|

この貼り紙の真意

Sign

大森の繁華街に貼ってあるこの貼り紙。
二階にあるスナックらしき店の壁にあった。(撮影は昨夜)
なんとなく言いたいことはわかるようで、でも本当はなんと書きたかったのだろう?

1.客引きしないので
2.客引きいやなので
3.客引き中なので

2と3では大きく意味が違う、ということになり、けっきょく怖さが勝って、僕らは店に入ることが出来ずじまいだった・・・。

謎は深まるばかりだ。

|

省略へのいちゃもん

和食屋のトイレの看板である。

P1000046

「お互いに清潔にしましょう」という言葉がひっかかって写真にとった。

僕が日々清潔にしているか?、なんてことは、トイレでとやかくいわれることではない。清潔にすることは個人的なことだ。
ましてや見も知らぬ人と「互いにする」などというものでもない。

小学校の標語ならいざしらず、大人がこんなところで唐突にこういわれても、という違和感がこの看板にはある。

これはもしかしたら

1.お互い"のために便器を"清潔にしましょう

かもしれない。
いや

2.お互いに、清潔に"排便行為を"しましょう

を略した「しましょう」かもしれない。

いずれにしても、文として「備え付の紙」の次につながらない。雰囲気はなんとなく伝わるが肝心なところが省略されている。主語も目的語もかみあわないから、「誰が何を誰のために清潔にするのか」がちぐはぐとなってしまった。おしいがこのままでは制作された看板がもったいない。

これが仕様書などの記述だと、いざコーディングという段になって、プログラマーの解釈に依存することになる。結果バグとなる。だから、会議などでは、若い企画者がしがちなこの「省略」を厳しく指摘するようになってしまった。

そういう文が最近多い。
というか、そういうことがやけに気になる昨今の僕である。

歳である。

|

鏡を勝手に使うな!!(改題しました)

奇人ダビンチの文章がすべて鏡面反転して書かれていたという話は有名だが、
ドンキホーテ銀座店の看板も新橋側の通行客にみえるように、ガラス張りのリクルート本社を利用して反転掲示されている。
ページのほとんどが広告というリクルートが、巨大な本社ビルではドンキホーテを無料で宣伝しているわけである。リクルートの社員もこのアイデアにはびっくりしたに違いない。

むかし、クイズダービーでこんなとんち問題があった。
「日本一旨い」
という看板を掲げたラーメン屋

「世界一旨い」
という看板を掲げたラーメン屋

この二軒の看板に挟まれたラーメン屋の主人はこの二軒にたちうちせんと、どんな看板を出したでしょう?

こたえは
「入り口はこちら」
だそうな。

だが最近似たようなことがネットバナー広告で起きている。
"ENTER"と書いた入り口があちこちにあってどこが本当の入り口がわからない・・。
これは広告だからユーザーがクリックするたびに胴元にはお金が入ってくるわけであるが、ビルは無断利用がありか・・・

緊急車などでルームミラー越しでもわかるようにということで使う手だとばかり思っていたけど・・・


▲いい写真があったので追加してのせました。決して合成じゃありませんよ。(笑)

いつしか運送トラック業者の掲示も鏡面反転していること発見。
{しかしここには、「運転に集中 後悔しない確認を」とある。 この看板はドライバーに何を訴えたいものなのだろう?)

こういうのがエスカレートするうちに、ルームミラー越しに広告する車なんてのが登場してくるかもしれない。そうしたら、誰しもが鏡を無断使用されているような気になってくるに違いない。
ラッシュアワーの地下鉄の車内放送で宣伝を流したら、乗客が「不快だ」といって地下鉄会社を訴えたことがある。たしかこの人は弁護士だったと記憶している。
「この車のルームミラーは私の私物だ」と主張してくる人がそういう時代には現れるに違いない。

