表題のとおり、「北京原人を育てる環境」をいま鋭意制作中である。
ご推察のとおり、シーマン2、がそれである。
「また、とんでもないものを・・・」というため息が、知人関係各所から聞こえてきそうではあるが・・・。
以前にここで、すこしだけシーマン2に触れたことがあるが、北京原人と書かなかったのは、この言葉が差別的な表現ではないか、という調査を発売元が行いたいという意向を尊重してのことである。
「きわめて学術的な言葉でありなんら問題なし」という回答が今日届いたので、あらためて、触れることにしよう。
僕の記憶が正しければ(←あやしいけど)、北京原人は、1939年、中国の周口店でアメリカ人科学者によってはじめて発見されたものの、戦争の雲行き怪しく、人類遺産保全を目的にその骨は瀋陽経由でアメリカに輸送される手はずが整えられていた。
だが、その後この骨は、完全に消息をくらました。その理由はまったくもって不明である。
したがって、いま残っている北京原人の骨はすべて石膏による複製だけという。
シーマン1の設定は、1933年、フランス人科学者であるジャン=ポール・ガゼーの実験報告を再現したことになっている。
シーマン2では、1939年に消息を絶った原人の骨を入手した科学者が・・・といったあたりから物語は始まることになる。
英語では、ピテカントロプス・ペキニーズというそうだが、「ぺきんげんじん」という言葉がコミカルに聞こえてしまうのは、その語呂もさることながら、これまで怪獣映画などで、裸体の役者がそれを演じてきたからではないだろうか。その点で、このコミカルさは日本特有の文化ともいえる。
ゲーム開発者というのは、手がけている仕事を明かすことが出来にくい仕事である。だから、本件もあまり明かすことが出来す、実に残念である。差し支えない範囲でいうと、本作品では「北京原人語」をユーザーに話してもらう(!)ことになる。言い変えると、音とともに作り上げた「北京原人語」を学習してもらい、それを音声認識エンジンで認識させる、という離れ業にプロジェクトは挑むことになる。
「指輪物語」では、架空の言語体系か゜つくりあげられ、役者たちはその意味を理解した上で、セリフとして演じたという。意味があるからこそ感情移入も可能だった、とメイキング映像で役者の一人が語っている。原作では、「鈴の様な響きをもつ言語」と表現されているそうだが、映画ではそれを言語体系として再現したそうだ。
では北京原人語、は、では果たしてどんな言葉になるのだろうか?
僕には想像もつかない。だから逆に、現代人が直感しやすい言葉、話しててわらっちゃうような言葉にしようと決めた。
実のところ、この仕事は、最初は自分でやろうとは思っていなかった。
この人意外にはいないだろうと思われる某氏に依頼しご快諾いただいたものの、いざふたを開けてみると、ゲーム仕様と密接に関係する一方で、仕様がまったく未決定だったことと、それから認識への影響(50音で記述できないと認識定義ができない)などの未知数から、外部の方が独立してというのは困難ということになった。
言葉の数、も問題である。
多すぎず、少なすぎず。着手してから2年近く経過している今も、まだ流動変化している。
どうなることやら・・・・。
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