このBLOGを「ライカM8」というキーワードで検索して訪れる人が実に多い。
そんなもんだから、購入半年を記念して、ライカM8は買いか、についてふたたび考えてみたいと思う。あくまで"デジカメ"との対照におけるM8の存在を。
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かつて、デジカメを持つ理由は「簡便だから」と「小型だから」であった。そこに「安い」という理由はなかった。デジカメの価格は銀塩機の価格帯よりも安いというものではかならずしもない。
やはりデジカメは、手軽であること、そしてその場で撮影内容を見ることができることが何よりのアドバンテージだった。
現像しなくていい、フィルム代を気にしなくていい、小さいので"持ち歩ける"・・・かつてはカメラの代用品と思われて普及したデジカメは、最近になって別の頭角をあらわし始める。
道具というのは、携帯電話がそうであったように、普及すると質的変化がおきる。そのせいで写真はまちがえなく変化した。つまり、ネットで送信・公開可能な、もっとも簡便な表現方法となったのである。
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こういった中でライカM8は、これまでのいわゆる"デジカメ" の代用品、ではまったく、ない。飲み屋でスナップを撮ったり、会議室のホワイトボードを複製したり、レジャー場で家族を撮るにはきわめて不向きなのである。
片手で撮影できない大きさと操作系、携帯に不向きな重さ、(メディアやバッテリーなどの)オペレーションデザイン、(ズームや自動焦点、マクロ撮影、フラッシュなどの)自動化ユーティリティーの欠如・・・、M8はすべて、これまで"デジカメ"が目指してきた価値を否定してする。
M8とは、では、何なのか?
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「写真文化」が築きあげてきた遠大な歴史を、21世紀の人間が追体験するためのデジタルプラットフォーム、それがM8である。
その歴史とは具体的に何か?というと、本体ではなく、レンズ、である。
レンズというのは、ガラスの成分と屈折率、球面の曲線と収差、レンズの組み合わせによる色味、など、実に多用な要素が絡み合って出来ている。古いモデルは個体差も大きい。デジタルがこれらを忠実にシミュレートすることは出来ていない。
そんな時代においてライカM8の意味はなにか?それは消滅しつつある古き「ライカ対応レンズ」のリサイクル利用にある。Mマウント/Lマウント対応レンズ群という文化が背景に存在していなかったら、M8は無用の長物にすぎない、なにせ本体には肝心のレンズが付属していないのだから・・・。
デジタルが森羅万象を数値化して処理する理論世界であるのにたいしてアナログとは、数値化できないもの、つまり論理的に定義不可能な、現実優先主義である。目の前にある物質をどうデジタイズするか、その光学部分は、以前としてアナログ世界の独壇場なのだ。
単なるデジタル機器として捉えたならばCCD、マイクロチップ、電子系統、ファームウェアとよばれる組み込み型ソフトウェア、どれにおいてもライカM8は、(そしてライカ社の電子機器メーカーとしての対応には)、改善の余地が多分にある、それがM8である。
だがM8という親の七光りで発売されたカメラには、デジタル業界ではまだ歯が立たない「歴史」という後ろ盾がある。数多くの職人たちが試行錯誤してきた時代時代の「いろ」と「画質」。これらをいまPCを目の前に生活しているわれわれデジタル世代が追体験することそのものがM8を使う最大のアドバンテージである。
たしかに僕にとってライカを使ってきたこの半年間は、耳では聞いたことがある過去の偉大なる遺産群に触れる機会だった気がするのである。その過程はここのBLOGを時系列に読めばよくわかるはずである。
だからM8の購入を検討している人は、次の3つのサーベイをしていただきたい。
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1.本体の購入はあくまでスタートであり、レンズの探求に金と時間をかける覚悟がある。
2.家族や知人のスナップ写真をこれまでのように手軽に撮るつもりはない。
3.このレトロなデザインの道具は、つまるところ高価なアクセサリーでいい。
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この3つのうち、一つもYESがないのであれば、M8は検討しないほうがいい。ただただ、使いにくさと後悔だけが残るのである。
だがもしひとつでもYESがあれば、検討に値する、かもしれない。
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