そんなことを考えながら、リクルート本社ビル前で人と待ち合わせしていたら、電通通り側にも、AJYAJ(アジャジ)という店が同じ手口つかっていた(下の写真)。

見覚えがある名前だな、と思ってよく見たら、単に"LAYLA(レイラ)"という高級キャバクラだった。何度も行った事がある店だった。とほほ・・・・。

|

RD-1ふたたび

初めてのこのRD-1をここで紹介したときは、マニア向けの高価な玩具みたいな書き方をしていた。「高価なマニア品を買ってやったんだ」みたいな驕りがあったにちがいない。いまあらためて読むと、「デジタル側の自分のほうがえらい」みたいな傲慢さがあちこちに現れていて、無知を恥じ入っている次第である。

さて、結論から言うと、このカメラとの出会いによって僕の写真の見方が変わった。人生もかわった(笑)・・・本当に。ついにフィルムカメラの世界に足を踏み出したことがその証拠と思う。

RD-1は、記録部分を除いては機械式のアナログカメラだ。光学式のファインダーをのぞいて、手でレンズを調整し、目でピントをあわせる。巻き上げ式レバーでシャッターを巻き上げる。

これまでのデジタルカメラは、ピントや露出が自動的に「合う」のに対して、こちらは「合わせ」なければならない。能動的に接しないとならないぶん面倒である。

デジカメで写真を覚えた僕は、ピントというのは合うか合わないか、のどちからしかないと思っていた。そこに選択の余地はないと。

ところが光学式を経験して、その中間があることを知った。つまり「どこにあわせるか?」、「どう合わせるか?」である。いつしかそこに「表現」という楽しみを見出すようになった。

デジカメではそういったことはできないのか、というと、残念ながら「できない」のである。理由は液晶画面と工学ファインダーの画素数の違いだ。レゾリューション的に不可能なのである。すくなくともいまの画素数では。

ところが、記録方式がデジタルだと大きなメリットがいくつもある。

まず最大のメリットは、「その場で結果が確認できる」ということ。あと「フィルム代が極端に安い」こと、そして「加工や送信・公開が容易」であること。

これらのおかげで、つまりこのRD-1のおかげで、僕はフィルムの時代よりかなり高スピードでカメラの使い方を学べた。まさにデジタルの恩恵ではないかと思う。

オートマ車は、ビギナードライバーが運転を楽しめるようになたという点で、偉大である。マニュアル運転を堪能するのは一部のプロ的な楽しみ方である。それと同じでフィルム式、光学式カメラを称えるのはプロ的なユーザーおよびプロだと思う。

「ハンバーガーを待つ3分間の値段」のような写真は、このカメラではぜったいに撮れなかっただろう。ポケットに入らないのだからね。でも便利か不便か、ではなく、僕はRD-1を通じて「プロ的な愉しみ」に踏み込んだのだ。その意味で写真との新しい出会いをこのカメラにとても感謝している

ひとつだけ残念なこと、そしてライカを買った理由、それは デジカメはCCDサイズの技術的な理由で、すべて本来より1.5倍ほどズームになってしまうことだった・・・・。ライカへの憧れは広角への憧れだった。ライカを手に入れた僕は、まるで母校を見るように、いろいろなことを教えてくれたこのRD-1を眺めているのである。

|

パンドラの箱、禁断の果実

ライカを買ってしまった・・・。デジタルではなくて銀塩(=フィルム)のカメラ。
多くの知人にあれだけ反対されていた
パンドラの箱を、いや禁断の果実を、ついに口にしてしまった瞬間である。十数年ぶりのローン地獄もなかなか新鮮にちがいない。

僕が写真を取り出したのはアップルのQuickTakeからだから、かれこれ13年目になる。たぶん、いちばん早いデジカメユーザーの部類ではないかな?

