「人はうまれた瞬間から死に向かって邁進する。それが生きるという行為である」
7年前にシーマンに言わせた言葉である。
わざわざ公言することでもないのだけれど、2週間前の今日、肝臓がんの疑いがある、と同級生の医師にいわれた。
「ありゃー」ということでその日のうちに大病院に行き、そして同様の検査、そして一週間たってようやくCT検査。盆を挟んでいることと、そして大病院であることなどから、待たされっぱなしで答えはまだ出ていない。
恐ろしくじれったくもあるが、自分の人生を振り返るにはよい機会でもあった。
かわいい後輩のD.Jが昨年突然新幹線の中で「腹が痛い」といいだして病院にかつぎ運ばれたそうだ。
それから一ヶ月半後、彼は棺おけの中にいた。死因は進行の速い肝臓がんだった。だから僕の意識の中では、この病気はそれはとてもスピードかはやいという印象がある。
だから2週間前からずっと、万が一のときにはこれからどう生きるべきか考え続けている。
結果によっては、手術や延命措置のために、多くのメンバーと3年作り続けてきたシーマン2(周囲の人はみな知っていたけど、実はこんなに長いこと作っているのですよ。)の開発をあきらめなければならないのだろうか?あるいはPS2があるうちに仕上げることに専念するべきか・・どれが本当には正しい選択なのだろう??
この二週間、恐怖心と隣り合わせの、いわば「飼い殺し生活」だったおかげで、僕はずいぶんと成長したのかもしれない。なぜかというと、自分にとって重要なこと、そしてそれ以外のこと、の境界を曖昧にしてきた霧が、さーと晴れた日々が続いたからである。自分がいますべきこと、というのが、とてもよく見えるのである。
(十番祭りを挟んで) どうということのない時間を一生懸命にすごしながら、二年前にスティーブ・ジョブスがスタンフォード大の卒業式で行ったスピーチのことばかりが頭をよぎっていたのだけれど、その話をすこし書くことにする。
「実は、私は癌を告知されました。そしてそれからというもの、これほどまでに、今日一日で何をすべきか、明確だったことは日々はない。一日々々がかつてないほど重要でした。みなさんはいま大学を卒業したばかりで、これからなにをしたらいいか、決めかねていることとおもいます。しかし残されている日々が有限とわかった瞬間に、なにをすべきか、明確に見えてくる・・・」というのがそれだ。かなり要約であるけれど。
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この原稿を書いている今から8時間後には、第二次の所見が医師から伝えられていることだろう。
「見立て違いでした、ただの良性のものですよ」
そう告げられるとおもっている。
いまの僕のカラ元気の源はこの根拠のない自信だとわかっているのだけれどね、とても元気なのですよ。
もしちがったら・・・どうなるのかな、とときどき考えるけれどね。
それはそれですから。
医師からもたらされる言葉が良いものであるように願っています。
投稿情報: もりびと | 2006/08/24 05:55
驚きました。診断結果が単なる杞憂である事をお祈り致します。
投稿情報: おーさわ | 2006/08/24 11:14