たぶん数ヶ月で不要になってしまう気がするんだよな・・。どうしたもんか・・・「オレだったらこうす」みたいな意見のある人はどうぞくださいな。

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今日からiPadの試用開始でござる

iPadの試用を今日から開始します。
Wifiモデルなので、まだ大したことは何もできていませんが、バッテリーの持ちがやけにいいな、という第一印象。だって購入してマックに15分ほど接続して、そのまま4-5時間経過しても充電率99%を下回らないのですから(表示上) XPERIAよりも、もちが良い印象なのであります。電話待ち受けがないからでしょうか?たしかにiPodTouchはiPhoneよりもバッテリーのもちが全然いいからね。ま、こればかりは、使ってみないとわかりませんから、また報告しますね。

あ、あと、カナ入力はサポートされていないようでゲス。カナ入力ユーザーは古い、みたいな風潮があるみたいだけど、シフトJISじゃあるまいし、マスターすればこれほど速い入力方法は経験的にないもんで・・。ローマ字入力って所詮タイプ数が倍近く多くなるのでどんなに早くがんばっても入力スピードがでない。一秒間に9-10文字くらいの入力スピードを出せないとなぁ・・それがちょっと気になったところでしょうか。

また報告しますね。

追伸

ソフトバンクのSIMMで3GSモデルに使うと、携帯アドレス)[email protected])は持てるのでしょうか?(実質iPad専用でしょうから持てないのかな?)持てるんだったら、実は3GSモデルはいいかも。この大きさの携帯って、使ったこと無いけど、タブレットPCで音声チャットはなかなかいいですよ。会話にどういうわけか安心感があるんです。
もし持てないのであれば、EmobileのWIFIルーターとWIFIモデルがいいかな、などという印象。モバイルで送りたいメールって、意外に、相手が携帯メールであることが多い。自分も携帯メアドだと、とても便利な気がずる。docomoのSIMMでは、iModeはサポートされなさそうですが・・・。

追伸の追伸

Ethernetに接続したMacは無線ルーターになることが知人の間で意外に知られていません。iPad(WIFIモデル)のオーナーで無線ルーターを持っていない人はいないと思いますが。

Macを無線ルーターにすると、意外と便利ですよ。なにせ、配線や設置にかかるコストとスペースが、ゼロですから。

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iPadの第一印象

昨日iPadを触らせてもらう機会が偶然あって、うれしいかぎり。F川さん、ありがとうございました。

描画がずいぶんと、速いぞ、ってのが第一印象。
液晶のコントラストも高く(薄暗いところで見たせいも多分にあると思いますが)、グラフィック性能もなかなか高い。ゲームデベロッパーにとっては、できの悪くない携帯ゲーム機、といえるかもしれません。いや、もっと大げさにいうならば、これからゲームってのは、お茶の間のテレビでプレイするものではなくなると思うのではないでしょうか。開発者たちは、とはいえコンソールマシンのようにリソースを独占できる環境ではないぶん、パフォーマンスを引き出すのに苦労するかもしれませんけどね。

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以前にこちらのプログで、アップルはタブレットマックをとうぶん出さないのではないか、という発言をしました。ですが、iPadをみて直感したことを正直に話すと、タブレット式マックは、十分あるかもしれません。その意見を撤回するくらいのインパクトと感じることができたからです。もうすこし具体的にいいますと、「指による操作」という文法が、25年間続いたマウスオーペレーションから脱却し、あたらしいコンピューティングを実現するひとつのカギになる、くらいのパワーを感じたからです。

僕は、タブレット型のPCが好きで、いままでNECの薄型WindowsXPモデルを愛用してきました。タブレットの直感的な操作については過去ログを参照していただくとして、ただiPadとの大きな違いは、ペンを使用するという点でした。

WindowsのTabletEditionの操作系で僕が気に入っていたのは、ペン操作=紙とペンの模倣、という点でした。

アップルが開発した、ジェスチャーコマンドやマルチポイント式のインターフェイスは、ですが、同じタブレットといっても、「指先の感覚」を重視ししたものです。ペンの操作感とはまるで違う。マニュピレートという英語がありますが、iPadの印象はまさに「情報をつかんで変化させる」という言葉に近いインターフェイス感なのです。これは、写真やビデオで見てもわからない、iPhoneよりもはるかに大きな実際にさわってみないとわからないものがあります。

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直感的、という言葉が情報デザインの世界ではよく使われますけれど、実は、直感ってのはかなりの詭弁だと思っています。「情報を直感で操作するってどういうことだかいってごらん」と逆質問されて答えられるデザイナーはゲーム業界ではごくわずかです。だって、そもそも情報なんてものは、重さも形も無い物ですから、元来とらえどころがないものなのですから。

それを、各メーカーの味付けとして何か実在するものににひも付けして、たとえばそれは「デスクトップ」だったり、「書類アイコン」だったりするわけですけれど、そのメタファー文法を学んでもらった上での「直感」と名乗っているに過ぎないからです。

たとえば、画面内の人間を動かすゲームがあるとします。その操作を「直感的なものにしたい」、というセリフはあちこちでよく耳にするのですけど、じゃそもそも「人間を動かす」という行為の直感性ってなんだ?となる。これが現実ではどれだけ難しいことかは、誰しもんが苦労しているわけで本来そこに直感などという操作はありえない。

ま、上はひとつの例ですが、いま私たちが雑作無く操作しているアイコンやマウスによるオペレーションは、25年という長い歴史の中で「直感ぽい」という市民権を得た、ひとつの解釈にすぎないものなのです。

