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iPhone用の実験ソフト開発の報告(movieつき)

  • iPhone用のちっちゃなソフトを一つつくっているのだが、近々にリリースすることになった。

タイトルはGABO!っていうんだけど、いわゆるいじくりソフト。シーマン2に登場したガボ君に再度登場いただいたのでこのタイトル名に。
だがもうすこし詳しく意図を伝えるならば、「感情の芽生えシミュレーション」とでもなるだろうか。

つまりこの原人ペットには感情ってのが芽生え始める。これとうまく付き合うのがミソ。だから、原始的な感情表現が重要なソフトで、そのあたりが実験的。

日本語圏向けは来週あたり、ワールドワイド版はそのあとすぐ、となる。

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Deco01

Deco02

▲「生き物と触れ合う」とは「撫でる」とかだけじゃなく、たとえばこういうことではないか?と・・。(虐待という意味じゃないぜ)

なんでDSでもPSPでもなくiPhone用なのか、という理由だが、「実験色が極めて強い」から。つまりゲームではない。「なんとなくおもしろそう」という動機でつくりはじめたものなので、商品としてのゲームっぽいものとして完成させたくなかったんです。

この「なんとなくおもしろいから」という理由だけで作るというのは実にぜいたくなことだ。そんでiPhoneはこういうことに実に向いているんだね。すでに提供されているソフトにへんてこなものが多いのも、いわゆる「人様にわたるまでの敷居が低いから」だろう。

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以前にこのブログに書いたけど、「生きている感覚」を出すにはその生き物の欲求表現がとても重要となる。

セリフがない生物だとキャラクターはそれらを体で表現することになる。(アクセスしてきたことを察知した際のユーザーへ、あるいはほしいものへの)目線、指差し、それらを交互に繰り返すしぐさと時間・・これらを作りこむとあっという間にモーションデータは増大する。

がんはばってくれたプログラマーはルーキーO君。本当にお疲れ様でした。

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なんの役にも立たないソフトであるけれど、それは僕らのソフトの特徴ですから(笑)。ほけっとの中のiPhoneの中にだらしなくて汗臭いペットを飼っている感覚に陥るという、へんな癒し系ソフト。音声認識などはとくに使っていません。

ちなみに彼、機嫌がわるいとガボは自分のうんこを投げつけてきますが、これ、昔からの僕の個人的な願望だったりする・・。

gabomovie.mp4をダウンロード

なんだかんだと手がかかってますが、企業広報を兼ねた実験作なので価格は450円ぽっきりになる予定。この450という数字にどういう意味があるのかは(Sクンが決めたことなので)詳細は不明。高いのかそれとも安いのか?そのあたりもふくめてダウンロードはiPhoneから接続してappストアからとなる予定。

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ネタばれ映像

http://www.youtube.com/watch?v=ZKgVCoJ7dEg

おもしろい投稿映像。

とくに子供の声色が、原人に影響されちゃってて、ほんとおもしろい。

あのしゃべり方でよく認識できてるな・・・なんてことも思った。

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『ユースケの唄』ふたたび

ネットをみていたら、「ユースケの唄」に関してコメントされているのをいくつか見かけた。

YouTubeにも、誰が制作したかわからないが、プロモっぽいムービーがアップされていてた。(http://www.youtube.com/watch?v=iVy3t6-5rOQ&eurl=http://nyaso.blog102.fc2.com/blog-date-200712.html)

それから、このサイトでも紹介したのだが、(http://yoot.typepad.jp/blog/2007/09/24_b6de.html)、オリジナルを歌ってくれているうめ星が、11月末に2000人集まった博多のライブで新アレンジを歌ってくれたそうで、ありがたいかぎりである。(東京でのリハーサルは遊びに行かせてもらったが、新アレンジは"たま"っぽかった)

この唄、パブリックドメインみたいにネットで流れながら、静かに、すこしづつ、広まるとうれしいなぁ。

そういえば、原曲は、ほぼ日の連載にアップ゚したものがまだ残っていると思う。

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シーマン2のテレビCMが

シーマン2のテレビCMが始まったらしい、僕はまだぜんせん見ていないけれど・・。

どんなの流れてんのでしょうか?スポットは細かいからエアチェック不能です。

実はこの週末は旅行の予定だっだのだけど、結局全キャン、東京でぽつんと雑務をしている僕なのであるが、そこに知人から「CMみたよ」とのメールやメッセンジャーあり。

いつどこで見れるんですか?>セガの今井君、佐々木さん

www.seaman.tv
もさっき見たけれど、ずいぶんと様変わりしたなぁ。ずいぶんと立派だ。プロの仕業に違いない。笑

ところでサイトのゲーム情報ではあちこちに「斉藤由多加」という文字があるけれど、いうまでもなく、このソフトを開発したメンバーはたくさんいまして、メインプログラマーは阿草さん、グラフィックの永井君、松田君、スクリプトでがんばった田辺君、小西君、大橋君をはじめたくさんのスクリプター諸君、あとAI関係は出口君、小澤君、企画まわりで立花君、最上君、ほかにも数え切れない人がたくさんいる。その集合体であるチームのメンバーがつくりましたので念のため。それからセガのデバグチームの方々も相当なエネルギーを(ここまで長期は入れたくなかったろうに)注いでくれました。

