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ダイアの原石

たとえどんなに美味なワインであっても、それが顔も見たくないほどの悪徳資本家のワイナリーでつくられたものだっら、小作人たちにとっては、まずくてとても飲めたもんではない。

たとえどんなに音痴で下手な歌であっても、男が愛する者のために旅立つ船から聞こえてくる歌声であったら、それは娘の魂に響く歌にちがいない。

つまり、食も音楽も映画もデザインも、あるいはそれがいかなる分野のものであろうとも、そこに絶対などという評価はありえないものだ。それをよしとする人の数の比較だけの話である。

安物のワインを不用意に「うまい」と誉めると馬鹿にされる風潮がある。
上物とされているワインをいかに言い当てるか、それが客の格付けになる。そういう馬鹿げた慣習が、ワインの楽しみをゆがめてしまう危険性がある。

ビバリーヒルズの知人の豪邸に居候させてもらっていた頃、その家の主人が好んで買ってくるのは、でっかいビンにはいった9ドル99セントの白ワインだった。夕方になると、庭のテーブルにろうそくを灯し、それをぐびぐびと飲んだものだ。「おれはこのスーパーで売ってる白が好きなんだ」と主人は語っていた。その人を敬愛してやまない僕にとっては、いつしか、カリフォルニアワインの白が味の基準となった。

白が好きというのは、ワインの世界ではあまり歓迎されないようだ。
ましてや、カリフォルニアもので、しかも値段が格安の味がいいってんだから、「斉藤君はまるっきりワインがわかってないね」ということになる。

人間には二種類のタイプがいる。
自分なりの審美眼を持つ人と、それをブランドや値段に委ねる人。

「磨けばひかるダイアの原石」を見つけることが出来るのは前者であって、それをショーウィンドウに並んだ商品として高値で買う羽目になるのが後者だとしたら、僕はよろこんで、白ワインを「それでもおいしい」、といえる人間でいたいのである。 

そうありつづけることはけっして容易なことではないのだが・・・。

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手に専門職がないということ

「ずっと大手企業の営業職だったせいで何も専門がないんですが独立するにはどうしたらいいでしょぅか?」

行きつけのバーでそんな相談を受けた。

「ふーむ・・・」

考え込んでしまった。もっともな話だが、しかし、どこかに違和感がある。それはなんだ??と。

むかし大手企業から独立したとき、この手の相談は後輩から山のように受けた。
「営業ばかりやっていたから、手に職がない」という相談。

たしかに営業というのは、扱う商品や業種がかわれば、それまで築いた人脈もへったくれもあったもんじゃないし、ゲームや書籍や映画や音楽のように実績を形としてのこせるものでもない。なにせ売るのが営業なのだから、そのあとに形がのこること自体ありえない。

「・・・しかしだからといって、手に職がないということなのだろうか?_?」

そんなことを自問自答しているうちに、はたと気付いたのである。「営業」などという総称をいつまでも名乗っているからそう思えてしまうにちがいない、と。

営業というのは、そもそもプロセスとか行為の名前であって、成果物の名前ではない。スポーツ選手に練習は不可欠だが、だからといって「練習専門」であってはならない。練習はあくまで練習なのである。

それと同じで、営業マンの本当の仕事は、「営業」とよんでいてはいけないのではないか? にもかかわらず、「自分は営業担当だから」といっているうちに自分の本当の専門性がみえなくなっているのではないだろうか、と。

最近、コーチングという言葉をよく目にする。本もたくさん出ている。
このコーチングというのは、そもそもはスポーツの世界で培われた概念だそうで、それをビジネスに応用しているものだそうだ。

その人その人のよいところを見つけてやって伸ばしてやる、という、ちょうどマラソン選手に対しての小出監督のような存在がコーチで、そのプロセスの手法をコーチングというのだそうだ。

こういうコーチ的人物は、どこの企業にもたくさんいるはずだ。彼らがあの手この手を駆使して出来の悪い新入社員をいっちょまえの営業マンに養成してきたはずである。

そういうどこにでもある行為をしっかり体系化し、そこにあたらしい名前をつけることで、分野がうまれる。そしてその分野の第一人者がそこに誕生する。

ロックギタリストの物まねをして飛んだりはねたりする輩は昔から五万といたけれど、そこに「エアギター」などという名前をつけて世界大会をする、などというばかばかしい行為も、それが認知されさえすれば、「スペシャリスト」が生まれる。事実それで有名になった人物がいるわけである。(ちなみにネクタイと眼がねのいでたちでおなじみの金剛地武志君は本物のミュージシャンである)

「私たちは偉大なるシロウトだ」という言葉を聞くことがある。ゲームは作れないが、やることにかけては誰にも負けない、なんてのがそれにあたる。しかし、そういう人たちが「デバッグの受託業」とか「チューニング調整の請け負い業」を看板に起業し、今では立派に成立しているのである。

営業ってつまるところは、その商品をほしい人を探すのがうまい、とか、ほしい気持ちにさせるのがうまい、とか、あるいは、だますのがうまい、とか、いろいろなヤリ方があるにちがいない。どれも個々の営業マンのアプローチである。それらを全部「営業」と総称していたのではもったなさすぎる。このプロセス(手口?)を体系化するのである。そしてそこに名前をつければいいのである。

できればその新分野名には絶対に「営業」という言葉をいれないほうがいい。もはやちがうものなのだから。既存の枠組みをぶちこわすというのは、たとえば、そういう行為だったりするのだと思う。

そうやって周囲を見回してみる。すると、たくさんあるではないか、分野として格上げになるまでは名前すらなかった職業が、ごろごろと。

コピーライター、インテリアコーディネイター、テレホンアポインター、セックスカウンセラー、失恋アドバイザー(←あ、これはまだ分野としては成立してないか)・・・。どれも今では充分な文化をもつ分野である。

「君がその会社で培ってきたノウハウの中心を再発見してはどうか?そしてそこに独自の名前をつけてそれをウリにしてはどうか?そしたら君も、立派な第一人者だ。たとえば、マッチング・コンサルタントとかさ」

「マッチングコンサルタントってなんですか?」
「それを考えるのが君の役目だよ」

「なるほど・・・。ほー、いい話を聞かせてもらいました。コンサル料はらわなきゃ・・」MBAを持つという彼は、そういってくれた。 「こんなことでよけりゃいくらでも」と思う。

前著の「ハンバーガーを待つ3分間の値段」のテーマは「名前をつけると、それまで存在しなかったものが新たに出現する」、だったけどこんなところでも応用できるのかもしれないなぁ。

これから僕も「スペシャリスト・コーディネイター」とでも名乗ろうかな・・・。

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セールスマン的

なにか必要に迫られると、人は唐突に古い知人にも連絡をとるものだ。

「元気だった?」
そう親しげに、そして下手(したて)に出て話す自分は、すでに下心でいっぱいである。大事なものが見えなくなっている。

いつもと変わらぬ日常の中で電話を受けた側はというと、「何だよ、突然に」と心の中でつぶやく。

連絡をした側は、てっとり早く用件を切り出してその反応を確認したい。反応がどちらであるにしても、とっとと次のステップへと進みたい。またふたたび自分からの連絡が途絶えることを心のどこかで感じてはいるが、そんなことはどうでもいいことだ。その時の用件が最優先なのだから。

いつもと変わらぬ日常の中で電話を受けた側は、一方的な打診を「ちょっと確認してみるよ」と生はんかな答えでごまかす。「都合よすぎだよ、おまえ」と心の中では思うけれど、なかなかそうは口には出せないものだ。都合のいい時だけの知人に、すこしは協力したいという気持ちがあるけれど、いやみのひとつもいいたいという気持ちもある。

そのいまひとつの反応に、電話した側は「ちっ、一筋縄ではいかなそうだな」と直感し、あたり差しさわりのない挨拶とともに電話を切る。その5秒後にはそそくさと、次の矛先へとダイアルし始める。すでに頭の中はこの「次の矛先」への期待と下心でいっぱいである。5秒前まで話していた友人との関係はすでに消えている。今後はまめにフォローをしていこうなんて発想は、ない。

電話をうけた側は、電話をきった後に、すこしだけ考える。「ちょっと協力してやるか」と。ししかしそのあと数週間、数ヶ月、知人からはいっこうに連絡がない。「また、これか・・」すこし呆れるが、かといってこちらからわざわざ連絡するべきものではない。怒るべきタイミングを失って、いわば中折れ状態にある。

やがて数年が経過し、忘れた頃に、またその男から都合のよい電話がかかってくる。
「よう、久々!」と。
「いや、あのあと連絡しようしようとは思ってたんだけどね・・・」

こういうのを「セールスマン的」と呼んでいる。
セールスマンは会ってて気持ちがいいが、「セールスマン的」は腹が立つ。
だからセールスマンはモノを売るのがうまいが、「セールスマン的」は、下手だ。
その結果、セールスマンは客を増やすが、「セールスマン的」は客を減らす。

自分もついついそうなりがちだ。
気をつけないと、と思いつつ、古き知人の某、が頭をよぎる。

☆    ☆    ☆

外出からに帰ってきてパソコンをスリープ解除したら、こんなメッセージがでていた。

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慌てたが、よく見るとバッテリーは充分に充電されている。

そうか、この警告メッセージのルーチンは、目的に則したつもりで、ひとつ大事なことを忘れている。バッテリーが充電されたら「警告メッセージフラグを下ろす」というとても大事な連絡を・・・。だから出されたメッセージは放置されっぱなしのままだ。

「すまんすまん、忘れてたわけじゃないんだけど・・・」
このメッセージに数年聞いていない某の声があたまをかすめて、ふと写真を撮った次第である。

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第12回 マーケティング

「自分の事業において、あなたは"マーケティング調査"をしていますか?」
そんな質問をされた時、僕は何と答えるだろう?