Gaboi

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既存のゲームをタッチ式に直すのはたやすいようで、実はこのあたりの「ややこしさ」に直面することになります。たとえばエクセルをイメージてください。複数のセルを連続して選択する、という操作ひとつとっても、あるいはすでに選択したセルに、異なるセルを参照させる、という操作も、タッチ操作ではこの上なくへんてこな操作にならざるをえない。マウスの直感製とは、タッチの直感製とはまったく異なる文法として確立されているわけ。

それほどに異なる操作環境を、「アッブルがいたずらに機種を対応させるとはおもえない」みたいなことを書いたのが、以前のブログでした。しかし、そこまでの教育投資をしてまでやる価値があるぞ、という感触を、はじめてさわったiPadの形状、操作性、に感じたいう次第です。

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アップルの増収増益のニュースが日本の新聞にも今日、あたりまえのように掲載されていました。ジョブスはいま、やりたいことを何でもできる立場にいる人ではないかと思います。そんな彼が、次はどんな発明品を私たちの前につきつけてくるのか? それが楽しみでなりません。

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帰って来たiPodに

ミュージシャンの知人に貸していた古いiPodが帰って来た。

もともとこのiPodは先日他界した父のために戻してもらったものだから、いまになって帰って来ても使い手がいない。

フォーマットしようとおもって電源をたちあげたら、その知人が聞いていた音楽がずらりとはいっていた。
ほとんどが知らないアーチストばかりだった。見ているうちに、フォーマットするのがもったいなくなって来て、そのまま聞くことにした。

以前に、「バースデープレゼント」の回でも書いたのだけれど、自分ではけっして買わないようなものをもらうからプレゼントには意味があると思う。純血主義では発生しない遺伝子組み換えがたまに起きるから。にので自分ではけっしてダウンロードしない曲がどっさりはいったこのiPodは、だからちょっとしたプレゼントのように見えるわけで、すこし楽しみなのです。

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世界最高のエスプレッソ

さて、僕は今日から連休なのであります。
本当はメキシコ経由で念願のキューバにいく予定でしたが、豚インフルエンザ騒動ですべておじゃん。旅行代理店からはキャンセル料こそとられなかったものの、どこにも行く予定のない9連休に突入しました。
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さて、前に紹介したエスプレッソマシンを始動させようと今日は秋葉原のガード下の部品街、通称「ラジオセンター」で変圧器を購入してきました。なんと税込みと端数切り捨てで1萬円、重量は5Kgなり。値段もさることながらこの重さには呆れ気味。たかが変圧器ごときでなんでこんなに高くて重いのだ!?

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最近はユニバーサル電源がふえましたが、かつての海外旅行者は「念のために」と、これら変圧器をもっていったのです。本体よりもバカみたいに重い機械を旅行鞄にいれてたんだな・・。感無量。

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帰宅後さっそく再点火させたエスプレッソマシンは生まれ故郷イタリアの電圧を得ていきなり稼働したのであります。ボイラーは瞬時に加熱しはじめ、アナログの圧力メーターがそれを知らせてくれる。

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専用バルブを開くとそこからシューと吹きだすスチームはミルクを泡立てます。このミルクが泡立つ独特の音って、そういえばスタバで聞こえてくる音と同じだ!!! 連休の初日としてはなかなかいいスタートだ、とにんまり。


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粉を入れ替えて、二度三度と煎れるたびに味は違うのが奥深いところ。知人のバリスタの著書には「まずはマシンごとの癖を習得すること」とある。ふむふむ。
最初の一杯目は死ぬほどまずい、ただのコーヒーの出来損ないだった。そのうち分量の加減が判ってくると、これがなかなかハマる。
しまいにゃ腹がエスプレッソでダブダブとなったが、男の趣味にそんなこたぁ関係ないのであります。
僕にとっては自分で初めて煎れたエスプレッソは。天気に恵まれた連休初日の土曜日の午後に、世界最高のエスプレッソとして膨れた胃袋に染み入ったのであります。

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連休初日にして目標をひとつ達成してしまった僕としては、すこし寂しいのも事実ですが、このプログを読んでいる皆さんは充実した連休予定をエンジョイしているのでしょうね。
羨ましい・・・


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Macで動くWindows、という噂の真実

今のMacでWindowsが動くということは知ってる人は多いと思いますが、かくいう僕も、甘く見ていました。「どのように動くか」についての認識は、かなり適当だったわけです。
以前にこのブログで紹介したとおり、自宅のスペース確保のため、デスクトップをMcMiiniに交替し、キーボードは古いものを風呂で丸洗いしたことまでお伝えしましたが、その事後報告をかねて今日はこのMacで動くWindowsについて紹介しようと思う訳です。
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基本的なMacでのWindowsの動作というのは、簡単にいうと、どちらも起動時に選択できるという認識でした。これはこれで決して間違ってはいない。ただかなり原始的な使い方なわけです。その認識がなかった・・・。
この件、すこし詳しく説明すると、ハードディスクを2つのパテーションで区切って、それぞれにMacOSとWinOsを入れておく。で、オプションキーをおしたまま起動すると、そのどちらか一つを選択できるというものでした。

