060708掲載
0(ゼロ)を発明したのがインド人の功績だとすれば、今回の「0の焦点」は、僕の今年最大の発見といえるかもしれない。 学会発表に先立ち、本BLOGの読者にだけ先行公開することにしよう。なんちゃって。
***********
日本企業の国際表記などでは電話番号を “81-3-3730-1111” などと表記する。
これは海外から日本に電話をかけるための番号表記で、81は日本の国番号、3は03という東京の市外局番から0をとったものである。 海外旅行をした人はみなご存じと思うが、日本への国際通話には、市外局番の最初のOを省略するというルールがある。ではなぜ市外局番から0をとるのだろう?と飛行機の上で考えていたら、おもしろいことに気づいた。
すべての市外局番の頭が0であるならば、この0には情報性が皆無であり、ならば無意味な数字のために貴重な電話交換機のデジットを一桁も割り当てられない、というのが海外から接続する電話会社側の正直な意見にちがいない。
ではなぜ日本は市外局番には無駄な0をいまだに固定でつけているのだろうか、という疑問にゆきつく。
実験好きな子供だった僕は、市内通話をかける際に、意味なく市外局番から回したことがある。近所に電話をするのに03から回したのである。たしか中学生くらいの頃だったから賞を50年代くらいのことではないかと思うが。 すると正しい通話ができなかった (当時)。詳しくは記憶していないが番号が正しくないといった音声メッセージが流れたような気がする。つまり、市内通話に付加してはならないのが市外局番だったのである。インターネット同様 ローカルエリアのことだけ考えるのならばグローバルIPアドレスは不要である。
ところが、外の交換機に接続する必要がでてきたときに、電電公社は、ごく自然な発想で0という特殊な番号を付加することを思いついた。この0は、普通の番号では使用されていない特殊な番号であるが故、後々フリーダイアルをはじめ、いろいろな特殊サービスに使用されるようになった。0がまわされると、局外の交換機にまわしますよ、というサインである。つまり045というのが市外局番というのはうそで、0は局外通話のサイン、市外局番は45というのが正確である。
携帯電話の090も第二電電などの0061も、見ようによっては、48番目、49番目の市外局番のようにみえるのも道理だ。
アメリカではどうかというと、遠距離電話をする際、1をプッシュし、つづけて市外局番をまわすしくみになっている。ただし1というのはユーザーが契約している遠距離電話会社などに接続されるためのサインでありフリーダイアル(1-800-)もこれに属する。電話会社はユーザーがあらかじめ選択指定した業者を意味する。(0はちなみにオペレーターのための番号である)
となると、アメリカと日本で、市外電話をかける違いは、1+市外局番、か、0+市外局番か、だけの些細な違いではないことがわかってくる。 電電公社は、局外局番の0の機能を他社に解放しなかったのだ。
つまりこの一桁目は、アメリカでは市外通話のためのサイン、であるのに対して日本では電話番号の一部、になったままである。局内から出るための相対座標を、そのまま地域を指定する絶対座標の一部にしてしまったのだ。そこに「遠距離電話会社を選択する」というクッションをはさむ発想はまったくなかった。
いいかえると、アメリカの”1”はユーザーが指定した遠距離電話会社の交換機へのものであるのに対して日本の”0”はNTTの交換機を使用する前提となったままというわけである。つまり僕たちがみかける0473(千葉)という市外局番のOはすべてNTTを遠距離電話サービスに指名する番号なのである。この”0”という特殊な番号が解放されないままでいるから、他の長距離電話会社を利用するにはさらに別の市外局番的な数字(0061など)を付加しなければならない。日本は、NTT以外の電話会社を使うと番号が長くなる。こんな面倒はない、ということで、他社は苦戦している。そして僕たちの名刺やすべての広告も、気づかないままNTTの番号を表記しているのである。
もしこの0を、アメリカがそうしているように、複数の会社で共有する形になっていたならば、日本の電話代はもっと競争にあふれた違ったものになっていたに違いない。 つまり日本の電話代が高いのは、この0を解放していないことに帰結する・・・これが僕の機上での大発見というわけである。笑
海外に出てみないと分からないことがたくさんあると人はいう。日本は島国だともいう。そんなことはないと思いながら近代都市に住んでいる僕も、気がついていないことがたくさんあることに
海外から日本にかける時の”市外局番の0を省略する”という違和感のあるルールは、遠距離電話会社を必要としない国際電話が、日本特有の不可思議なこの閉鎖設定をスキップしただけの話だったのである。
・・・・・まさに機上の空論だ。 |