「いいえ、なにもしていません」
それが一番正直な答えだ。

「では、なぜあなたたちは"ヒットを狙っている"といえるのですか? その根拠は?」
そう質問されると、ほぼ困窮する。答えが見つからない。

「なぜ、何の根拠もないのに、何億円というリスクを冒してまで新作を開発しているのですか? 失敗したときに借金を返すあてがあるのですか?」

・・・これは、時々夢に出てくる裁判のシーンだ。

僕は、市場調査などというものをしない。なにもせずに、新作ゲームの企画をしてきている。ファミ通や業界雑誌などに一切目を通すこともほとんどなく、この大命題に対し丸腰で、つまりひたすら自分の中だけで答えを出そうとしてきた。うちの会社はよくも今までつぶれずに来たものだ、と思う。

僕の中では、"マーケティング調査"というのは、誰かを説得するための材料以外のものではない。 僕はもしかしたら必要以上に、そういったものから目を背けているのかもしれないけれどね。要するに、人と違っていたい、という欲求が不要に強いのだろう。こんな自分は経営者としてはどうなんだろう、と疑念を持つほどだ。

だが、マーケティング調査結果がいかに有力な情報であったとしても、幸か不幸か僕には説得すべき相手がいない。自営業者の強みも弱みも、その一言に尽きる。叱ってくれる人がいない代わりに、承認する人もいない。失敗したらただ倒産するだけである。つまりそこには説得という概念はまったく不要なのである。おのずと、おもしろい、と自分で思えるものだけを信じるようになりそれ以外の材料にはないと思っている。こうだから頑固者が多くなるのである、この手のポジションの人には・・。

しかし、さらにそこを除いたとして僕はどう考えているか、を正直に告白するとそれでも、"マーケティングをした"からといって魅力的なゲームの企画は発想できないと思っている。いや、ゲームに限らず、魅力的な商品というのが果たして考え付けるのだろうか? と、かなり斜に見ている。じつのところ、マーケティングというのは、客を馬鹿にしたような考えとしてみているふしが僕にはあるのだ。「大衆ってのは、こうすれば、いつも喜ぶんだ! これが常套パターンだよ。」なんて話を聞けば聞くほどね。

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この週末、ずっと「ビートルズ」のベスト盤をかけて車を運転してた。
後期のベスト盤(ブルージャケ版)に、「へルター・スケルター」が入っていないことに30年たってはじめて気がついた。

「へルター・スケルター」という曲は、ビートルズ作品の中でもおそらく一番カッコいいナンバーのひとつである。好きなライブハウスで唯一プレイされるビートルズ・ナンバーだ。

「ベスト盤」の定義にはいろいろな意味があるが、一般的にはセールス成績の良かった曲を集めたもの、ということになる。

セールス成績がよい、を言い換えると、「たくさんの人がよいと思った」、ということである。つまり多数決である。「へルター・スケルター」はカルトな曲なので、「イエスタデイ」や「ヘイジュード」ほど支持されていないのだろうが、ライブステージでビートルズ・ナンバーを経験した人であればダントツにかなりカッコいいライブナンバーであることがわかる・・・・(シャロン・テート)殺人事件のきっかけになった、といういわくつきだから、あまり言い過ぎるとマニアック、と片付けられてしまうけれど・・。

話は戻るが、セールス成績を「よい」の定義にしてしまうと、多数決だから、英語圏の曲が日本語曲よりも必ずいい、という結果が出る。英語に共鳴する人口の方が圧倒的に多い、という事実が、セールス成績をバックアップする。

同様に、ゲームでは、プレステ2のタイトルのほうが同クラスのGameCubeのそれよりもぜったいにいい、という結果が生まれる。

そういったさまざまな要素が絡み合って、多数決は形成される。
じゃ、売れる要素を集めればいい作品になるのか?
Noだよ、やはり。

この週末のゲームショーで、僕らはひさびさの新作を発表する。
このゲームは「北京原人育成キット」というサブタイトルがついたものだ。
この手の話をすると、「北京原人を育てたいマーケットってどれくらいだ?」という話をしたがる人がかならず現れるものだ。そんなマーケットがあるはずがない。ぜんせんないから、目を付けたんじゃないか。

エンターテイメントに限らず新商品の企画というのはカタルシスを伴う仕事だ。つまり自己実現のカタルシス。なぜカタルシスがあるかというと、そこに、ほかに頼るものが何もないからだ。自分だけを信じるからカタルシスというのであって、アンケート結果にそう現れているのであれば、商品開発のプロセスに「人間」が介在する必要などなくなってしまう。そうなるとコンピューターが商品を開発できることになる。

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発想した人間と同じようなセンスをもちあわせた人がとれだけいるか、それによってセールス成績はある程度決まる。同類の人口が多い人もいれば、少ない人もいる。血液型ようなものだ。

僕の血液型はAB型、いわゆるマイノリティーだ。マーケットに例えると、サイズは全体の10%、A型のわずか1/4だ。だから共鳴してくれるパイは小さい。

パイの小さいAB型の僕がなるだけ多くの共感を得るためにすることは、メジャーのA型に近づくことではなく"ABらしさ"を思い切り炸裂させること、だと思う。それこそが最良の手立てだし、自己実現のカタルシスである。それが、「ヒットしてうれしい」の定義だ。

新製品をつくるということとは、つまり新分野をつくること、鶏口牛後、なのである。

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第11回 退職の方法

独立するにあたり、まず最初にあるハードルは、ほかでもない、いまの会社からの「退職」である。
「退職」には、「退」というネガティブな字がはいっているから、ともすると必要悪のように思いがちだけど、実はすでに「独立」という建設的な行為の重要な一部である、という話をしようと思う。

これまで中小企業をやってきて、社長という立場からこの「退職」をどう見てきたかというと、長年つきあってきた社員の人柄を一番思い知る瞬間といいかえられる。いってみれば退職時に、退職者への印象と、その人物との今後の関係のほぼすべてが決まるといえる。つまり、独立する者にとっても見送る側にとっても、退職のしかたというのはとても大切な、ある意味、儀式的瞬間である。

よく、腹いせに辞表をたたきつけてやる、とか、慰留する、しない、といった光景があるけど、それは退職ではなく、退職より前の話である。退職というのは、すべての意思が決まり、あとはその日にいたるまでの数週間、人によっては数ヶ月、をさしている。

経験的に見てて、退職は、ふたつに分けられる。
ひとつは、誠意をもって残務を整理して辞めてゆく人。もうひとつは、まるで逃げるようにすべてを放り出してやめてゆく人。

これからも仕事で付き合っていこう、と思うのは、いうまでもなく前者である。後者のパターンはほぼ例外なく絶縁関係となる。仮に忘れたころに転職先の会社から「こんな案件があるのですが、やりませんか」などといった連絡が来たとしても、「迷惑をかけるだけかけておいて、いまさらなに都合のいいことを言ってんだ」と誰からも相手にされないものだ。

だから、独立するときにまず心がけなければならないのは、よいやめ方をするということである、と思う。

有給消化、という言葉がある。
辞表を出した翌日から休みに入り、退職日に唐突に挨拶と荷物引き上げをかねて顔を出す、というケースがこれにあたる。取引先でも時々見かける。職種にもよるけれど、引継ぎや後始末をしっかりとしないと、周囲のものからは、つくりあげてきた仕事の秩序を破壊するような行為にとられる可能性がある。

直接利害関係のない社外取引先の立場からどう見えるか、という話をすると、やはり社内と同様、それなりに無責任に映るものだ。とくに退職する、というのは噂になりやすいから、いろいろな人の無責任な印象がそこに付加される。印象というのはあとがこわいものだ。

そうなると本人は後でかならず損する。そもそも独立するときは、ひとりでも味方が多いほうがいい。だから「せっかくの有給はとっておかないと損だ」という考え方は、独立時に当てはめるべきではないと経験的には思う。有給というのは、在職中にとるから有給なんだから。

