斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
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Windows8パソコンの使い勝手をどう評価するか?その考察1 "RTというOS"

ずっと気になっていたWindows8でしたが、店頭では在庫不足で、デザインのよさげなものがなかなか入らない。 2週間待ちとかいれてるし、Lenovoのなかなかよさげにおもえるノートモデルは「世界市場で予想外の大量注文」とかいって発売延期だし、初物ズキの僕としても、もうあきらめようかと思いかけていたところでした。

で、買ったのがWindowsRTのノート。
目的は、Winodws8(とRT)のタッチインターフェイスの実用感。 

そもそもMacBooKユーザーの僕がいまさらなんでWindowsノートマシンに食指をうごかしたのか?についてですが、理由は二つ、あります。

理由1 現行タブレットは大好きだけれど、入力マシン(原稿書きとかドキュメント作成)用としてはいまいち非力。

理由2 かといって巨大メモリーとローカルハードディスクを前提とした巨大アプリをぐりぐりと動かす設計のマシンはもう使いたくない。

ということです。

いまのメインマシンであるMacBookAirはたしかに薄くて軽くてスタイリッシュだけれど、そしてアップル製品の特徴である(スリープ状態からの)レジューム復帰もとても安定しているけれど(かつてのWindowsマシンの弱点は実はここでした)、でも所詮その設計は旧世代的。プログラムサイズがでかすぎて、たとえばPhotoshopひとつとっても、使いもしない機能の集積に重くて重くて使う気になれない。

実はゲーム市場が何度か繰り返してきた、肥大化したゲームへのユーザー疲弊と、そこからのゼロリセットの歴史。昨今のスマホの流れは、これとおなじ歴史の原
点回帰だと思ってみています。つまりスマホがつくりだす新しい軽量化のためのインターフェイスが、パソコンの肥大化・巨大化したシステムサイズをいったんリセットする、20年に一度のタイミングだと思うわけ。1983年のLISAから30年続いているマウスオペレーションの呪縛から、人類が解放されはじめているのが今ですから、ここへふたたび後戻りしたくない、という気持ちもある。

そんでもって店頭で悩んだあげく購入したのが、NECのWindowsRTモデル。ほとんどWindows8と同類にみえますが、ちがうものです。

店頭価格で84800円。実購入価格は79800+10%ポイント。「ノートPC」としては安い印象で、一方「タブレット」としては普通の価格帯といったところでしょうかねぇ。

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ここで気を付けないとならないことがあります。今回購入したノートが他の一般的な(そして店頭のコーナーをほぼ独占している)Windows8タッチスクリーンモデルと違うのは、この"RT"というOSです。画面の外観も、そして名前もややこしいほど似ているけれど、WindowsRTというのは、いわゆるPC用のOSではなく、タブレット向けのもの。なもんだから、通常のWindows向けアプリは動作しないし、インストールも「ストア」からのみ、いってみればアンドロイドやiOSと同じような位置づけのものです。

 「なんだよ、それだったらパソコンとしては中途半端じゃん。」と思う人もいると思います。でも、僕がこのモデルを気に入っているのは、(といってもその評価は今はじめたばかりですが)、このクラウドを完全に前提としたパソコンだったから。クラウドを前提としたパソコンというといかにも今っぽい書き方だけど、要するに、バッテリー寿命の長い、そんでまた無駄なローカル処理が肥大化していない、そういうPCの姿あをじわってみたかったのであります。

 

かつて、同じような思いで、ASUSのキーボード付きAndroidタブ゛レットを使ったことがあります。ま、要するにAndroidOSのノートPCですね。

ところがこれがすこし実使用にはきつかった経験がある。理由は長くなるので次回にかきます。

 

さてさて、写真にあるのが、今回のWindows RT搭載のNECノートです。

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 これが開いたところです。見た目はいわゆるWindowsノートのまんまですね。

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画面は、360度まわるので、ぐるりと一回転させると・・・

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・・・・いわゆる、タブレットになるわけ。バッテリーのもちも、カタログベースだと、8時間とあるが、一日使った印象だと、一度の充電しかしていないのに、いまもまだ持ち続けているので、いわゆるパソコンのような電力消費はないようです。

 

