斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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Olympus Penの着せ替え

カメラに限らず道具ってのは、「持って歩きたい」と思わせる、そのルックスが大事だと思います。そういうものによって喚起される自分の中の「気分の変化」が、その道具の価値を決めてゆく気がする。

オリンパスのEP-1では、金属質の未来的なフォルムとレトロが混在しているのがすこし残念で、もっともっと「昭和のカメラ」にしたいと思っていたわけ。
で、ネット通販で買った「着せ替え用黒革」をはりつけて、昭和なカメラにしてしまいました。
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▲どうみても最新のデジカメには見えないのが、いいでしょ?

さて、こういうルックスのカメラを持ち歩いていると、色はモノクロモード、サイズは中判(6*6)比率で撮りたくなる。すると、なぜか、被写体たちまでが昭和の表情になってくるから不思議です。
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↑どうみても70年代の新宿といった感じだが、これは2009年の六本木なのである。(爆)

どんなに高いカメラを買ったところで、所詮、趣味というのは自己満足なわけでして、その意味ではライカマニアも中判愛好家も、「高いおもちゃで遊んでいるだけ」なのかもしれません。高い金を出して買ったライカもハッセルも、ただのおもちゃ、と言い切ってしまうのには抵抗があるけれど、それ以外のいい答えが、ないからね。

ただ、こういうおもちゃを買って、ひとつだけいいことがあります。「君はオレを使って何を撮りたい?」と、カメラは聞いてくる。つまり僕は、「今日撮りたいのはこういう場面だ」と自問自答してその日持って出掛けるカメラを決めてるわけ。

コレクションすることそのものが目的であれば、その答えはショッピングカタログに載っているけれど、「使う」ことが目的となると「どう使い分けたいか?」は自分で探さないとならないわけ。この自問自答が、いいんだな。

ちなみに、僕が撮りたい写真が何かと聞かれたら、いまは一言「人」です。
クセのある人が、強いオーラを発しながら、その巣窟で独特のトグロを巻いている、そんな写真をたくさん撮りたいなぁ・・。

なので写真というのは、いまの自分を確認する格好の道具だとおもってます。毎日が、だからとても楽しいのです。

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CHANELのギター

キース・リチャードがルイ・ヴィトンのイメージキャラに抜擢されたのは記憶に新しい。ストーンズのバックステージにはLVりロゴの入ったケースが積まれることになるのだろうか、などとくだらないことを考えていたら、今度はChanelからギターそのものが発表されました。価格はおよそ72万円だそうです。
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(いま発売されている家庭画報6月号に掲載されている記事です)

Chanelのロゴの入ったこのギターは果たしてどういう人が使うんだろう?
お茶の水の練習スタジオにたむろしている学生とは思えないし、やはりIT長者の若社長が結婚披露宴でextream のmore than wordsなんかをこれで得意げに奏でるんだろうか?

ペグが故障しても店頭で修理受付してくれるとは思えないし、今回の商品コンセプトは、あくまでギターはおまけ、ケースそのものが商品、というものかもしれない。

考えれば考えるほど疑問は尽きないが、Appleが普通に携帯電話をつくる時代だ。こういうのもありなんだろうな。そんでもって、Chanelの店頭でイケベ楽器あたりの長髪の店員がこれを試し弾きしている風景が見らたら面白いなぁ。是非その場に居合わせたいなぁ・・。

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あなどれない自販機

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いろいろな販売機や看板を見つけてはこれまで紹介してきたけれど、今回のは過去最大級の効果あり、と思しきものである。

なにせ、一見同じコーラを、140円と150円で並列販売する、という実に斬新かつ巧妙な陳列で通行人を挑発するパターンだ。好奇心を抑えきれずこの罠にはまった人は数知れないのではないか。

さてどうひっかかったか、かくいう僕の場合でいうと、3回にわたっての展開となる。

発見初日、まず140円のコーラを買ってしまった。おつりが10円もどってくるのか?という検証の意味で。そしてちゃんと10円がもどってきたので、「真ん中のコーラの140円という価格は正しい」という結論を得る。しかし同時に「右のコーラは本当に高いのか?」という疑問を残しつつこの日は退散。

