和食屋のトイレの看板である。
「お互いに清潔にしましょう」という言葉がひっかかって写真にとった。
僕が日々清潔にしているか?、なんてことは、トイレでとやかくいわれることではない。清潔にすることは個人的なことだ。
ましてや見も知らぬ人と「互いにする」などというものでもない。
小学校の標語ならいざしらず、大人がこんなところで唐突にこういわれても、という違和感がこの看板にはある。
これはもしかしたら
1.お互い"のために便器を"清潔にしましょう
かもしれない。
いや
2.お互いに、清潔に"排便行為を"しましょう
を略した「しましょう」かもしれない。
いずれにしても、文として「備え付の紙」の次につながらない。雰囲気はなんとなく伝わるが肝心なところが省略されている。主語も目的語もかみあわないから、「誰が何を誰のために清潔にするのか」がちぐはぐとなってしまった。おしいがこのままでは制作された看板がもったいない。
これが仕様書などの記述だと、いざコーディングという段になって、プログラマーの解釈に依存することになる。結果バグとなる。だから、会議などでは、若い企画者がしがちなこの「省略」を厳しく指摘するようになってしまった。
そういう文が最近多い。
というか、そういうことがやけに気になる昨今の僕である。
歳である。
コメント