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ごく最近、新刊をだしました。この手の大きな仕事、とくに原稿ができて校了までの後半の作業においては、この手のクラウド型マシンではとっても処理がおいつきません。一冊の本のデータなんてものはグラフィック含めてデータ量がでかすぎる。ローカル処理型の、俗にいう「バソコン」でないと作業は困難です。こういう「特殊処理」の時は、業務用のPCが威力を発揮するものです。

けれど、連載のような日常の書き物は、まるでちがう。ブログもそうですが、出先で書きたいわけで、それが社内のドキュメントならばどうせ誰かと共有することがわかっている。出先で更新をかけてゆくわけですから、おのずとその書類はDropBOXやEvernoteにおく運命にある。だったら、安くて軽くてバッテリーは長持ちのほうがいい、ということになっての今回の選択です。フルスペックのWindowsパソコンは(いやMacであっても)もう持ち歩く気にならないす。

今回のモデルはね、MSOfficeがプリインストールされていますから、その意味では安いもんだ、という判断での今回の購入ですが、今後の実際での使用感については、次回に書きます。引き続き(興味ある方は)お楽しみに。


 

 

 

 

 

 

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老化現象と日本語とグルメ度について

「最近、テレビをみてておもしろくないし」とか、「スマフォゲー作ってるやつらはまるでゲームをわかっていないし」とか「若いやつはどいつもこいつも日本 語がへんだし」とかという愚痴を聞く事が多くなった。この理由は明確で、僕自身を含めて周囲には「高齢者」が多くなったということでしかないのです。 今回はそういう話し。(←Blog更新原稿をそのままコピペしたので長文です)

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「日本語が崩壊している」というフレーズは何十年前から使われてきただろうか。僕が子供の頃から壮年者たちは若年に対してそう指摘しながら、それが瓦屋根 のようにそれが繰り返されていて、いつのまにかそれをいう側に立っている。 でもね、女子高校生の会話が意味不明だからといって、それを「日本語の崩壊」といってしまうのは、自分の老化を認めているだけに過ぎないようにも思うので あります。

ちょうど、東証取引所とか築地市場の競りのやりとりが部外者にまるでわからないのと同じで、身内同士というのは会話が省略効率化されたあまりに 暗号のように聞こえてしまうことはどこの国でもよくある話しではなかったかな、それと同じではないかな、と思うのであります。 むかし、何かの洋画で壮年のオトコが「いまの若いヤツはカッコつけて"COOL"などと変な言い方をするけれど、おれたちの時代は"HOT"といってたん だ。ヤツらの言う事はわけがわからんぜ。」と愚痴るシーンがあって、当時「ああ、たしかに、ストーンズもカッコいいものは"HOT"と唄ってるよな」と納 得したことがある。

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「新しい」を「"あたら"しい」と読むのは、江戸後期の"スノッブな人たち"によるスラングで、じつは「"あらた"しい」がそれまでの正しい読み方だった そうな。たしかに「新」の一文字だと「あらた」と読むのはそのあからさまな名残りと思われる。この"スノッブな人たち"がひっくりかえした読み方は、しか しいまでは正式な日本語になっているわけで、同様に「秋葉原」も当時の「あきばはら」がひっくり返ったものだったといいます。 言葉というのは、刻々と流転し変化するから、古い日本語にあまりに固執し続けている人いうのは、ちょうど「バソコンというのはキーボードがしっかりとつい たものをいうのであって、いまのタブレットはけしからん」といってる頑固なエンジニアくらい(そんな人が本当にいるのかは知らんが・・)、偏屈な存在にな るんだろうね。

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味覚ってのもそれに似ていると思う。
「魚の焼き加減」から「飯の炊け方」まで、加齢とともに、出てきた料理の出来の違いがわかるようになってくる。それは、もちろん経験にもとづく高度な識別 能力なわけだ。そういう人たちにとっては、魚肉で作った「かに風味」をほんもののカニとおもって食べている連中のことをバカにしたくなるのもわからんでも ない。 だから、小姑が嫁がつくる料理に指摘をするのに似ているけれど、「いろいろと知っている世代」は、若い人がすることにいちいちケチをつけたくなるわけだろ うね。 かくいう僕も、若い、とくにオトコの社員たちが、ハンバーグとカレーと焼き肉であればなんでもうまいというのを見て、「こいつらを高いレストランに連れて 行ってもどうせわからんにちがいない」と思い、連れてゆく場所をついぞ安いところでごまかしてしまうのです・・・。