「これだけだと二つのOSを相互に切り替えて起動できるだけじゃん」ということでほっておいた僕がいるわけです。しかし必要に迫られ、いろいろと調べるうちにそうでもないということがわかってきた。調べたあげく、試しにparallelsというソフトを購入してみたわけです。このParallelsはネット上の情報によると、MacOSの画面上に、Winを同時に起動できる、というものでした。したがって起動時にいちいち選択する必要がない。
「果たしてどこまでまともにすごくやら」ということで半信半疑でインストールしてみたわけ。
今日そのインストールが完了した次第。
うん、これはこれでなかなかよい、という評価で、今日はMacOS上でWinを起動して遊んでいた訳であります。

ところで、MacOSにはSpacesという便利な機能があります。仮想敵に複数の画面を切り替えてくれる機能でして、アプリ画面が開いて散らかったデスクトップを、ホットキーで裏表に切り替え表示できる機能です。Winの画面との切り替えにちょうどいいということでWin画面とMac画面を、キーコマンドで切り替えて使っていたのが今日の前半。

しかし、このParallelsの中にある、ひょんなことで見つけたParallelsToolsという機能の説明には、「Winの機能を完全に統合する云々」とある。
これは気になる・・・。
不安もあったわけですが、毒食らわば皿まで、いっちょインストールしてみるか・・・と、この機能を追加インストールしてみたわけです。

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これでどうなったか?という話なわけですが、驚いたことに、Macの画面上で、リンゴキーを押すと、なんとWindowsのスタートメニューが出てくる。そこでアプリ選択すると、Winのアプリが平然とMac画面上に現れるのです。

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この画像は、MacOS用のFireFoxと、Windows用のiExploreが仲良く表示されている風景です。これには僕もちょっとたまげた。

もともとMacでネット利用していての最大のボトルネックは、多くの金融サービスがMacプラウザーにまったく対応していないという事実でした。たとえば株価などがリアルタイムで表示されるjavaSciptを利用したサービスなどでは、WindowsのiExplorerにしか対応していないので、Macでは静止した画面上でひたすら「更新ボタン」ほ押すしかなかった。それ以外のこまかい話をまとめるならば、会社の金融がらみの仕事は残念ながらMacではからきし。できない。
それがあるので、書斎の机上には一代しかおけないデスクトップ機の移行は、なかなかMacにしにくい状況があったのです。が、今回のこの環境では、必要なときにWinアプリを起動すればいいということになりそうです。

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僕は、そもそもMacでWindowsを起動するというアイデアはあまり好きではありません。ネイティブなOSが心地よく動作するからこそハードの存在意義がある、という考え方です。
ましてやウィルスチェッカーなどで肥大化したWindowsをMacOSで動かして何の意味があるんだ?とずっと思っていましたし、以前からこの手の試み、つまりPCIカードでMac用のDOS環境が提供されたり(90年代の話)、VirtualPCという環境ユーティリティーが出てみたり、といったことにことごとく散財してきた。だから今回のBootCampやparallelsにもかなり懐疑的だったのであります。

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これからどんなおとし穴がまっているかもしれないけれど、まずはこのデュアル動作環境を手に入れた僕は、ウハウハなのです。その詳細はことあるごとにこちらで報告してゆく所存です。

ちなみに、この環境をつくるにはWindowsディスクが必要になります。が、わざわざ買いにいく必要などありません。すでにいやというほど所有している不使用Windowsマシンのディスクでいいのです。
「付属のインストールディスクにマイクロソフトの銀色のシリアル番号シールがないぞ」と大騒ぎしていた僕に、K氏は「マシン本体にシリアルシールが貼ってあるはずですよ」とクールに一言。
そうです、廃棄するマシンを注意深くみると、プリスンストールのWindowsのライセンス番号が本体裏側に張ってあったりします。「捨てたもんじゃない」とはこのことです。

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タイトルがやけにかっこいい本

僕はそのむかし、リクルートという会社でサラリーマンをしていたことがある。
この頃職場で出会った人はもうほとんど退職してしまっているが、なぜかその多くは有名人となった。もう会わなくなったかつての先輩や同僚を、日々あちこちのメディアで見かけるというのは、慣れたとはいえ、なんとも不思議な気持ちだ。

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そんな当時の先輩の一人、Dさんがこのたび本を出した。リクルートという会社は多くの逸材を輩出しているが、その片鱗がこの本の中にあることを改めて発見した。

僕はコンピューターのセクションで、Dさんは当時総務の社内イベント担当だった。もう一人、人事部でBという仲間もいて、彼は奇遇にも中学・高校時代からの同級生だった。この3人で当時、居酒屋で作戦を練っては総務のイベント予算でさんざんいたずらをやった関係である。台風の目はいつもDさんだった。
ある時は日比谷野外音楽堂を借り切って、またある時は西武球場に場を移して、そしてまたある時はリクルート事件の真っただ中のTBSのスタジオからと、そのいたずらの規模も(伸び盛りの会社ならではの)際限のないでかいものばかりだった。僕の直属の上司で、最近ではどこぞの公立学校の校長をやっていたFさんやDocomoのimodeを立ち上げたM女史もその道の天才で、そういう先輩諸氏から、会社の予算で企画を実現する、という技を若手はおのずと身につけていったようにいまにして思う。しかしあのころは本当にたのしかったなぁ・・。

その中でもピカイチだったのは、社員と家族を集めての「運動会」だ。
そもそも日曜日に運動会をやったところで、へとへとに疲れた社員がわざわざ来るわけもない。
しかしイベント担当のD氏がいきおい押さえた場所が西武球場というのだから、数千人を集めることが担当者のノルマとなるわけで(当時のリクルートはこの「ノルマ」が全社員に課される会社だった)、集客のためにいいアイデアはないか、とD氏が相談しに来たところからこの事件は始まる。