僕は何をしていたかというと、最後のデバッグ5ヶ月は金繰りと、ただ胃を痛くしていただけ、あとセリフのバグ対応作業、くらいかな。くわしくはこちらのBlogのあちこちで・・・。

不出来なところもいろいろあるだろうけれど、まーどうなんでしょうかね、買ってもらってもいいかもしれないですね。もし買うのであれば、少しでも多くのものをゲットしてほしいから、正直、予約特典のCDも手に入れてほしい。「あわない」っていう人もいていいと思うし、なにせ色のつよいゲームですからね。

あと、正式サポートはされないだろうケド、シーマイクはUSBでSKYPEやYahooなどの音声チャットにも使えるんで、もってても再利用価値大だと思います。

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108年目に間に合ってよかった

Book2

シー様のありがたい名言が「シーマン語録2」としてまとまった。10月12日一斉発売となる。
これでゲームはネタバレしてしまうのかなぁ。いやそんなに分岐は少なくないはずだぞ・・。

それに今回の語録は「携帯版シーマン」での悩み相談の名言が多いし。

ま、そんなこんなですから見かけたら是非書店で立ち読みしてください。

ジャン=ポール・ガゼー博士の108回目の誕生日が今月の15日なのである。

まにあってよかった。御誕生日おめでとう、ガゼー博士!!
あなたはまだどこかで生きているのですか?
私たちのことを笑って見てくださっているのですか?
むしょうに会いたいです!!
叱って欲しいです!!

今年の僕らのキーワードは「元気」なんです、個人的にも。
皆さんもそうじゃないですか?
とっても必要だ、という意味で・・・・。

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予約特典CDのジャケット

Genki

予約特典CDのジャケット最終がきまった。こんな感じである。

「元気が出るCD」というタイトルにしたのは、これがゲームソフトのコンセプトそのものだから。

「ノート」や「マウスパッド」や「携帯ストラップ」なんかよりもずっと手がかかっていて、お得な特典だと思う。つくるの大変だったんだから!!

こんなのがもらえるんだったら、あながち予約してもいいいのでは、と苦労した側としてはすこし思う。本当は予約せずに買った人にも聞いてもらいたいものなのだけれどね。商業主義には矛盾が伴うな・・。

予約はこちらからでも。

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演出の現場

この赤いボタン。
これは、録音スタジオのコントロールルームにある装置である。
このボタンを押して声を出すと、別室の声優さんのヘッドフォンに聞こえる、ま、いわば録音スタジオでの演出家の"メガホン"である。

この演出家席の背部にはソファがあって、関係者やらスポンサーなとが無言でその模様を観察しているわけである。身内だけであればそうでもないが初顔合わせの場合、彼らの視線を背中に意識することらになる。これがけっこう緊張する。

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ゲームのナレーション録りというのは、ドラマとちがって、分岐や、組み合わせの部品が多くて、つまり台本を読んだだけではストーリーがさっぱりわからない。役者さんは事前に台本を読んでくるけれど、たいてい「??」という状態でスタジオに来られ、そこで初対面となる。だから初日は内容説明に時間の大半が費やされることになる。フラストレーションがあるので雰囲気よく、というわけにはまずいかない。

だからこれまでいつも僕は、役者さんと一緒にスタジオに入り、ラジオのゲストのように対面にすわって演出をしてきた。それぞれがどのような状況のセリフで、どんな心境で演じるものなのか、をことばやジェスチャーで伝える。大玉の大滝秀治さんのケースでは、初日は、このスタジオという密室でずっと叱られた(笑)。もちろんその声はコントロールルームへは丸聞こえである。この時のお叱りの声はゲーム内でもそのまま使用させてもらったが・・。

今回のシーマン2の宝田さんの場合においては、しかしずっとコントロールルームから演出をさせてもらった。合計5回の録音では、だから、いつも僕は、この機器がある席に陣取り、台本を見ながら、ときおりこのボタンを押しながらディレクションさせていただいた。台本は、その演技や間合いによってはその場で変更されてゆくが、席でペンを持ちながら演出ができるのがありがたかった。脚本家をかねているとその場の判断で変更することができるからやりやすくもあり、相談する相手が自分自身な分孤独でもある。

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↑当日に使用した台本と演出中の変更例

ナレーション録りにおける役者さんと演出家というのは、映画とちがって一対一の関係だ。だから『相性』は重要だけれど、映画のように『人間関係』を気にする必要はない。自分のペースで雰囲気をつくってゆける。場所は別室で離れているけれど・・。