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でも、僕の大好きなDJ、小林克也氏はある番組で「Rock'nRollという音楽は、アーチストの肉体があるホルモンを分泌している若さでしかでき得な い音楽ではないか・・・」と語っていたことがあって、妙に納得してしまった。もっというと40代が近い当時の自分はこの言葉にかなりのインパクトを受け た。その真意を解釈するとたぶん、「若い時しかできない芸術分野が確実にある」ということになる。

たしかにあたっていると思ったけど、同時にこれは、年長 者の自信を奪う言葉だった・・。

なぜかいま六本木ヒルズのTSUTAYAの二階を占拠している「ビートルズ」は音楽界の伝説だけれど、すべての名曲は当時の彼ら20代の小僧が作った曲で あるわけで、解散後の30代以降の彼らのソロ活動をみても、たしかにその勢いは、20代の小僧でしかできないものだったような気がする。

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僕はあと一週間で50歳になる。 今日電話で話した旧友のN君(シーマンシリーズの3Dをかつておねがいした、現在45歳の敏腕デザイナー)と今日電話で話したんだけど、「いやいや、斎藤 さんはまだまだ大丈夫ですよ」といってくれた。「いまのスマフォのゲーム開発者はひどいもんですからね」と、その世代比較においての文脈。ま、彼は常日頃 から僕のことをとてもレスペクとしてくれている人で、ありがたいことではあるんだけれど、でも実は心の中でこう思ったのさ。「"まだ若い"などとオレたち はいってちゃいけないんだぜ」と。「まだ」という言葉は、時限立法みたいな意味の言葉であって、要するに過去にゴールをおいている。それじゃノスタルジーみたいじゃない か、と。

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50歳になる記念に、今月下旬に、新刊を出版します。50代の中小企業のオヤジ社長はどこにむかうへきか、というテーマでまるまる書いてみた。(完成がず いぶんと遅れてしまったけれど・・) この本は、べつにたいした本じゃなくて、むしろ反省の本なわけですけれど、いまの僕にはとても意味がある本で、50歳になる前に出しておきたかったのであ りまして、誕生日ぎりぎり当日に出版社が納品を間に合わせてくれたものです。 「かつての日本語は美しかった」とか「むかしの人は米の炊き方が上手だった」などとノスタルジックに口うるさいオヤジになるんじゃなくてさ、もっと先にあ る未来に向かって前傾姿勢で生きるかっこいいオヤジになるためにはさ、いまの若い世代がヘタクソなところばかりをみて優越感に浸っていてはダメなんだ、と いう自戒の念をこめて、ね。 つまり、いま、この時期は、僕にとって半世紀ぶりの反省期なのであります。(爆)

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携帯メアド文化は過去のものとなり、SMS時代がくるのだろうか?

SMS(←いわゆるショートメール)がキャリアを越えて送受信できる日が、あと1ヶ月後にくる。僕は、実はこの日をずっと待ち望んでいたのですが、もうすこしゆっくり来ると思ってました。なにせここは日本ですからね、公約されたことだっていつになることやら・・とね。

なぜ待ち望んでいたか?という話になりますが、要するに人の連絡先を聞くのに、番号がわかっている人なのにどうして長たらしい(←これは人によるけど、ガラ携テンキーでローマ字と英数字をいれるほど辛い仕事はない)メアドを転記入力しなければならないんだ?という疑問が払拭できないからでして、携帯メールアドレスがない日本以外の国では、実に不可思議な行為に思われる習慣だったと思います。「プッシュ型であればGmailでいいじゃないか」、というに決まってる。

たしかに無料のGmailがあるのに、携帯料金にiMode代315円/月、を付加して払うってのも、よくよく考えるとよくわからない。もともとがPC文化の人間なもので、iModeという閉鎖系世界が好きにならないってのもありますが、特有の「半角カナ」の文化がどうにも嫌いなのも含めてあまり価値を感じないのです。

だから、とっとと315円など解約して、番号だけでメールを受信できたらどんなに便利だろう、と思っていたのが一つの理由(SMS一通につき発信者に3.15円かかることになりそうですがそれでも現在の固定費の1/100ですからね) そしてもう一つはですね、メアドは人によってはときどき「変わる」からなのです。うざい人間関係のしがらみの中で、メアドを変えたい理由もわからないでもない。しかし、番号はそのままでメアドが変わる、しかもこのふたつが紐づいているという「ねじれ構造」にあまりエネルギーを使いたくないってのがある。