二回目は、友人を連れて。僕は140円のものを、友人は「じゃは俺は右」と150円のものを購入。しっかり10円のおつりが落ちてきたので、どちらも、実は140円であることが判明。しかし、それでは、zeroはいくらだ?という疑問を残しつつ、この日は退散。

三回目は、一番左のzeroを買ったが、あえなくおつりは戻ってこず。つまりzeroは10円高いことが判明。結局、150円という右の通常コーラの価格表示はただの間違えなのか?という疑問だけがのこり釈然としないまま退散。

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どうということのない路上の販売機で、立て続けに4本も買ってしまったわけである。

好奇心を逆手に取った見事な販売機は、コーラは140円であることだけを脳裏に焼きつれた。

港区は販売機も侮れないのである。

p.s

iPodcastの準備進行中。名称は「麻芝ラヂオ」
命名Tクン。

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火事とゴジラとたんすとリアカー

「ゴジラが出現すると日本人はなぜみなリアカーにタンスを乗せて非難するんだ?」
モスクワのカフェでウィルがいきなりそう質問してきた。

古い東宝の怪獣映画では、怪獣が出現するともんぺ姿の日本人がリアカーにタンスや家財道具一式をのせて非難する光景が出てくる。それを指しての質問である。

▲写真は朝の築地/ごく最近のもので、これはリアカーと呼ぶのではないかもね。

「それがいちばんてっとり早いからじゃないか?」
そう答える僕。

「たしかに、僕らもそうしたかったんだけど、本当はそんな時間ぜんぜんないぜ」
ウィルの一家は、オークランド一帯(サンフランシスコの近隣)の記録的な大火事に巻き込まれたことがある。この言葉はその時の体験のことだ。広大な丘に広がる住宅街がすべて焼けた。

山火事というのは、あまりに一瞬のできごとだそうで、なすすべもなく、ただ火に囲まれた山道を逃げるので精一杯だったそうだ。その高温に、家はおろか耐火金庫も車もすべて融け、焼跡からは融けた金属の抽象的オブジェの塊が出てきたという。もともとはHONDA車だったそのオブジェは今でもウィルの自宅の壁に架かっている。

「その焼け跡の中で唯一燃えずに原型を残していたものは何だと思う?」
「わかんない。」
「日本で買った金属製のゴジラの人形だ」
「へぇー」

その後に発表されたごく初期のシムシティー(Mac版モノクロ)では、この体験から、火事と、それから公害がすすむとゴジラらしき怪獣が出てくる。
画素の荒い2Dの、しかも上から見下ろすシムシティに、「ゴジラ」と明記した文字はなかったが、東宝にクレームをいれられ、「争う体力がまだなかったから」との理由でMAXISはいさぎよくお金をはらったそうだ。

どちらかというと、Call "ウルトラ警備隊"? というメッセージが同時に出てくるほうが日本人にとってはまずいようにおもえたのだけれど・・・。(「ウルトラ警備隊を呼びますか」と、呼べもしないのにゲームが尋ねてくるのは一種のジョークだけど、そもそもこの日本文字が英語版に突然表示されることそのものが、アメリカ人はよめるはずがない点で彼のジョークである。)

「僕らもタンスごと持って逃げたかったんだよなぁ」

ウィルと奥さんのジョエルは当時を振り返って感慨深げに言う。日本製のタンスを大切にしていたそうだ。

そんなこんなでウィルの頭の中では、奇跡的に焼け残ったゴジラ人形とこの火事と、そして映画で見た日本人たちが引くリアカーとその上に載ったタンスが、すべてセットで記憶されている。

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~A Message from the Captain of AeroGlobe Airline~


アエログローブ・エアライン社のサイトにご搭乗いただきましてまことにありがとうございます。こちらはアエログローブ・エアライン社によるバーチャルフライトサイトです。

当社は1913年の創業以来、全世界の空を安全と品質で結んで参りました。
1972
年までは発祥の地である旧ソビエト連邦の宇宙計画の技術開発的にも大きく貢献し、その過程で開発したジャイロ・フロート・エンジンを世界で初めて旅客機に応用するなど、航空史に数々の革新的な寄与をしてきました。