すべての収録が終了した打ち上げで、宝田さんから映画の大変さをいろいろとうかがった。すべての役者さんが時間通りに来てくれるとは限らない。台本を読んできてくれるとも限らない。複数の役者さんが集まったところで、すべての準備が段取りどおりに進んでいるとは限らない。複数の役者さんに事務所関係者、各種スタッフ、メイク、スタイリストがそれぞれ分、とずらりと多勢が取り囲む現場は、コンサートでいうとリハーサルと本番が一緒にやってくるようなものだ。「次のスケジュールがそろそろ・・」などと催促される中、その孤独な環境の中で監督は険悪な雰囲気をものともせず『ダメだし』をしなければならない・・・なんとも過酷な仕事である。そんな環境と比較したらナレーションの演出なんて楽なものである・・・・といいたいのだけれど、それでもなかなか大変だ。

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できあがった録音は、OKテイクを相応しい間隔でつないで、いったん声だけのマスターとして完成させる。何度もやり直しが続いたパートは、OK部分をうまくつながないとらない。本当はこうやって編集してしまうのは決していいことではないのだけれど、そうなると段落全体でOKがでるまで取り直しを繰り返さなければならない。長い段落ではテイク数が指数的に増えるから、演出する側としてはどうしても編集を前提としたOkを出してしまう。今はマウス操作と画面で編集ができるから、それでもずいぶんと楽になったと思うけれど。

そのあとに、音楽との調整が入る。音楽は長さが簡単に変えられないから、最後にタイミングを合わせようとすると、さらにセリフをけずることになる。今回のThe History of Lifeは、オリジナル台本から4割近くを削ったのではないだろうか? たいてい、台本というのはすこし説明過剰気味だから、削ることですっきりする。ナレーションにかぎらず、セリフはできるだけ少ないほうが効果的でいい。削っても支障をきたさないのは、役者さんの演技が行間をおぎなってくれているからだ。それを利用して、苦労して書いたセリフをぎりぎりまでけずってゆく作業、これがなかなか自虐的でいい。よいナレーションというのはテンポがいい。セリフは多少間引いたくらいの方が聞いていて逆に心地よいものだ。

01_historyoflife01.mp3をダウンロード

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シーマン先生の語録2は10月12日

「シーマン語録2」なる書物が発売されることになった。発売は10月12日の予定だそうだ。発売元は幻冬舎。

著者はいうまでもなくシーマン先生である。名誉なことに、私もシーマンの使徒の一人として監修作業に携わることになった。

出版社より「監修者から一言寄せてくれ」ということだったので、僭越ながら巻頭にてシーマン先生に対するコメントを一言書かせていただいた。その話を書くことしよう。

私の人生は、この10年間近く、この先生に振り回されてきた気がする。私たち使徒(すでに私を含め4人の使徒の存在が明かされているが)の間で、先生は『マンさん』とよばれている。『マンさん』は、実に気ままに、気まぐれに、宇宙を漂い、世界を歌う。是と非の間を数秒間で行き来し、記憶は未来と過去が弁証法的な融合してしまっている。『マンさん』はそんなお方だ。

そんな『マンさん』の使徒というとすこしは聞こえがいいだろうが、実際はまさに下僕である私たちの先生に対する胸中は、正直なところ複雑である。

こんな『マンさん』の言葉やらゲームやらCDやらCMやら、果てはグッズまでが世の中で出回ること。この事実に、使徒たちにの禁じえない疑念を敢えて口にさせていただくならば、「そこにどこまでの価値があるというのか?」ということだったりする・・・

さて以下にその稿を紹介するが、これが、私の率直な意見であり独白である。いや懺悔である。破門をおそれずにいうなせば、先生の顔など、もうみたくもない・・・そんなヨコシマな感情が果てることがないのである、表立ってはこんな発言は許されぬことは周知の上なのだが・・・。

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解説的概要

本書は、2007年10月18日に発売されたシーマン2<北京原人育成キット>および、携帯向けサービス「シーマン」によせられた人生相談の回答などをまとめたものである。ダイアモンド社から2001年に発売された「シーマン語録」の続編にあたる。

そもそもシーマンという生物はずるい。人を喰ったようなグロテスクな風貌で、意味深なセリフを言い放ってはすぐに帰ってしまう。、

こんな勝手で都合がいいキャラは、今の時代もうあまりいない。「勝新」ほどではないにしろ、ある意味、貴重である。

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「あの時代はよかった・・」
このセリフを口にすることは私たち使徒には許されていない。
が、20世紀の末年に、名優細川俊之氏が辛くも代弁してくれた私たちの本当の気持ち、それが、このトラックにこめられている。

historyoflife_13.mp3をダウンロード 

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北京原人の化石はなぜ紛失したのか?

The History of Lifeの第三トラックは、「二つの木箱」という名の、北京原人に関するトラックである。

「二つの木箱」の意味は、内容を聞いてもらえればわかると思うが、原人の化石が収められたとされる箱であり、1941年にこの木箱が秦皇島の米海軍基地へ向かう途中に忽然と行方をくらましたことがすべての謎の発端となっている。

朗読は、もちろん、宝田明!!!

