ライカを買ってしまった・・・。デジタルではなくて銀塩(=フィルム)のカメラ。 僕が写真を取り出したのはアップルのQuickTakeからだから、かれこれ13年目になる。たぶん、いちばん早いデジカメユーザーの部類ではないかな? 僕はもともと忍耐力がない。ワープロがなかったら本はおろか企画書や仕様書なんてまともに仕上げていないだろうし、それと同じようにデジカメがなければ写真なんて撮る気にすらならなかっただろう。でもいまではハードディスクにある写真は数万枚に上る。書いた雑誌原稿や本はそれなりの数になった。 そう、僕はデジタルの申し子なのです。デジタルの力でただの素人がここまでがんばってこれました。 +++++++++++++++
ライカ版、という言葉がある。現在のフィルム標準、いわゆる35mmフィルムのことである。ライカ社が映画用フィルムをそのまま横に使ってスチールカメラをつくったことからこう呼ばれるようになった。過去すべての名作はこのサイズで撮影されたものだ。(そうでないものも多々あるけどさ) ライカは一眼レフで日本メーカーに出し抜かれ、デジカメ市場にいたっては、はるか及ばず出遅れ、オールドファッションスタイルのままで短焦点カメラをつくり続けているメーカーだ。もうこうなると、怖いものなしだ。今日まで潰れずにきたのだから。これ以上古くなるものがなくなると、ちょうどエルメスやローレックスのように独自スタイルを極めればいいのである。 戦地で写真撮影していたカメラマンがこんなことを教えてくれた。 +++++++++++++ カメラマンになるっていうのは、漆職人くらい苦労をつまなければならないといわれてきた。撮った写真を確認するまでに何日、そんでもってまた露出をすこしなおして、何日と、とにかく時間と忍耐力がいる。それをマスターしてやっと今度は表情とかシャッターチャンス探しの職人芸へ、といくわけである。 僕は、まさにその象徴なわけで、「ハンバーガーを待つ・・」に使われている写真なんか、ポケットサイズだから撮れたものばかり。 では、カメラマンは不要となったのか? しかしふと気づくと、雑誌の写真の質はここのところどんどんと落ちてきている。文章もしかり。手続きの簡略化は、ネタを練り上げるプロセスまで簡略化されていないですか?確実に威厳が落ちているように思う。 そういうことっていうのは、気づかないことも多いけど、いきつけの定食屋の味噌汁と同じで、実は潜在意識でみな気づいているのでは?と思うのです。たとえば最近、好きな雑誌とそうでない雑誌がやけに二分化してませんか?僕は、しらずしらずのうちに、読まなくなった雑誌があって、引越しのとき昔のものをくらべてみたら、写真や構成の品質がいかにもDTP(死語)的になっていたことに気づいたわけです。 そんな世代で育った人間としては、銀塩のカメラという、プロの聖域に挑戦してみたいと思うのです。 一枚一枚がやけに高いこのフィルムカメラで撮るということは、下手の数打ち、から一発入魂、となってゆくわけで、さてこの高いカメラを使いこなせるようになったとき、僕は、デジタルとアナログのどちらを擁護するようになるか、に興味が尽きないのであります・・・・・。 「じゃ、なんでわざわざライカなんだよ!?」 |
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