初めてのこのRD-1をここで紹介したときは、マニア向けの高価な玩具みたいな書き方をしていた。「高価なマニア品を買ってやったんだ」みたいな驕りがあったにちがいない。いまあらためて読むと、「デジタル側の自分のほうがえらい」みたいな傲慢さがあちこちに現れていて、無知を恥じ入っている次第である。
さて、結論から言うと、このカメラとの出会いによって僕の写真の見方が変わった。人生もかわった(笑)・・・本当に。ついにフィルムカメラの世界に足を踏み出したことがその証拠と思う。
RD-1は、記録部分を除いては機械式のアナログカメラだ。光学式のファインダーをのぞいて、手でレンズを調整し、目でピントをあわせる。巻き上げ式レバーでシャッターを巻き上げる。
これまでのデジタルカメラは、ピントや露出が自動的に「合う」のに対して、こちらは「合わせ」なければならない。能動的に接しないとならないぶん面倒である。
デジカメで写真を覚えた僕は、ピントというのは合うか合わないか、のどちからしかないと思っていた。そこに選択の余地はないと。
ところが光学式を経験して、その中間があることを知った。つまり「どこにあわせるか?」、「どう合わせるか?」である。いつしかそこに「表現」という楽しみを見出すようになった。
デジカメではそういったことはできないのか、というと、残念ながら「できない」のである。理由は液晶画面と工学ファインダーの画素数の違いだ。レゾリューション的に不可能なのである。すくなくともいまの画素数では。
ところが、記録方式がデジタルだと大きなメリットがいくつもある。
まず最大のメリットは、「その場で結果が確認できる」ということ。あと「フィルム代が極端に安い」こと、そして「加工や送信・公開が容易」であること。
これらのおかげで、つまりこのRD-1のおかげで、僕はフィルムの時代よりかなり高スピードでカメラの使い方を学べた。まさにデジタルの恩恵ではないかと思う。
オートマ車は、ビギナードライバーが運転を楽しめるようになたという点で、偉大である。マニュアル運転を堪能するのは一部のプロ的な楽しみ方である。それと同じでフィルム式、光学式カメラを称えるのはプロ的なユーザーおよびプロだと思う。
「ハンバーガーを待つ3分間の値段」のような写真は、このカメラではぜったいに撮れなかっただろう。ポケットに入らないのだからね。でも便利か不便か、ではなく、僕はRD-1を通じて「プロ的な愉しみ」に踏み込んだのだ。その意味で写真との新しい出会いをこのカメラにとても感謝している
ひとつだけ残念なこと、そしてライカを買った理由、それは デジカメはCCDサイズの技術的な理由で、すべて本来より1.5倍ほどズームになってしまうことだった・・・・。ライカへの憧れは広角への憧れだった。ライカを手に入れた僕は、まるで母校を見るように、いろいろなことを教えてくれたこのRD-1を眺めているのである。
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