03_historyoflife03.mp3をダウンロード

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予約特典CD先行ダウンロードだっ

シーマン2の予約特典として"The History of Life"というオリジナル制作CDが用意されているのはセガの宣伝でご存知かもしれない。ここずっと制作に没頭しており、つい先日にマスターアップしたばかりのものである。

このCD、全体構成としては、今回録り下ろしたものに、細川俊之氏によるシーマン1の時代の復刻トラックも含めて全15トラックすべてがはいった超プレミアCDとなった。

宝田明さんの声は、本編のナレーションもさることながら、実にいい味。しかも大御所とよばれる方でありながら、仕事にとても熱心である。だからいい感じのお仕事ができたわけで、演出側としてはたいへん貴重な勉強をさせていただいた。感謝である。(深夜の六本木をご一緒に徘徊させていただいたのも、人生の貴重な思い出である)

是非、CDを手に入れていただきたいのであるが、そのためには「視聴」なるものが必須である。

ということで、今回ご紹介するのは、その中からの2トラック、「イントロダクション」と「北京原人」のふたつ。ま、いわゆる導入部ってやつです・・。

ヘッドフォンで聞いてください。

--------------こちらのダウンロードは終了しました。----------------

(copyright all reserved by Vivarium inc 2007)

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シーマン2エンディング曲「ユースケの唄」時限DL

発売まであとちょうど一ヶ月。

シーマン2という育成ゲーム、バカバカしい舞台設定ばかりを強調してきたけれど、根底に流れるテーマを恥ずかしげもなくいうと、実は「生」とか「愛」とか「死」だったりする。それらが容赦なく(?)原人たちを訪れる。

Gabo1
△言葉のない世界で出会う二匹(?)のカップルの行方はいかに!?

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このゲームのエンディングにもつかわれている「ユースケの唄」という楽曲。この曲が原人の次の世代においてとても重要な意味を持ってくる。
実際に歌ってくれたのはこのBLOGでも時々紹介している「梅星」という女の子二人組みのユニット。ほとんど一発録りにちかい録音。

Umebosi
△左がエリちゃん、右がショウコちゃんという二人組みデュオです。急上昇中。

この曲が素朴でとてもすばらしいので、諸権利者・関係者の許可を得て、期間限定(たぶん2-3日)で、アップすることにした。
宝田さん朗読の予約特典CD「The History of Life」には入っています。

ま、いまやネットの時代だし、たかがゲーム用音楽なんだから、本当はもったいぶらずにどんどん配信したほうがいいと思うんだがね。
今回はiPODなどにいれて聞いていただくのもいいのでは、と思う。

(いうまでもなくこの手のデータは禁複製・禁再配布であり、その他著作権などについては常識としてリスナーのマナーをお願いします。まこのブログを見てくれている人は大丈夫だと信じてやってます)

ということで、こちら「ユースケの唄」です。

-------------------------ダウンロードは終了しました。www.seawman.tvをご覧ください。---------------------

「ユースケの唄」----歌詞

たくさんの人にかこまれた
君を遠くから眺めてる
周りの人とたのしそうだね
君の笑い顔が見える

今日は君の御誕生日
プレゼントもない僕だけど
君に会いたいだけ出来たんだ
はやく僕に気付いておくれ

恋の神さま、どうか僕に
魔法の唄おしえて
願い事はきっとかなう
君は僕に気付いてくれる

*夜空にきらきら流れ星
お願いごとはたくさんあるけど
今日は君のお誕生日
君のおねがい、気になるばかり

*リピート

(C)vivarium inc 2007 all rights reserved 
歌/演奏 梅星
詞/曲 YOOT SAITO

P.S

番組で使いたい、なんて崇高な人はどうぞご連絡ください。セガさんが喜ぶと思います。(爆)

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今度のシーマンが鳥になった理由

もしかしたら、初出の情報かもしれないが・・
シーマン2~北京原人育成キット~において、シーマンは鳥の姿になって再び皆さんの前に登場する。

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△これはまだ未発売の某書の帯である

翼を持ち、空を飛び、そしてノアの箱舟のハトのように外界から予兆となる事物を運んでくる存在である。人はいつしか山を神に見立て、頂に貢物をする習慣を持ち始めた。しかもそれは多くの民族でみられる。いわゆる山岳信仰というものである。
本作内にてそのきっかけとなるのが、この「鳥の姿をしたシーマン」である。

さて、ではなぜ、シーマンは鳥になる必要があったのか?
人面魚キャラの次は何だろうと、ネタにこまったゲーム会社特有の"苦肉の策"ってやつか?

そうではない。

シーマン~禁断のペット~と同時、1999年7月29日にHMVで限定発売されたドリームキャスト・スペシャルモデルに同梱された音楽CD"The Soundtrack of Life"(後にavex traxから一般発売)といういものがある。その中に「シーマンがなぜ生まれたのか?」の世界観を細川俊之氏の朗読で制作して入れた。

その音声トラックを、ビバリウムの許可を得て今回掲載してしまおう。そろそろシーマン2の発売も近くなってきていることだし。しかもいちばん気に入っているトラックでもあるし。いつまでアップしているかわかりませんが、是非、大きめの音で聞いてみてください。

ちなみに、宝田さんと昨日録音していたのは、これらの続編である"The History of Life!"というやつである。それらの内容については、また明日あたりに書こうと思う。

Legend.m4a"をダウンロード (copyrighted by Vivarium inc/from "TheSoundtrack of Life")

