20060602掲載 大切な財産がデジタルデータであることに不安を抱くことがないだろうか? 実はここのところ、ちょっとしたミスにより貴重な開発のデータが壊れたり失われる事故が何度かあった。 デジタルというのは、形も重さもないから、失われるのが一瞬だ。そうなったら私たちは人間の手が実に無力である事を痛感する。手というのは形と重さのあるものしか扱えない構造になっているのだ。デジタル情報を救出できない。 写真は三井本館の本社にある金庫室の入り口である。 おそらくここには、三井不動産が所有する数兆円の不動産の権利書や契約書がすべておさめられているのだろう。 それに対してデジタルはセールストークで「劣化しない」といわれ続けてきたけれど、突然に崩壊する。間を待つことなく1が一瞬で0になってしまう。 「変質しないかわりにある日とつぜん無に帰します」というのは、それこそ究極の劣化ではないだろうか!? 何千年もの未来に、私たちデジタル人間の努力の痕跡は博物館に展示され、そのとき後世の人々はいまの私たちが数千年前のパピルスを解釈していように、先祖の生活ぶりをしのんでくれるのだろうか? 自分たちの努力と時間の集約が、一瞬で失わせる事故に遭遇した時にそれを痛感する。 ゲーム機が入れ替わる時期がちかづいてきている。 |
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