2005年、経営改善の一環として当社の経営権および全株式がロシア政府から移転譲渡されるとともに、本社は東京に、二大支社をサンクトペテルブルグとパリに置き、世界最大のエアラインカンパニーとして世界37カ国を結んでいます。

保有している旅客機数は127機にのぼり、総輸送旅客数は年間で243600人におよびます。

当サイトでは、わがアエログローブが提供する数々の文化的サービスを体験いただくために実際のフライトで提供しているものと同様のメニューを複数用意しております。

実際の旅行に弊社のフライトをご利用いただく機会の少ない方でも、あたかも当社のフライトを体験されたかのごとくに当社のサービスを知っていただけるようこのサイトはつくられています。

さあ、どうぞ、世界の空へ、そして未知なる異国の地へご一緒することといたしましょう。

                                                     2006年6月
                                          アエログローブ 最高顧問・航空技術技士 
                                                アルベルト・コマノフスキー

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子供カット

これは京都で見た看板。
パーマやパンチパーマやアイパー(死語)とならんだ「小人」ってのは、どんなメニューなのだろう? なんて、一瞬考えて、「あ、そか、子供料金のことか・・」と気づいた。

小人、という言葉は、最近あまりみないですね。

ま、いずれにせよ、メニューというのは、おなじカテゴリーでまとめようよ、ゲームソフトも、ビジネスソフトもそうだけど・・・。でないと、見る側としては変に勘違いしてしまうのである・・・・。

ま、「小人カット」って、なんかパンクっぽくて、おもしろそうだけどさ、ここで切るのは、ちとこわいな。

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時代のまくらことば

いかした感じに見せたいために、時代々々でかっこいい「まくらことば」というものがある。
たとえば昭和中期は「電気~」だったし、10年位前だと「~ネット」とか「デジタル~」とか「ハイパー~」とか・・。

大正生まれの父が、母が他界し、長年住んだ自宅を取り壊してアパートを建てた。
「弦巻ドットコムって名前にしようと思うんだが、どうだ?」
そんな電話が突然かかってきた。
「インターネットが完備されてないのになんでドットコムなのよ?」
そう尋ねると
「最先端な感じがするだろ?あと入居者がドッと混みそうで、縁起がいいなと思ってね」

時代のまくらことばなんてそんなものである。

そして、昭和50年代半ばくらいに流行っていたのが「新~」というまくらことばだった、かな。
番組名でも「新XXX記」とか会社名でも「新XXX株式会社」とか、そういうのがあちこちにあったと記憶している。
古くからあるものに新とつけると、斬新なものに聞こえた。

この骨董品屋も、そんな時代に創業したのだろう。中国地方をドライブしていて看板を見かけ車を止めて撮影した。

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なんでもかんでも「新」とつければいいというものではないという貴重な事例を教えてくれたのがこの看板である。
あとに続くことばを考えないと、まるで「黄色いモンシロチョウ」みたいな、その意味がちんぷんかんぷんになってしまったのではウリ文句にならないことがあるのだ、ということを教えてくれた。

振り返れば簡単であるが、その時代の真っ只中にいる時には、頭の中にある言葉がただの時代の流行のまくらことばであるのか否かを見極めるのは、容易ではないと思った。

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コンピューター占いが当たる理由

060530掲載

1986年の春のことだったと思う。
土曜日の銀座四丁目を同僚の女の子と歩いていた僕は、路上に屋台を出しているコンピューター占いをやった。
「どうせ、ちぐはぐな文章が出てくるんだろう」

正直、このまゆつば物の屋台占いをバカにしていたのだが、女の子と一緒だからアトラクションのつもりでトライしたのである。
だが、手相のスキャン画像の横の余白に打ち出された文章を見て、すこしびっくりした。コンピューターが生成した文章がきちんと意味をなしていて、しかもその内容がおどろくほどあたっているのだ。