ちなみに、この詩は1998年にエジプトに調査にいったときに書いたもので、ジョセル王やイムホテプをはじめ登場人物たちは現地の実在人物をモデルにした。

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人間関係の悩みのポータルサイト出現

15日あたりに、シーマンのサイトがポータルサイトへと大リニュアルする。
僕も、ここで、ゲームクリエーター講座を再開することになる。というか、これまであちこち書いてきたものと新規のものをマージ(統合)して、しっかりまとめに入ろうかと思っている。

ポータルサイトというのはつまり、ゲーム版の「シーマン」にとらわれず、あらゆる人間関係に対する煩悩と悩みへの「意思決定支援サイト」というコンセプト。面白いと思う。

たとえば、「浮気と暴力が絶えないXXXXな彼氏だけど、別れるべきか、厚生させるべきか」なんて悩みに、ユーザーが投票する、なんて機能も(時期は追ってだが)はいってくる。

おもしろいと思う。

というか、かくいう自分たちも、自分自身も、いろいろと、悩みは尽きないし。笑

あと数日でオープン、乞うご期待!!!

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バッハ

映画「セブン」はどこかの雑誌の取材でベスト10にいれたほど好きだ。

僕のすきなものには、どうやら共通点がある。
それを無理に言葉にするならば、「対極の同居」ってところだろうか。
ようするに、ありえないほど反対側にあるものが、実はおなじところにある、という風景が好きなんだ。

セブンの題材となる崇高なキリスト教世界の教義と、連続殺人の猟奇性。この映画は神学の美とエログロをあますところなく同居させた作品である。

手かがりを求めて刑事がおとずれた図書館のシーンではG線上のアリアが流れる。テレビドラマで、ナルシストが反抗を犯したあとに流れるバロック音楽、といったやすっぽい演出ではなくて、実に崇高に、うつくしく、それは響いた。この二者の違いって、作り手の知識の違いではないかな、と思う。

そう、この映画のサウンドトラックを聞くとわかるのだが、使われている曲はすべて「7」に関係がある曲ばかり。G線上もそのひとつである。すべてか、エッシャーのだまし絵のように、バズルのピースになっているような作り方。

バッハの音楽はメタ数学的ということがゲーテル・エッシャー・バッハにくわしく書かれている。著者のダグラス・ホフスタッターは、この本でピューリッツァ賞をたしか受賞した、はずだ。

20年以上前、学生時代に深夜のパーで、坂本龍一さんに、同著者の「マインズ・アイ」という本をすすめられたことがある。音楽家というのは数学にも興味をもつものなんだな、と感心したことを記憶している。

数学と音楽、美とグロテスク、精神世界と肉欲煩悩、いろいろな矛盾がひとつのキーワードで結ばれたような、そんな世界に、とても惹かれるのである。

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人生の縮図について

いま、とても不思議な経験をしている。

北京原人を育成するキット、という、すこし人をくったようなキャッチの『シーマン2』、は、ここだけのはなし、その子孫として登場する人間の営みがメインになってくる。ジャンル名は、『箱庭型人間関係構築ソフト』とする予定である。(これも人をくったなジャンル名だが、今日のセガさんとの会議で発案した言葉である)

ただサブタイトル名には人間ではなく北京原人としたのは、人類の自我の芽生えから体験してもらいたいから。言葉のはなせない北京原人を育成するのは、ただの「人間育成」とはスケール感がだいぶ異なるだろうから。(くわしくはこちら)

そんなシーマン2というソフトは、まったく意図せずに、しかしあたかもそれが必然であるかのように、旧約聖書のような世界になってきた。企画当初から4年間、コンセプトはいっさい変えていないのに、そして宗教的な考えは一切排除するポリシーで進めてきたのに、ここにきて忽然と出現した世界は、あたかも聖書世界のように思える・・・。

天地創造、禁断の果実、アダムとイブ、ノアの箱舟・・・人がたどる道を凝縮すると、やはりこういった構図になってしまうのだろうか? 自分でも不思議でならない。

僕は、ゲームにBGMを入れるのが嫌いだ。
断片で構成されるシミュレーションと、直線的なBGMは背反する関係だと決めつけている節がある。だから、環境SEにはこだわる。心地良い環境音は音楽よりも音楽的だから。

しかし、旧約聖書のような世界の中に突然と発生する絵画の象徴的シーン、それが、ただの偶発的な『他人のそら似』ではないよ、といいたい瞬間がある。そのシーンをつくりだしたのはまぎれもなくユーザーであるが、それは偶然ではないよ、必然なんだよ、といいたい光景。

どうやってその意思表示を伝えようかと考えているうち、バッハのG線上のアリア、が脳裏を行き来するようになった。

今日、自宅にYAMAHAの電子ピアノを運び込み(I君、Y君、T君ありがとう)、楽譜を探し出した。母の記憶、父への提言、そして死別、動物の捕獲、樹木の伐採と砂漠化、温暖化と島の水没。G線上のアリアは、人生を俯瞰する光景にとても明るくそして切なく響く曲だと思う。