僕はかねてより「一度やってみたいイタズラ」があったのだが、それをD氏に提案した。
当時、トヨタのソアラ、という高級車が憧れの的だった。それに乗じて「クイズ大会の優勝賞品に世界の名車ソアラをプレゼント」というチラシをつくって社内報に挟み込んだのである。
当時リクルートの社員は全国に7000-8000人いて、彼ら全員がこのチラシをみてぶったまげたにちがいない。
僕の隣の課の課長までが「リクルートも社員にソアラくれるほどの会社になったのか!?日曜は親戚の結婚式サボろうかなぁ・・」とつぶやいていたのを記憶している。
だが、いくら伸び盛りの会社といっても、社内の運動会に高級車を出す予算があるわけもない。
賞品に用意されていたのは丸石自転車から出ている「マルイシ・ソアラ」という自転車だった。

「日本一の宝島」と題された当日の大運動会の集客数はすごかった。人数だけで言えば大成功だった。そして当たり前と言ってしまえばそれまでだが、このソアラのオチはウケるどころか、大ヒンシュクだった。二位と三位にはグアム旅行とCDプレイヤー(当時としてはかなり高額)を用意していたにもかかわらず、「ソアラ」に呼び寄せられた来場者たちへのインパクトは大きかった。制服姿で自転車に乗った当時の受付交換室の女性部長がエンジンの効果音とともにダッグアウトから入ってきたとき、場内は静まり返った。そしてネタが明かされたとたん大ブーイングとなった。そのコーナー司会をやったのは、実は新入社員の僕自身だったのだが、西武球場全体に巨大な怒りが渦となって包み込んだ瞬間を鮮明に記憶している。スタジアムのステージ上で、数千の群衆からブーイングを浴びせられる経験などそうあるものではない。僕はそれを二十代前半で経験した。そしてその恐怖の絶頂時、突然、雷がなり、そして大粒の雨がいきなり降り始めた。旧約聖書の「十戒」のような光景だった。午後の部はすべて中止となり、後味の悪いままこの大イベントは終わった。そしてリクルートの運動会はこのとき以来二度と開かれることはなかった。

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それから20年近くして初めてD氏から聞かされた事実がある。社長(江副浩正氏)がこの件でかなり怒って、総務部長とこのD氏を社長室に呼び出したそうだ。そして「君にはもう社内のイベントを担当してもらうわけにはいかない」と、実質の左遷人事をその場で言い渡したそうだ。だが、部署にもどってよくよく検討してみると、たかが入社2年目のD氏はそれ以上の左遷のしようがないほど下っ端である。D氏は高校卒業してすぐに入社したから、年齢は20歳なわけだから・・・・。だいたいこんな大イベントを20歳の社員に仕切らせることそのものが、ふつうの会社ではありえないことで、リクルートという会社はそういうことがあちこちで普通におきている会社だった。D氏の処分は「イベント担当」から「寮担当」へと左遷(というのか?)となったそうだが、非公式にかかわっていた僕の名は最後まで口にしなかったという。僕の耳にも気遣いでいれなかったというわけだ。若いやんちゃ仲間ならではの、ちょっとした友情かもしれない。だが今思えば、時代の寵児、江副浩正氏から直接叱られたことの方がよっぽど貴重でうらやましい経験だと思う。

思うに、リクルートでは、イタズラ好きな人ほど出世が早かった。かくいうD氏もBも仕事の成績は抜群によかった。人事にいたBはトップ営業マンになった。僕も在職中はよく働いた。経営成果賞とか、あと名前はわすれたけどいろいろとたいした賞をもらった。楽しいと仕事はどんどんと伸びる。工夫もする。とにかく死ぬほど仕事をした。それが楽しくてしようがないのだから。こじんまりといわれたとおり仕事をしているときは賞なんてもらえないが、好き勝手に企画をすすめるようになると褒める、それがリクルートというめちゃくちゃな会社の特徴だった。会社というよりもまるで学校だった。要するに管理が行き届かない会社のほうが人は仕事をするのだ。
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さてD氏が出したのは、それから何年かあと、社内報に社員から寄せられたサラリーマンならではの悩み相談の連載を単行本化したものだ。タイトルが「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」
今風じゃないけれどDさんらしい、そしてなんだかやけにかっこいいタイトルだな、とすこし感動した。
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実は僕も、この単行本化にあたり、知人代表の一人として悩みを寄せさせていただいている。
だから、毎度のことながら、ついに手にした本書を感無量で眺め、そして自分の相談ページを探してしまう。新刊独特の、印刷のにおいがぷーんとする中に、あったあった、僕の悩みへのD氏からのアドバイスが・・・。

その悩みへの回答がこれまた、いかにもDさんらしい回答でなんといっていいやら、笑えてしまった。ちなみに以下が僕の相談である。

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僕はゲームの企画をしている斎藤と申します。

さて、ぜひご相談にのっていただきたい悩みがあります。
というのも、私の仕事というのは、世の中にあるありとあらゆることを、数値に変換してシミュレーションモデル化することが要求される仕事で、とてもストレスがたまるのです。

具体的にいうと、自分の周囲の人間関係から、自然現象、性欲のわだかまり、生理現象にいたるまですべて数値化する癖がついてしまったのです。
(中略)

