なつだぁ。
学校はもうやすみだけれど、そろそろおとうさんの会社も夏休みになる時期だがね。
このBlogの読者は大人の人が多いみたいだから、そういう人のために読んでもらおうと思い、新連載を開始することにしたのであるよ。
その趣旨をまず第ゼロ回として書こうと思うのである。
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僕は、大企業から脱サラして、今年で13年ちょっとたつ。
いま43だから、30才で独立したことになるかのかな。
僕は会社の経営者という立場ではあるけれど、かなりダメ経営者だ。
どれだけダメ経営者かは、この連載を追って読んでゆけばわかると思うんだけど、ま一言でいうならばよい経営者というのは組織をつくるのがうまい、という定義がある。
僕はそうではない。すくなくともこれまでの僕はね。
独立したかったのは、事業者として成功したからだったわけでは全然なくて、作りたいモノがたくさんあったからだ。つまりそうする必要があったから会社にした、というのが理由なのである。
なのに、周囲の話ぶりからすると、「成功したひと」というイメージで見られているようだ。
この風潮は、おそらくは、ゲームタイトルがヒットしているときにつくられるようで、そういう指摘をうけるたびにへこむというか、すこし切ない気分になるのである。
母の葬式で、古い母の知人にいわれて気づいたことがある。僕はけっして自分の実力で仕事ができているのではなく、母から受け継いだ才能に助けられてやってこれているのではないか、ということ。事業家として、あるいは経営者としてなんら優れているわけではなく、すこしばかりの創作力が継続を助けてきただけだという意味で。
僕などと比較しては大変申し訳ないのであるが、手塚プロも黒澤プロダクションも、偉大な作品によって歴史をつくってきた。社長のすぐれたクリエイティビティーが大きな競争力だったわけで、事業家として戦略に長けていたというわけではない。社長が他界した後も企業が成長しているという事実はない。クリエーターが社長をやっているというのは、つまりどこかでトレードオフがある。何かが欠けてしまう。僕のケースもこの相似形であると思う。
そんな僕であるが、そろそろ40代も中盤にしさかかり、何かを伝えていこうという気持ちがめばえはじめた。(ゲームクリエーター講座なるものを何回かに分けてやってきたのもそのせいだ)
たしかにそういう視点で自分の人生を振り返ると、失敗の数にかけては負けないものがある。自分が歩んでいる道は、やけに困難が多いという点において、たしかに「独立」という概念に相当するものにも思えなくもない。
そう考えると、これから独立したい、あるいは、独立したけれどどうやったらうまくいくかを考えている人たちに、まちがっても「こうすると事業が成功するぞ」なんてたいそうなことはいえないけれど、「こうしないほうがいいぞ、なぜならば、僕はそれでうまくいかなかったから」ということはたくさん書ける気がする。
そうだ、思い切ってそれを書いてしまえ、というのが、今回の連載である。
その意味でこの連載はさ、よそのどこにも書けない、極秘のレシピ(?)なのであるよ。
だから、独立を考えている、あるいは独立したけれど悩んでいるといった知人、独立するなんてできないけどどんな苦労があるのか知りたい、といった人にどんどん教えてください。
題して、「独立ノススメ、マタハ、モドレ」
はじまりはじまり!!