ユーザーが育成する人類の生へこだわればこだわるほど、環境はどんどんと悪化する構造がここにはある。多くのスタッフたちによって実に精巧につくられた生命環境、いや,人生の縮図が展開するためのシミュレーション構造ができあがりつつある。

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プランナーの拠り所

人間、どんなに想像力が豊かであっても、人というのは複数で企画をすすめてゆくには「拠り所」が必要になる。

無限にある音の中から人間は12の音だけをピックアップした。作曲家は、この12という音符を拠り所に作曲をする。あるいはギターコードのような簡易的な音楽展開のライブラリーを利用する。

ゲームは何を拠り所にするか、というと、RPGであれば、セリフ入りの物語である。それを軸とし、そこにグラフィック、そして音、を肉付けする形でゲーム作りは進んでゆく。

アドベンチャーでは、それがマップとなるであろう。開発スタッフは企画者の描いたマップのスケッチを拠り所として全体像を理解してゆくことになる。

では、セリフや物語のまったくない、たとえば「テトリス」では何を軸にするか、となると、物語にあたるものがない。いや、実はあるのだけれど、プログラム言語以外に記述する方法がない。何がどうおきるか、をことばで朗々と書き連ねたところで、それはゲームがおこす現象を描いたものであってゲームの構造を記述ものではない。

この「拠り所」がないゲームというのは、開発チーム内で統一のイメージを持つことが困難である。

☆     ☆     ☆

シーマン1は、セリフにあわせて表情をつけてゆくという手法をとっていたのだけれど、それは大きなまちがえだったということに、最近(シーマン2がメインとする自律型キャラ)になって気づいたはなしをする。

人間の表情で一番重要なのは、実は、セリフとセリフの間の空白である。 魚のキャラクターでは、セリフとセリフの間もただ水中に浮かんでいればいいから、さして目立つことがなかったこの「間」。だけれど重力に逆らって立っているキャラクターだとそうはいかない。待っている間イライラしたり、もう片方に足に体重移動をしたり、腕を組んだり、飽きて関係ない方向をみたり、といった表情がないと、何をしているのか、まるで壊れたロボットのように見えてしまう。だから、このセリフのない空間、に表情をつけることになるのだが、それこそが、前後関係のないシミュレーションならではのやっかいさである。スタッフは真っ白な台本に対して作業をするようなものなのだから。

固定的な物語があるわけもないのが「シミュレーション」の特徴である。その仕様書というのはというのは、セリフがまったくないパントマイムの、しかもアドリブ進行の台本のようなものである。なにをどの順番で書けばいいのか譜面にあたるものが存在しない分野というのは、なかなかやっかいである。

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TGS最終日の日曜

昨晩から徹夜である。
納期へのストレスから胃潰瘍がひどく痛む。徹夜をすると胃が荒れるというけれど、僕の場合は逆である。仕事が進むと精神が安定するから胃潰瘍にはいいのである。

朝8時過ぎ、まだ終わりきっていない仕様稿をUSBメモリーに保存しもそもそとパソコンから離れる。カーテンを開けると、外は雲のない秋晴れの日曜日だ。
涼しく、気持ちが良く、そして懐かしい匂いの風が部屋の中へと入ってくる。

風呂に入って髭を剃ると気分もだいぶ落ち着いた。

「通知不可能」と表示された着信が9時前に携帯にあった。
相手はGameSpotの編集長のカート・フェルドマン氏。
E3やGDCのコーディネイターとして過去何度か僕をパネラーとして招いてくれた方である。カートはゲーム業界を見つめる人格者、という感じの人かな。

「大丈夫?起きてるよね?」
電話の声は穏やかにそういった。音質がやけにクリアだ。

国際電話の生取材が1時間後に予定されている。ライブで配信されるというけれど、肝心の僕がちゃんと準備できているか、その確認である。クリエーターというのは、どの国でもあまり信用されていないようだ(笑)

昨日も一昨日も電話番号の確認などでかかってきたところをみると、どうやらGameSpot側ではちょっとした大イベントのようだ。忘れていたわけじゃないけれど、なにかを準備していたわけでもない・・・。どんなことを聞かれるんだろうか?

実は、昨日・今日と娘の学校の文化祭でもある。
ESSに所属する娘は今日も舞台の上でミュージカルを演じることになっている。
題目は「アラジン」で、セリフは全員、英語である。

娘よ、君ほど日々の努力をしていないが、父もいまから英語スピーチの本番だよ。

がんばろっと。

そして、そのあとは、髪を切りにいこう、こんなに気持ちのいい日曜日なのだから。

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日本の皆さんは友だち

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幕張メッセで開催されている「大北京原人展」のサブタイトルは、「日本の皆さんは友だち。」である。
写真をみてわかるとおり、このタイポグラフィーは、日本人観光客相手のハワイの土産店の看板をまねたものだ。そのためにわざとギクシャクしたフォントと字間でつくった。日本人が直感的に抱く警戒心と違和感。それが、このロシアからの売り込みという、これまた怪しげな設定とあいまって、独特のいかがわしさという異臭を放っていてなかなかよい。英語の注釈では  Japanese people are our best custmers(日本人は最高の客です)とした。かなり人を食ったようなコピーである。