娘は多感な高校一年生ですが、こういう父親を持つと、ちょっとかわった人間に育ってしまうのではないか、とも心配しています。
僕は、我ながらこういう自分にうんざりしています。

職業病とはいえ、どうしたら、健全な父親として、いや健全な一人の人間として社会になじめるか、ぜひアドバイスをおねがいします・・・・。
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この悩みに対するD氏からの回答は、まるで四半世紀を経過した美しき思い出へのラブレターのような内容だった。
リクルートという会社のめちゃくちゃさは、戦後最大のスキャンダルとともにさんざん報道された。当時の若手社員までもが、ずいぶんとメディアからいじめられたが、でもこの会社ですごした時期は、僕らにとってはまるで心の中の宝石箱のように大切な思い出だ。

ここでは紹介できないようなとんでもなく笑える事件がまだまだたくさんあって、まるでそれは青春小説のようなものである。D氏とBと、本にしようという話もあったのだが、しかしそれはコンプライアンスという壁に阻まれて立ち切れになった。

D氏もBクンも今年、父親になった。みんな大人になった。あの頃のような青春時代はもう過ぎ去ってしまったのだろうか?

いや、ふたたびめちゃくちゃなチャレンジをする時期がいずれくるだろう。そうであってほしい。僕の人生はいまだにこのときのノリをずっと続けている気がするが、まるで墓守りのようでもある。同世代の仲間でそんなことをできる機会はめっきりと減ったしね。

ま、まずは、この「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」というタイトルに、その思いを込めて瞼を熱くしてしまった僕がいたのである。

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"incomplete questions" by yes,mama ok?

今日の午前中に、配達屋さんがオフィスに入ってきて、うちのアシスタントの女の子と話している。

「もしや!?」そう思って、小学生のように彼女のところに駆け寄る。
「届いたのCDじゃない?」そう聞くと、「そうでしょうか・・・」と自信なさげに小包みを見るYちゃん。

おもむろに封筒をバリバリとやぶって中を確認すると「やった!」と思わず叫んだ。
出来たてホヤホヤの、ymo?のメモリアルボックスが一つ、そこには入っていた。

僕が書いたライナーノーツがどんな風にレイアウトされたのか、もどかしくシュリンクを解く。「あ・・・。」おもわずためいきをつく。

指定された文字数の4倍書いた僕が悪いのはわかっていたけど、ひそかに4ページになることを期待していたんだけど実際は2ページに押し込まれていた・・・、字が小さすぎて読めない(汗)

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ま、そんなことはいいとして、と。

ライナーノーツの内容を、発売前に筆者が自分のブログで公開してしまうのは決して良い手じゃないのはわかっているけど、すこしでもこのCDを、そして僕が大フアンであるymo?を知ってもらいたいのである。なのでその全文を掲載してしまうことにしよう。ま、こういうものは宣材として使われるべきものだろうし、読んだらCDを聞きたくなるに違いない、といういささかの自信がある。

というわけで以下、拙者がライナーノーツ用に書いたymo?の紹介文である。

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このメモリアルボックスを手にしている人のほとんどは、yes, mama ok?(以下ymo?と略す)をよく知る人にちがいない。 いやむしろ、ymo?そのものが広く認知されるアーチストというわけでもないから、たぶん、熱心なファンではないだろうか。 

だから、彼らつにいてのありきたりの説明は大胆に省くことにしてymo?というユニットを一言で表現するならば、渋谷系全盛の90年代半ばに、LD&Kという独立系レーベルからデビューした東京造形大学の友人が結成したインディーズ・ユニットってところだろうか。もしあなたが初めて彼らの音楽に触れる人だとしたら、そのあたりはこのBOXにはいっているすべての楽曲を聞いて判断してもえればいい。

むしろここでは僕が十数年にわたって見てきたymo?および彼らの素顔について紹介させていただき、彼らのヒストリー紹介とさせていただく。


●ymo?
の発端


ymo?
1990年、東京造形大の学園祭のために結成された。その時の名はヤング・ウェルテルズというものだそうでymo?に改名されたのはその翌年だそうだ。1995年にLD&Kレーベルからインディーズデビュー、最初のCDは「コーヒーカップのランデヴーって最高よ」であった。以降合計3枚のマキシシングルを発表したあたりで、僕は彼らと出会い、「ザ・タワー」というゲームがらみで2曲楽曲提供をしてもらった。それらの中からチョイスされたベスト盤的なものが1996年のコロンビアからのメジャーデビューのCD作品 "Modern Living "となる。

当ライナーノーツの別のページで長嶋有氏によって紹介されているのではないかと思うが、1995年に東芝EMIから出た「タワー」というゲームのトリビュート盤である"Sound of Tower"というこのCDが、つまり僕と彼らとの出会いのきっかけとなる。ここにはブロンソンズやさえきけんぞう&ルーガちゃん、そしていまや三島由紀夫賞作家となった暴力温泉芸者などのアーチストが顔を揃えて参加していたのだが、ymo?はここでクリスマスソングを担当していた。ガットギターとウッドベースの奇妙な質感がとても心地よく、好奇心半分で東芝のディレクターを通じて紹介してもらった関係が15年近く続きいまここにライナーノーツに至るわけである。


●ymo?