ということで、独立を考えている皆さん、有給消化なんて行為はやめてサービス退職を心がけましょう。いいじゃん、最後は営業プロモーション出勤だと思えば。きっちりと最後まで勤め上げることほど自分の誠意を周囲にアピールする機会はほかにないんだから。

業界というのは狭いもので、一度仕事をした人は、どこかでかならず、また出会う。仕事先で出会わなくてもパーティー会場とか飲み屋で偶然出会う。そのとき、声をかけやすいか、それとも気まずいか、が大きなチャンスの分岐になったりする。その分かれ道というのは、退職時のほんのちょっとした印象で決まったりする。

だから、退職時というのは、「逃げるようにやめた」といわれないようにしたほうがいい。「かっこいいやめ方」を目指したほうがいい。

かくいう僕も大企業から独立したことがある。かっこよくはなかったけど、最後は消化有給なんて一切とらずひたすら自分の仕事の後始末をしたのである。もちろん、独立したらいやというほどヒマがある、という安心感もあったからなのだげど、とにかく「せめて辞めるときだけは」と決めていた。

そしたら、数年後に、「フェロー」というとても名誉な肩書きをその会社からもらうことになった。そのおかげで、今でもその会社の人たちは快く迎え入れてくれる。そんなことってあるんだな、といまにして思う。自分のときは、偶然そういうやめ方になったからよかったけど、これから独立する人には、確実に、必然的に、よい関係になってほしいから、こうして言葉にしておこうと思った次第である。

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題十回 見積の根拠

独立したら、最初におほえなければならないことのひとつに、見積の基準というものがある。
発注者は、この見積もりを何社からも取って、一番条件がよい業者を選択するのであるから、就職活動にたとえれば履歴書のようなものである。いい加減であってはならない。

僕らのいるゲーム業界は、かつてバブル隆盛の業界だった名残で、一人月90万円とか100万円、というバブリーな見積単価がいまだにまかり通っている。開発の受託をする際は、この金額に作業年月を掛け合わせて受託金額を計算するわけである。それが結構な金額になってしまうわけで、コスト競争の激しい映像制作の世界に身をおく知人はこれを羨ましがりつつ、そして憂いている。

よい組織というのは、一見担当者が一人にみえてもその後ろに多くのスタッフに支えられた付加価値が用意されているものだ。作業を受けおった側では、実際に本人に給与として払われているのは請求単価の3-4割ぐらいがいいとこで、残りはそのサービスのためのコストとして割り当てている。担当者から見るとピンはねされているようだが、実は安定した負荷分散の体制がここにはある。
ところが、そういう表面ばかりを見ている独立ビギナーは勘違いしてしまいがちだ。ただただ現象面だけをみて、猫も杓子も、ただの人も、一つ覚えのように一人月100万、という数字を見積もり単価として出してしまう傾向がある。ゲーム以外だとウェブサイトのフリーランス関連にもこの傾向は強いようである。たったひとりで仕事を納品した錯覚に陥りやすいのがIT関連の特徴なのかもしれない。

一つの仕事をおえたとき、クライアントから「あそこにお願いするのはもうやめておこう」といわれるケースというのは、だいたいその原因として、こういった個人企業の見切り発車の見積もりがある。単価が高いことは仕事を受ける側としてはなにかと都合がいいし、なににもまして気分がいい。でも、しかし、ちょっとしたつまづきでぼろが出ることがある。それはミスなどで個人では事態収拾できないような状態に直面したときである。個人というのはじつにもろいものだ。そのバックアップがあるのとないのでは大きく違いがある。

本当にクライアントとよい関係を続けるには、自分がたとえ法人登記してあってとしても、実質は個人であること、そしてそれに見合った見積単価を採用すること、が重要である。実績がたまってきてから単価を上げてゆく相談はあとからいくらでもできるから。それが日本という国である。

そのあたりをもうすこしくわしく説明することにしよう。

企業の担当者というのは、安い高いを感情で判断するものではない。大企業ほど、そうである。

じゃ何を意識しているかというと、確実性というやつである。
計画が当初の納期と品質、そいて予算どおりに進めばそれが一番よいのである。途中で受け側の理由でがちゃがちゃと変更になることがもっとも迷惑なのである。

だから業務を発注する側からみると、この100万円というのはプログラミングなどの費用だけを期待している値段ではないのだが、それを独立ビギナーはなかなか気がつかない。

そもそもこんな高い人件費単価がそこそこのプログラマーの単価としても許されるのは、ここにマネジメントの費用と、リスク準備金、そして営業コストといったものが入っているからである。普段は目に見えないものだが、水や空気のようなもので、ないと相当困ることがある。

マネジメント費用というのは何かというと、その人材を監督する側のコストである。
受託というのは、作業者が仕事をやっているように見えるけれども、実際はその背景に監督している者がいて、いわば企業という監督責任母体があるから安心して発注できるのである。突然出社しなくなった派遣社員を自宅まで様子を見に行く、なんてばかばかしい行為を派遣会社の監督者は日々やっているわけで、発注側はそのあたりをなにもしなくてもいい。その付加価値が実に大きいわけで。

リスク準備金というのは、受託した仕事を見積もりどおりに完成させることができなかったときの企業責任である。自分の勘違いで堂々と遅れを出して、「いった、いわない」でまんまと一人月100万円レートで請求するというのは、かなりの勘違い野郎というレッテルを貼られる。
正式な見積書にはたくさんの捺印がなされているが、それはすなわち、「この金額できっちりと収めて見せます」という保証の意味がある。保証をする以上、リスクが発生するわけで、それを上のせして単価を出している。もし担当社員の能力不足や怠慢で遅れた場合は企業がそれほかぶるのだから当然といえば当然だ。

そして営業コスト。これが実はとても重要である。
発注する側というのは、自分のオフィスにのほほんと座ってあれこれと指示を出すことができれば一番効率がいい。それをきっちりと受け止めて担当者に伝えるのが営業マンで、いった言わないがないようにドキュメントを揃えたり、担当者に直接いいにくいことを、クライアントから快くきいてもって帰るのも営業マンである。クライアントが来社して打ち合わせをする、なんてこともあるわけで、そのためのスペースを準備するのも営業コストである。

こういったサービスがクライアントにとってはとても大きい。そもそも仕事を外注するクライアントというのは、困っているから外注する。いわば体力が落ちた患者みたいなもので助けて欲しいのである。それをちゃんと助けるから医者は偉いわけで、トラぶった時に患者に面倒な仕事をおっかぶせるのであれば単価基準は完全に変化すべきである。

つまり予定どおりにきっちりとプロジェクトを遂行させるための保険が企業のサービス料であって、そこをすっぱりと落としていながら「同レベルのサービスだから」と言い張るのは、実はとても子供っぽいことと見られてしまう。

数年前の話であるが、特殊な業務をアウトソースする際、いくつかの候補会社とコンタクトした。その一社で、規模は数名だが、みな腕がよく仕事が速い、という会社のエンジニアの方が来訪したことがある。
そのときは、担当エンジニア本人がたった一人で来た。一人月150万円、だという。
単価は高いが、腕がよくスピードが早いのでトータルでは安い、というという前評判を聞いていたので、僕も好感をもって会議をすることができた。だらだらとした会議とちがって、じつによい内容だった。本当のスペシャリストというのは、瞬間最大風速がおそろしく早くてしかも確実だ。組織というより天才ハッカー集団、といった雰囲気に感じた。

おそらく、彼に仕事をお願いしたならば、すごくスピーディーに業務は進むに違いない。だが、もし彼が交通事故で入院したら、ということを考えなければならないのがプロジェクトというものである。もっと具体的にいうと、彼が入院したときに、それを待つであろうメンバーは10名近くになるから、ロスするコストは月150万円とは比べ物にならない。金なんか返さなくてもいいから至急バックアップ体制を組んでくれとなる。その準備はあるのか、不都合が発生したときに誰が社内で開発途中の案件を動かしてくれるのか・・。そう考えると、発注することができなかった。残念だったがいたしかたなかった。

独立したての頃というのは、とかく鼻息が荒いものである。
大企業には負けないぞ、と屋号だけ会社を名乗っている「実質個人」もこの業界には多い。
でも本当に重要なことは、会社を名乗ることではなく、「本当の組織になっているか、それとも実質は個人か」を潔くはっきりさせることだと思う。携帯電話でしか連絡がとれない人、秘書や伝言してくれる人がおらず、ちょっとし連絡をとるにも手間がかかる人。そういう人には、ちいさくないマネジメント負担が発注側の担当者にもどっしりとよりかかってくることになる。そういう目に見えないコストとリスクはビギナーの眼中には入ってこないものだ。

「出来さえよければいいじゃないか」そう考えて生きてきた僕は、かつてそれで大失敗したことがある。僕とは違いそのバックアップのための投資をした人々は、いまでは優れた組織を持つにいたっている。

