060609掲載 人と人とが仲良くなる最短の方法は「共通の敵を持つこと」、という。まさにそうだ、とおもうのが、誰かと海外旅行を一緒したとき。旅行先に本当に敵がいるわけではないけれど、仲間意識というのが芽生えるものだ。しかも不安な旅先であればあるほど親友になった気になる。仮想敵がふたりに仲間意識を芽生えさせる。 ところが団体旅行だと、逆に派閥ができる。仲間意識の仮想敵が内部に発生する。 おなじ構造が日々の人間関係にもあることに気づく。たとえば自分の会社。中小企業の社長は社員の仮想的だ。 企業というのは小さければ小さいほど、一人の人間が、総務部長と人事部長、経理部長、営業部長をかけもちするものだ。たった10人の会社に、人事専任の部長なんて不要である、というのがその理由であって、たいがい零細企業では社長がすべてをとりしきっているものだ。そして、その状況そのものが会社を大きくさせない理由になっているように思うのである。 では、なぜ社長がかけもちでやっている会社は大きくならないのか? 13年ほど開発スタジオをやっていてわかってきたこと、それは掛け持ちすればするほど、社長の存在が強くなり、社員の仮想敵的存在になるからである。社員数が少ない会社は計画や組織なんて明文化しないものだ。そのつど「もっと急いでくれ」とか、「経費をしぼれ」「ああだ」「こうだ」と、口で厭味な指示を口にする社長は社員たちと相対する象徴となり、社員はいつしか団結する同胞となる。権限がシステムに置換しない限り、社長は法であり、その存在は社員と相対する関係になる。これこそが零細企業の特徴だ。 そうとわかっていても僕はいままで自分の会社を、常に小く、と心がけてきた。たくさん社員を雇用していると、たいへんだから・・・。マネジメントで企画屋である自分の時間のほとんどがとられ、じょじょに商品の品質が下がってくる、という悪循環にはいってしまうのである。 だけれど最近、新しい方法を発見した。 で結論からいうと、最近、僕は、この仮想敵をてこにして会社を大きくしよう、と思い出している。ま、あたりまえにいえば「目標」ともなるのかな。 「株式公開でもめざそうじゃないか、」とか。 すると人は、びっくりする。 たしかにゲームの開発会社が公開などしていいわけがない、とずっとおもっていた。 だったら、大きくなることそのものを共通の目標にしてしまおう、と思うようになった。そうすることで同じ側で一緒に悩んでくれる仲間がとりあえず増える。 そしてまた、「公開するならば株を持ちたい」と人はおもうようになる。 「うちの株でよければどうぞもってください」とね。 それで同胞になって一緒に問題に取り組んでくれるのならば、創始者としては大歓迎だとおもうようになった。 かつて外部の人で「この人いいなぁ」と思う人に、何度か「うちにこない?」と声を掛けたことがあるけど、大概は断られてきた。なにせ目標は「いいものをつくろうぜ」だけだったからね。 作る側、作らせる側、という相対する関係構造がそこにはあった。でも最近は、考え方がかわってきたせいか、ちょっと内容のトーンがかわってきている。映画「ブルースブラザース」みたいに。、「おい、いっしょにならないか?」みたいな、ね。 そうなってくると、「かんがえてもいいよ」という人が増えてくれた。つくりたいものが山積みのプロデューサーとしては、優秀な人がきてくれることは素直にうれしい。いつのまにか「君たち」という主語が、「おれたち」に変わってくる。目標が僕の外にあると、話し言葉がいつしか相対する関係から、高い目標に立ち向かう同胞のトーンにかわる。この感覚って久しく味わっていない、よいバイブレーションである。 さて、まずは社長探しからはじめないとならない。立派な人がこんな会社に来てくれるかどうかなんて時の運である。とにかくメンバー一同で尊敬できる人を探そう、そしてその人を中心にがんばろう、とおのずとなる。僕も一企画者として会社の商品に貢献するわけだから、責任重大だ。そうなってくると持ち株比率がどう、なんてどうでもいいことになってくる。「おい、みんなで働こうぜ」と、声を大にしていえる自分が、そこにいる。 ということで、僕の興味は「ゲーム作り」から「会社作り」にかわってきているのである。 (志のある人は、どうぞビバリウムに応募しよう!!!) |
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