ガラ携の時代では、MMS(キャリアのメール)は、待ち受け画面にも着信が表示されるので、いったん登録してしまった人とのやりとりでは、これほど使いやすいメールサービスはないことも事実。だけど、いまのようなスマフォの時代では、MMSのアプリの弱点がまるだし、DOCOMOメールはSPモードと名を変えて最悪の使い勝手となっている状況もある・・・(使ったことのある人ならわかると思いますが、専用アプリを使うわりにトップ画面に着信告知がないからメールがきたことに気付かない)

ソフトバンクが立派だったのは、iPhoneローンチの数ヶ月後に、[email protected]というMMSメアドを前ユーザーに提供し、しかもiPhone上で、ガラ携と同様のトップの着信通知に対応させたことでしょぅか。これがなかったら、日本ガラパゴス分かのユーザーにとってiPhoneは愚図でノロマなスマート携帯といまだに見なされていたかも知れないと思う。

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クラウドの時代になると、本人認証ってのがいろいろと大事になります。これまでは提供側が「おまえは本当に、この番号の持ち主なのか?」という確認がとれなかった。だからiModeの時代では「公式サイト」という名でキャリアがそれをすべて担ってきました。これからは、「あなたの電話番号さえわかれば、こちらからメッセージ送りますので、そこに届いた暗唱コードを入力してくれればいいですよ」となるわけで、長たらしいメアドをいれる必要もないし、キャリア決済を経由する必要も薄れる。ついでに着信した端末が世界で一つの携帯電話であることも確認できるわけです。携帯メールアドレスなんてのは「インターネットからの送信物はうけとらない」に設定している人がほとんどなわけで連絡先になり得ないんだから。

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ガラパゴスだった日本のユーザーは、スマフォの到来とともにすこしづつ、「携帯で使用するメアドはキャリア依存しないものにしよう」という気にすこしづつなってきてるんじゃないかな。そこに来てのSMSオープン化ですから、情報提供者はこれから「電話番号収集合戦」に入ると思います。相手が携帯ユーザーであることが確実にわかる方法で、かつ連絡先でもあるわけだから。

ま、知らない人に番号を教えることには抵抗がありますし、写真貼付とかデコメ文字のように長く土絵割れてきた日本のユーザー文化ってそう簡単には変えられないものでしょうけど、最期はそういう世界標準に変わってくるものではないのかな、と・・・。

 

(ツイッターをはじめてからブログ文体がかわったとつくづく思う自分がいる・・・)

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子どもたちの時代の結婚披露宴とiPadとかクラウドの関係

昨日はiPadの日本での発売日。たくさんのiPadがこの数時間で日本に出現したわけです。

このiPad、画面が大きいせいで、「お、パソコンいらないじゃん」と思う人も多々いるのではないでしょうか。

仕事の関係で、一ヶ月ほど先行して僕もiPadをさわって、そして昨日社員にそれを貸すことになりました。その際に改めて驚いてしまったことがあります。通常パソコンを人に渡す時はハードディスクをきれいにして、つまり「初期化」して渡すのが慣例です。必要なデータはすべてバックアップする。ところが、このiPadでは何もする事がない。ただ「リセットする」だけ。ローカルにバックアップするデータをひとつも持っていないことにあらためて気付かされたわけ。

ツイッターで知人が「自分の所有物としての愛着がわかない」とつぶやいてました。たしかに本質は手元にはなにもない。自分自身はどこにあるのか、といえば、サーバー上の、自分のアカウントの中でして、iPadはそのエイリアスみたいなもの。ネットカフェのパソコンのようなものなのですね。それがクラウドです。

iPhoneを紛失した時に、その中のデータを遠隔で消去するサービスがあります(MobileMe)。消去しても、いたくもかゆくもないのは、その本質は携帯の中にはないから・・・それがクラウド。

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サーバーの上に自分自身の情報をどんどんと蓄積して、「端末」がどうなっても大丈夫、というのは銀行預金とおなじ構造です。通帳を紛失しても銀行に通知すれば大丈夫、ということ。そういう生活慣習代が進むと何が起きるのか? 銀行とおなじです。「倒産したらたいへんなことになる」ということ。そして「信頼のあるところに現金があつまる」ということ。