自分は組織か、それとも個人か。潔くそこに準じることはチームワークへの貢献であり、社会と共存してゆくための最大の秘訣ではないかと思う。

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第九回 商品のカテゴリー

ボクトツとした腰丈ほどの木の棒。
美しく芸術的な形をしているといわれるとそんな気もするが、さてこれを商品として売ってこい、といわれても、なんともアイデアが浮かばない。
そのうち営業マンの一人がこういいだした。
「木の棒か・・・。木の棒ってのはモノの名前にちがいないけど、使い道の名前になっていないからダメなんじゃないか?いっそ杖(つえ)って名前にしたらどうだ?」
そう言い出して、木の棒を高尾山の登山口にもっていき、「杖」という名で売り始めた。
そのとたん、ただの木の棒が登山者相手に飛ぶように売れ始めた・・。

ものの価値というのは不思議なものだ。
名前が変わると、それを必要とする人の数まで変わってしまうのだから。

人間というのは、単体でモノの価値を判断する能力はあまり高くないのではないだろうか?そう思うことがある。
だったら価値を判断しやすいモノに置き換えてしまったほうがいいかもしれない。

僕はいま写真に凝っていて、いつか商売に出来たらいいなと思う。でも写真が額に入れられて路上などで売られている風景をときどき目にするけど、買ってゆく人はほんとに見たことがない。そこで、冒頭の営業マンのようにどうやったら写真作品を商売にできるか、と考える。

古き僕の知人で、写真や絵を売りまくった男のことを思い出した。
「デスクトップ壁紙集」というCD-ROMを出した人物だけどね。

別の知人はそれよりさらに売った。「マウスパッド」という名でだけど。
写真や絵を買ってくれる人も、置いてくれる店もなかなかないが、商品名がかわるとどういうわけかそれがドンとふえる。でかい店が量販してくれる。

不思議なことに、人は欲しいと思う対象と、それを買う口実が一致していないほうが、買いやすいことが多々あるようだ。とても変なことなのだけれど。
写真という商品名ではとっつきにくいけど、マウスパッドならば話は別だ。生活材であれば、買う口実が十分にできる。買った理由はというと、「写真が気に入ったから」。

つまり、商品を商品とせず、付加価値にしてしまうのである。
売りたいものをそのまま商品とせず、むしろ付加価値にしてしまったほうが、人は買いやすいのかもしれない。なんといっても商品が置かれる場所が数百倍に化ける。過去のヒット商品、仮面ライダースナックやグリコのような「おまけ菓子」なんてのは、お菓子として買っていたけれど僕らにとってまさに「おまけ」が狙いだった。
そう考えると、写真を売る手立てはいろいろあるじゃないか・・・・。

「ハンバーガーを待つ三分間の値段」という本の、日常の中のエイリアンという項で書いたことなのだけど、新しい概念というのはすでにあるものの名前を装って生活に入り込んでくるものだ。消費者の心の中に、すでにそれをうけとめる引き出しがあるから。

売りにくいソフトは、生活材の一部になってしまったほうがいいのかも・・。

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第八回 ラベル

うちの会社の本棚には、「シーマン映像」などと書いたVHSテープがざっと数えて30本はある。どれも異なる内容のものだ。

実はこれ、すべて代理店や映像プロダクションなどがシーマン関連の仕事をしたときに送付されてくるもので、いわば保管用素材だ。

彼らからすれば、「シーマン」というのはきわめて象徴的に内容を表すラベルなのだろう。だがシーマンの著作開発元である弊社では、シーマンと書かれているだけでは何の情報性も持たない。いつかもっと詳細な情報を記載したラベルを貼りかえなければ、と思いつつ、ここまできてしまった。

ラベルとは情報の省略利用の典型である。だから見易くなるし、逆に、場合によっては見にくくもなる。人の立場によって見やすい情報の形式は変化するものだ。

一度やってみたかった実験をついに先日実行に移してみた。それはすし屋で「何にしましょう?」と聞かれて、「じゃ、お寿司をちょうだい」と平然と答えてみること。ウケるかなと思って地元のすし屋でやってみたが、ドン引きされた。

会話というのは音楽とおなじでテンポをもっている。すごくおそい回線でのネットサーフィンと同様、そのテンポが狂うと思考までが停止する。省略することを抜きにして人間が会話することは不可能である。この省略という手法があるおかげで、人間は快適な会話を愉しむことができるのである。
だから、住所を聞かれて惑星名や国名から答えるようなだじゃれオヤジはかなり嫌われる。「正しいければよい」、という方程式は成立しない。お互いの範囲をふまえて省略が成立するのがコミュニケーションというものだ。だから、関係が深いほど、コギャル会話のように暗号に聞こえてくるものだ。"過度に正確"は悪になる。省略は仲間意識の証になったりする。

おなじ理由で、過度な省略をされると、聞く側としてはとても雑に扱われているような気がしてくる。そういう時は別のストレスがたまるものである。

うちのスタッフは、とてつもなく重要な案件の判断を立ち話の延長で突然僕に求めてくる癖がある。しかもランチタイムの日常会話のように、ことごとく省略されすぎていて、きいたほうとしては何の件のことだがさっぱりわからない。彼等の頭の中にはその瞬間にぐるぐると回っている重要案件があるのだろうが、突然告げられた側としては「は?_」となる。まるで暗号解読のように、ひとつひとつこちらが質問をする側にまわる。最後には、なんでそんな重要な話を立ち話でしてきたんだ、ということになる。テンポが狂うというのは省略されすぎても起きることのようだ。

たとえばこれがプレゼンテーションや経理財務などの大事な案件だったりすると、「そんな話し方でつたわってんの?」と肝を冷やす。省略する人もさることながら、理解できていないまま流してしまう聞き手にも、「おいっ」と思う。大事なことが理解されていないことに誰も気づかないままおわる会議ほど経営者として恐ろしいものはない。その結果として未来に何が起きることになるんだ!?という恐怖。

会話は、相手の視点にたって、と教育される。
逆に、聞き手が理解していることを確かめながら話をする人と出会うと、じつに気持ちいいし、そして頼もしい気持ちになる。それが聞く側の人であっても同様だ。「この人は頭がいいなぁ」と僕が感じる瞬間である。

勘違いをきちんと回避できる人というのは、口だけが達者な人ではなく、目と耳も達者な人ではないだろうか?そして頭脳もね。伝えることと、そして理解をさせること。この二者は行為としては似ているが、まったく異なる次元の行為だ、ということを人は忘れがちだ。
学生のように小さな社会だけで生活してきた人は顕著である。
学生言葉、というのは、実はそういう失礼な省略のことをいうんではないかな?とおもう。

シーマンをつくっている会社がそのまま本棚に入れてもまったく使えるラベルを貼ってくれる人に厚い信頼感を覚えるのも、あるいは逆に、「シーマン」とだけ書いたビデオテープをそのまま送りつけてくる人たちにいささか腹が立つのも、すべては「相手の視点に立って話をする」という技量のなせる技だ。それは技術というよりも人間の基本的な資質であるように思える。

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第七回 正しいディレクション

「カーナビの指示するルートで行っていいですか?」
そのタクシードライバーは聞いてきた。
僕の告げた行き先が、三田五丁目の何々という番地しかわからないということに対しての彼の回答だった。
住所から、ここの近所なのはわかっているのだけれど、なにぜ一度も行ったことのない場所だ。どの通り沿いのどのあたりなのか、さっぱりわからないままあと10分でつかなければならない。つまり今回はタクシーを移動手段としてでなく道案内として利用している。

「はい。」
僕はぼそっとそう答えて、後部座席でボーっとしていた。
ボーっとしながらこのドライバーがいわんとする言葉の意味について考えてしまった。

「カーナビの指示ルートでいいか?」
どういう意味だろう?
そう聞いてくるということは、本来ならば、自分の考えるルートの方が一番よいと自信がある、たまたま今回は対応不可能なだけで、という意味となる。

しかしまてよ、そもそもカーナビとタクシードライバーの
どちらのルート情報が正解なのだろうか?
どちらとも取れる。

カーナビのルートにはきっと「間違えのないルート」を提供してくれるにちがいない。
それに対してタクシードライバーのものは「プロの経験によるベストルート」かな。

考えてみるとこのふたつは、ずいぶんと違うものだ。
日中の東京は「道を間違えがなければいい」というものではない。人と同じ発想をすると渋滞という災難が待っている。

うちの社用車のカーナビルートは馬鹿正直すぎていつもいらいらする。液晶をぶっこわしたくなることがある。だから知っている場所に行くときには使わない。だけど知らない場所に向かうときは確実に案内してくれる。なのでそういうときは重宝する。