僕はもともと忍耐力がない。ワープロがなかったら本はおろか企画書や仕様書なんてまともに仕上げていないだろうし、それと同じようにデジカメがなければ写真なんて撮る気にすらならなかっただろう。でもいまではハードディスクにある写真は数万枚に上る。書いた雑誌原稿や本はそれなりの数になった。

そう、僕はデジタルの申し子なのです。デジタルの力でただの素人がここまでがんばってこれました。
そしていまなぜ、いまさらのようにフィルムカメラを買ったのか? その話をしようと思うのです。いや、させてくれ。

+++++++++++++++


↑これがいわゆる「ライカ」というカメラである。レンズなどは自分で選べ!と、別売り。

ライカ版、という言葉がある。現在のフィルム標準、いわゆる35mmフィルムのことである。ライカ社が映画用フィルムをそのまま横に使ってスチールカメラをつくったことからこう呼ばれるようになった。過去すべての名作はこのサイズで撮影されたものだ。(そうでないものも多々あるけどさ)

ライカは一眼レフで日本メーカーに出し抜かれ、デジカメ市場にいたっては、はるか及ばず出遅れ、オールドファッションスタイルのままで短焦点カメラをつくり続けているメーカーだ。もうこうなると、怖いものなしだ。今日まで潰れずにきたのだから。これ以上古くなるものがなくなると、ちょうどエルメスやローレックスのように独自スタイルを極めればいいのである。

戦地で写真撮影していたカメラマンがこんなことを教えてくれた。
「水に浸した一眼レフは動かなくなった。だが、機械式のライカはオーブンで暖めたらまた動いた」と。
ジッポーじゃないんだから、と笑ってしまったけど、実のところこの話で僕はフィルムを買おうと決心した。規格変更がどうの、上位互換がどうの、という世界で育ってきたデジタル世代にとってこの話はなによりインパクトがあったわけですよ。

+++++++++++++

カメラマンになるっていうのは、漆職人くらい苦労をつまなければならないといわれてきた。撮った写真を確認するまでに何日、そんでもってまた露出をすこしなおして、何日と、とにかく時間と忍耐力がいる。それをマスターしてやっと今度は表情とかシャッターチャンス探しの職人芸へ、といくわけである。
ところがデジカメはというとビデオみたいなものだから、その場で確認修正できる。カメラが小さくなったおかけで特ダネもスナップも、素人のほうがだんぜん面白い、ということになってきて、カメラマンが忍耐で身につけた職人芸をいとも簡単に不要としてしまつた。雑誌写真も編集者がデジカメでパチととっいうのが多くなり、もっとはっきりいいますと、かなりの数の写真家が失業しているという事実がある。

僕は、まさにその象徴なわけで、「ハンバーガーを待つ・・」に使われている写真なんか、ポケットサイズだから撮れたものばかり。

では、カメラマンは不要となったのか?
全自動で表現はこと足りているのか?
という疑念に行き着く。
これまでYesと答えてきた自分がいる。
Do it yourselfが、デジタル技術の後ろ盾だった。
一人でできるから、成しえることがある、と。

しかしふと気づくと、雑誌の写真の質はここのところどんどんと落ちてきている。文章もしかり。手続きの簡略化は、ネタを練り上げるプロセスまで簡略化されていないですか?確実に威厳が落ちているように思う。

そういうことっていうのは、気づかないことも多いけど、いきつけの定食屋の味噌汁と同じで、実は潜在意識でみな気づいているのでは?と思うのです。たとえば最近、好きな雑誌とそうでない雑誌がやけに二分化してませんか?僕は、しらずしらずのうちに、読まなくなった雑誌があって、引越しのとき昔のものをくらべてみたら、写真や構成の品質がいかにもDTP(死語)的になっていたことに気づいたわけです。

そんな世代で育った人間としては、銀塩のカメラという、プロの聖域に挑戦してみたいと思うのです。

一枚一枚がやけに高いこのフィルムカメラで撮るということは、下手の数打ち、から一発入魂、となってゆくわけで、さてこの高いカメラを使いこなせるようになったとき、僕は、デジタルとアナログのどちらを擁護するようになるか、に興味が尽きないのであります・・・・・。

