「ストレスが原因ですね」
よくわからない病状に出くわすと、医者はみなそう言う。
この万能なる原因を言い渡された人は、実は最近多いのではないか?
今ここ数ヶ月の自分をつぶさ観察していて、自分がストレスを感じる構成要素というものを分析してみた。
そもそも、人間は、どんなことをするときにも多かれ少なかれストレスを感じることがわかった。朝バスがこない、めがねを忘れて大切な書類が見えない、コンビニで小銭が1円たりない、帰宅してなかなか靴が脱げない・・・。なんでも、である。
ただ、それらが微数であるがため四捨五入され日常の中で吸収されてゆくだけの話だ。
じゃ、僕が四捨五入して繰り上がるストレスの最小のものが、いわゆるストレスの最小単位となるわけだが、それらにはどんなものか、という話になる。
おそらくそれは、何かをしている時に「ちょっといいですか?」と声をかけられた瞬間の不快感ではないかと思うのである。
あるいは会議で込み入った話をしているときに携帯電話がなる瞬間。つまり第三者によって本来の意図と異なるものに遮られた感覚。これがストレスの最小単位、つまり1ストレス、ではないか、と。たとえば、前方に他の車が強引に割り込もうとしてきた瞬間など、が1ストレスである。
社会生活をしている以上、すべて自分の理想通りにいくわけがない。
その原因と遭遇した瞬間、これが、1ストレス。つまり、相手に責があるわけでなく、ただ自分の進路が妨害されたとき、といえるかな。
その次は、仕事でよくあることだが、唐突に即答を求められるケース。たとえば、「すみません、時間がないので一つだけ確認させてください、ええとXXXの件ですが、これどうしたらいいですか?」といった質問。情報がなさ過ぎて回答不能のままうろたえてしまう。これが1.5ストレス。
あるいは普段いっさい連絡をよこさない人から「突然で悪いんだけど、XXさん紹介してもらえないかな?」と懇願されるようなケース。これはけっこうストレスが高い。
こういう判断というのは予想外にストレスフルである。そもそも判断というのは材料がないとできないものである。アドリブじゃないんだから。その点で「根回し」というのはとても重要だ。
Yes. or No
とか
Aコース、Bコース、ウルトラCコース のどれがいいか?_
など、選択肢が、長所短所とともにあれば選択はできるのにさ。
だけどWhat とか、Howのようなまるなげ系の質問はずるい。言い方を変えると、これは開梱する手間を疎んで、そのまま箱をどーんと投げつけるようなものだ。「質問」という名を使った巧妙な「仕事の振り替え」である。ここに即答をという条件が加わると、時として人は小さなパニックとなる。
そして最後に、最小単位としては最高位の2ストレス、それが、意図不明な案件に強引に巻き込まれるケース。
悪気がなくても苦痛を伴なう。
たとえば、
「斉藤さん、ちょっといいですか?」と声をかけられて、足を止めた瞬間、ここぞとばかりに、物語調の長い説明はじまってしまうケース。
「ええと、実はですね、昨日、M社のDさんから電話がきまして、サーバーがディスクの不良セクターで起動しないというんですよ。でも僕としては、それじゃ埒が明かないから再インストールを提案したんですけど、M社さんの担当者が「再インストールするには上司の確認を取らなきゃいけない、というんですね。でもその上司の方が携帯電話を会社に置きっぱなしで帰宅されたものですから、だったらバックアップサーバーに切り替えてもらったほうがいいと思ったんですよ。そのほうがロス時間が少ないわりには安定起動が期待できると思いますし。なので、そう伝えたら、非常に丁寧な回答をもらいまして、先方としてはバックアップサーバーというのは・・・・・」
延々と聞かされる。しまったと思ったときはもうストレスがあがり始めている。その話の行く末は、果たして質問か、それとも単なる連絡かかわらないまま最初の1分が過ぎた時点で、およそ2ストレスである。
私たちの周囲にあるたいがいのストレス値は、この三つの反復と加算によって計算されるのではないか?
やや強引だが、こうやって整理すると、ストレスというのは、次の3つの基本要素によってすべて構成されているようにおもうのである。
1. 進路妨害されること・・・・・1Point
2. 唐突な質問に回答を求められること・・・1.5point
3.行き先不明な電車に乗せられること・・・2Point
すこし強引かな?
こういう話を人にすることそのものがストレスなんだよ、っていわれそうだ。
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