 ☆      ☆      ☆

 慣れない社員が、せっかちに大物俳優さんを迎えに行った際、カーナビルートのとおりに道を選択したら、「君は東京の道を知らんのか?」とブチ切れられたという・・・。

彼曰く「こっちはカーナビに従ってんだから、正しいんだ。とやかくいわれる筋合いじゃないはずですよ。」と自信満々の口調。
「本当にそうかぁ??」
通ってきた道を聞いて僕は思わずそうリアクションした。
「そのルートって渋滞してるにきまっているルートだぜ?遅刻するのも当然じゅないの?」
「それは私のせいじゃありません。渋滞のせいですよ。」
正しさの定義というのはそれを行う人によって微妙に異なっている。それが数値化できない状況になったとき、仕事の指示というの歯車が狂うことがある。

 ☆    ☆     ☆

ゲームプログラムにもルート検索というものがある。
あみだくじのような網目状のルートでベストの組み合わせを見つけ出す式である。
そのときに、かならずプログラマーからこう聞かれる。
「ベストの定義は?」

時間、距離、料金、景観、高速・・・・

気の利く運転手は、客とのコミュニケーションによってベストの定義を変えてくれるものだ。
気の利かない運転手は一方的に決めてしまうからあとでトラブルになる。
だから最近のタクシーは、「どのルートでいきますか?」といちいちたずねてくる。
しかしそれはそれで困ってしまう。

あんまり聞いてくるときは、「ほっといてくれ!!こっちは疲れてんだ」そう怒鳴りたくなるときもある。
「いちばんいい方法でいってくれればいいですよ!」

若い部下ばかりの会社をやっていると、同じような気持ちになることがある。
「青山三丁目にいってくれ。」
「はい、するとここは右いきますか?それとも左ですか?」
「つぎの角がきましたけど、どうします?」
こんなレベルまで全社員から交差点ごと聞いてこられたら、身が持たない。自分で運転した方が早いということになる。。

新機軸のゲーム開発とはこんなもんである。
地図が存在しないのだから行き先をつげるだけでは動いてくれない。
自分の頭の中にあるものを伝え、大雑把な構造を伝え、向かうべき方向を伝え、それで仕事に取り掛かれる者とそうでない者が大きく判別されてくる・・、ただし、かなりの時間が経過してからね。

人というのは、実はかなりばらばらの尺度と適切をもっている。
今回のディレクションではどこの中間地点までを伝えようか、と最近は相手によって注意して考えるようにしている。最終目的地ではなくね。
その区間の大きさが適切なときだけはじめて納期と品質が守られるからである。
それ以外のときは人は道に迷う・・・・それぞれ異なる迷い方でね。

「今回はカーナビの指示するルートで行っていいですか?」

こんなふうに、判断基準の変更までを手際よく確認してくれるディレクターがいたら仕事のスピードはかなり高速になる。
それくらい、コミュニケーションというのは難しい。そして重要である。

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第六回 儲かること、好きなこと

独立を考え始めるときに出てくる迷いの一つにこんなものがある。

「儲かること」をするべきか

それとも

「好きなこと」をするべきか

僕の場合は後者だった。
プログをこうして書いているのも、「好き」だからであって、それがないと続けられない。
じゃ、なにか儲かることを考えたことがないか、となると、実は多々ある。
そんな話のひとつを紹介させていただく。

サラリーマン時代に新規事業提案の社内コンテストがあって、僕はその常連応募者だった。

その案件のひとつを、社外のクライアント企業に話した社員がいて、そこが本格的に検討したいと連絡がはいったことがある。

「勝手に社外に持ち出すなよ」
そういいたくもあったが、悪い気もしない。ちなみにそれはどんな案件だったかというと次のようなものである。

「個室トイレの中には、どんな多忙な取締役であってもじっくりと掲示物を読んでしまう時空間がある。大企業の個室トイレ(大用)内の広告掲示権を各企業の総務から買いつけてきて、そこに広告を出すというもの。高額マンション物件や、高級車、生理用品、など、企業規模ごとや、職種・職級ごと(フロア)、男女別、にセグメントした広告が出せるので、きわめて効率的な広告効果が見込まれる。
特殊な消臭効果などの付随品も設置・交換し、掲示広告交換時にメンテナンスもおこなうサービスなので、各企業の総務部門に臨時収入があるだけでなく、利用社員の衛生好感度も向上云々・・・・」

この事業の収支計画を立ててみると、バブル最盛期であったこともあり予想外の収益が見込まれることがわかってきた。

社外クライアント向けに美しく整理された企画書の表紙には、担当者によって「トイレのJ-Wave」などという謎のサブタイトルまでが付けられていた。立ち上げが始まったらこの事業の採用と運営をすべて請け負いたいというのが担当者の目論見である。

先方が私の話も聞きたがっているので同行してほしいという話になり、いつしかそこの社長と会食するようにもなった。そのうち「斉藤がベンチャー企業にスカウトされるらしい」という噂が社内で飛び交うようになり、真横で状況を見ていた先輩の女性営業マンからは「年収1000万くらいいくよ、たぶん」と羨ましがられた。

そんな状況に焚きつけられ、その気になりかけていた僕たったが、上司である名物部長がこの話を聞きつけ、社内の正月放送のスピーチの中で「うちの部署の斉藤が起案した"うんネット事業"が社外の方から評判で・・」などとおもしろおかしく全社に紹介してしまったのである。

勝手に「うんネット」などという絶妙のネーミングで紹介してくれたために、それまでかっこよかった新規事業のイメージが失笑とともに地に落ちた。おかげで関係者の気運までがどっと下がった。
その上司にクレームをいうと、「おまえ本当にウンコにまみれて毎日仕事する覚悟があるのか」といわれた。
「べつにウンコまみれになるビジネスじゃないよ・・・」
そう思ったけど口にはしなかった。

そんなこんなが続き、なんとなくケチがついたようになって僕自身のやる気すらも萎えるようになった。自分の目も本業に戻り始め、クライアント企業の社長との関係も疎遠になり、いつしかその話はたち切れとなった。
ずっと後になって、この迷惑なネーミングを含めてすべての発言が、部長特有の引止め策であったことが判明し、今度は僕が失笑した。

しかし、この名物部長にいわれた、「おまえ本当にウンコとともに毎日仕事する覚悟があるのか」という言葉がいまでも心の中に残っている。

もし、本当に自信があったのならば、平然と「YES」と答え、そして僕は転職を決行していたに違いない。
でもそうならなかったのは、「たしかにそれはちょっといやだなぁ」という自信のなさがどこかにあったからである。

大企業のサラリーマンが、起業して自分が社長になることをイメージする時ってのは、ともすると面倒なヨゴレ仕事は自分以外の誰かに任せることを前提に考えがちである。
でもいまこうして中小企業の社長を10年以上経験して言えることがあるとしたら、それは「当面は、まちがえなく嫌なことはすべて自分でやるはめになる」ということである。
僕がこのときに酔っていたのは「斬新なアイデア」とか「予想外の収支」に対してであり、憧憬していたのは「ヘッドハンティング」とか「社長」などといった言葉であって、トイレだったわけではない。

だから30才手前の僕がもしこのときの中途半端な気持ちで走り出していたら、途中でそれに気づき、挫折していたかもしれない。いや、きっとしていた。
だから、僕は、この上司のでまかせ遺留トークらにいささかの感謝をしている。

☆          ☆

いまでもこの事業には可能性があると思うことがある。
「人が嫌がる仕事ほどビジネスチャンスはある」ともいうし。
でも、それを自分の手を汚してでもやろうという気持ちにはなっていない。

アイデアだけで新規事業というのは始まるものではない。そういう覚悟のあるリーダーがいなければ新規事業というのは、ぜったいに立ち上がらないものだから。だから大企業のぬるま湯にいるサラリーマンというのは環境の変化に対して弱い存在といえるのではないか。

ゲームのアイデアを考えるだけでゲーム会社が経営できるとおもっていた僕はとんでもない苦労を背負い込むことになってしまっている。それでも続けていられる理由は好きなことだからと思う。
仕事の分野においては、なぜか「好きである」と口にするのに罪悪感が伴う。「血反吐を吐くまで」とか「泥水を飲んで」みたいな表現が美学とされる風潮が日本にはある。
しかし、「すき」というのは、もしかしたら創業に欠かせないこの上ないエネルギーではないかと思う。120%のスピードを可能にさせるエネルギー・・。

「うんこまみれ」になれる強さを持った人ならともかく、僕のように中途半端サラリーマンが独立するときにがんばれる仕事・・。それって消去法でいうところの、「好きなこと」ということに、結局帰着してしまうのかもしれない。そして、それでいいのかもしれない。

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第五回 企業の遺伝子

「枯れた技術」という言葉がある。僕がこの言葉を知ったのは任天堂に関する書籍を通してである。

任天堂は同社の製品に、最新鋭のIT技術などを採用しない。最新技術というは軍事や医療、交通機関、など業務用の需要を当て込んで生まれてくることが多いから、いちいち高い。そういう先端技術を娯楽商品が採用してはいけないぞ、というのが先代の社長の訓えだそうだ。