さてもう一方の、銀行側はどうやって儲けるの?という疑問。その答えも銀行はこう答えます。「預金者からあずかった資産を使って運用する」となる。それがたとえばiADということになります。預金者があずけている映像に広告をつけて配信する、この比喩は誤解の余地を含んでいますが、ま、そういう権利をアッフルは次のOSに付加してくるというわけです。

ソフトバンクが目下のところこの「代表的なクラウド端末」の日本での総代理店です。ソフトバンクはいうまでもなく日本の会社ですけれど、肝心の「バンク」の役割、つまり口座を管理しているのはアップルやグーグルやUStreamといった米国資本の企業ばかりです。パソコンより廉価なiPadが、実はそのための口座開設マシンであるという認識はあまり広くは認知されてはいません。

クラウドはまちがえなく便利です。そして安い。「自宅に山積みのホームビデオテープをすべてUStreamにアップロードします」というサービスはそのうちにどこかで始まるでしょう。ハードディスクを購入しないでどこかのサーバーに保存してしまう。大手クラウドサービスはいまは無料キャンペーン(?)で提供されていますので。これもクラウド笑。

で、その先にどういう未来が待っているかというと、いつしかそのビデオに映っている子どもたちが成人し、結婚披露宴のスクリーンで流れる思い出映像を、幹事さんがクラウドから上映する、そしてそのフッターに情報銀行の運用先の企業広告が入っているし、「そんなのはあたりまえ」といわんばかりに参列者たちは目を細めながら広告入り映像を見る・・・これがクラウド。

この手のクラウド化が加熱し、その潮流の先にあるのは、いつのまにか、日本の、いや世界の情報がいくつかの大手の口座にすっぽりと格納されているという状況だとしたら・・・いつしか僕たち日本という国は米国資本配信の視聴側専用席に座っているのではないか、という表現側としてのいささかの不安を、すこしばかり感じてしまうところがあるのです。

 

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雲のこと

最近元気がいいアップルのロゴが、ちよっと前までレインボーカラーだったことを知らない若いユーザーが多くなってきました。

ところ で、レインボーカラーというのは七色、というイメージがごく普通に僕らにはありますが、よく数えてみるとアップルの色は6色です。

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この理由、実はアメリカの常識では、虹の色は6色とされているそうな。7色としているのは日本の視点。(イギリスは7色、ドイツは5色、と wikiをみたら国によってかなりまちまちみたいす)

ま、こんな話はどうでもいいのだけれど、それと同じような話として、学生時代に「牛」に該当する英語がずいぶんあ るな、とおもった記憶があって、(cow, bull, cattle,ox,calf.....そしてbeef!!!!)、おなじく羊もSheepやらramやらlamb(どっちもラムなのでややこしい)やら mutton(マトンやらムートンやらでややこしい)とたくさんある。

日本の魚の名前の多さも有名ですけどね。

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ごく最近、おそらく今年に入ってからではないかと思いますが、新聞 のトップに「クラウド」という言葉が使われ始めました。「雲」の意味のCloudですけど、クラウド・コンピューティングというのは、必要なものはすべて サーバーで提供する、といった意味あいです日本人の業界関係者でこの言葉が口にされるようになつたのも、ほんの1年くらい前でしょうか。空を見上げれば 「雲」がぽっかりと浮いていて(しかも太陽とちがって複数)、人を見下ろしているというイメージは、実はMobileMeのアイコンでは以前からあしらわ れてたので、「はてなんで雲なの?」と当時は思った記憶があります。

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ところが、カリフォルニア州の突き抜けたような青い空に浮かぶ雲と、僕たち日 本人(もっとはっきりいうと東京です、僕の場合)がイメージする「雲」はまるでちがうんだな。たまたまこの連休は晴天つづきですけど、東京ってのは(ロン ドンもそうですが)、いつもどんより曇ってる。「ぽっかり」ではなく「どんより」なんです。雲と空の境界線があまりはっきりしない日が多い。