「じゃ、なんでわざわざライカなんだよ!?」
あ、それ、痛いなぁ。笑

そこらについては次回につづく。

|

名前入りのゲーム機

僕の知る限り、任天堂の岩田社長というのはマック大好き青年だ。だからかどうかは知らないけど、最近の任天堂はマックっぽい。あたらしいDSは、ダブルスクリーンのiBOOKのようだったし。(タクシーの中でそのことをボーと考えていたら、iBOOKにダブルスクリーンのモデルがあればいいのに、と本気で考えてしまった)

で、ゲームボーイミクロが発売になる数日前、とつぜん名前入りのファミコンカラーのモデルが届いたのです。(こういうのは公知の事実にあたると思うので書いても問題にはならないと思いますが、一般ユーザーの方はとても羨ましがると思います。それについてはごめんなさい。)最初は気がつかなかったものだから、途中で気づいた僕は飛び上がるほど感動したという話です。

ご存知の方は少ないかもしれないが、初代マックの裏蓋を上げると、開発者のサインがボディ裏側にびっしりと掘り込まれていて、それがコンピューターソフトの世界に『クレジット』という概念をもたらした。マックの世界ではプログラマーが誇らしげに名前をクレジットする文化がそこから始まったのだけど、マイクロソフト陣営にはそういう文化はまだなく、ましてや日本のゲーム界ではクレジットを『伏せる』文化がかなりずっと続いていた。これは人材流出防止や著作権的な意味合いがあるようだが、任天堂でいえばマリオのマニュアルに個人名がぜんぜん入っていないことにびっくりしたことを記憶している。だから最近の時代の変化は感慨深いわけです。

さて、はなしは戻るけど、むかし勤めていた企業の同期入社生というのがいて、彼らはみなほぼ同い年だから、ともすると肩書きが大企業のおエラさんになっていたりする。その一人がいまはマイクロソフトでX-BOXの戦略を指揮しるのですが、去年に飲んでいるときに『業界クリエーターを仲間に引き入れたかったら、まずは名前入りのX-BOX360をつくって配りなさい。任天堂さんもやってとても評判がいいよ』などとえらそうに僕がのたまわったものだから、それをしぶとく覚えていて発売の時期に本当にそれをやってのけたのです、彼は。で、ある日突然忘れていた僕のところに名前入りのX-BOX360がご丁寧に届いたというわけである。これにはびっくりしました。えらいね、こういうことを本当にやってしまう姿勢って。

ま、この話もゲーム業界内でも当事者として体験している人も多いはずだから、すでに既知の話なんですけどね。じゃなんで今頃書いたのか、という話ですけど、実をいうと、おはずかしいことに自宅にX-BOX360を設置したのがつい昨日のことなのです。であれこれいじくっていたわけですけど、しかし、すごいなぁ、X-BOX360って。こりゃ、かなり立派なITマシンだ。写真や音楽を勝手に読み込んでくれるんだもの。無線リモコンの具合もいいしグッズ好きのおじさんにはたまりませんぜ。明日ソフトを買いに行こうっと。

|

大玉の完成パーティーの模様

8日は京都で任天堂側のスタッフの方々と、打ち上げだふ。といってもあくまで打ち合わせのついでであります。東京組は私一人だけの参加です。

そういえば、昨年の10月の大玉の完成パーティーに皆さんきてくださってありがとう。写真だれがもってるんだろう?
僕がもっているものは少しだけですが、いい笑顔の写真が多いので、掲載しておきますね。関係者以外の方は無断転載ということで。

誕生日が近かったので、私の誕生パーティーもかねさせていただきました。


こちらが、岡安さんはじめスタジオフェイクさんの若手の方々です。基本的な開発部分はすべて岡安さんのところにお願いしてたいそう助けていただきました。まつけんサンバをライブバンドをバックに披露。すてきな笑顔です。