だから任天堂が採用するのは、すこし時代遅れになった技術である。それを安く仕入れて、知恵で面白く再生させる、というのが任天堂の得意技である。これを「枯れた技術の再利用」と呼ぶそうだ。

言い方をかえると、「枯れた」といってるのは凡人の見方への皮肉的な表現であって、彼らにしてみれば「決して古くはないぞ」と手ぐすね引いて待ち構えている意味に思える。

というのも、商品がヒットしてからあとになって「実はぜんぜん枯れていなかった」、ということに凡人は気がつかされることになるのだから。
(これらについては任天堂が過去に出してきた玩具の歴史などを紐解くと興味深い。ぜひ関連書籍をご一読することをお勧めする。)

さて、ゲーム業界にいると、あたらしいハードウェアが発売される以前に内覧する機会に恵まれる。ニンテンドーDSが発売される以前に、「こういう仕様なのだがどう思うか?」を尋ねられたことがある。無線LANとペン入力を搭載する新型マシンの仕様を、もともとゲーム制作者である岩田氏(現社長)から聞き、あれこれと可能そうなゲームのアイデアを交わさせていただいた。そのとき、同氏が次のような言葉を漏らしたことを。
「IT機器にはしたくないんだよね・・」と。

この言葉を聞いたとき、任天堂の遺伝子を岩田氏が貫こうといている姿勢と同時に、ひとつの疑問を感じたことを鮮明に記憶している。

氏はもともとエンジニアである。ノートタイプのマッキントッシュをいつもカバンに入れて担いでいたから、たぶん無類のマックおたくであろう。だとしたら、いわゆるITグッズが嫌いなわけがない。なぜそうわかるかというと、自分もそうだったからである。DSのデザインをあらためて見るとその片鱗もうかがえる気がする。

にもかかわらず、そのセンスを任天堂に持ち込もうとせずに「IT機器にはしたくないんだよね」という発言をした、その理由がずっとわからないまま、ニンテンドーDSは発売された。そしてあれよあれよという間に大ヒットし、市中には在庫がない状態が続いている。一度は地に落ちた株価はすごい勢いで上がり続けている。
画面を二個にする、という奇抜なアイデアは、過去の市場データをどれだけ分析したところで出てこないものである。こういう発想の力というものが僕は大好きだ。
誰に対してかわからないけど、「してやったり」と、高笑いしたい気持ちになるにちがいない。クリエーターの至福の瞬間である。

岩田氏は社外から抜擢された人物である。
MBAをとっている人でもなければ、ヘッドハンティングで採用されたわけでもない。くわしい話はどこかに書いてあるのだろうけど、僕がうかがった限りでいうと、もともとゲームソフト会社の若手開発者のリーダーをしていた。この会社が経営難におちいった際、任天堂からの支援を得て関連会社化し、その際に開発会社の社長となったそうだ。そこで任天堂からの借金を返済しながら、同社のタイトルを作る状態が続き、ある日突然社長に就任して周囲をおどろかせた。

任天堂は、次期社長になるべき経験豊富な人材が数多く擁していただろうから、このニュースにびっくりした人も少なくないに違いない。そのあたりの業界情報については僕はあまりくわしくないのだが。

いずれにしても、岩田氏は、アクシデントで二度までも社長になってしまった人である。だからもしかしたら一度も社長を志したことがないのではなかろうか。話を聞く限りそう思う。人柄も、らしくなくて、重そうなカバンを自分で持ち歩いていることも変わっていない。

MBAという学位が世界の管理職になるためのブランドになっている。
大企業の社長になるにはこういう資格が有効、という流れが上昇志向の強い人たちの間にはあるようだ。事実MBAを取得した人々が誇らしげに帰国し、仕立てのよいスーツを着てエグゼクティブなフロアを闊歩している姿を何百回と目撃したことがある。

しかし、MBAで得られる知識が、どれだけ企業イノベーションの原動力になっているのだろうか、と考えると、あまりピンとこない。なぜそういえるかというと、発想するという特殊な行為が、体系化されマニュアル化されるということがどうにも信じられないからである。もしそういうマニュアルがあるのならばいますぐ買いに行きたいほどだ。

MBAの授業では、任天堂をはじめ世界の革新企業がモデル教材になっているという。では、その教材になっている側の企業は、いったい何をお手本にして成長してきたのかとなると、マニュアルなんてものはなにもない。単に経営者の勘と独創性であったりする。たとえば任天堂を成長させたのは先代の山内氏の特異な才覚ということになろう。

鼻っ柱が強く、一過的で、高い報酬を要求するようなMBAというブランド品ではなく、身近な野に咲くエンジニア社長を抜擢するという決断そのものも、山内氏による「枯れた技術」的な発想なのかもしれない。

そう考えると、岩田氏の「IT機器にはしたくない」という発言の意味がすこしわかるような気がしてくる。「うさん臭い一過性もんにはいっさい手を出さん」という先代の遺伝子にも似た哲学と、そして叩き上げのクリエーターであるという無冠のプライドを。

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第四回 出資

「面倒見のいい知人の社長が100万円出資をしてくれることになった」、といって喜んでいる男が、かつていた。その頃は彼もまだ脱サラしたての時期だから、100万円という金額はかなりの高額である。有限会社の資本金300万円のうちの100万円だから比率も小さくない。
関係を聞くと、サラリーマンの時代からなにかと懇意にしている中小メーカーの社長だという。男は嬉々としてその出資を受け入れた。

一般的に資本金というのは借金とちがって、「返さなくてもいいお金」と認識されている。それがポーンと入金されるのだから、彼にとってはうれしくないわけがない。

さて男がこれから創業するその会社はどんな会社かというと、いわば編集プロダクションだ。社長である彼はその才能をウリとして切りまわしてゆく業態である。「ソフトの時代到来」と騒がれ始めた90年代のことだから周囲関係者は漠然とした期待を寄せていた。
そして無事登記が完了し、脱サラした彼はあたらしいオフィスに什器を入れ、編プロを開始した次第である。
やがてしばらくするといつしか彼の口からはこのエンジェル氏の名前が出てこなくなった。

関係が芳しくなくなったらしい。

何が起きたかというと次のようなことだ。
しばらく会社をやっていて資本金はなくなった。事務所は自転車操業になった。ここまではよくある話である。だがそこで重要なのは、資本金がどんな姿の資産にかわったか、である。

従業員を何人も雇いいれて拡大してゆく、というような類の業種ではないので、しかも合う合わないの激しい彼の性格がら、社員はひとりも採用していなかった。その結果、売上は彼がひとりで稼いでいる状況で、あがった利益の支配権はおのずと社長である彼のもののようになっていった。配当があるわけでもなく、懇意にしていた出資者の社長が、「せめてうちの会社案内をつくってくれ」などといった仕事をうける余裕もないまま、時間は過ぎていった。
やがて出資した社長も「出資している意味がない」ということとなり、ついには返金を求めてきた。そうなると返せ、いや返せない、という議論はついには喧嘩となってしまったそうだ。
結局その100万円がどうなったのかはよく知らないが、ひとつだけ明らかなこと、それは、彼とその出資者との人間関係は完全におわったということである。

出資というのは元金をかえさなくてもいい金である。だが寄付ではない。その違いはというと、寄付は見返りを求められないが、出資は求められる。一般的には「配当」であったり、百歩譲って、芸能プロダクションだったら宴会に売れっ子タレントが出席するような「優待」だったり、レストランだったら「特別割引」といったように、とにかく出資者というのは投資先からのなんらかの見返りを期待している。いわれてみればなんてことはない、これは資本主義の大原則である。

つまり、だ。資本金、というのは使うものではなく運用して増やすものである。姿をかえてチャリンチャリンと利益を落とすドル箱製造機にならなければならないのだ、ということを僕が知ったのはここ数年のことである。
彼はひとりで仕事を受けてきてはこなし、事務所の経費も払い、とそれなりにやりくりしてなんとか廻っていた。そのドル箱製造機が工場や利権ならいいが、このような個人労働ではいつまでたっても産業化しない。そこから産み落とされたチャリンの行方で揉めることになる。

僕がこの一連の件で学んだことというのは、投資と回収はペアである、というありきたりのことだった。ただ一点、この回収は、継続的、つまり半永久的に続くのがミソである。誰がいったか知らないが、「資本金とは返さなくてもいいお金」というのは詭弁で、運用し続けなければならない元金、それがその正体である。もっといえば、返済することができないお金、それが資本金だ。

しかし、この大原則はあくまで原則であって守らないと罰則があるわけでもない。出資する側は確認するまでもない常識と思っていることも、これから会社を始める側の頭には、からきしそんなたいそうな意識がない。これがすべての元凶である。

