内圧の話の続きである。 内圧が高まるというのは、危険な状態が続くことを意味するわけで、内部のスタッフのコンディションが良好な状態ではなくなる。体力的にも精神的にも消耗し、平たく言えば、「毎日続けることができない」ような状態になるわけである。 ちょうど、風船自動車であれば、ピストンで空気を「ぐー」と押し入れているような状態。風船が膨らみピストンに入る力も強く限界に近くなってくる。タイミングを見計らってそしてリリースすると空気の力で自動車は走り出す。 作品づくりというのは毎回毎回内容が刷新されていなければならないものだから、この風船自動車に、あたらしい風船をつけて、そのたびに空気を入れて走らせているようなものだ。走ったらしばらく休みをとって、また気持ちも新たにあたらしい自動車の設計に取り掛かる。 映画がそうであるように、一本一本がチャレンジであり、かつギャンブル的である。世俗的にいう「水商売」に近く、安定はない。 だからゲーム製作会社が株式公開することは基本的にはない話だ。ゲーム出版会社であれば、話は大きくちがうが。 製作と出版の違いはなにか、という話になる。 ピストンで走る風船自動車は、単発で一瞬走るだけで継続はしない。 直線運動というのは、イベント労働のようなものだ。ゲームの製作スタジオ会社が毎回アイデアを考えては、リスクの高い仕事にチャレンジするのがこれにあたる。 こういう仕事は、僕のように40代の経営者にとっては身を削らなくてもよい分羨ましくもあり、クリエーターとして退屈な仕事でもある。クリエーターとって興味の対象となる仕事ではない。 黒澤明が設立した黒澤プロは、黒澤明氏自身が撮る作品以外は手がけなかった。中心となる人物が働かないと儲からないし、メインピストンがとまったら車も止まる、というしくみである。公開などできわけがない。公開するより生命保険の掛け金の方が似合っている構造だ。主活動が「個人の創作活動」なのだから。 ところが配給会社はそうではない。多少リーダーの力量が影響するものの、社長が交替したからといって潰れるわけではない。システムとともに会社は存続するのであって、これこそが「事業」というものである。 だから、もし楽をしたいのであれば、ピストンを「回転」に置き換えなければならないわけである。ピストンを押し込むのは人一倍強い力と忍耐力がいるけど、回っている回転を止めないようにするのであれば特定の才能をもったスタッフでなくてもできる。幅広い分業体制にもってゆきやすい。 ゲーム会社を創業した経営者が陥りやすいのが、このふたつの混在である。公開しようとしたがあまり、衰えていったゲーム会社は少なくない。 僕の会社は、究極の単気筒エンジンだ。誰からからもそう指摘される、悪い意味でね。だから公開なんて考えたことものなかった。だからいまだに潰れずにいる。 だが、事業にはならない。単気筒であるうちはね。 世界のルーカスフィルム、は株式公開していないし公開する予定もないだろう。 つづく |
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