社員のメンバーからいただきました。社員からいただくものが、実は世界で一番ありがたい、ということを社員はきっと知らないに違いない。

このケーキを発注するのに、どうやらいろいろと社内的にトラブルがあったとあとで聞きました。でもうれしいものはうれしいよ。

あ、これは、雑誌社さんからです。御子柴さんが手配してくれたのかな?ま、いずれにしてもすべてオフレコ、ということで参加してくださいました。ありがとさんでした。

こちらは、わたくしでございます。
いろいろな意味で顔に疲れが出ています。

|

お高いおもちゃ

デジカメ歴は誰よりも長いと自負していたけど、EPSONR-D1にはびっくりしました。こんな表現をするとマニアの人からは笑われてしまうけれど、普通のデジカメユーザーにわかりやすくいうならば、このデジカメ製品にレンズはついていない。好きなものを買って使ってください、というわけです。

要は、ライカに代表されるレンジファインダーカメラ(一眼レフ以前のカメラ)を最新技術で再現したものでして、言い換えるとノスタルジックな仕様を再現するためにやけに手をかけた「高価な男のおもちゃ」ですね。

デジタルなんだからフィルム巻上げレバーなんかが必要なわけもなく、なのにこのカメラはいちいち巻き上げないと次が撮れない。バッテリー残量から設定まで、デジタル表示すればいいものをわざわざ機械式メーターで表示させている技術はセイコー時計のものだという。

そんでもって絞りもピントもシャッタースピードもマニュアルで、無論ズームもつかないし液晶でモニタリングもできないなければ内蔵フラッシュなんてどこ吹く風。よくわからないけど不便になったぶん自分が重要になってくる。ひとつだけ助かっているのは、撮影後であればLCDで写真を確認できることぐらいかな。これはありがたい。科学の付録」じゃないがこの徹底ぶりは知人に大ウケだった。仕事に使えないがカメラの勉強になるこのカメラの値段は28万+レンズ代。最高の教材です。

さてカンジンの写真は、というと最初のうちはかなり悲惨でした。でもね、だんだんと慣れてくると、おどろくほどきれいなんだよ、写ってくるものが。

下の写真は初日にとった、ゆめしや(www.yumeshiya.com)に展示中のビンテージマックです。あんまうまくないけど、記念ということで。

ということでこれからこのカメラはあえてモノクロモード用として使うことにしました。広角でモノクロ写真を「ぱちぱち」といわせながら撮ろう。撮影時にわざわざモノクロモードで撮影する人なんてデジタルではいないけどね。I君がむかし「いさぎよくモノクロで」って表現していたっけな、こういうのを。

ということでひさびさにはまるおもちゃを入手したというニュースでした。

|

グッドなネーミング

僕の兄はコワモテで柔道二段の矯正歯科医。医者といえども人気商売だから、奴の店(?)が繁盛するとはとても思えない。
兄と僕が通った母校の近くでみかけたこの歯医者さんは、とてもいいネーミングなので見せようと写真にとりました。命名は先生の名前なのでしょうかね・・。

dentist

|

札幌の女

出会いを求めて旅をすることがあるのですが、これは札幌で知り合った女性とデートした時の写真です。
切ない思い出とともに大切にしている一枚です。

|

つりバカ日誌14出演

実は、つりバカ日誌14に出演しております。役名は"釣り人A"です。
この写真はそのときのスナップで、真ん中は主演の西田敏行さん、後ろにいるのはファミ通加藤編集長(釣り人C)、右はセガの中裕司さん(釣り人B)です。釣り人A(=私)の顔がでかすぎたため、皆既日食のようにBとCのご両人の姿がすっぽり隠れてしまいました。口には出しませんでしたが、後日試写を見てそれが発覚し皆さん不機嫌そうでした。が私はというと、すっかりと自身を深め、いまではホテル宿泊時などの職業欄には「俳優」と書くようにしています。次の出演依頼はいまのところ皆無です。

tsuribaka