たった一度きりの好意をうけたばかりに、なんでこんなに付きまとわれなければならないのか、みたいな愚痴が酔った彼から口から出てきた時には、すでに関係は修復不能の状態になっているなということくらい、僕にもわかった。

仕事は日々大変な思いをするものである。そういうきりもりしていると、出資のありがたみなんてものは日々薄れるものだ。しかもこういった個人事務所がわかりにくいのは、どんなに業績がわるくても「つぶれない」ことである。つぶれないから経営責任もくそもなく細々と続いてゆく。だから面倒なのである。
この状態では見返りを求める出資者はいつしか厄介者扱いされるようになる。逆ギレした返済者が恩人をボコボコにする傷害事件は後を絶たないが、好意が裏目に出るという点ではどちらも似たようなものかもしれない。

この経緯をみていた僕の結論としては、独立祝いで出資、はしてはならないということだった。「黄色いモンシロチョウ」といってるようなもので、祝い金、と出資金、は完全に矛盾した概念なのである。

お互いよかれとノリで結んだ関係が、やがては人生の思い出までをも悲惨なものにしまうという点で、出資というのは恋愛に似ているかもしれない。

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第三回 資本金

僕が会社を脱サラしたとき、たしか31歳だったのだが、いうまでもなく、資金なんてろくになかった。
だから、最初はごく近しい友人の有限会社に、貯金をつぎ込んで増資をし株式会社とし、その半分の株主としてスタートした。

この会社はそもそも社長を含めて三人という会社で、僕が4人目の社員(正確には役員だが)ということになった。その会社の取締役として電子出版の新事業をするのが僕の独立というわけである。

そもそもたいした資本がなかい会社にわずかに増資したわけだが、この資本金ってのがまずは最初のくせものである。

自分で独立して会社を開業するのに、なぜ1000万円も必要なのだろうという? 有限会社だと300万。この二者のちかいはなにか? ハンバーガーとチーズバーガーのようなランクの違いだろうか?

独立して13年経過するが、その明確な回答は得られないまま、今年新法律が施行となり有限会社という存在が消滅した。300万円でも株式会社がつくれるようになったのである。

「けっきょくのところ、300万円で株式会社を作ってはならない理由はなんだったんだ!?」

税理士というのはこういった分野の専門家である。だからあたらしい法律のしくみ・ルールはあますところなく教えてくれるけれども、その意図というか意味までは教えてくれない。だから社長というのは、時間をかえけ、その意味を自分なりに体験し解釈してゆくことになる。

そう振り返ると、株式会社というのは、一人で独立する人向けにお勧めする形態ではない、といまは思えてならない。
「最低1000万円集まらないなら株式会社は向いてないよ、お客さん。お金がないならもっとちがうものにしておきな・・・」
お役所は法律という名で私たちにそういっていたのである。
その証拠に、同族会社(一人ないしはごく少数の株主によって所有されている会社)は普通よりも法人税が高い。

税金が高いというのは大雑把に言うと、国が、「あまりよろしくないよ」といっている意味だ。だから、少数で経営している会社はあまりよろしくない、という意味である。それを加味するとなおさら、株式会社の資本金が一千万という法律がきまったのは前述したような価値観があったのではないかと思うわけである。

ここのところのベンチャー促進の意味か、あるいは企業の意味合いが変わってきたせいか、その枠組みがだんだん変わった。最近では資本金が少なくても会社が作れるようになった。だたらなおさら、これまでの資本金って何だったんだ!?という問題に帰る。

そもそも資本金というのはさ、自分始めようとしている事業が軌道に乗るまでに必要な資金のことである。スタートするのにこれくらい無いとはじまらんぞ、というお金。

軌道にのるというのは、入金がはじまり、回転し始めることである。だから、もし皆さんがたとえば、作家として個人事務所を始めようとしているならば、正直1000万円の資本金なんて絶対にいらない。ワープロ、最初の原稿を書き上げるまでの交通費や調査費、カメラ、FAXぐらいのものだろう。1000万から比べると,屁というものでもない。

そうなると、1000万円なんていうあるいは300万円なんていう資金をわざわざ資金調達させていたことが「へんだ」という話になる。

で、たぶんですけど、この商法はそもそも、個人事務所を開業するための法律ではなかったのではないか、と考えるようになった。法律が意図していたのは、「そんなことは個人事業主としてでやりなさい、会社になどにせずにさ」とね。

つきりここでいう会社というのはさ、アイスクリーム工場を開設くとか、出版社をはじめるとか、とにかく一人ではできないことを資本という形であつめてやることである、という意味なのである。パソコン一台ではじめるようなことではない。

たしかに個人でやるだけなら金をかけてまでわざわざ「会社」なんて名乗る必要はない。

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人はなぜ独立するのか(後半)

世の中には自己実現を仕事に求めるタイプの人と、そうではないタイプの人がいる。
僕は、自分のすきなことを仕事にしてきたので、いうまでもなく仕事が自己実現の手段になっている。

こういう考え方の人間は、おのずと「ほかの人もそうに違いない」と思い込む習性があるようだ。それが大きな間違えであることに気づくのは、そしてまた、それまで生きてきた自分の価値観と現実とのギャップに愕然とするのは、独立創業よりかなり後の、いわゆる一般社員が入り始めてから遭遇するひょんな出来事においてである。僕はおそらく、かなりの勘違い野郎であったと思うし、それが是正されきれていない節がいまだにある。このあたりに関してはまたあとで話すことにするけど。

何がいいたいかというと、会社や仕事を自分の人生の最大目標においている人というのは、むしろごく一部の人間である、という事実こそが、もっとも大きな発見の一つなのである。

映画には主役がいればその横に脇役がかならず存在する。僕は大滝秀治さんという俳優がとても好きで、ゲーム作品に登場してもらったことがあるのだけれど、この上なく魅力的かつ独特の雰囲気の存在感をもつ役者さんである。でありながら、大滝さんは映画で主役を演じるタイプではない。だからとても長い役者人生を送っておられる。

主役を経験したスターで長く続く人はわずかである。主役しかできない存在になってしまうからではないかと思われる。

蒲田行進曲の銀ちゃんじゃないけど、主役級のスターというのは主役出演か、あるいはまったく出演しないか、その二択しかない(特別出演とかいう謎の出演形態を別とすればだが)。脇役であれば、飽きられることなく多くの作品に出ることができる。主役が変われば、その人の脇でまたちがった味を演出することができる。でも主役というのは言い方を変えると「つぶしが効かない」とでもいいましょうか、転向できない存在のことをいうのではないか、とすら思えるのである。

だから、主役としての出演を決断するには、慎重に判断しないといけない。自分が本物の「主役人生」に耐えていけるだけの資質があるのか、を。

経営者も同じように思うのである。独立して成功している社長たちには、どう考えてもサラリーマンにはなれないというオーラの人が多い。そういう人たちは、このまま自分の会社を成功させつづけるか、あるいはのっとられる/はたまた没落か、いずれにしてもふたたびどこかの会社に勤務しなおせるとはとうてい思えない人が多いのである。(そういう人の雇用は上司になる人がかなりいやがるだろうと思うし) 極端な例だけど、孫正義氏が事業に失敗し、どこかの企業に入社して再出発する、というのがどう考えてもありえない、そういうことだったりする。
だから、経営者タイプの人ってのは、組織になじめない人が多いというのは、そういう観点では「真」ではないかと思う。(その逆の、組織になじめない人が経営者向きか?ついてはまだわからないが)

そう考えていきつく結論というのはですね、そもそも人類には独立するタイプという人が一定確率でいて、そのタイプの人は遅かれ早かれ独立する運命にあるということではないかということである。

そしていったん独立して事業が失敗したときというのは、社長たる人であればあるほど、たどる運命はスター俳優のそれに似ている気がするのである。

だから経営者というのは孤独になりがちで、夜や週末には、どういうわけかおなじ経営者同士で行動することが多い。敵でありながら同志という不思議な感情がそこに芽生えるわけで。

つまり、独立を考える上で重要なのは、自分が独立タイプの遺伝子をもった人間なのか、あるいはそうでないタイプなのか、それを見極めることではないか。もし違うのであれば名脇役を目指したほうが絶対に得である。なにせ主役よりはるから長い役者人生をつくることができるからね。

さて、人はなぜ独立するのか?という疑問への答えであるけれど、僕が思うに、神様が一定割合の人間にそうプログラムしたからではなかろうか、そしてそれこそが人類をして氷河期のベーリング海峡をわたらせたエネルギーだったのではないか、と思うのである。そのプログラムの有無をきみわめる方法を僕はしらないけれどね。

そういえば何かの本で読んだことがあるけれど、アジアから北米へと海峡をわたっていった(日本人と先祖を同じくする)北米のネイティブにはO型とA型の人しか、さらに赤道を越えて南米にたどりついたのはO型の人しか存在しない、という事実に、もしかしたらそのヒントがあるのかもしれない(笑)。なにせBとABが脱落したことだけは生物学的にはっきりと証明されているのだから・・。

