独立を考え始めるときに出てくる迷いの一つにこんなものがある。
「儲かること」をするべきか
それとも
「好きなこと」をするべきか
僕の場合は後者だった。
プログをこうして書いているのも、「好き」だからであって、それがないと続けられない。
じゃ、なにか儲かることを考えたことがないか、となると、実は多々ある。
そんな話のひとつを紹介させていただく。
サラリーマン時代に新規事業提案の社内コンテストがあって、僕はその常連応募者だった。
その案件のひとつを、社外のクライアント企業に話した社員がいて、そこが本格的に検討したいと連絡がはいったことがある。
「勝手に社外に持ち出すなよ」
そういいたくもあったが、悪い気もしない。ちなみにそれはどんな案件だったかというと次のようなものである。
「個室トイレの中には、どんな多忙な取締役であってもじっくりと掲示物を読んでしまう時空間がある。大企業の個室トイレ(大用)内の広告掲示権を各企業の総務から買いつけてきて、そこに広告を出すというもの。高額マンション物件や、高級車、生理用品、など、企業規模ごとや、職種・職級ごと(フロア)、男女別、にセグメントした広告が出せるので、きわめて効率的な広告効果が見込まれる。
特殊な消臭効果などの付随品も設置・交換し、掲示広告交換時にメンテナンスもおこなうサービスなので、各企業の総務部門に臨時収入があるだけでなく、利用社員の衛生好感度も向上云々・・・・」
この事業の収支計画を立ててみると、バブル最盛期であったこともあり予想外の収益が見込まれることがわかってきた。
社外クライアント向けに美しく整理された企画書の表紙には、担当者によって「トイレのJ-Wave」などという謎のサブタイトルまでが付けられていた。立ち上げが始まったらこの事業の採用と運営をすべて請け負いたいというのが担当者の目論見である。
先方が私の話も聞きたがっているので同行してほしいという話になり、いつしかそこの社長と会食するようにもなった。そのうち「斉藤がベンチャー企業にスカウトされるらしい」という噂が社内で飛び交うようになり、真横で状況を見ていた先輩の女性営業マンからは「年収1000万くらいいくよ、たぶん」と羨ましがられた。
そんな状況に焚きつけられ、その気になりかけていた僕たったが、上司である名物部長がこの話を聞きつけ、社内の正月放送のスピーチの中で「うちの部署の斉藤が起案した"うんネット事業"が社外の方から評判で・・」などとおもしろおかしく全社に紹介してしまったのである。
勝手に「うんネット」などという絶妙のネーミングで紹介してくれたために、それまでかっこよかった新規事業のイメージが失笑とともに地に落ちた。おかげで関係者の気運までがどっと下がった。
その上司にクレームをいうと、「おまえ本当にウンコにまみれて毎日仕事する覚悟があるのか」といわれた。
「べつにウンコまみれになるビジネスじゃないよ・・・」
そう思ったけど口にはしなかった。
そんなこんなが続き、なんとなくケチがついたようになって僕自身のやる気すらも萎えるようになった。自分の目も本業に戻り始め、クライアント企業の社長との関係も疎遠になり、いつしかその話はたち切れとなった。
ずっと後になって、この迷惑なネーミングを含めてすべての発言が、部長特有の引止め策であったことが判明し、今度は僕が失笑した。
しかし、この名物部長にいわれた、「おまえ本当にウンコとともに毎日仕事する覚悟があるのか」という言葉がいまでも心の中に残っている。
もし、本当に自信があったのならば、平然と「YES」と答え、そして僕は転職を決行していたに違いない。
でもそうならなかったのは、「たしかにそれはちょっといやだなぁ」という自信のなさがどこかにあったからである。
大企業のサラリーマンが、起業して自分が社長になることをイメージする時ってのは、ともすると面倒なヨゴレ仕事は自分以外の誰かに任せることを前提に考えがちである。
でもいまこうして中小企業の社長を10年以上経験して言えることがあるとしたら、それは「当面は、まちがえなく嫌なことはすべて自分でやるはめになる」ということである。
僕がこのときに酔っていたのは「斬新なアイデア」とか「予想外の収支」に対してであり、憧憬していたのは「ヘッドハンティング」とか「社長」などといった言葉であって、トイレだったわけではない。
だから30才手前の僕がもしこのときの中途半端な気持ちで走り出していたら、途中でそれに気づき、挫折していたかもしれない。いや、きっとしていた。
だから、僕は、この上司のでまかせ遺留トークらにいささかの感謝をしている。
☆ ☆
いまでもこの事業には可能性があると思うことがある。
「人が嫌がる仕事ほどビジネスチャンスはある」ともいうし。
でも、それを自分の手を汚してでもやろうという気持ちにはなっていない。
アイデアだけで新規事業というのは始まるものではない。そういう覚悟のあるリーダーがいなければ新規事業というのは、ぜったいに立ち上がらないものだから。だから大企業のぬるま湯にいるサラリーマンというのは環境の変化に対して弱い存在といえるのではないか。
ゲームのアイデアを考えるだけでゲーム会社が経営できるとおもっていた僕はとんでもない苦労を背負い込むことになってしまっている。それでも続けていられる理由は好きなことだからと思う。
仕事の分野においては、なぜか「好きである」と口にするのに罪悪感が伴う。「血反吐を吐くまで」とか「泥水を飲んで」みたいな表現が美学とされる風潮が日本にはある。
しかし、「すき」というのは、もしかしたら創業に欠かせないこの上ないエネルギーではないかと思う。120%のスピードを可能にさせるエネルギー・・。
「うんこまみれ」になれる強さを持った人ならともかく、僕のように中途半端サラリーマンが独立するときにがんばれる仕事・・。それって消去法でいうところの、「好きなこと」ということに、結局帰着してしまうのかもしれない。そして、それでいいのかもしれない。
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