との出会い

それは、東京にありがちな、どんよりと雲った平日、たぶん9月の水曜日、の午後2時くらいだったと思う。渋谷の宮益坂郵便局の裏を入ったあたりのLD&Kのオフィスを訪れた時に彼らを紹介された。彼らの印象は、不要にトンガっているわけでなく、強い主張があるようでもなく、もの静かで勤勉そうな雰囲気をもつメンバーだった。僕が知っているほぼすべてのミュージシャンは金と女にはだらしなかったけれど、彼らはそういう違った。反戦やAIDS撲滅を掲げるわけでもなく、もしかしたら渋谷系って、こういう普通に棲息している人のタイプのことを言うのかもしれないなぁとその時ぼくやりと思ったのだけれど、その点では彼ら三人は渋谷系アーチストなのかもしれない。

ymo?を構成する人種
ミュージシャンというのは、売れている時と売れていない時がある。金剛地武志は公私ともに大切な友人としてサムを組み合わす関係が13年続いているわけだが、時として会社の引っ越し作業をお願いする無職のニートであったり、時としてキャバクラに同行してくれる飲みの相棒だったり、そしてある時は、テレビに登場するタレントだったり、と立ち位置は変化しているが、僕にとっての金剛地武志は常に天才ミュージシャン以外の何ものでもなかった。

高橋晃は、ステージ上ではちゃめちゃなパフォーマンスを繰り広げる金剛地武志のパートナーであるが、すべてのジャケットを含むymo?のアートワークを担当するデザイナーでもある。サウンド面以外で高橋の存在は、実は大きく、今回のBOXのアートワークもすべて彼のでによるものである。さてこの高橋晃と僕も不思議な関係が続いていて、ゲーム作品「シーマン~禁断のペット~」や「シーマン2~北京原人育成キット~」における(海外を含む)広告デザインなどでその手腕を発揮していただいている。したがって高橋晃も、才能あふれるプロの表現者として僕は尊敬のまなざしを送り続けている大切な友人である。不思議な縁である。おっと、これじゃまで翻訳もののアメリカ人作家の謝辞じゃねぇか・・・・。(そのチャーミングなウィスパー系ヴォイスの存在がymo?作品で大きな役割を果たしているボーカルの仲澤まほちゃん、とは、個人的な接点がなかったのであまりお話しできることがないのが残念でならないのであるが・・。)


金剛地武志の曲

さて、クレジットを見ればおわかりのように、ymo?のオリジナル曲は作詞作曲編曲すべて金剛地武志一人によって行われている。その強靭そうな字並びとはウラハラに、孤独で繊細な密室作業ら作品をつくりだす。むしろちょうどライブ演奏を拒否しスタジオに籠るブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)のようでもある。

彼の特徴は、空間感を失わないサンブラー音源の構成で、それらは、サロンミュージック風なものからボサノバ、ロック、テクノにまで及ぶ。楽器演奏はギター、ベースや生ドラムまで金剛地自身によるものだが、作曲は主としてギターで行っているようだ。

僕が一番好きな曲は、「砂のプリン」である。「街灯がいま、つきはじめた。帰り道とあなたの踵照らしだして」という情景描写に圧倒された当時の記憶がある。

それ以外にも、 ymo?の「人生のお気に入り曲」はいろいろある。オリジナルCDの原盤はとうに失ってしまっているのだが、車におかれたままのCD-Rの中には「去年の今日も」「Charm of English Muffin」「Tea Party」「モダン・リビング」「二枚舌のムニエル」「問と解」など、僕なりの"ザ・ペスト・オブ・ymo?"が入っている。Charm of English Muffinという曲のオリジナルはこのBOXには収められてはいないのだが、セガサターン向けThe Towerのテーマソングとしてレコーディングされたもので、バイオリニストでもある高嶋ちさ子(chocolate fashion)の作品として発表された。高嶋ちさ子自身がヴォーカルとバイオリンを担当しているが、この曲はソングライターとしての金剛地のひとつの新境地といえる。さらにはそれと別に仲澤まほ氏がヴォーカルをとるバージョンも存在していて、録音に立ち会った僕は両氏のバージョンを持っているはずなのだが・・・。自分のだらしなさが悔やまれてならない。

ymo?作品の珠玉性
金剛地が綴る詩は秀逸だ。心地よい日本語の韻を踏みながら、哲学的な側面を失わない。肝心なパートを、どこかで聞き覚えがある英語のフレーズでやり過ごしてしまうようなガサツさを金剛地武志はもちあわせていない。むしろ大正ピカレスク文学の作家たちのような言葉の魔法陣で光景を紡いでくる。作品発表の時期を追うほどにその傾向は顕著である。そのせいでこのBOXに収められているymo?の曲は、四十代になった自分が今聞いてもすぐに解けない人生の謎解きを提示しつづける。しかもその謎具合は、ちょうどすぐれた名作ゲームのように、敷居が高すぎず低すぎず、心地よい最後のワンピースを聞き手に要求するのである。これは自論だが、世代を超えて生きる曲というのは、この最後のワンピースをリスナーに委ねることで絶妙のバランスを保持する作品と思っている。

また金剛地はすべての曲作りにおいて、既存のテンプレートを便利に使うことをも拒み続ける。それはいわゆるコード展開パターンであってもしかりで、絶対音の組み合わせとしての独自のコードを発明しながら作曲は進められる。いわゆる。ありがちなコード展開にメロディーを乗せていくという形態はあまりとらない。したがって、一般奏者がいとも簡単にする「転調」という概念を作者自身が持ち合わせていない。クラシックの楽器奏者のようにいま自分が演奏しているパートを本人がコードとして認識していないのである。 (開放弦を含むコードは名称不明では即座に転調できない) といったように、そのオリジナリティーとのトレードオフとして、金剛地の作曲の筆の遅さはピカイチで、そこに締切という商業的な現実が立ちはだかるが故の、金剛地の苦悩を見続けてきた。