ちなみに僕はAB型なのである。

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第一回 人はなぜ独立するのか(前篇)

トヨタ自動車と日産自動車とホンダ技研が合併したら、市場を独占する一大コンツェルンになるにちがいない。でもそんな優良企業に運よく所属することができたとしても、社員の一部はその会社から独立しようとするにちがいない。そしてタケノコのように別のあたらしい自動車会社がにょきにょと生まれることになる・・・。

独立する、自分の会社をつくる、という言葉は麻薬のように人をひきつける魅惑的な響きがある。危険でも、安定がなくても、人は独立起業したいと思う。
動物は(かもめのジョナサンを除いて)わざわざ危険にチャレンジしない。だから人間というのはかなりひねくれた動物といえると思う。

じっさいのところ、独立というのはそんなにかっこいいものではない。たしかに自分で会社をつくれば「社長」という肩書がもれなくついてくるわけだけど、この社長という響きがクセモノなのである。豪遊人の代名詞みたいに歌舞伎町のキャッチで使用されるこの「社長」という肩書の実態が、実はどれだけかけはなれたものか、を人は独立すると思い知ることになる。

日常僕たちが「会社社長」と聞いてイメージするのは立派な高層オフィス、かっこいいエントランスと受付、ふかふかの絨毯と大きな会議室、その奥にでーんと構えた社長室・・・といったところだろうか。でもこれは、「雇われ社長」とかそういった類の出世コースの延長あたりにあることで、実際の「独立」をした人がたどるコースとはちと違う。実際はさ、雑居ビルの一角に構えた職住を兼ねたようなオフィスに、コンビニ袋をぶら下げて深夜に買い出しから戻る、そんな風景に甘んじることであったりする。
このあたりはおいおい触れてゆくのでここではくわしくは言及しないけれど、そういうステータスに憧れて独立するのだとしたら、むしろ起業なんて考えずに優良企業にいい条件とそれなりのポジションで転職することをお勧めしたいのである。

それでもなぜ独立するのか?
僕のことを振り返って考えてみると、それはやはり、「会社」という母体をつくりたかったからだと思う。つくりたいとはいうけれど、それはいまのベンチャーブームや株式公開ブームとはまったく違うものだった。会社をつくりたい、というのがモチベーションではなく、その先にあるものが会社がないとできないことだったのである。
それはどんなものか、というと、当時1993年のことですけど、マルチメディア媒体による電子出版ブームというものが吹き荒れていたことに起因している。すこしだけその話をしよう。

電子出版ブームというのは、出版社が電子媒体で出版を行うという趣旨のものではなく、それまで大手の出版社が支配してきた「出版」という権威的な領域を個人に近い市民が対等に入っておこなえるぞ、といっただった。

当時は自分の書いた/作った書物かCD-ROMの形で流通することができる、というのはとても魅力的でかつ革命めいた雰囲気があった。いまとなってはインターネットの普及により、フロッピーやCD-ROMである必然性そのものが消滅したが、黎明期当時の人たちがインターネットのコンテンツ供給を支えていたのだから、その目論見はかたちをかえつつも結実したといえるだろう。

当時のそういう潮流の中心に米国ボイジャー社という会社があった。この会社はさまざまな書籍に文字だけでなくクリック表示可能な注釈、音と音楽、画像、場合によっては動画、をくっつけで、フロッピーやCD-ROMで販売していた。また、彼らはエクスハンドブックというツールキットを販売していて、これを使えばワープロで書いた原稿を流し込むだけで美しいフォント(いまではもう普通ですがいわゆるアウトラインフォントですね)でレイアウトされ、しかもそれをランタイム版の電子出版物としてすのまま複製することができるというものだった。読者はそれをフロッピー版の書籍のように、いや書物よりも多機能に読むことができるというもので、ハイパーメディアの先駆け的な象徴として、そしてまた西海岸のカリスマベンチャーとして君臨していた。

ここの創業者の人はマルチメディア業界の立役者的な存在でもあり、その手のカンファレンスではいつも率先して壇上にたち、知の解放を訴えていた。場内は、いまのしらけたようなコマーシャリズムとはちょっと違い、革命にたち向かう同士のよなう熱い雰囲気がみなぎっていたものだ。

マスコミはこの妙に熱い人々をみて「マック文化は宗教だ」と書きたてたけど、それはあまり正しくないかもしれない。当時のプラットフォームがマックしかなかっただけのことで、それ以上の意味で宗教色があったわけでもない。

もっと正確にいうと、実のところエネルギーに溢れたはぐれものの彼らにとって、自分が親方になれるあたらしい生き場所が必要だっただけの話であって、マルチメディア技術をあたかも人生のチャンスとしてうかがっていたのである。

だからおのずと「自分がいかに便利になるか」、ではなく、「いかに人を便利にさせるか」、として見ていたわけで、彼らのコウマイな理想がゴウマンな語り口とあいまって宗教的な雰囲気を醸し出していただけにすぎない。

そんな彼らにはなにか大きな大義が必要だった。当時のそれが、商業主義の大手出版社に独占された知識の分野を取り戻そう、といった内容のことであっただけのことで、まちがえなく僕もそんな一人であった。

こういう妙に熱い雰囲気というのは新興の分野にすべて共通したものなのだと、いまにして思うわけだが、その潮流にうまく乗ると、たとえそれが昨今のネットビジネスだったり携帯コンテンツだったりしてもいいのであるが、起業がうまくいったりするわけである。

で、話は戻るけど、僕が最初におこした会社名である「オープンブック」も知の開放にちなんでのことだった。

つづく

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独立ノススメ、マタハ、モドレ第0回 「はじめに」

なつだぁ。
学校はもうやすみだけれど、そろそろおとうさんの会社も夏休みになる時期だがね。

このBlogの読者は大人の人が多いみたいだから、そういう人のために読んでもらおうと思い、新連載を開始することにしたのであるよ。
その趣旨をまず第ゼロ回として書こうと思うのである。

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僕は、大企業から脱サラして、今年で13年ちょっとたつ。
いま43だから、30才で独立したことになるかのかな。

僕は会社の経営者という立場ではあるけれど、かなりダメ経営者だ。
どれだけダメ経営者かは、この連載を追って読んでゆけばわかると思うんだけど、ま一言でいうならばよい経営者というのは組織をつくるのがうまい、という定義がある。
僕はそうではない。すくなくともこれまでの僕はね。
独立したかったのは、事業者として成功したからだったわけでは全然なくて、作りたいモノがたくさんあったからだ。つまりそうする必要があったから会社にした、というのが理由なのである。

なのに、周囲の話ぶりからすると、「成功したひと」というイメージで見られているようだ。
この風潮は、おそらくは、ゲームタイトルがヒットしているときにつくられるようで、そういう指摘をうけるたびにへこむというか、すこし切ない気分になるのである。

母の葬式で、古い母の知人にいわれて気づいたことがある。僕はけっして自分の実力で仕事ができているのではなく、母から受け継いだ才能に助けられてやってこれているのではないか、ということ。事業家として、あるいは経営者としてなんら優れているわけではなく、すこしばかりの創作力が継続を助けてきただけだという意味で。

僕などと比較しては大変申し訳ないのであるが、手塚プロも黒澤プロダクションも、偉大な作品によって歴史をつくってきた。社長のすぐれたクリエイティビティーが大きな競争力だったわけで、事業家として戦略に長けていたというわけではない。社長が他界した後も企業が成長しているという事実はない。クリエーターが社長をやっているというのは、つまりどこかでトレードオフがある。何かが欠けてしまう。僕のケースもこの相似形であると思う。

そんな僕であるが、そろそろ40代も中盤にしさかかり、何かを伝えていこうという気持ちがめばえはじめた。(ゲームクリエーター講座なるものを何回かに分けてやってきたのもそのせいだ)
たしかにそういう視点で自分の人生を振り返ると、失敗の数にかけては負けないものがある。自分が歩んでいる道は、やけに困難が多いという点において、たしかに「独立」という概念に相当するものにも思えなくもない。
そう考えると、これから独立したい、あるいは、独立したけれどどうやったらうまくいくかを考えている人たちに、まちがっても「こうすると事業が成功するぞ」なんてたいそうなことはいえないけれど、「こうしないほうがいいぞ、なぜならば、僕はそれでうまくいかなかったから」ということはたくさん書ける気がする。

そうだ、思い切ってそれを書いてしまえ、というのが、今回の連載である。
その意味でこの連載はさ、よそのどこにも書けない、極秘のレシピ(?)なのであるよ。

だから、独立を考えている、あるいは独立したけれど悩んでいるといった知人、独立するなんてできないけどどんな苦労があるのか知りたい、といった人にどんどん教えてください。

題して、「独立ノススメ、マタハ、モドレ」 

はじまりはじまり!!