この気候の違いが、「クラウド」のイメージを著しく異ならせているわけで、その意味でこの「クラウド」ってのは、カリフォルニア語でしょうね。初出はwired誌だそうですが、霧っぽい雲ばかりの気候の土地では最初は意味が通じないからね。日本語では「クラウド」と外来表記されてますが、中国あたりでは「電脳通信雲」なんて表現されるのかな? さすがに意味わかんない、ってなりゃしないかな、と余計な心配。

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で、名詞の数のはなしに戻るのですが、あたらしい概念にはあたらしい名前を、といいます。「拡張」とか「越」とか、そういう程度をあらわす接頭語ではなく、「ありえないような名前」をアメリカの人はつけるのが好きみたい。そうすることでとんでもないあたらしい時代がおとずれそうだ、という印象を人に与えられるからね。クラウド・コンピューティングっていう言葉も、サービスそのものは以前から脈々と行われてきたことで、ここに来て突然日経新聞の一面に出るようになってから書籍とかセミナーとかがあちこちで開催されているのがなによりの証拠です。そういう「これまでときちがうよ」という効果が、あたらしい名詞には明らかにある。

誰よりも一番強いのは、ルールを制定する人たち、という大原則がかけひきの世界ではあります。米国だけ.comの後ろに.jpとか.frのような国名拡張子か付かないのも、アメリカの国際電話の国番号が「1」なのも、フィルムの感光の指標がASA(AはAmericaのAでいまはISOと名称が変更された)だったのも、すべてルールを作ったのが米国だからです。名前やルールをどんどんとつけてデファクトにしてイニシャティブをとってしまう、そういうマインドが開拓魂みたいに強く根付いているからでしょうかね。ごく普通に受け入れることに慣れすぎた自分ですけれど、実は名前をつけるというのはそれくらい、影響力のあることなのだと、最近とみに感じるのであります。

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iPad+Emobileの無線WIFIルーターのコンビネーションを検討中

Emobileの無線WIFIルーターは、5月1日からキャンペーンが始まるという噂でして、そうなると店頭での新規加入時の購入価格分の5980円が1円になるらしいです。

そういう噂を耳にしたせいで、すごすごと今日は買わずに店頭から撤退したのでありました。

この無線ルーターはなかなか優れもので、ポケットにいれておけば周囲の無線LAN対応の機器が5台まで接続可能とのこと。でもこの手の商品には共通の2年縛りみたいなのがあって、その二年間に通信スピードはどんどんと速くなって、結局、「買い増し」という名の機種変更になるのでしょうかね。

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ところで、iPadは、対応アプリが少ないせいか、使っていてまだあんまり面白くない。日本市場むけのiAppもまだだしね。大画面であることが、このiPadの最大の特徴だからiPhoneアプリを小さく動してもつまんない。ただ、驚くべきはバッテリーの寿命でしょうか。もっととんでもないと思っていました。これなら、サブPC買うよりもパフォーマンスが高いかもね。

で、もし3G対応のiPadがSIMMカードとともに購入可能となったら僕は追加で購入しますか?ときかれたら「もちろん」と答えると思う。いろいろと考えたのですが、やはり、この大画面でGPSやMAPを使いたいし、仕事の電話は、大画面に直接かかってきても嬉しい気がするのです。

なもんだから、5月1日から1円のEmobileのキャンペーンの噂が本当だとして、でそれを申し込んだとしても、たぶん数ヶ月で不要になってしまう気がするんだよな・・。どうしたもんか・・・「オレだったらこうす」みたいな意見のある人はどうぞくださいな。

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ビジネスモデル

最近のiPhoneで面白いのが、MobileMeによる新サービス攻勢。

その中でも「ついにやってきたか」と思う仕様は、iPhoneを紛失した際のサービスでしょうか。

いま自分のiPhoneがどこにあるのか地図上に表示する機能もあることながら、PC上から自分の携帯をロックしたり、拾い主にむけてのメッセージをオーナーが直接紛失したiPhoneの画面に表示させるなどのサービス。

本来この手のサービスはキャリア任せでしたが、限界があった。携帯を遠隔でロックしたり、所有者からの特定の連絡に端末が特殊な音を出させたり、という技術特許は、日本ではソニーが取得していました。でもそれらをうまく行使できなかったのは、すべて「キャリア」を経由しているというビジネスモデルが足かせとなっていたからでしょう。ソニー製の端末だけに特別なサービスを提供することができないという制約。