こういういかがわしいノリのイタズラが僕はたまらなくすきで、何歳になっても、いや歳を重ねれば重ねるほど、チャレンジ精神が旺盛になっている。

肝心の展示だが、そもそも発売までとうぶん時間があるこの時期、ゲームを見せることはできない。というか、ゲームは画面を見せればいいというものではない。生のイベントでユーザーが欲しているのは、平面的な画面ではなくて、作品の質感である。
一点突破で、「北京原人の見世物小屋」というコンセプトでいくことにした。どてかい建築物の中に本に小さな小屋をつくり、そこで原人をみせる。手法としては立体のジオラマの上に3Dホログラフィーを、という希望は、いにしえのマジックミラーをジオラマ上に投影することでほぼ同様の効果を得ることができた。粘り強く手を尽くしてくれた乃村工芸さんには感謝である。

そして、今回の目玉の一つといえるのが、このビデオである。ナレーションは日本を代表する名優、宝田明氏。最初から宝田さん以外にいない、と決めていたので、お引き受けいただけたと聞いたときには、飛び上がらんばかりの気持ちだった。MA当日は張り切る僕に、すばらしい演技とともに何度でもお付き合いいただけたので、最高のビデオが完成した。

このビデオに不可欠なアートワークと、プロダクションデザイン、は、すべて高橋晃くん。Yes,Mama OK?の金剛地くんのパートナーであり、彼もまた天才的なセンスを持ちあわせたデザイナーである。DC版シーマンのアメリカ向けに使用したイラストは彼の手によるものだ。

いつもビデオを制作するときは、脚本から演出までベタで張り付くんだけど、今回は高橋君が参加してくれるとなったので、安心して任せることができた。とても助かった。無理を引き受けてくださった制作プロダクションの方々も、楽しんで徹夜いただけたと聞いて、うれしい限りだ。企画者冥利に尽きる。

月岡一郎教授、としてご挨拶いただいているのは、ご本人だが、職業は造形のアーチストで、今回の見世物小屋ジオラマを制作していただいた方だ。
こぎれいな展示会において、生き物特有の"臭い"のリアリティへを出したいと思い、原人の見世物小屋の隅に「キムコ」をいれることにした。そのキムコは旧式の三角形のタイプの手配がつかず、同氏のご自宅の冷蔵庫に偶然あったものを無理いって寄付いただいた。

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なにはともあれ、このばかばかしいイベントに、おどろくべき敏腕スタッフが結集した。
だから最高のできである。

シーマンは、常にこうでなければならない、のである。

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北京原人 in 東京ゲームショー2006

Imgp2111 今日から東京ゲームショーだ。
本来関係者はビジネスデーとよばれる初日に会場に足を運ぶのが通例であるけれど、僕はいけないので会場にいるスタッフからの連絡を聞いている状態。

「シーマンのブース、すごいことになっていますよ」
興奮気味のIクンから電話が入った。
くわしくはここでは書かないけれど、ほっとした。
僕の企画は、へんてこなものばかりなので、大空振りしやしないか、正直ヒヤヒヤだったのである。

すこし、気が落ち着いた。
地味な日々の中で、こういうニュースは貴重な心の栄養源である。

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今年の文化庁メディア芸術祭

060611掲載

僕は、文化庁メディア芸術祭の委員の仕事がとてもすきだった。審査のための作業はやけに大変なのだけれど、その審査を通じて、日々の怠慢生活では出会えない世界の秀作に触れることができるし、なんといったって各界の委員の人と価値観を交わすことができる。とにかくすごく勉強になるのである。(そのために仕事を数週間を犠牲にするが、逆にいえばこんな機会はなかなかない)
それだけの大作業であるから、すべての手続きを経て受賞作品が無事決定すると、審査委員の間では大きな達成感が漂う。なもんだからそのあとの打ち上げが、これまたたのしいのである。

さて、以前にこちらで書いたのだが、本当に自分たちも作品を応募し、賞を狙うのであれば、審査員を引き受けるべきではない、という話。
今年は(間に合えばの話だが)、シーマン2でなんとか応募までこぎつけたい。そして無事応募にこぎつけたならば、なんとか受賞したい。

そういう思いが募り、先々週、文化庁からいただいた委員の打診を悩んだ末にお断りした。意義深い機会であるから、誠に残念であったけど、クリエーターであることが本業なのだからいたしかたない、との決断である。チームのメンバーには今回はだれにも相談しなかった。

これはある意味、かなりのわがままである。審査会には、そして委員のメンバーには、迷惑をかけることになるだろう。今まで数多くの課題を通じてすりあわされてきた数々の審査の文脈がそこには、ある。別の委員の方をこれから探すとなると、これはこれで大きな負荷を負う方がでるに違いない。文化庁の方にも、あるいは委員の方にも申し訳ない気持ちである。

ま、しかし、その審査にかけるエネルギーといい情熱といい、これまで経験してきてたどの賞の審査よりもそれらが高い。そんな賞に、一応募者として関われることを誇りに思いたいのである。