「あなたは一見大胆に見えますが、実に繊細なところがあり、周囲からの見られ方にギャップを感じるタイプです。日々の仕事などでは・・」
そんなようなことが書かれていたと記憶している。

いまは信じられないだろうけど、この時代、コンピューターという言葉はそれだけで宣伝文句になる存在だった。
「コンピューターによる恋人探し」
「コンピューターによる適性診断」
コンピューターという文字が書かれているだけで、すごく高価な機械がとてつもなくすごいことをやってのけているんだぞ、という響きが一般人に対してあったのだ。間違えなく社会はコンピューターを上に見ていた。人間ではできないことをするのが当時のコンピューターだった。

「なんで当たるんだろう!?」
「どうやって生命線とか結婚線とかを読み取っているんだろう!?」
当時大型スーパーコンピューターなるものを商品にしていた部署の僕と女の子は、この占い師が広げている屋台のあちこちに、センターマシンとつながっている電話線がないか、と詮索したのである。なぜならば、パターン認識という技術は当時の仕事で扱う大型コンピューターが扱う分野だったから・・。

すると、その屋台の上の機械にOASYSという文字がちらりと見えた。
「OASYSって書いてあるよ・・。OASYSって汎用計算機の端末になるんだっけ!?」
「あれ?それって富士通のワープロの名前じゃなかったっけ?」

そんな会話を交わしているうちに、僕らは気づいたのである。
このコンピューターは何もしていないから当たるのだということを・・。

手形をコピーした用紙をプリンターにまきつけながら、占い師は相手の風貌をチラチラと覗き見し、あらかじめ文章が登録された番号のボタンを押す。すると余白に文章が印字されてくるしくみだ。

そう、占っているのはコンピューターなんかじゃなくて百戦錬磨の経験を持つ的屋のおやじの経験と勘だから当たるのである。そのおやじにとってぼくは、「一見大胆」だが、どうということのない兄ちゃんに見えたに違いない。

あれから20年。この写真は2-3年前に都内で撮ったものだけど、マシン構成は何も変わっていない。
このおじさんが相手の顔をみながら、「ははぁ、こいつはこういう奴に違いないぞ、だったら8番だ」
とか考えながら、OASYSのファンクションキーを押しているにちがいない。

「コンピューターなんて所詮たいしたことはできないのだから、だったら最初からあてにするな・・・」
まるでIT業界全体をバカにしたようなこの思想(といっていいものかどうか)はシーマンをはじめ作品の中のトリックめいた仕掛けでも応用させてもらっている。

そういえば、マックを発売する以前、創業間もないアップルのアニュアルレポートの表紙には次のようなシャレた言葉がいかした字体でかかれていたっけ・・・。

Human Brain is still the most extraordinay computer..(人間の頭脳は依然として、最もすぐれたコンピューターでありつづけている)

そしてこの的屋の占いサービスも、依然として日本のあちこちで客を集めている・・・。

やっぱり人間は偉大なんだな。

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緑茶にクリーム&シュガー

漢字は中国から来たものだが、カナは日本特有の文化だ。
だから、ここの中華レストランの壁にあるメニューは、おそらく中国人のシェフが書いたものだろう。

日替り
A定食

とあるべきところの、「り」が「日替」の一部とはとても思えなかったのか、

日  替
りA定食

となってしまった看板。

本場中国の人にとって日本のカナ文化というのは、緑茶に砂糖とクリームをいれて日本人をもてなそうとしているアメリカ文化のようなものなのかもしれない。

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ずるい看板

「斉藤さんがみえてはるなんて知りませんでしたわ」
なんて京都弁で言われると、それだけてぐっとしびれてしまう。

この看板を京都御所の近くで見つけたときも、最初は京都特有の丁寧な言い回しにちがいないと感動したものである。

「さすが京都言葉はわかりにくいというか、奥が深くいてかっこいいなぁ」と思いこんでいたので、実はただの送り仮名の間違いであることがわかった時はすこしがっかりした。

それも含めて、京都の言葉というのは、実にわかりにくい。すべてが思わせぶりなのである。
深読みしてしまうというのはコンプレックスがなぜる技だ。
ひっかかるたびに「ずるい」、といつも思う。