ところが、アップルはそれをMobileMeというプッシュ型通信サービスと、OS開発元という立場を組み合わせて次々とやりはじめてます。

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そもそもMobileMeは、パソコンであるマック向けの付加サービスでしたが、これからは携帯向けの新サービスに強力にシフトしてゆくことでしょう。いわば次世代のiModeのような存在になってゆくのではないでしょうか。iModeになかば強制加入させられていた日本のユーザーからすると、目から鱗といった新アイデアがつぎつぎと登場するにちがいありません。

アメリカという国は、この「新ビジネスモデル」による切り崩しが上手いです。「そんな商売ありえるの?」ということを次々と展開してくる。キャリアの軍門に下っていた端末メーカーたちはなす術もなく、先を越されるにちがいない。国内の通信事業者に課した鎖国的な国策が仇となって、日本はまたしてもハード屋、インフラ屋に成り下がってしまうんだろうか?

ま、ご興味の有る方は、アップルの新サービスをすこし見てみてくださいな。

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iPadの日本発売は5月末に延期というニュース -The Tower for Ipadの行方はいかに~

日本のニュース番組でもあたりまえのように取り上げられるような存在になったアップル。iPadは予想どおり発売延期となったが、その理由は「供給が追いつかないから」だそうで。まことに残念でやんす。

以前にこのブログですこし触れたThe Tower for iPhone はまだリリースしていないのですが、実はその理由は気がついたらクリスマス過ぎてたんで、だったらとiこのiPadにターゲットを置いていたからでした。だって、大きい画面であるほうがいいから。(自己満足)

しかし、こんなに、(どちらも)伸び伸びになって、うちの会社はつぶれないのだろうか・・・

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明日は急遽胃カメラの日となった

ソフト会社の社長をこれだけの期間やっているわけですから、ストレスによる胃潰瘍なんてものはとっくに慣れたはずなのですが、昨晩から急激な胃潰瘍に襲われてしまいまして、急遽明日は胃カメラとなりました。胃カメラを飲み込む時の痛みというのは何歳になっても慣れない。今晩は憂鬱なのであります。実は、「胃潰瘍には慣れた」なんて上で強がってますが、むしろ実は年齢とともに自分が弱っている気がするわけで。

その兆候なのかもしれませんが、電話なんてものは捨ててしまいたい、メールなんてものも見たくない、もうすべて投げ出してしまいたい・・そんな思春期の高校生のような気持ちが中年の自分の脳裏をよぎっているのであります。今日はそんなことを考えていての話を少々。

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映画のシーンなどで、「ちょっととなりの部屋に・・」と人を呼び入れるシーンが登場します。同室にいる人には聞かれたくない話をする映像表現です。

僕は学生時代建築を学んでいたんですが、木の板(=壁)一枚を空間に一枚置くことによって、その空間はがらりと変わる。ここで何が変わるって、人の心理がかわる。空間デザインの本質というのはその魔術の手法だと思っています。これつまりヒトの「視覚」や「聴覚」にはいる情報を遮断するだけの話なわけで、病院の相部屋にあるたった一枚のカーテンが人間の行動をがらりと返る力があるわけですし、さらにいえばスポットライトによるライティングとBGM(による音声遮断)でも、同類のマジックは起こすことができます・・・つまり空間設計ってのは、いいかえると実は情報操作なんです。薄い壁一枚で仕切られた安アパートの屋根を持ち上げて上から見ることを想像してみてください。赤の他人同士が数センチの距離で別々の生活をしているわけですから、この状況って、とても不思議です。視覚を持たない(聴覚だけの人)にしていわせると、ろくなプライバシーなどないといえるわけ。それくらい、人の空間感覚は情報に誤摩化されているといえます。

開発チームが西麻布と大崎チームに別れてからというもの、両拠点間でiChatを利用したビデオ会議を最近するのですが、このビデオ会議がすこぶる評判がいい。おなじビル内でも1階と3階の打ち合わせをわざわざビデオ会議でするくらい。