演奏技術とエアギターパフォーマンス
そんな金剛地にとって、エアギターという空虚なパフォーマンスは、苦悩から彼を解放する意味においてもしかしたら絶好の居場所だったのかもしれない。自分の内面とはまったく無縁な(=空虚な)銀縁メガネのキャラクターを重ねることで、テレビ制作という巨大システムに身を委ねる喜びを堪能していたのではないだろうか?_ いずれにしてもがここ56年の金剛地は、コンポーザーとして孤独な苦悩とは無縁に、大物お笑い芸人や美人アイドルらと過ごす派手なタレント生活に酔いしれていたように見える。ドラッグに逃避する過去のロックスターのようでもある。


●オサムの内側にあるもの

僕は金剛地武志のことを「オサム」と呼ぶ。彼は僕のことを「アニキ」と呼ぶ。この奇妙な呼称の理由は割愛するが、オサムは自分が無責任でいられる場所が実に好きだ。実に天真爛漫に、そして気楽にパフォーマンスをする。プライベートなパーティーでも、何度も一緒にギター演奏(エアではない)をしたものだが、そのオサムの姿はアーチストの重圧がないことを楽しんでいるようでもある。オサムとアニキという偽名にて、破天荒なパフォーマンスを夜の街でさんざん演じてきた。

「オサムさ、そろそろ音楽を始めてみたら?」 明け方の六本木でそう質問するとオサムはよくこう答える。

「アニキ、でも、もう、完全に離れてしまっているので、技術が追い付かないんですよ」と。

その表情は、学校には戻りたくない、と言う子供のそれに似ている。

でも、いまこのBOXを手にしている皆さんはどうお考えだろう?このBOXに収められたいくつかの珠玉の名作を生み出す才能を(3割はどういうわけか確信犯的な駄作であるが)このまま空虚なB級タレント業に費やさせていいものなのか??友人として僕はいつもその答えに窮する。

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朝の某バラエティー番組に生出演した金剛地がパフォーマンスの後で、司会のヤックンに「本当はギターを弾いたりするんですか?」とつっこまれた。芸人ならば「いえ、ぜんぜん弾けません」と答えるべきものを、おもわず素顔に戻った金剛地の「え、ええ、実はすこし弾いたりするんです・・・」というリアクションに、彼の生真面目な音楽への情熱が消えてないことを見て取った。そのリアクションが、彼特有の真面目な性格がなせるものなのか、そのデリカシーさ故なのか、あるいは内側に秘めた自分だけのガラス細工の世界を守るためのものなのか、それはこのBOXに収められている作品から推するほかない。



斎藤由多加 さいとうゆたか

ゲームデザイナー/(以下略)

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ということで、すっかり秋めいてきた今日この頃、このメモリアルボックスを聞いてみてはいかがだろうか?

(前回、9月29日、と書いてしまったが、9月26日の間違えであったことをお詫びのうえ修正させていただく)

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Yes, mama OK?のメモリアルボックス

9月29日にYes, mama OK?のメモリアルボックスがコロンビアから発売されるそうだ。
なんでそんなことを知っているかというと、ライナーノーツを書いたからである。

一般的にどう思われているかわからないけれど、仕事には二種類ある。やりたい仕事と、気の進まない仕事。ぜひやりたい楽しい仕事というのはたとえギャラが安くても、これほどワクワクすることはない。今回もそれにあたるわけでして、おかげで依頼された文字数の4倍も書いてしまったのであるが、全文掲載されることになったそうで、逆に「感謝」、である。

しかし仕事ってなんでしょうね?他人に報いることができたときの達成感みたいなものではないでしょうか?

そもそも僕はギャラの発生しない仕事というのはあまり好きではない。がんばって納品したものがちゃんと扱われない可能性が高いから。

でも、たとえ5000円でも、ちゃんとギャラがもらえるならば、とても楽しく仕事ができる。どうしてだろう?なんていまさらのように思うことがある。

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六本木のKというバーは、今年で創業50周年にあたるそうだが、初めて行ったのが学生の時代だから、あしかけ23-24年ということになる。

先日数年ぶりにここを訪れたら、当時のクラシックギターが、当時のままおかれていたもんだから、チューニングをして気分よく一人弾き語りをさせてもらっていた。そしたら、突然ドアがあいて一元さんらしき年配のグループが「いいですか?」と入ってきた。

途中でやめるわけにもいかず、店の流しを装って歌い続けていたら、その3人のお客さんは「歌声バーか」などといいながら聞くとはなしに歓談していた。そしてしばらくするとリクエストをしてきたので「しめしめ」と思いながら歌い続けていたらチップが出てきた。

かつては麻布十番でずいぶんとチップをもらってギターを弾いていたけれど、最近ご無沙汰だったので、いい気分だったわけである。

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自分の好きなことが社会に認められるというのは、何歳になってもうれしいものだ。「仕事と素人の遊びは違う」という人もいるでしょうが、ギターを弾いてもらうチップは初任給をはじめて手にしたときのような昔の気持ちをよみがえらせてくれる。

お金をもらって人の要望にこたえるというのは、仕事を通じて社会に参加する、という行為の基本形だ。とても大切なことだと思う。金額の大小はあまり関係ないが、タダだとその手ごたえがよくわからない。