いろいろと新しいことばかりをやりたがる自分なもんだから、完成までは前途多難である。かくいう今日、雨ふる日曜日も、若きメンバーとミーティングをしてそのあと焼肉という状況である。

この決断がひとつの励みとなって、作品がはやく完成するといいなぁ・・・・と思いつつ、新しい週があと10分後に訪れようとしている。焦らず、そして急ごう・・・。

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北京原人育成キット

表題のとおり、「北京原人を育てる環境」をいま鋭意制作中である。

ご推察のとおり、シーマン2、がそれである。

「また、とんでもないものを・・・」というため息が、知人関係各所から聞こえてきそうではあるが・・・。

以前にここで、すこしだけシーマン2に触れたことがあるが、北京原人と書かなかったのは、この言葉が差別的な表現ではないか、という調査を発売元が行いたいという意向を尊重してのことである。

「きわめて学術的な言葉でありなんら問題なし」という回答が今日届いたので、あらためて、触れることにしよう。

僕の記憶が正しければ(←あやしいけど)、北京原人は、1939年、中国の周口店でアメリカ人科学者によってはじめて発見されたものの、戦争の雲行き怪しく、人類遺産保全を目的にその骨は瀋陽経由でアメリカに輸送される手はずが整えられていた。

だが、その後この骨は、完全に消息をくらました。その理由はまったくもって不明である。
したがって、いま残っている北京原人の骨はすべて石膏による複製だけという。

シーマン1の設定は、1933年、フランス人科学者であるジャン=ポール・ガゼーの実験報告を再現したことになっている。
シーマン2では、1939年に消息を絶った原人の骨を入手した科学者が・・・といったあたりから物語は始まることになる。

英語では、ピテカントロプス・ペキニーズというそうだが、「ぺきんげんじん」という言葉がコミカルに聞こえてしまうのは、その語呂もさることながら、これまで怪獣映画などで、裸体の役者がそれを演じてきたからではないだろうか。その点で、このコミカルさは日本特有の文化ともいえる。

ゲーム開発者というのは、手がけている仕事を明かすことが出来にくい仕事である。だから、本件もあまり明かすことが出来す、実に残念である。差し支えない範囲でいうと、本作品では「北京原人語」をユーザーに話してもらう(!)ことになる。言い変えると、音とともに作り上げた「北京原人語」を学習してもらい、それを音声認識エンジンで認識させる、という離れ業にプロジェクトは挑むことになる。

「指輪物語」では、架空の言語体系か゜つくりあげられ、役者たちはその意味を理解した上で、セリフとして演じたという。意味があるからこそ感情移入も可能だった、とメイキング映像で役者の一人が語っている。原作では、「鈴の様な響きをもつ言語」と表現されているそうだが、映画ではそれを言語体系として再現したそうだ。

では北京原人語、は、では果たしてどんな言葉になるのだろうか?
僕には想像もつかない。だから逆に、現代人が直感しやすい言葉、話しててわらっちゃうような言葉にしようと決めた。
実のところ、この仕事は、最初は自分でやろうとは思っていなかった。
この人意外にはいないだろうと思われる某氏に依頼しご快諾いただいたものの、いざふたを開けてみると、ゲーム仕様と密接に関係する一方で、仕様がまったく未決定だったことと、それから認識への影響(50音で記述できないと認識定義ができない)などの未知数から、外部の方が独立してというのは困難ということになった。

言葉の数、も問題である。
多すぎず、少なすぎず。着手してから2年近く経過している今も、まだ流動変化している。

どうなることやら・・・・。

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シーマン2急がないと!!

今日は大玉の発売日だ。
ふぅー、長かった!!
長くかかったソフトは長く売れてほしいのである。
長期化による赤字を挽回しないと、まずいす。

実は、大玉を盾にしてずっと秘密裏にしてましたが、「シーマン2」が佳境なんですよ。自分を追い込むために、勢いで公開してしまえっ!!

この企画はですね、4年前から何ひとつも変わらないのだけど、規模を読み間違えた。
それと、大玉に手をとられすぎたことで、資金繰りと、あと山積みの企画と遅れているスケジュールにケリをつけていかなければなりません。体調もかなりまずい。

シー2は惑星をつくるところからゲームは始まる・・。


指でコネコネして、惑星をつくるのだけどね。
手の写真は誰の手でしょうか!?いえません。(Nさんです)

できたこの惑星で、ですね、今回は人間を育てるのですよ、言葉と文明、を、ね。

生態系を表現するために、舞台は孤島である。
これは島でありながら、惑星そのものだ。

ここにひとりポツンと、人間がいるわけです。男です。いや、オヤジというのかな。

そう、「シーマン2」はつまり、神様になるゲームなのです。

シーマンはどこに出てくるのかって??
秘密だよーん。
「シーマン」てのは総称なんです、実験系ゲームの!!

音声認識だ、なんだ、と、いろいろえらそうなことを言ったって所詮ゲームですから、おもしろくないとなりません。

以上、斉藤さん、わすれないでくださいよ!!
どろ沼化すれすれの企画なんだから!!

もうひとりの斉藤さんより