相手の顔をみて話すだけで、ことばの理解度はここまで違うか!?という効果もさることながら、Quitすれば、瞬時に自分の空間に戻ることができる手軽さ。これはマジックのような効果があります。かのMITメディアラボ(マサチューセッツ工科大学のネグロポンテさんのとこ)で研究されていた様々なツール類、たとえば相手の顔をデスマスクのようにかたどって、その裏側から映像を投射するとディスプレイとは比較にならないほどリアルに見える・・これは、世界がいちばん仲良くしてほしいと願っている二人・・つまり冷戦状態にある米国と旧ソ連の首脳会談用に研究されていた、という逸話があるようです。ちなみにこのサンプルを見たければ、ディズニーランドのホーンテッドマンションの仕掛けに使われてます。

話は戻りますが、パソコンという極めてパーソナルな(=位置移動がまったく必要がない)テレビ会議は壁という固定物をソフト化して置き換える。オフィスを瞬間的にドリフのコントに出てくる貧乏長屋に変えてしまう。必要時は人と話していたいけど、おわったらとっとと一人に戻りたい、という人間のわがままを、ソフトが柔軟に対応しているフレキシブルウォールといえます。つまり住人たちが部屋のレイアウトを仮想的にがらがらと組み替えられる状態。

たしかにiChatで呼び出せるとなったとたん、一人で仕事場にしても不思議なくらいさびしくないわけ。遮断する物体を「情報」に置きかることでオフィスが仮想に隣接したりはなれたりするようなもの。

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人とのコミュニケーションをこういう量的な方法に置き換えると、その量を「計測」することが可能になるわけで、「いつも話している人たち」とか「まったく話そうとしない人たち」といった人間関係的な意思疎通の量をビデオ会議の回数や時間で把握することができるようになる・・・これは極論ですがね。すくなくとも「一つの空間内」ではなかなか計測することができなかった、人と人のやりとりの指標ができてくるわけです。

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「情報が人間を熱くする」という名コピーを亀倉雄策氏がリクルートCMのために書いたことがあって、そのスピーチを拝聴する機会があったのですが、こうおっしゃっていた。「情報って何なんだろうって考えてたら、つまるところそれは人間だってことに気付いたんですよ」と。

人間同士を遮断するのが壁や窓だとしたら、その間を行き来する視覚聴覚情報を遮断するのが、ここでいうところのビデオ会議。人間を熱くするのも胃潰瘍にするのも情報だとしたら・・・人間と人間が一緒にいる間にやりとりされる情報量って、視覚と聴覚以外にあと何テラバイト/sがあるんだろう? そこにスパム・フィルターをかけることができたら、胃潰瘍の進行をすこしは遅らせることができるんだろうか?なんて。笑

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NIntendo 3DS!?

先月23日に任天堂からリリースされたNintendo 3DSなる新機種。3DSという仮称名称と、裸眼で3Dゲームが楽しめるということ以外なにもわからない発表。

この発表が具体的にどのような仕様になって私たちの目の前にあらわれるかは、どうやらE3での発表を待つしかないようですが、ひとつだけ思ったのは、今回のものは「枯れた技術」の採用ではなく、「まったくの新技術」によるゲーム機であるということです。

それは3Dテレビがほとんどまだ店頭に並んでいない中、立体とインタラクションするという行為がユーザーはもとより開発者にはも新技術を通り越えてまったくの未体験の領域であるという意味です。

未来の自分たちが途方に暮れる今の姿を振り返ったら、「いままでのキミたちが3Dといってたものはさ、ただの秒がの計算方法であって、画面に表示された時点でただの2Dなのだよ。ちゃんちゃら時代遅れだぜ」というみくだりはんをつきつけられてるような気がしてくる。

さて、こういう「未体験の環境」でのゲーム作りってのは、開発者の(プログラマーというよりも企画者の)ノウハウはまたもリセットされることになります。たとえば2画面になっただけで、それらを効率よく使おうとした企画の画面推移図は上下の組み合わせてずいぶんとややこしくなった経験をしました。それをふまえると、立体やら、それに付随して付加されるであろうハード特性を活かしたい企画者によっては、この未体験ゾーンはやっかいな負荷になるでしょうね。その意味で、任天堂はずいぶんと高いリスクをとったな、と思うわけです。

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それでも、こうやって停滞気味なゲーム業界をゆさぶって革新してゆかないとあたらしい遊びは生まれない、という気概は、「さすがだな」、と思います。「制作者はちゃんと工夫をして作品をつくれよ」というメッセージにとれるわけで、だぶついた自分の脳みそにかつをいれていかないとダメだなぁと、この週末、しごく反省しているわけです。