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中途半端なギャラをもらって仕事をするのは、自分の価値を下げるからしないほうがいい、という。僕もプロのプライドをもっているつもりなので、そう思うこともしばしばある。

でもね、やっぱり自分の原点に帰ると、「お金をもらってよろこんでもらう」ということはとても貴重な体験だと思うんだな。大人になって失いかけていた、ちょっとした達成感を味わうことができる。

プロのプライドというのはそういう気持ちを封印しまいがちだけれど、素の自分にもどったように、ちょっと懐かしい匂いがして、何歳になってももっていないなぁと思うのです。

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iPhoneの使い勝手について

iPhoneを使い始めて約一か月。
今日は、その使い勝手について、自分の印象をつづってみることにした。

まずiPodTouchと比較して圧倒されるのは、wifiに依存しない「接続」。Wifiがあればそちら優先。でも出先でも路上でもシームレスにつながる便利さは、t感動ですらある。

こういうのは、慣れてしまえば当たり前のことになってしまうのだろうね。ちょうど携帯電話をはじめて使用したときの感動に似ている。

iPhoneは、「電話」という商品として売られているが、そしてまた、mp3マシンという商品カテゴリーに区分されているが、僕は実はどちらにも使っていない。理由はバッテリー持続時間。僕にとっては完全なモバイルマシンである。

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さて、じゃwilcomのesなど従来のモバイルマシンとどこがちがうのか? それは、捨てるものは徹底して捨てることによるわかりやすさ、である。  過去のしがらみをばっさりと切り捨てたiPhoneは、第三世代のGUIをもつOSのようにみえる。(事実そうなのかもしれない)

ジョブスがアップルに返り咲いたときに、「自宅とオフィスで仕事環境が共通化できるまではマックはつかわない」と発言してきたことを思い出した。
.macは(=いまはモバイルMeという名称になったが)、iPhoneにターゲットを合わせて随分と進化したが、たしかに「自宅とオフィス」の仕事環境がずいぶんと近づいたように感じる。

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●モバイルMEとの威力

昔の秘書が丹念にOutlookで入力してくれた住所録。後任との引き継ぎの関係で、ここ2年更新がストップしたままだった。
「夏も過ぎたし、そろそろクリスマスカードのことを考えないとならんぞ・・」そう思い、前の秘書のパソコンのデータを自分のWindowsマシンにコピーした。すると驚いたことに、その住所録情報はモバイルMeのサーバーを通じて、自動的に手元のiPhoneにしっかりと(文字化けしたり姓名が不自然に逆転することなく)転送されているのである。

広告の文句どおり、手元のiPodで、ノート型macで、そしてWIndowsアドレス帳で、更新をかけると、すべてに即座に反映されているではないか。これはすごいことだ。どうすごいかを端的に表現するとね、バッテリーが短命なせいでぼくはいま2台のiPhoneをもっているのだけれど、一台がバッテリー切れになったらさ、もう一台をそのままもって外出しても、そこにある連絡先や予定表データはまるで一緒、という状況になるわけだ。パソコンはいうにおよばず、ね。このシームレスが第一のおどろき。

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●検索インターフェイスとしてのGPS地図

GoogleEarthの偉大さはすでに議論しつくされているが、GPSを搭載した同類の"MAP"を路上で使える便利さもiPhoneで初めて体感したのも今日のこと。

「港区 サイゼリア」といれてMAPで検索すると、ずらりと地図上にサイゼリアの位置が表示される。そのひとつをタップすると住所や電話番号が出てくる。さらにそれをタップすると、そのまま電話がサイゼリアの三田店につながる、というわけです。車中から「おたく様は駐車場完備ですか?」と、なる。

そう、モバイルユーザーにとって地図は、いまは立派な情報検索インターフェイスなのである。
PCのウェブ上の電話番号をクリックするとSkypeでつながる、というのもおみごとだったけど、地図上の店舗に、モバイル機からそのまま電話接続される便利さというのは、すごいなぁ・・。びっくりした。このシームレスが第二のおどろき。

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△電波を使用するキャリアは地域によって自動的に切り替わり表示

●海外でもそのままモバイルが使えるということ

第三のシームレスのおどろきは、そのまま海外にいったとき。
たぶんiPhoneが本当の力を発揮するのは、不慣れな海外にもっていった時ではないかと思う。携帯電話も海外で使える時代なのはわかっていたんだけど、上記のモバイル環境がそのまま出張先の路上でも稼働するのは助かった。自分がいるアメリカ合衆国内の場所がMAPにプロットされ、移動するから道に迷うこともない。ホテルの予約も上記の「サイゼリア」と同じ方法でできるわけ。海外旅行にはかならず一台iPhoneを、というのは大げさだろうか?

難点があるとすれば、バッテリーの持続時間。日本の携帯電話の要領でいると、とんでもないしっぺ返しをくらう。とくに、渡航時間中は、電源を「完全にオフ」にしておかないと空港で泣きを見るので注意。

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さて、これらの考察から、ひとつ得たアドバイスとアイデア
日本で契約した携帯を海外ローミングで通話すると、料金はご存じのとおりとてつもなく高い。僕も、たがだか1週間で6万円近くかかった。米国内の市内通話も国際電話扱いだからね。

だから、出張の多い人は、たとえばアメリカ契約のiPhoneを一台購入しても、じゅうぶん元がとれる気がするわけ。なにせ、連絡先やメールなどのアドレス帳は(モバイルMeのおかげで)コピーする手間がゼロなのだから。